ソロ焼肉へのためらい

砂塔ろうか

ソロ焼肉へのためらい

 半休の大学帰り、焼肉店に入っていく先輩を見つけた。彼女の綺麗な赤髪はとてもよく目立つから、すぐ気付いた。


(一人で焼肉? よく入れるなあ……)


 もうそんな時代でもないのかもしれないが、古風で厳格な祖母に育てられた私には少し、いやかなり勇気のいる行動だ。そういうことを平然とできてしまう先輩が少し羨ましい。


(よく考えてみたら、先輩はあの赤髪といい、空気を読まずに言いたいことをはっきり言う姿勢といい、周囲の目とか気にしない人だよなあ)


 かっこいい、そうとさえ思う。


(……入ってみようかな。私も)


 別に、焼肉を食べたかったわけじゃない。

 ただ、先輩がいる今の時間なら、もしかしたら私でも焼肉店に女子一人で入ることができるかもしれない。いつもいつも、最初の一歩が踏み出せない私でも、踏み出せるかもしれない。ソロ焼肉の道を。


 いや、ソロ焼肉はこの際重要ではない。ソロカラオケでもソロファミレスでもソロラーメンでもなんでも、とにかく今まで一人でやる勇気が持てなかったすべてをできるようになりたいと、私は思う。


 他の誰かを気にすることなく、思うようにしたいことをできるようになれば、私の内向的な性格も少しは改善するような、そんな気がするから。


 ……とはいえ、それですぐ焼肉店に入れるようならここまで思い悩んでなんかいない。


 内在化した素朴で時代遅れな倫理観が私の足を前に進ませてくれないのだ。気がつけば、「入ろう」と決めてもう10分が経過していた。


(……まずい。こんなに焼肉店の前で立ってたらなんか妙な誤解を受けるかもしれない)


 私は逃げるように近くのコンビニに飛び込んだ。


(……どうしよ。逃げちゃった)


 自動ドアを抜けて一秒で後悔した。


 コンビニに入って何も買わずに出てしまうのもなんだか嫌だったので、とりあえず目についた紙パックの牛乳(150ml)を買って店を出た。


(……どうしよう)


 買ったばかりの牛乳をじゅーじゅーストローで吸い上げながら考える。容器がほとんどぺったんこになっても吸うのをやめず、ただ考えるのは焼肉店に入ることだけだ。


 入るか、入らないか。


 なんとなくだけど、今入らなかったら一生私はソロ焼肉ができなくなってしまう気がする。


 ——つまり私は今、人生の分岐点に立たされている。


 大げさかもしれないけど、大真面目に考えるべきことがらなのだ。

 きっと私は、ここで退いてしまったらそのことを一生引きずるだろう。

 けれど一方で、勇気を出して入ったところでもし、嘲笑されるようなことがあれば、それはそれで一生引きずる。

 つまり、判断するべきはどっちの傷がマシかということだ。

 「しなかった」という傷と、「やってだめだった」という傷。


(なんか、どっちも嫌だな……)


 やらない後悔よりやる後悔、と誰かが言っていた気がするが、私は安易にやる後悔を選べるほど割り切りの良い方じゃない。「はいそうですか」で一歩を踏み出せるなら、こんなことになってないわけで。


 ……とはいえ、本当にどうしよう。コンビニ前に置かれたゴミ箱にぺちゃんこになった牛乳パックを放り込んで、私は再び焼肉店の前に行く。


「…………っ」


 駄目だ。やっぱり中に入ろうとすると足が竦む。どうしても、入口の少し手前で一歩立ち止まってしまう。


(こんなところで立ち往生してるわけにもいかないし、もう諦めようかな……)


「あれ? 瀬名川さんじゃん。どしたの、こんなところで?」

「っ!」


 私が諦めようと思ったその時。そこに現れたのは先輩だった。焼肉の匂いをただよわせて、堂々とした足取りで店から出てきたのだ。


「せ、先輩」

「ここの肉、結構おいしいよ?」

「え、あ……そ、そうですか」

「んー、もしかしてさあ、」


 先輩は首を傾げたかと思うと、一気に距離を詰めてきて、囁いた。


「正直に答えて。一人で入るのが怖いの?」

「……っ。はい。そう、です……」


 不思議なもので、先輩に囁かれた質問には嘘がつけない。考えるより先に、無意識が勝手に答えてしまうのだ。


「なるほどねえ。それじゃあ、私が一緒に入ってあげようか?」

「えっ。でもさっき食べたばかりじゃ……」

「そうだけどさ。まあ別に、満腹になるまで食べたわけでもないから。腹八分ってトコかな」

「…………はあ」


 先輩はなんてことのないふうに笑った。さっき出たばかりで、店員さんに奇矯なものを見る目で見られてしまうだろうに。そんなことは問題じゃないと言わんばかりの態度で。


「——で? どうする? あ、一応割り勘でお願いしたいんだけど……」

「…………いえ。先輩は、来なくても大丈夫です」

「そう?」

「はい。ありがとうございます。またいつか、別の機会があったらその時は二人で」

「……ん。わかった。じゃ、一人焼肉楽しんできなよ」

「はい」


 先輩の去る姿に、私は小さく会釈した。


(ありがとうございます)


 先輩のおかげで、ようやく私も決心がついた。先輩の姿に、勇気をもらった……というのは違うだろう。ただ、先輩を見ていたら私の悩みがなんだか馬鹿らしくなってきた……ただ、それだけのことだ。


 さっきよりも少し軽くなった足で一歩踏み出して、私は焼肉店のドアを開けた。


(了)

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