第40話 調和は遠く

「俺の勘違いだったのか……」


 ショックだ。これは本当にダメージが大きい。勘違いを避けたいがために、後輩が中々人のことを友達と言わない理由が十二分に理解できる。

 解しすぎて、心は深海に沈めたみたいだ。暗いし冷たいし圧力で潰れそう。


「ああもう、そんな露骨に落ち込まないでくださいっすよ。いやでも先輩を友達枠に入れたくはないっすし……」

「入れたくないのか……死ぬか……」

「あ、肩落とさないで! 俯かないでくださいっす! 他意なしっす! 悪意ゼロでむしろ善意と好意だけなのですよ!」


 気落ちして冷たそうな廊下だけと向き合っていると、夏那がしゃがんでまで俺と目を合わせてくれる。


「わたしは、ヒナトのこと友達だと思ってるよ」

「やっぱり信じるべきは幼馴染か……」

「この人もそーいうことする人になったのですか……絶対心にも思ってないでしょうに抑え込んでその口ぶりっすか……そーいうのは、あの転校生さんだけでお腹いっぱいなのですよ!」

「ちょうど呼ばれたのだから来てみたのだけど……騒がしいわね」


 噂をすれば影のはずが、黒いシルエットより先に本体が寄っていた。わずかに身体を揺らせば触れ合ってしまうくらい、斗乃片透華は俺に接近していたのだ。


 シャラシャラと、金属同士をゆっくり擦らせたような音を奏でながら。背筋を薄っすらなぞる音色を作り出しているのは、白すぎる手に収まった一丁の鋏だ。

 美しい銀色が眩しく、触れるにも危なっかしい刃物。こう表現すると、斗乃片みたいですらある。

 なんてことは絶対口にしないが。


「暗殺者みたいな忍び寄り方をするな。俺の心臓が終わる。それと、そのハサミは一体どうした?」

「髪をバッサリやって、テンションが上がってしまったものだから――ちょっと装備してみたわ。どうかしら。個人的には黒マントに似合って、カッコイイと思うのだけど」


 相も変わらず、厨二病精神を発揮していたのか。正直とてもイイ。黒に銀というところが素晴らしいし、色の抜けた長髪との相性も最高だ。


「ヘアカットマシン使わずに、転校生さんがカットしたんすか……」

「『調整』を逃れるためよ。半日と一晩で思い付き、実行可能なことは何でも実施しただけだわ。男子制服の着用にヘアスタイルの変更、靴の履き替えに個人デバイスの入れ替え、指定カバンのカラーチェンジに小物の取り付け――どれが功を奏したのかは分からないけれど、先ほどの雑談を聞く限り大丈夫そうね」


 さらっと為された説明に、『運営』の一員は眉をひそめた。


「よくもまあ全部できたっすね……本職にやってもらったのかってぐらいカットうまいっすし……追加の男子制服もよく揃えたっすよね」

「俺の予備を使ったから、そこはなんとか」

「はぁ⁉ 今なんて言ったのですか!」


 補足をしただけなのに、後輩が過去最高のキレ方を見せる。怒っているのでなく、突発的に乱雑に、しかし心の底からキレていた。


「ってことはあれすか! 転校生さんも幼馴染さんも両方、ヒナ先輩の服着てるってことっすか⁉」

「そうよ」

「そ、そうだね……捉え方によってはそーなるかもしれないし、そーならないかもしれないね……」


 毅然とした態度で受け答えする少女が一名と、後ろめたそうに顔を背ける少女が一名。


「どう捉えたって答えは一つに絞られるのですよ!」


 それに対し、ぐるぐる唸って感情を示す女の子がひとり。


「全部ぜんぶ腑に落ちたっすよ。だーから、幼馴染さんはやけに機嫌よさげで、言うのが躊躇われるよな、心とはズレたコトすらすらぺらぺら言えたんすね! もう、もう!」


 虎児と不機嫌な童女には近寄らないのがベスト。誘爆を回避するため、俺がそろりと両足を動かすと、


「先輩にも、ちゃんとお話があるっすよ」


 逃げを打った肩がちっこい手に抑え込まれた。


「まず、ワタシにも制服をよこすっすよ」

「いや、後輩は『運営』だし、ひつような――」

「必要あるっすよ! 研究っすよ! ワタシは『運営』の中でも下っ端でまだまだ分かんないことだらけなんで、とりま先輩の服着て実験することは、急を要してですね」

「いや、てかもう予備の制服なんて持ってないしだな……」

「じゃあ一回買ってからまた着てワタシに贈与してください」

「それなら心後輩が直接買ったほうがいいだろ! 『運営』の経費も使えるし!」

「実験するんだから前提条件変わったらマズいんすよ! 先輩が来たことがバグの要因になってるかもしれないじゃないっすか! 基本中の基本っす!」

「なんか無理やりじゃないか!」

「無理じゃないっす! 合理と理性と本能による完璧な要請っすよ! 大体先輩がぽいぽい自分の持ち物を渡してるのは大変褒められなく危うい行為であってですね――」


 ダメだ。止まらない。今日の後輩はスイッチが壊れてしまったのか? 

 夏那に目配せして助けを求めても、首は横に振られた。続いて斗乃片。


「はぁ、仕方ないわね。貸しひとつよ。十五倍にして返しなさい」


 承諾し、彼女は力強く告げた。立てこもった犯罪者を説得する、警官さながらに。


「私は、比位陽名斗のシャツまで保持しているわ」


 内容が厳粛な声色に伴っていない点は、目を瞑ろう。


「その重大情報を開示する意味は、なんなのですか」

「こちらには供与する準備がある、ということよ」

「――――‼」


 後輩の反応を見て、雷に打たれたという形容を想起した。今の彼女にぴったりで、過剰な表現だとは思えない。


「これで、手打ちにしましょう」

「怪しいっす。対価は?」

「『運営』の情報」

「了解したっす。ブツが引き渡され次第、三時間おきにメンヘラな彼女みたいなペースでメッセージ送るっす」

「取引成立ね」


 この世が誕生して以来最低な交渉劇だった。俺が当事者だということは、記憶から叩き出しておこう。

 何はともあれ、斗乃片の尽力……により心後輩は矛を収めた。が、入れ替わりとばかりに夏那が首を捻っている。仲良しかよ。


「そーいうの、よくないよ。ここは公平にね……」

「ふふ、残念ながら一度贈与された時点で所有権は私にあるわ。心さんに貸すも、ななさんに貸すも私の思うまま――」

「ないぞ。俺は貸与しただけで――って『ななさん?』」


 聞き間違えか? 斗乃片が今、夏那の方に向かって『ななさん』と呼んだのは、おそらく俺の脳か耳かが壊れてのことだろう。


「ななさんはななさんよ。七都名夏那なので、ななさん。私は彼女を、ずっと前からこんな風に呼んでいて――という設定を、今朝作ったわ」


 衝撃の事実だった。あの斗乃片透華が、他人を愛称で呼ぶなんて。

 呼ばれたほうは驚いていないから、本人には伝えていたのか。しかも、『ななさん』の四文字を聞くたびに目を輝かせているし。


「人をこんな風に呼ぶことが、私に合わないという意見は解せるわ。でもこの行為、憧れだったのよ。友人を、あだ名とやらで呼ぶことに――私は憧憬を抱いていたの」


 淡々と、少女の感情と願望が並べられていく。どこぞの『運営』メンバーとは異なり、


「解釈が異なるというのなら、『調整』に従った結果だと考えてくれればいいわ。仮面やマントと同様に、私にとってのメリットだから受け入れたとね」


 自信を持って緩い理屈を組み立てながら、堂々と発した。

 これは、照れ隠し、なのか……? あまりにも堂々としすぎていて、俺では判断ができない。


「『調整』を、そういう風に利用するっすか……」

「貴女たち『運営』は全体のことばかり気にするから、そこを上手く使わせて貰うだけのこと。今回だって、私に幼馴染――七都名さんという交友関係を与えて、バランスが取れるなんて考えは甘いもの」

「でも、転校生さんにはヘンタイさんのデバフがあるっすからね」

「デバフとかいう不名誉なことを言いながら、俺を見るな」

「ヘンタイはいいんすか?」

「ある種の報酬だろ」

「きも」

「ひど……」


 語尾を忘れた、直球の暴言が飛んでくる。しかも言葉の暴力は一方向からではない。


「ま、ヒナトも同級生女子の制服着てるわけだからね……」

「安心なさい、比位くん。ヘンタイでドMの手遅れであっても、私個人からすれば貴方は重要な人よ。『運営』視点で交友関係にカウントされないところも、ポイント高いわ」

「俺はどう反応すればいいんだ」

「喜びなさい」


 斗乃片は命じた。


「友人という甘くて緩い過程を飛ばして、私との関係を別のものにできることを、ふたりで一緒に喜びましょう?」

「友達、欲しかったんじゃないのか?」

「も得たもの。二人も大事な友人ができたから――もっと別なナニカも欲しい。私、強欲だから」

「知ってる」


 短く応じた。ここで深く応じると、色々とこじれていく。俺が全く知らない分野に突入して、事態が収拾不能になりかねない。

 だからといって、あちらが攻めの手を緩める理由は皆無。


「比位くんもそうは思わない? 友人はここ数カ月で二人できて、失ったものも取り返したでしょう? なら――」

「いや、俺はだな……」

「ちょっとちょっと、なんでヒナトは普通に話してるの! ダメ! その会話ダメな感じがするよ!」

「話の進め方おかしいっすよ! てかもう宣戦布告! 友達ふたりてなんすか! 嬉しいけど嬉しくない! かなり嬉しいっすけど、めちゃくちゃ嫌なのです! 目の前でやるなんて手口が最悪!」


 熾烈な猛抗議があった。

 それを、チャイムが上書きしていく。スピーカーから発せられる鐘の音を意識したのは、俺にとって何日ぶりだろう。

 こんな気づき、些細なことだが。

 他の三人には関係のない、でも俺にとっては大事なことだ。分かりやすい俺だって誰にも気取られないくらい、重要なこと。


「っ、やけに話の切り出し方がおかしいと思ったら、これを狙ってたんすね! ずるいっすよ! 最低! クラスってやっぱ不公平! 『調整』すべきじゃないっすか!」

「いや、それはどうかと思うな心ちゃん!」

「幼馴染さんは既得権益握ってるから、そう言えるのですよ!」

「できるものなら『調整』してみなさい。クラスの総合的な人気で、均整が取れるようにでもするといいわ」


 準備してきたかのように提示された案だ。耳にした瞬間、後輩は呆れと怒りと感嘆をぐちゃぐちゃにし、一緒くたに声へ乗せた。


「それ、ぜったいに転校生さんと幼馴染さんとヒナ先輩の教室になるじゃないですか」

「違うわ。私は自らの魅力を最大限に高め、斗乃片透華と比位陽名斗だけの教室を目指すことを誓いましょう」

「最低! この人最低っすよ!」

「わたしはバフだし、どうしたって付いていけるよね……」

「ちょっと幼馴染さん! そのやり方と心持ちは良くないのです! あとで会議、会議っすよ! 協力して立ち向かうのです! と、友達どうして考えれば何とかなりますって!」

「――そっか、そうだね。了解、心ちゃん!」


 繰り返し響く鐘声に負けじと、手と手を打つ快音が廊下を駆け抜けた。

 夏那と心後輩の握手からだ。

 しかと握り合った手のひらふたつを認めて、斗乃片は柔らかく目を細める。


「それでは、『調整』を上手く利用する方法、みんなで少し考えてみましょう? この話の続きは、そうね――」


 彼女が詰まらせた言葉を、


「昼休み、屋上で」


 俺が咄嗟に引き継ぐ。


「おっけーだよ!」

「了解っす‼」

「二度目の実現、嬉しいわね」


 承諾の意思が、長さも口調も勢いも全部バラバラの言葉で返ってくる。

 均一も均斉もなくて、意思疎通すら時には取れなくて、何もかもが不揃いなままで俺らはやり取りしている。

 こんな調子じゃ、バランスなんて一生とれるわけないと――俺は信じた。


 パッチノートに、背を向けたまま。

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顔が良すぎてナーフされた転校生と、バフされた幼馴染が近づいてくるラブコメ はこ @ybox

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