第39話 代償と友情

 残念なことに、比位陽名斗は変質者で変態だった。

 

『莉堂学園 アップデートパッチ 30.8


 バフ

 ・斗乃片透華

  :彼女の交友関係に、幼馴染を追加します

  〈クラスメイトの男子に制服を交換させられた上に、その変質者に付きまとわれることによって、ある少女の人間関係面は無残にも破壊されました。ある一人を除いて彼女に近づけなくなった以上、その部分への補助が必要だと判断し、彼女の交友関係に幼馴染を加えます。

   また彼女に施したナーフである仮面とマントの着用に関しては、以前のように彼女の容姿が高い注目を集めてしまう不健全な環境の再現を考慮し、そのままとします。幼馴染の七都名夏那に関しては、斗乃片透華との相性を考えてバフをロールバックしました〉

                                       』

 

「おいおい、パッチが出るの早すぎないか……」


 登校してきた俺に、待ち受けていたものがこれだ。当然、教室のドアを開いたまま棒立ちになった。

 自らが変質者として暗に示された文章があったら、誰だってそうなるはずだ。しかもでかでかと教室前面の壁に投影されているし。


「ま、それだけが売りっすからね。質はともかく対応の速さで頑張ってるのが、うちの学校の『運営』っすよ。メタの流れが速くて、学園ガチ勢には好評っす」

「うわっ、いたのか後輩……あと、学園ガチ勢ってなんだ」

「頑張って学園生活を向上させ、なるべく上に行こうとしてる人間のことっすよ。勉学とか部活とか人間関係とか人によって様々っすけど、まあ大勢からざっくりした理解を得られるタイプの人種っす。短く表現すると――ヒナ先輩の反対っすね」

「了解。理解した。解説してくれてありがとう」


 気づかないうちに急接近してきた、見た目だけなら三つか四つぐらい年下の少女に礼を言う。目を合わせるために下を向くと、キラリと光るものが目に留まる。彼女の――個々奈心の胸元には金メッキのバッジが輝いていた。


 今は、『学園生活調整運営会』の一員として動いているらしい。周囲の人間からの視線を絶たず、ひとりの人間と関わるしかないと決め付けずに。

 その証拠に、他者から声をかけられれば応じようともしている。そのためか、周辺に知人がいないかとソワソワきょろきょろしている。外敵に怯えがちな小動物の映像として紹介しても問題ないくらい、観察していて和む仕草だった。


 どこかで生じた勢いのある足音に対し、びくん、と後輩は肩を震わせた。その姿もまた愛らしい。愛くるしすぎて、その驚きぶりを目にするまでもう一人の接近に気づかなかったくらいだ。 


「おはよー、ヒナト、心ちゃん‼」


 騒がしい教室の中から外へ、幼馴染が飛び出してくる。今の学園による設定的には、比位陽名斗ではなく斗乃片透華の幼馴染だったか。


「ヒナト、今余計なこと考えた? あそこにあるパッチはね、気にしなくてもいいよ。あんなのあっても、変わらないでしょ?」

「……なんでわかった」

「ふっふふー、それはね……」


 わざとらしくタメを作ってから、


「わたしが幼馴染だから!」


 憎らしい太陽や青空みたいに、夏那はぺかーっと花を咲かせた。

 ほんと、結局なにも変わらない。

 俺は自分と幼馴染のこれまでを覚えている。自身が彼女と親しい人間だという考えも不変のまま。

 夏那の方も同じ。俺のことを忘れず、俺との関係も変わらず、響く声も喋る内容も笑い方も何もかも、馴染み深いものだった。


「いや、結構変わってるっすよ先輩。そもそも幼馴染さんの髪型ベリショっすし、てか男子制服着てるし、え、え、何もかもが驚きなんすけどほんとに」

「後輩、なぜ俺の思考を……」

「チラ見したらそんなもの一発で分かるっす。ほっとした心が顔に出すぎてて、普通に心配クラスっすよ。あたしが詐欺師だったら一発カモ認定、その上一秒後には口説いて壺売ろうとしますっすね」


 流水のように非道なことを畳みかけ、


「先輩は顔面を見れば内心と良心まで全て分かってしまうタイプの人、ということは前々から唱えられてて、あたしら世界の常識なんでいいとして」

「うんうん、そうだよね。心ちゃんはよく分かってるよ」


 非情にも仕切り直した後輩に、首を痛めそうな勢いで夏那は首肯した。なにもそこまで同意しなくても……、とは思うが、言い出しても納得は得られなさそうだった。

 抗議も反論も不可能な空気が、女子二の同盟によって既に醸成されていた。この軽微な慣れと薄い諦めも、ここ数日でよく親しんだ感情だ。心地よいと言ってもいい。


「なんかヘンタイな年上さんになってる人がいたんで、もっかいやり直しますっすけど」


 目を細めてジェスチャーまで追加して、司会進行役は続けた。


「いくらあたしが重度の人見知りだと言っても、走る音ぐらいであそこまでビビり果てるわけないんすよね。い、イメチェンにイメチェンを重ねたからなのですよ。あれには人見知りじゃなくても、いきなり、と、友達がこんな風になったら瞬き六千回するのですよ」


 散々仕切り直してスタートした言葉は、少女が怖がったことへの釈明から始まってしまった。

 まったくもう人の心臓なんだと思ってんすかね――と大げさにゆったり、ちんまりした口が述べている。だがそこには、一度ぐらい寛大に許してあげますけど……みたいな余裕は微塵もなかった。

 失敗を急ぎ取り戻そうとするあまり、早口になっている上に両手が意味もなくわちゃわちゃと動いていたし。ただただカワイイだけだ。

 それに、


「なのです口調でてるぞ」

「出てないっすよ。聞き間違えっす。なのですとか使うやついねーの……っすからね」

「よし、ギリギリセーフだ。よく頑張った」

「こんなことで褒めるなっすよ!」


 まだまだ口調の徹底が難しいところも、進歩していなかった。

 俺らは変わりたくても中々変われないし、そう簡単に変わらないところがきっと良いところでもある。


「後輩までそのまんまだな」

「そうかな? 昨日とか一昨日とは心ちゃんもだいぶ違うと思うよ。そうだよね?」


 夏那視点では俺とは異なるものが映っているらしい。

 どこだろう。視線を下方にやって、じっくりと観察してみる。バッジ以外は特に変更点はない。服も髪も違うなんてことないし、身長も伸びてないし――


「背ぇおっきくなってないな、とか考えてたらまじで失礼すからね。てか身体そのものが成長してなくねとか疑問に思ってたら、先輩の足首切り落としてあたしの中敷きにして慎重伸ばすっすから」

「冗談が怖すぎるだろ……あと、そこまでのことは思ってない。というか、どこがどう変わったのかそもそも思い当たらないしな」

「……切り落とそっか。心ちゃんは両足首だから、わたしは両手のあたり貰おっかな」

「ちゃっかり手を貰ってくあたり腹立ちっすけど、大目に見るっすよ。あたしのこと何も見てないし声も聞いてないし先輩に比べたらなんてことない怒りすからね。てか一昨日の放課後胸ポッケに徽章入れたのだって気づいていいしつーか数ヶ月にわたって放課後に来ている理由も早く理解するべ――」

「後輩ストップ! 悪かった! だが分かったふりをするのも失礼でだな……」

「うわ、大変そー……この辺で助けてあげよっか」

「頼む!」


 両手を合わせ拝むと、幼馴染という名の女神は鷹揚に頷いた。


「答えはね、心ちゃんが、友達って言ったことだよ」

「とも、だち……それが、どうした?」


 すとんと頭の中に入ってこない。けれども夏那の声があってから、後輩の頬にほんのり朱が差している。


「どうしたって……結構大きなことだよ! 心ちゃんはわたしとか斗乃片さんのことを呼ぶ時、幼馴染さんとか転校生さんって可愛く遠慮がちに呼んでて、ちっちゃい口元も控えめに動くんだけど、さっきは強張りながらも大きく口を開けてわたしのことを『友達』って――」

「夏那、ちょっといいか?」

「なに? これから大事な部分に入るから短くお願いね」

「わかった。――きもい」

「な!」

「ふつーに引くっすよ。え、やば……」

「え、なんでなんでこんな好きなのに‼」

「好きで片付いたら、けーさつ要らないのですよ。大好きで解決したら、ワタシの悩みも一発解決なのですよ」


 すうっと、ミニマムな少女は俺の後ろに隠れた。自動掃除ロボットの様子を物陰から窺う子犬のごとく。

 そうして不審者に対する安全を確保した後、反論のために舌は回る。


「それに、友達っていうのはその、一般論として引き合いに出しただけっすよ。知人が髪ばっさり切って男装した上で、いきなりホップステップで近づいてきたらビックリするっすよねって話っす。それで驚いちゃっても、臆病ってわけじゃないよねって論理っすね」


 フルアーマーの理論武装を小動物は早口で纏った。


「じゃあ、わたしは友達じゃない?」

「い、いや、それは……そんなことな、ないっすけど、でもやっぱ言いにくいっていうか勘違いじゃないかなとか……」

「わたしは、心ちゃんのこと友達だと思ってるけど」

「ああ、もう、そうっすよ! 友達っすよ‼ 個々奈心と七都名夏那は友達!」


 重武装は張りぼてで、一瞬にして瓦解した。  


「にしても、後輩の友達意識はそこまで厳密だったのか。意外だ。俺はもう友達枠に入ってたから、全然気づかなかったんだろうけど」

「――は? 先輩は友達じゃないのですけど」

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