第37話 調整不足ならば

 パッチノートを解せはしない。だが、脳が自ずと情報を引き出す。

 不安定に取り乱した、幼馴染の姿を思い出す。屋上での彼女は、『平均』や『普通』といった言葉に囚われていた。

 別の教室に消えていった、幼馴染の後姿を想起する。あの時の彼女は、どこへ消えていたのか、答えは投影された文書に示されていた。


 今まで、俺のことをスルーした夏那の様子を思い返す。あれは、単に『調整』から外れていなかったというだけでなくて、数あるうちの一つの個体ということで――


「おもい、だせない……思い出せ、おもいだせ、おもいだせ、なんで、お前は、幼馴染は――」


 夏那と過ごした幼少期の細かな記憶だけ、俺は思い出せなかった。

 頭を抱えても、目をつぶっても、舌を噛んでも、爪を食い込ませても、なにも出てきやしない。

 空っぽの頭と、いっぱいの心に、ソプラノが響く。


「なぜ七都名夏那がバフされたのか――幼馴染が弱体化されるような環境に陥ったのか――については、比位陽名斗という片割れが削除されたから、という理由だけではないのです。――本体が消え去ったからなのです」


 本体と言う前に、後輩は少しの間で躊躇から来るどもりを噛み殺した。優しさを砕いて、俺の方へと一直線に声を発する。


「そして比位陽名斗が禁止で無くなった場合に、なぜ七都名夏那が学校生活から排除されるのかという疑問に対しては――これが、答えなのです。七都名夏那は比位陽名斗に対するバフであり、それが全て解除されたとなれば、フォーマットから除かれます」


 まるで調整不足のカードゲームみたいに、と小さな口は零した。

 後輩は慎重に情報を並べている。俺の顔色を見極めながら、淡々と。語り手の動揺が聞き手に伝わらないよう、平静を保とうとしていた。

 それは夏那も同じだ。


「ね、この通りなの。わたし、ヒナトの幼馴染じゃないんだよ。偽物。つくりもの。だからね、わたしがひとりになってもヒナトは気に病むことないの。大丈夫、わたしはひとりでやれるから、別に、死ぬわけじゃないし――」


 笑う。全力で彼女は笑っている。明るいスマイルを、無理して、ぎこちなく、全身全霊で見せつけている。

 世界で一番、向き合いたくないものだ。


「無理、すんなよ。ひとりは辛いって、望まないで得た孤独はきついって、いきなり取り残されたらどこも地獄に変わるんだって――俺は知ってる。嫌というほど知ってる! 異常に苦しくなったとき、笑うしかないのも知ってるよ! あんな思い、お前に……!」

「やさしーね、ヒナトは。でもいいの、きっとつらいとか苦しいとか、それも全部ぜんぶ偽物なんだよ」


 それでも夏那は笑みを絶やさない。そうするしかないのだ。溢れた諦めと悲しみが表情を形作る時、当人は何も選べない。一番慣れ親しんだ顔が、半ば自動的に表れる。

 例え周囲から無視されていても、周囲を傷つけないように振舞う。振舞ってしまう。

 だから、だから、だから。


「そうやって笑うのなら、夏那は人間だよ。たくさん苦しんで、ちゃんと悩んで、周りを気にして、果てに行きついた先がその顔だ。迷わなくていい、逃げなくてもいい」

「わたし、涙、舐めてみたの……」


 唐突にぽつりと、夏那は言葉を落とした。


「誰にも見つけられなくて、声は聞こえなくて、誰かとぶつかっても何にもなかったことにされて、急に怖くなって、追いかけられるみたいに屋上に行って、たくさん泣いて、馬鹿みたいに泣いて、それで、いっぱいの涙が唇を伝って――味が、しなかったの……」


 なんにもなかったんだ、と、彼女は独白した。 


「だからね、ヒナトがそうやってわたしに、優しくしてくれるのも本物じゃな――」

「――怒るぞ。というか、俺は今怒った」


 反射だった。心のどこかが擦れて、火の点く音がした。


「俺が今抱えてる気持ちは本物だ。本当だ。たとえ幼馴染としての認識や記憶が植え付けられたものだったとしても、この心配と怒りは真実だ。ここ数日、夏那や斗乃片や後輩と過ごして抱いた、楽しいという感情も否定させない。いくら夏那が否定しても俺が肯定する。誰もが疑っても、俺だけは疑わない。夏那が自分のことを信じてくれるまで待つ。しつこくずうっと待ってやる。待機するのは得意だし、諦めは悪くて愚かなんだよ、こちとら」


 熱を帯びて乱れた言葉だ。みっともなくて砕けた言葉だ。だが本音。包み隠さずに全てぶちまけることに、意味がある。

 まだまだ言いたいことはたくさんある。一緒に過ごすお昼のこととか、後輩と上手く仲良くしてもらうこととか、クラスでのこととか、貰ったチョコクッキーのこととか、それに、斗乃片透華のこととか。


 だけど、最後のは本人が言うつもりらしい。隣で、一歩進み出る音がしたから。


「とりあえず私からも一言、言っておくわ。比位くんがどうするかに関係なく、私は貴女を逃がしはしない。斗乃片透華は、七都名夏那から目を離さない。ようやく見つけた、仲良くなれそうな人間だもの――逃すなんて、ありえないわ。恨むのなら、私に好かれた貴女自身と――私に友達づくりの機会を提供してしまった、そこの女装魔を恨みなさい」


 好き放題言ってくれている。だが飾り気がないからこそ、相手には暴力的かつダイレクトに響く。

 一生懸命積み上げた笑顔が崩れ、潤んでいく瞳がその証拠だ。頬を伝うものは重力に引かれて落涙となる。

 俺らとなにも変わらない。泣くときに、声が震えるのも同じ。


「ねぇ、どうして……どうして、手を差し伸べてくれるの……?」


 夏那の疑問符に、切り返すことはできない。俺らふたりとも一緒だった。

 夏那のためか? そんな押し付けがましいこと言えない。

 自分のためか? そんな風に捻くれて口にすることでもない。

 目の前の人がただ笑えるように、どうすべきか。悩んで、悩みまくって、悩みぬいて、


「「友達がいないから」」


 なんて、ぼっちと転校生は最悪のネタ被りを示した。

 ああ、なんてダサい。情けない。俺はともかく、超絶美少女転校生ともなれば、ここはかっこよい台詞の一つや二つでも残すはずでは。


「――ふ、ふふ、ああ、なんで、なんで……なんでわたし……」


 でも、まあいいか。

 目の前で、思わずくしゃりと笑った幼馴染がいるのだから――すべてよい。

 涙を流しながら笑って、彼女はとても忙しそうだけれど、誰とも関わらず手持無沙汰で佇んでいるより、よっぽどましだ。


「……ばか、ほんとばかだよ。貴重なお昼を使って、こんなわたしのために、恰好まで変えちゃって、せっかく取り戻した普通も諦めて、みんなとの関わりも捨てて……」

「俺がバカなのは確かだが、修正したいことがある」


 目元を拭いながら小首を傾げた幼馴染に、俺は一つだけ教える。


「俺も斗乃片も、何も諦めてなんかない。普通も関わりも捨ててない。俺らは――周囲からキチンと見えている。男子が女子制服を着て、女子が男子制服を着る――意図しない挙動から生じた、不具合そのものが今の俺らだからな」


 調整不足のクソ運営には、バグがあって当然だ。


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