第36話 アップデートパッチ 26.1.

「幼馴染じゃないって、なんだよ。やけになるなって。夏那も俺と一緒で一時的に見えなくなってるだけだから、手段はある。この服装だってそうだし、他にもきっと――」


 ナーフだろうが禁止だろうが、どうにでもなる。抗い方はいくつだってあると、俺は続けるつもりだった。


「そういう問題じゃ、ないんだよ。そんな恰好、してもらう意味もないの」


 これは趣味だよと、笑い飛ばせないほど声のトーンがずしりと重たい。声色は重厚で、受け止めれば切断される真剣そのもので、たやすくは触れられない。


「あ、えっと、強く言っちゃって、ごめん。そうだよね、ヒナトは何も知らないよね、わたしがヒナトの消失を知らなかったのと、同じ、だもんね。ごめん、ね……」


 幼馴染はしきりに謝る。俺には噛み砕けないことを並べ、ひたすらに。

 繰り返される謝罪は一様だが、口にする当人を傷つけるほど鋭利だ。発する度、みるみるうちに彼女の顔が曇っていく。目を伏せ、肩を落とし、下を向く。自傷行為を止めるには、こちらが言葉を発するほかない。

 とにかく、今は伝えるしか。


「削除された時に何も知らなかったのは、俺の方だって同じだ。自分がクラスから消えた時だって、自身のことが何一つ分かってなかったぐらいだから。それに比べたらなんだ。謝ることなんてない」

「ううん、わたしはね、ごめんなさいをしなきゃいけないよ。だって、わたしが削除されたとしても、七都名夏那はいるから。わたしは知ることができるんだから」


 夏那は自身の内部に、深く深く落ちていく。瞳はどこにも、誰とも合っていない。俯いたままで、塗りつぶしたような曇天からも目を逸らして、均一な屋上にだけ意識は注がれていた。


「私には七都名さんの言っていることがいまいち理解できないのだけど、不機嫌そうな顔をしている心さんは、何か知っているの?」

「……なんにも」


 会話を断ち切る返事に振り向くと、意識的に口を真一文字に結んだ『運営』の一人がまっすぐに立ち尽くしていた。おまけに、直線的だがよく研がれた目つきを携えて。


「心後輩、俺は、知りたい」

「……ヒナ、先輩」


 向き合う。数か月間覗き込み続けた、後輩の臆病な瞳と。

 ただ待とう。来るであろう答えに備えよう。耐えることも堪えることも得意だから、いつものようにじっと――


「もう、先輩をお待たせはしないっすよ」


 一度瞬きをして、個々奈心は約束した。


「それでいいっすか、えと――七都名、夏那さん」

「わたしには、心ちゃんを止めることはできないよ」


 回答を貰って、後輩はひとつ深呼吸した。吸って、吐いて、内心を紡ぐ。


「まず、いっこ謝るっす。あたしは――いえ、ワタシは、先輩が不幸せになるようなことを言わないよう、教えないようにしてきたのです。できるだけ先輩には楽しくいてほしいって、言い訳をして」


 ぺこり、と少女は頭を下げた。幾ばくかして顔を上げると、両の目にはまるで違う光が宿り、一点で燃え盛っている。


「こんなワタシと同じだと、言ってくれたのです。いくらでも付き合って、待ってくれると先輩は口にしてくれたのです。ならば、それなら、ワタシも逃げずに、避けずに。その気持ちに応えようと思ったのです。明かすことで先輩が傷つくのなら、その傷が癒えるまでワタシはあなたの傍に。ええ、個々奈心は、比位陽名斗を逃さない」


 この場にいる人間と自分自身、全てに対する宣誓が響き渡る。音は足元の合成建材に跳ね返り、限りない曇天に吸い込まれ、彼女の意思は心に勢いよく飛び込んできた。

 小さな身体の動きを一つ切り取っても、そこには強い感情があった。細腕に巻かれたデバイスが起動する。


 もっぱら、空間投影でカードゲームをするためにしか使われていなかった機械。

 彼女がこれで遊んでいるそばで、俺はこれまで何時間過ごしてきたのか。

 娯楽だけを映し出すはずのツールが、今は文字の羅列を――パッチノートを俺らにただ示す。


「これを、見てもらえれば分かるのです」



『莉堂学園 アップデートパッチ 26.1.


 バフ

 :各クラス内で最も不利な者に対し、幼馴染という補助ユニットを付与します

〈学校・教室という狭く閉鎖的な空間においては、大抵の場合、人間関係が評価や活躍の中心となります。また、教室内で既知の人間を有することは新学期序盤での覆しがたいアドバンテージであり、これを有さない人は窮地に立たされていました。この点での調整は極めて困難でありましたが、今回は生体機械を導入することで解決します。また関係性に基づいた最低限の記憶補助も行います。これらの調整によって、個体間の開始時での大きな差は無くなるはずです。

 なお、同個体が多数存在する心理的負担を無くすため、各教室のドアから窓を無くす調整も加えました〉


 詳細

 生体機械 Chf―727

〈CX社製の人型生体機械。女性型。製品全体の八割は培養生体部品であり、極めて高性能なパフォーマンスを発揮します。細かなカスタムが不可能な代わりに極めて安価であり、様々な施設での導入が容易です。

 ※全体同質化システムは調整中であり、一個体が群体平均から外れた行動を取った場合、感情生成と頭部前面に不具合が生じる場合があり――              』

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