第35話 社会的に死んでも

「なぜ私の制服がすんなり着れるのかしら、複雑だわ」

「自分から言い出しておいてそれはないだろ……あと、さすがに丈が短いし肩とか腰とかはギリだぞ」

「なんで先輩はしれっと女子制服着てるんすか! なんで転校生さんはさらっと自分の服男子に貸し出してるんすか! なんであたしは手錠に繋がれたままなんすか!」


 更衣室前廊下にて、きゃんきゃんと可愛らしい抗議が氾濫していた。

 どれも至極真っ当な意見だが、既に効果を発揮するにはもう遅い。狂った後で耳にする正論は、分からない言語のジョークより意味がない。


 それに俺は斗乃片透華の服に身を包んでしまったから、正気でない。斗乃片も俺の制服を着ているし、元々がアレだから常識が通用しないのも当然。

 というか今さら何かを意識して脱ぎ始めたら、それこそ死だ。


「まあ元々、社会的には死んでたから関係ないか」

「そして今も死んでいるわよ。死体も死ぬのね」

「ああ、お互いにな」

「私は死んでいないわ。狐面に黒マントに男装――最高よ」

「それもそうだな。悪い、俺が間違ってた。真っ黒な外衣に白面、美少女に男子制服とくれば――最上以外あるはずない」

「美少女……そ、そうね。そのとおりよ。よく言ったわ。より褒めなさい」


 慣れない格好をしているからか、俺としたことがトチ狂った感想を口にしてしまった。


「あー、なんすかこれ。いきなり世界が滅ぶのに最適っすよ」


 俺がイカれたせいで、手錠に繋がれた後輩まで壊れ始めている。大変な事態だ。

 イイ感じに虚ろな目となったところに、


「世が滅びようと逃げられないわよ。貴方は私の友人だから」

「や、やばいっすよこの人」


 しっかりと転校生が楔を打ち込んでいた。言葉でも無機物の絆でも繋がれた二人は、俺の横から連動して一歩前に。

 斗乃片が先で、わずか遅れて続くは心後輩。表面上は無理矢理に引っ張られてという感じであるが、なんだかんだで自分から付いて行っている。


 微笑ましい。じゃなくて、俺も行かなければ。

 一歩二歩で追いつくと、三名が横一列に並ぶ形になった。左から後輩、斗乃片、俺の形だ。直前に慌ててぴょんと前に跳んで、懸命に列を整えようとする後輩が可愛らしい。

 足並み揃えて歩む中で、斗乃片がぽろりと零す。


「さて、どこへ行くのかしら。消えた人が行くところなんて知らないのだけど」

「一番自信のありそうな足取りしておいて……」

「だって、分からないもの。私はどこに行っても消えることなんて――その他大勢の目から離れられたことなんてないわ」

「なら教えてやる。ここには二人のぼっちプロがいるからな。俺と後輩なら、迷わず直感で辿り着ける」

「いくらなんでも無茶苦茶っすよ」

「大丈夫だ。比位陽名斗と個々奈心の立場は近いと思う。そうじゃなきゃそもそも出会えていないし、今一緒に歩けてもいないはずだ。それに何より――」


 一回二回と足を踏み出して、確認する。


「今まさに、俺と後輩の足を踏み出すタイミングも方向もぴったり同じとくれば、これ以上の証拠はない」

「へ、あ、えへ、ほんとですね……って、どこまで見てんすか、もう……もぉ。変態っぽいっすよ。あたし以外の人に言ったら、まずいことになるやつっすよ。他の人にそういうことしちゃダメすからね」

「俺が他に話す人間なんていないぞ」

「そ、そっすよね。いや、ほんとそうなのですよね、いや、先輩はそういうとこあるのですからね!」


 俺に友達がいないことを再確認すると、すきかねない勢いで後輩は喜んでいた。

 落ち込んで虚ろな目をしているよりはよいけれど、複雑だ。


「心さん、いずれひどい騙され方をしそうね……」


 遠い目をしてため息をつく女子がいる一方で、


「は、なんでっすか? よくわかんないこと言ってないで、先行くっすよ!」


 いきなり威勢を取り戻して瞳を輝かせている女子もいた。手錠をかけた方がむしろ引っ張られてるまである。


「ほら、見てくださいっすよ、転校生さん! 先輩とあたしの歩幅ぴったりで――」

「仲間外れにされているみたいで癪だわ。十秒ほど待ちなさい」


 足を動かすこと十度で、美少女は見慣れた美しい顔をドヤ顔にした。


「よし、よし、できたわ。私も貴方たちと同じペースで歩けるのよ。さあ、仲良くぴったり並んでいきましょう」

「そりゃ、それぐらいできるっす……は、まじでぴったり……息ぴったりで寸分の狂いもない……きm……いや、偶然のはず……」


 なにやら、後輩がフェイントをかけたそうな表情をしている。脳裏で未来図を描いた瞬間、すぐにちんまりした足が急停止した。

 先が読めていたから俺はストップ。ついでに斗乃片も行動を予想していたようでストップ。おしまいに、自分の動きを全て見透かされたショックで個々奈心もストップ。


「え、なんか、負けたきぶ……いや、これは夢っすね、夢……」


 最年少が再始動したのに合わせ、三人で廊下を進む。

 邪魔するものもなく、三名が一切分かたれず歩みを続けていく。


「で、これはどこに向かっているのかしら?」


 一人が問うと、


「「屋上」」


 二人分の答えが重なる。声までピタリと揃うと思ってはいなかった。気恥ずかしい。足が急く。急いた足も揃う。ますます後輩の方は見られなくなってしまった。


「屋上へと向かう理由は?」


 重たくもないが喋りやすいわけでもない、特殊な空気。それを物ともせずに、続けて問いがあった。

 今度は事故らないよう、しばし黙ろう。一、二、三、よし、俺が喋っても良い頃合いのはずだ。


「「曇って――」」


 また被った。もう二度と、彼女の顔が見れなくなりそうだった。斗乃片に肩を叩かれ、後輩の方を見ろと指示されなければ危うかった。

 セッティングされたアイコンタクトでやり取りし、俺は語る機会を譲る。


「今日は曇りっすからね。曇天の屋上に人気なんてないっすから、駆け込むにはちょうどいいっすよ。あたしも経験あります。それに青空は、眩しくて憎い」

「なるほど。比位くんも同じ理由かしら?」

「そうだ。晴れてたら――」

「「第三校舎裏」」


 っすね、と明るく付け足される。三度目のシンクロを自慢するように、ぺかーと幼く彼女は表情を崩した。その後、波が引くように笑みは顔面から消えていく。


 もう目的地が近い。

 階段を一段一段並んで踏みしめ、俺はひんやりした金属の取っ手を掴んだ。

 施錠されてはいない。

 扉をあける。視界が開け、人影がひとつ、網膜を通して脳に飛び込んでくる。


 暴力的な勢いで解き放たれた光景が、脳内を席巻する。これは、記憶だ。思い出だ。

 幼いころ、馴染みのなかった時分、いつかの朝、体育着と屋上と昼休み、家庭科室とエプロン姿、第三校舎裏での一幕、昨日の放課後――。

 ああ、なんで忘れていたんだ。忘れるわけない、なのに、どうして、なんで! 


「ぁ、あ、っ――」


 早く名前を呼ばなければと心が叫び、身体が応答しない。一度では口は開かず、二度では舌は回らず、三度目には喉が震えず。だけどいつも、心臓は確かに鳴っている。

 ようやくまともな音になったのは、失敗を七つ数え終えてから。


「――っ、ぅぁ、――夏那ぁ‼」


 やっと、呼べた。

 その名を叫べたことに、安堵する。


「なつな、ナツナ、夏那!」


 胸を撫でおろしても終わらない。ドクドク跳ねる鼓動に合わせて、呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ。

 何度音にしても、足りない。幾度耳にしても、満たされない。


「七都名、夏那……!」


 立場が逆であった時にも、同じことがあった。俺を見つけた幼馴染が、しつこく「ヒナト」と繰り返したことが。

 今ならその心情を理解できる。きっとこれが、あの時の彼女の心と同じだ。

 声帯の震えが全身の隅々まで伝播し、あらゆることが動揺し、まともに立つことすら困難。どうにか気力で踏みとどまっているが、一瞬でも気を抜けばきっと頽れる。

 倒れそうな身体を利用して、ふらつきながらも前へ。見慣れた後ろ姿に駆け寄り、彼女が振り向く様を見た。


「どうして、来ちゃったのかな」


 間近で目にする横顔は、崩れてしまう寸前の微笑み。

 咄嗟に整えられたと思しき柔らかさは、真逆の印象を俺に与える。

 ぐらぐらと不安定で、しっかり繋ぎとめておかなくちゃと、思わず手を伸ばしたくなる。

 でもそれより先に、俺には言うべきことがあった。


「遅れて、ごめん」

「なんで、ヒナトが謝るの?」

「もっと早く、見つけ出したかったからだ。幼馴染を忘れるなんて、あっちゃいけないから」

「そっか。やさしーね。でも、そんなこと、ヒナトは考えなくてもいいんだよ。もっと言うと、わたしのことを見つけ出さなくてもよかったの」


 泣くように笑ってから、七都名夏那は息を吐いて、


「だってわたし――ヒナトの幼馴染じゃないから」


 ばっさりと、言い切った。

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