第33話 後輩と先輩

「は、いや、そんな。今日は移動教室系の授業もないし……そもそもそんなことする意味ないだろ、目立つっていうかだな……」

「『調整』から外れれば、可能でしょう?」

「それは、そうだが……というか、ここに弁当が二つあるんだから盗まれてないだろ――って、俺はなんで最初にそれを……?」


 違和がある。斗乃片は周囲を見渡し、


「もう少し外れたほうがいいかしら」


 そして身に着けていたマントを脱ぐ。ついでとばかりに、長い布を俺へと手渡した。


「身につけなさい。面白いものが確認できるわ」


 強い口調に黙って従う。黒マント、ちょっと憧れでもあったし。

 俺が着用し終わると同時に、彼女は簡潔に述べる。


「似合っているわ。そして、あちらよ」


 彫刻のポーズのように指し示す先。指示されるがまま視線を運ぶと――


「せ、せんぱい……ごきげんようっす……」


 俺らの教室から逃げ出す真っ最中の、個々奈心がいた。マズいという感情と、漠然とした安堵を抱えた女の子がいた。

 しかも、手を後ろに回して何かを隠しているようにも見て取れる。


「後輩、どうしてここに……」

「えと、それには深い事情があったりなかったりで……」

「背中に隠しているもの、出しなさい」

「いえ、なにも――」

「出しなさい。ちなみに、一秒後には実力行使――」

「出すっす、出すっす!」


 俺らの傍まで駆け寄り、後輩の右手は慌てて一つの箱を差し出した。確かに同じ形の容器だ。だが色が異なる。俺向けのやつだったのだろうか。


「それで、どうしてこんなことしたのかしら」

「あの、昼休み直前になって先輩たちとごはん食べるのが怖くなったっていうか、ちょっと一人でご飯食べたい時期が来たっていうっすか」

「そんなことあるわけ――いや、あるわね。誰かが鬱陶しい気持ちは、十分に」


 斗乃片はぼっちに理解があった。ちなみに俺にもあるから、後輩の気持ちはとても共感できる。だからといって、よくはないが。


「無言で持ち去るようなこと、するな。斗乃片に連絡が取りにくくても、せめて俺にぐらいは――」

「ほんとに、すみませんっす。いや、謝っても許されないのかもしれないっすけど……」

「ええ、許されないわ。その程度の言い訳では許されない。そんなもので、絶対に私は許しも容赦も納得もしない」


 強烈な切れ味と冷徹さで斗乃片透華は少女を両断する。一度断って、


「ええ、だって――私のお弁当入れには、箸が四膳あったのだから」


 もう一度、言葉の刃を嘘つきに突き刺した。


「私で一膳、比位くんで一膳、心さんで一膳――さて、あと一膳は誰のものでしょうね?」


 個々奈心の左腕は、まだ、彼女の背に隠されたままだ。


「あは、入れ間違いじゃないっすか?」

「その線はないわ。四本セットを持ってきたから。封も切っていないわ」

「そ、そっすか。なるほどっす。準備、いいっすね」


 転校生の指先でふらふらと揺れる袋を、後輩は微妙な目で受け入れている。諦めと拘泥の真ん中に位置するような瞳だった。

 そこに悪意はない。俺は信じる。

 数か月にわたって他者のことを見続けるしかなかった自分の観察眼と、個々奈心のことを信用する。


 時おり後輩の姿がぼやけそうになるが、マントを強く握りしめれば大丈夫だ。身体に『調整』に関連する物品を身体に密着させると、『運営』の敷くルールから外れて思考の靄が晴れ、色んなものが良く観察できる。無論、目の前の人間のことも。

 落ち着きなく空気と遊ぶ右手の指先、少し振れている赤髪の毛先、強張る口元や頬、震える細身の肩、胸元から失われた『運営』のバッジ。


 それに、瞳の中で揺れる緊張と、小さくて誠実な輝き。

 こちらにまで伝播して影響を受けかねない、緊張感と焦りと一生懸命さがあった。

 だからこそ、疑問は膨らむ。濁った感情は膨張して肥大して、しまいにはごく一部が俺の喉から飛び出した。


「勝手に人の荷物漁るなんて、する人間じゃないだろ……どうしたんだ、一体……なにか悩みがあるなら相談に乗るし――」

「どうもしませんっすよ。いつも通りのあたしっすよ。結局先輩と二人きりじゃないと安定しない、一人の愚かな後輩っす」

「……いつも通りだって言うなら、後輩、左手を見せてくれ」

「せんぱいのへんたい。女の子の部位ならどこからでも妄想膨らまして興奮するんすから、まったく」

「誤魔化さないでほしい。俺は斗乃片とは違って、実力行使もしないから」

「……………………」


 押し黙る。周囲の大気が思い切り鈍化して、二度と口を開きたくなくなるような重たい空気。

 クラスの中は騒がしいけれど、『調整』から外れた三人とその周辺は集団の意識から外れて静か。

 そのまま口を噤んで瞼を閉じ、耳を塞いで眠ってしまいたくなる心地に抗わなくちゃいけない。


「その代わり、俺は他の誰とも違って、ずっと待つぞ。放課後の校舎裏で、心後輩と喋る話題が尽きて謎の無言タイムを迎えたことなんて数え切れないほどあるだろ?」


 ここしばらくの記憶を掘り返し、またすぐ埋めた。あの気まずさも今となっては面白く感じるが、やっぱりちょっと直視しにくいか。

 それでも、夕暮れのひと時が良い思い出であったことは変わりない。ならば後輩と過ごすのならどんな時だって、今この時だって、思い返しても悪くなるはずがない。

 信頼して、俺は、卑怯なことを口にする。


「俺は誰かに無視されることなんて慣れっこだ。だから、いつまでだって後輩に付き合ってやれる」


 慣れているなんて嘘だ。でも笑う。

 意思とは反する言葉に心臓が痛んでも、ただ微笑む。

 思い出すだけで呼吸が荒くなろうと、にこりとして唇を閉じていれば問題ない。


 俺はきちんと笑えているだろうか。大事な後輩が楽にすべてを打ち明けられるような、柔らかい相好を保てているだろうか。

 答えは、目の前にあった。

 今にも泣き出しそうな女の子と向かい合えば、自分が失敗したことぐらい嫌というほど突き付けられる。少女右手の掌底付近から血の赤色が抜けるほど握りしめられていることを認めて、俺は奥歯を噛みしめた。


「せん、ぱい……どうして、そんなズルいこと言うっすか。苦しそうな顔して、なんでそんなこと言うっすか。せっかく元に戻ったんすから、笑顔で、楽しく、転校生さんと仲良くやってくれればそれでいいっすのに……なんで、忘れないのですか……少し違和感があっても、関係ないと流せば――」

「関係なくないだろ」

「だって、先輩にとってはもう知らない人で」

「少なくとも後輩が関わってるし、今まさにそれで悩んでる」

「無茶苦茶っすよ……そんなことだから、校舎裏でぼっちでやり過ごしてるワタシにも声を掛けちゃったんすか……」

「ちゃったってなんだ。別に悪いことでもないのに」

「悪いことではなくても、良いことでもないっすよ」

「後輩が悪くないと思うなら、俺にとっては良いことだよ。個々奈心と出会って、少なくとも俺は――比位陽名斗は助かったから」


 そう、第三校舎裏での会話には、俺が救われていた方だった。あそこで個々奈心に出会えたから、長い間ギリギリのところで踏みとどまれたんだ。

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