第32話 少し、何かが
「朝は――大失敗したわね。これまで注目を集めにくい性質だったこと、すっかり失念していたわ」
「まあ、ホームルーム前だったしな……」
今朝は先生に死ぬほど怒られた。斗乃片と一緒に、こんこんと説教された。
こんな時代にもなってカウンセリングプログラムも無しに、生身の人間からひたすら諭されるなんて。昼休みになったくらいの時間経過じゃ、まだ可笑しさが抜けそうにない。
半笑いでいる俺に、彼女も釣られて笑う。
「貴重な経験だったわ」
「ポジティブだな」
「二人揃って怒られるなんて、貴重でしょう?」
遊園地からの帰り道を歩くような笑顔だった。まあ、本人が楽しそうならいいか。
俺にはそう思えないけど。
あれは、走って騒いで泣いて笑って無茶苦茶した、当然の報いだと思う。もしくは良かったことの代わりに、支払うべきものだ。
幸いなことに、クラスメイトはドン引きを通り越して呆然としていたが、茶化はしなかった。このまま無駄なからかいや嘲りに巻き込まれることはないはずだ。俺はともかく転校生にまで厄介ごとが及んでは大変だしな。
「比位くん、目を離すとすぐ塞ぎ込んだ顔をするけれど、そういうタイプの病かしら」
「そんな病気ないだろ。病名は?」
「『ひとりで思い悩んだ挙句に、苦痛を耐えるのが当然だと思い込んで自己満足する症候群』よ」
「慈悲はどこだよ……って、近いな」
至近で冷ややかな声がすると思えば、目と鼻の先に白面が迫っていた。やはり何度見ても圧力があり、そこそこカッコイイ。だが残念でもある。
「今日はずっと被りっぱなしなんだな、それ」
「いけないかしら?」
「いいや。でも斜めに被ってたほうがキマってたっていうか、格好いいし。あと、斗乃片の顔もよく見えるし」
「そう、そうね。でも、そんなすごいこと言われても外さないわ。私は貴方と違って、チョロくはないもの。それに、」
なにがすごいのだろうか。あと俺はチョロくない。抗議しようとする前に、
「今の貴方には、仮面を外した私が見えないかもしれない……でしょう?」
斗乃片はそっと心情を零した。ごく少量の不安と恥じらいと一緒に、俺の耳朶を慎ましく震わせた。
不意打ちだ。卑怯すぎる。ナーフはしなくていいけれど。
「見えなくなっても、俺はどうにかして斗乃片を探すよ。多分」
「最後の方の言葉、必要?」
「見えなくなっても、俺はどうにかするよ」
「大事な部分がごっそり抜け落ちているのだけど」
露骨に声色が落ち着いて、狐面越しでも不満がビシバシ伝わってくる。俺にジョークのセンスは皆無らしい。
えっと、ここはスルーして、何か別の方向に話を――
「重要で肝要で必要な部分が、たっぷりごっそり抜け落ちているのだけど。温厚で鷹揚で寛容な私はあと一回話を聞く余裕があるわ」
「本当に鷹揚な人はそんなこと言わないような……」
「私、もう一回お話を聞く気持ちになったわ」
「昼休みだし、そろそろ――」
「あと百回ぐらい、貴方の言葉を聞く気になったのだけど」
「休み時間消し飛ぶぞ……」
「ふふ。お喋りで無くなるのも、貴重な経験でよいと思わない?」
いい方向転換の方法はないものか。困り果てていると、下のほうできゅるりと音が鳴った。どうやら、俺のお腹が結構大きめに音を立てたらしい。
「せ、せっかく斗乃片がお昼作ってきてくれたんだし、早く食べたいな~っていうか」
腹部が騒がしくしたぐらい恥ずかしくないし、それを誤魔化そうと発した声が上ずってもいない。気のせいだし、なんてことない。
で、どうだろうか?
対象の方を恐る恐る覗き見るとそこには――いなかった。
「え、どこ⁉」
一瞬のこと。音もない。動く素振りも気配も無しに、一人の少女が消失して――
「ここよ。貴方の慌てぶりに、若干引いている私はここにいるわ」
返事があった先へ身体を向ければ、そこにはいつも通りの転校生がいる。
「びっくりした……いきなり消えたかと……」
「そんなことあるはずないでしょう。お昼にしようと言われた瞬間に、全速力で自分の座席から荷物を取ってきただけよ」
平静を装うが、ほんのり紅潮した頬が見えている。つまり、例のお面がずれていた。それほど激しく動いた証拠であり、直すのを忘れていたという印でもある。
「さあ、食べましょう。私も人にお弁当を作るなんて初めてだったから、随分と気合いを入れたわ」
そういって早急に空いた隣席を確保したのち、取り出されたるはやけに大きな袋。紺色の布の中から四角い箱が二つ取り出された。
純粋に楽しみだ。昨日トレードで貰い受けた斗乃片のお弁当も美味しかったし。あと、わりと真面目に空腹で限界。
「開けていいか?」
「せっかちね。ですが、急くほど楽しみにしていることに免じて、許しましょう」
にこやかな許しが出てすぐに蓋を開く。特殊樹脂を一枚隔てた先には、
「まじか……」
中華が待っていた。
酢豚、きくらげと卵と青菜の炒め物、青椒肉絲。漂ってくるごま油の香りから、サラダまで中華風だとわかる。
なんとなくだが、全て手作りであることも伝わってくる。食材に自動調理器特有の角々しさや均一さがないのだ、いい意味で。
「どう、かしら? 嫌だった?」
「いや……」
「それは感動詞の『いや』?」
「いや……」
「だから、どちらかしら?」
俺は嬉しい。とても嬉しいし感動している。もうこの時点でお腹いっぱいと、胸張って言えるくらいに。
だが……なんかピーマンとかパプリカとか多くないだろうか。いや分かっている。この歳になって少し苦手な野菜が多めなぐらいであれこれ言うのは間違っている。そう解していても、どうしても気になってしまうのが人間だ。
昨日の俺に関する調査は、もしかして俺の好き嫌いを矯正するための行いだったのだろうか。嫌いなものを克服してもらおうみたいな、スパルタ方式だろうか。
なんとも言いにくい。なおこの口と舌は働かなくとも、どうしても瞳を筆頭に表情は働くもので。
「怪訝そうな顔、一体どうし――あら?」
俺の隠蔽努力も空しく、不審さを感じ取った斗乃片は首を傾げる。
「比位くんのお弁当からは、きちんと小学生が嫌いそうな野菜を抜いたのだけど……」
スパルタどころか激甘だった。人をダメにするタイプの美少女だった。そしてしれっと不名誉な情報が追加されていた。
「おかしいわ。私の分も、中身は同じ……しっかり比位くんの分は別に作ったはず……」
考え込むにつれて、声色が曇る。疑念の色は深みを増して、醸し出す雰囲気すらじっとりと重苦しい。
「詰め間違えたとか?」
「そのようなことはしないわ。そもそも、人数分きっちり作って――」
昼食を入れていた袋をごそごそ手で探り、少女は仮面をずらした。斜めに被り、鋭い目つきで内部を目視し、一言。
「お弁当、盗まれているわ」
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