第24話 実践と不安

「お、おはよ~。斗乃片さん~、きょ、今日もすてきだね~。眩しすぎて、今すぐ逃げちゃいたいくらい素敵……」

「おはよう、七都名さん。今日も愛らしいわね。どこか辺境に連れ出して、振り回したいくらいよ」


 違和感しかない。

 翌日、朝の教室はぎこちないやり取りに支配されていた。一番最後にクラスへと入室した俺を待ち受けていたのは、たどたどしい挨拶とオーバーなコミュニケーション。

 慣れない微笑みを浮かべているのは幼馴染で、舞台上さながらの振舞いを見せているのは転校生だ。

 夏那は明らかに無理をしているし、斗乃片はポテンシャルを完全に発揮している。そんな両者のちぐはぐ具合が、不可思議な魅力を醸し出していた。


「おい、うそだろ……」


 眼前の光景に、俺の口が勝手に驚愕を漏らす。抑えようとしても、こぼれてしまう。

 前者が挨拶に添えてたどたどしく振った手を、後者がそっと取って自らの元へと引き寄せたのだ。瞬間、「きゃっ」とか「わぁっ」と、限りなく理性のない音が教室のあちこちで生まれた。

 斗乃片の手つきは柔らかくも奪うためのもので、禁忌を犯すことにも近しい魅力があった。いけないものを見ているような気分になり、そして何故か目を背けられない。


 クラス中の視線が彼女らに集中している。クラスメイトを二倍した数の眼球が、二人をじっと映し出している。俺もその例外ではなかった。

 そこらの人と何ら変わりなく、むしろ関わりがあるからこそ、決して目が離せなくなってしまう。

 一挙一動、転校生が仮面をほんの少しズラす一瞬にまで、俺の意識も精神もつぎ込まれた。集中しているからか、彼女らに注がれる視線の変化すら微細に感じ取れる。

『調整』に手を加えられて以降、七割がたの意識が新型制服を身に纏う方に注がれていた。環境の変化に目を配ってから、完璧超人はさらに畳みかける。


「手元、整えたばかりなのね。きれいだわ。一体どのように手入れしたのか、後でじっくりと教えてくれるかしら」

「っ、あの、えっと、その、これは~~っ、たいむ!」


 斗乃片の囁きを受け、顔を真っ赤にして夏那は廊下へと飛び出した。

 そりゃそうだ。あんな言葉、紙で刷られていた頃の小説にしか出てこないやつで、面と向かって刺されたら大抵の人間が動揺する。

 その相手が斗乃片透華とかいう美少女であるなら、なおさら。仮面で顔面が隠れていても全身が美少女であるし所作も美少女だから、相対するだけで圧倒されてしまうものだ。

 よく頑張ったな、夏那――という気持ちを籠めて、俺は退却していく少女の背中を見送った。


「何が頑張ったのかしら? そこに、私を褒める気持ちはなくて?」

「うわっ」

「人を見て、そんな反応をするべきではないわ。私は別に不審者ではないのだから」


 すぐそばに、よい顔があった。

 左から声がして視界をそちら中心にすると、斗乃片がすぐそばにまで迫っていた。気づかなかったところを考えると、俺を驚かそうと回り込んでから声をかけたらしい。

 装着している狐面が傾いていて、宝石じみた瞳が存分にその性能を発揮していた。あるだけで価値があり、見なければ損をしているような心持ちになりそうだ。


「どうして一度顔を逸らすの? そうしてから、わずかに視線をかすらせるの? 思い返してみれば比位くんには最初からずっとその傾向があったけれど――自分でも気づいていた? ふむ、今全身が強張ったところを観察すると言われて初めて意識した、というところね」


 その通り過ぎて、ぐうの音も出ない。

 単に、抗えない。

 美しくて素晴らしい存在があって、それがそこに在るから見たいという幼稚な欲求に抵抗できやしない。

 せめて口惜しさを忘れまいと努め、決心して目と目を合わせる。


「ほめて」

「……っ」


 ひらがな三文字の不意打ち。


「い、いきなりなんです……だよ」


 たった一言にやられて、どこぞの後輩みたいになってしまった。驚きすぎて、喉は敬語を発していた。

 真正面から向き合おうとした瞬間にこれだ。油断も隙も無い。


「なにか、あった? 随分とむずかしい顔をしているけれど」

「そこまでずるい顔と言葉をかけられて、まったく反応しないのはかなり難しいだろ」

「そう、貴方に私の振る舞いが思い切り刺さったと」

「わざわざ言葉にするとか鬼かよ」

「なら、あと何回か串刺しにしてあげましょう」

「ほんとに前世鬼かよ……」

「例えそうでも、今世は天使よ。貴方に施しもするわ。串刺しにするのもその一環」

「どういうことだ?」


 問うても答えがない。

 何か問いを追加するにも難易度が高く、疑問を抱えたまま発言の意味を考え始めると、無音がたちまち広がった。

 やけに気まずいが、睨みあいになりもしない謎の時間だ。

 向かい合って先に痺れを切らすのは俺だと思ったが、


「……貴方のよろこぶことをする――と、なぜか直接口にするのが急に恥ずかしくなったから、遠回しなことを言ったわ」


 相手が先手をとった。意外だ。しかもおそるおそるの切り出し方。

 斗乃片透華らしくもない。しかも突然突き付けられたギャップが、当人の魅力を増幅している。

 となればこれは――


「再度、俺の心を揺るがすための振る舞い……!」

「違うわ」


 違った。


「もしかして、また琴線に触れてしまったの? 比位くん、いい加減……」

「俺はちょろくない」

「自爆よ、それ。いえ、自白……それか自発的な自傷かしら」


 いつも後悔というのは、しでかしてからやってくる。世界のバグだ。


「もしや、マゾ?」

「Mではある」

「それを堂々と言えるのに、ちょろいはダメなのね……」


 理解不能とばかりに首を横に振ると、仮面がかたりと音を立てた。


「さすがの私も、そこまで簡単に喜ばれると心配になってしまうのだけど……別に私でなくても、他の誰であっても貴方は喜んでしまうのでは――なんて、人生で初めての気分になるわ」

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