第25話 褒めに奇襲

 「この気持ち、不気味ね」


 突然不機嫌に目を細め、斗乃片は視線で俺を糾弾する。美しくも圧力のある瞳で散々こちらを痛めつけておいて、


「まさか私が、心さんの思考と感情を理解することになるとは」


 後輩について語りだしたと思えば、途端に優し気な目つきになった。

 しかもその双眸は、やけに廊下側を注視している。

 これはもしや、個々奈心がそこにいるのか?

 昨日の後輩の口ぶりからするに、至近でアドバイスと誘導、並びに観察していても何らおかしくはない。


「後輩がいなければ、夏那がいきなりあそこまで吹っ切れもしないはずだしな」

「それも違うわ」


 違っ――


「はぁわっ!」


 変な声。背中に残るひりひりした感触。背をいきなり叩かれると、自分のものとは思えない音が勢いよく飛び出るらしい。恥だ。

 叩きこまれた衝撃にそのまま身体は運ばれ足はもつれて、固く閉じられたドアへと軽くぶつかった。扉の向こう側は相変わらず見えず聞こえず、教室の内と外は完全に隔てられている。

 がらりと開くことで、クラスと通路はようやく繋がる。平たい板がスライドして始めて、あちらとこちらの様子がわかった。


「ヒナト、わたしもほめて! 斗乃片さんにしてたみたいに!」


 夏那には俺らのやり取りが聞こえていたらしい。

 紅潮した身体を冷やすために上着を脱ぎ、それでバタバタと自分を仰ぎながら盛んに幼馴染は訴えている。まるっこい目をキラキラ輝かせ、チラチラと転校生の様子を気にしているのも可愛さポイント高めだ。

 尻尾が振れている幻想まで見えそうだ。親戚の飼い犬に、こんなのがいた気さえする。


「あの演技はね、ヒナトのナーフをなくすためでもあるの! あと、斗乃片さんのもね! わたしがたくさん注目を集めれば、相対的に二人は突出しなくなって弱体化取り消し! わたしもバフが消されてうれしい! これで全部解決でしょ!」

「確かにそうなればいいが……だから、あんなに気合が入っていたのか。あ、ありがとう」


 まさか、俺のためでもあったとは。


「となれば、斗乃片に相対していたことも合わせてたくさん感謝しなくちゃな。あとついでに言っとくが、俺は斗乃片を褒めてないぞ」

「褒めたよ! ムカつくぐらい褒めてたよ!」

「そんなことはないわ。比位くんにそんな度胸はないもの」


 意見が分かれた。

 瞬間、


「褒めてたよ! わたしからしたら褒めだよあれは!」


 小さな口から大音声が飛び出す。幸か不幸か、バフである新型制服を一時的に脱いでいるから皆の衆目は集めず済んだ。


「仮にそうだとしても、私はあんなのを褒め言葉と認めないわ。もっと直截に、ダイレクトに、比位くんが林檎か苺のように色づいて賛辞を吐き出すまで、私は妥協しない」

「よ、欲ばり……色んなものを持っているのに、誉め言葉も求めようなんて……わたしにもひとつぐらい分けて……」

「――ここで私が強欲になることで、貴女も得をするわ」


 渋い顔をしていた少女が、たった数秒で食いつきを見せた。具体的には、俺の方から発言主の方に一瞬で向き直った。


「私が恥もなく限界まで求めることにより、今後のおねだりのハードルが極限まで下がることになるのよ。これは、アド」

「あど……」


 よくわからんという間抜けな顔をしていた、幼馴染が。馴染みのない腑抜けた表情を晒していてよいのか、七都名夏那。


「言い直すと、メリットよ」 

「めりっと……」


 言い直されてもそんなに反応が変わっていなかった。


「まあ、得よ」

「得……お得……!」


 相手の目が輝いて、ほっと息をつく斗乃片の姿……レアだな。忘れないようにと強く意識しておこう。


「私が無制限に求めれば求めるほど、遠慮がちな貴女も通常量以上に求められるとなればおいしいでしょう?」

「おいしい! だいすき! ありがとう、斗乃片さん!」


 チョロい。このチョロさと比べれば、俺は硬派と名乗れるだろう。あれだけ迫られて動揺していたのに、夏那の方から斗乃片に迫って手を取っている。


 これは、尊い。

 カメラ機器で切り取りたいという欲と、レンズを通すのが無粋だという本能がぶつかり合うぐらい尊い。

 この機を逃すのはありえないというぐらい尊い。


「夏那、上着ろ。てか時間がもったいないから肩に掛けるぞ」


 支給された服に袖に腕を通さないでいることが、どの程度『調整』を遵守することになるのか不明だが、腕にあるよりはマシだろう。

 よし、次にすべきは、


「斗乃片、仮面を――」

「夏那さんに意識を集中させたいのでしょう? その程度がわからない愚図ではないわ」


 既に仮面を右耳側に傾けていた。軽い微笑での返事が、憎らしくも蠱惑的だ。


「今日の俺、朝から見立てを外してばっかりだな」

「本当にそうなのですよ。ワタシもいるのですのに。先輩は同級生とキャッキャッキャッキャして」


 重たいぼやきに、急いで振り向く。

 教室の入り口を、夕方によく見る顔が覗いていた。ので、俺はもう一度別方向を遠い目で眺めた。


 後輩だ。何度見ても後輩だ。まさか個々奈心が、自分のテリトリーを脱出するなんて。

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