第17話 『調整』と実験

「脱いで、脱げば、脱ぐことで、ヒナトと話せるのなら……」


「学校の廊下で脱衣を覚悟するなんて前代未聞よ。その他者に理解しがたい覚悟、実行されないよう必死に押し留めておきなさい。比位くんの存在は、貴女の裸体の1%分も価値はないのだから」


 俺は何も言えなかった。

 盛大な失言をやらかした以上、反論を述べる権利など失われている。いやそもそも、今の主張には否定できる箇所なんてほとんどない。

 修正すべきところを強いて挙げるなら、俺の値打ちなんて小数点数桁分でようやく表せるぐらいか。


「貴方、一度失敗すると自動的に精神が落ち込んでいくの? それでよく数ヵ月間のスルー地獄をやり過ごせたわね」

「やり過ごせてなんかない。無事死んでいた」

「あらそう」


 人の不幸を、転校生はしれっと流す。過ぎ去ったことには目もくれず、現状の課題へと焦点を合わせている。


「でも、落ち込んでいてばかりじゃ彼女の責任が取れないでしょう? 貴方が希望の一端を教えたのだから、最後まできちんと説明するべきよ」

「元は斗乃片の仮説だから、提唱者に任せるというわけには――」

「いかないわ。無理だと分かっていて、ダメ元で希望を述べるのはやめなさい」


 斗乃片はくいと顔を動かして、ととのった鼻先で一人の少女を指す。


「えっと、だな……脱げばいいっていうのはかなり正確じゃなくて、更に着てもいいっていうか、むしろそっちの方がありがたいっていうか」

「こ、コスプレを望んでるの⁉ 学校で⁉ 幼馴染の癖が、癖が……数ヵ月の間で変な方向に捩じ切れちゃった……」

「は⁈ いやいやいや、そういうのじゃなくて――」

「大丈夫、大丈夫だよ。わたし、どんな服でも頑張ってこっそり着てみるから! ヒナトのこと大切だし、今までの償いにも、なれば、その……」

「償いとかいいから! 着用者を苛むようないかがわしい服じゃなくて、ええと、例えばだな――」


 焦る。例ってなんだ。これまで接触できたことを思い返せば――


「そう、授業でいつも着てる体育着とか、今みたいなエプロンでもいいんだ! 昨日と今日のことが効果の証明になっているし!」

「ずっと着てた体育着、汗――エプロン、裸――まま、まにあっく……⁉」

「マニアックなのはどっちだよ」


 なにもそこまで妄想を膨らませろとは言っていない。確かに体育着はちょっとアレでえろい感じだと思わなくはなかったけれど、エプロンに関しては脱衣というアレンジが加わっているじゃないか。


「ふふ、へんたいなのね、比位くんって。それも校内で求めるなんて筋金入りだわ」

「あわ、へん、たい……わたしの幼馴染、もしかしてヘンタイだった……⁉」

「そこの転校生! 無理な解釈だと理解しているのに、半笑いで誤解を悪化させるのはやめろ!」


 ころころと軽やかな笑いが響くのに反して、夏那の真剣さが深みを増す。子どもがグレてしまった母親は、ちょうどこんな狼狽を示すのかもしれない。

 部外者として眺めている分には面白そうだけれど、当事者としては冷や汗ものだ。


「夏那、落ち着いて聞いてほしい。俺にそういう趣味は一切ないし、幼馴染をそういう目で見たこともない。これに関しては、俺の命と名前と存在を一括で賭けられる」

「……そこまではしなくていいっていうか、それはそれでなんか嫌かも」


 しまった。軽率に重たいワードを出しすぎたか。


「本当、比位くんはミスを重ねるわね。転ぶのがお上手よ」

「うるさい。そんなこと言うなら、斗乃片のコミュニケーションミスも全部記憶してやるからな」

「私の言葉、一語一句逃さず心に留めてくれるの? うれしいわ」

「無敵かよ……注目されるのが嫌いだって設定はどうした」

「設定ではないし、私が嫌悪するのは執拗に凝視されること。聞かれることはそこから外れるでしょう?」


 なんか納得いかないが、反論できる雰囲気でもなかった。


「ちゃんと言葉の端を拾っていかないと、相手が怒ってしまうわ――ね、七都名さん?」

「そうかも。あんまりあなたの主張に同意したくないけど、この話題に関しては首が取れるぐらい頷きたいな」


 発言通りぶんぶんと首肯して、有り余る同感を表現している。顔面から溢れ出た感情がこちらに圧力をかけていた。

 乙女心を気にかけつつ全てを上手く説明しろ、というやつだ。


「だから、えっと……」


 最短にして簡潔なのは何か。出来れば一単語で。


「――夏那、厚着してくれ」

「たったそれだけで、いいの?」

「ああ。そこの転校生によれば、運営の『調整』を無視している人間にだけ、俺の認識が可能らしい。試しに、そのエプロンを外してみてくれ」

「こう、かな……なんかじっと見られてるとはずかしい、な……」


 背に手を回して結び目をほどき、肩から紐を外す動作だ。ただそれだけなのに、赤らんだ頬と逸らされた目という二要素が加わるだけで、言葉にしてはならない魅力が滲み出ている。

 この流れも、乙女心やらなんやらに素手で触れてしまう予感がした。出来るだけ直視は避けなければ。

 俺がさっと顔を背けた瞬間に、


「え、あれ。ヒナ……ひなと? いる、よね?」


 起き抜けのような呼びかけがあった。

 気の抜けた点呼を聞いた途端、危機感と喪失感が全身を伝う。遅れてきた悪寒に突き動かされて幼馴染の様子を確認すると、目と目がまったく合わない。


 夏那の意識が到達する先は、近くではなく遠く。きっと俺の先にある、なんてことない窓の外に焦点が合っている。

 ――幼馴染の中に、俺はなかった。

 そしてクラスにだって勿論ない。あるはずない。あると思うな。希望を抱いたことすら間違いだ。これが日常、いつものこと、オールオッケーで問題なし。声をかけて返事がないことは、息を吸って吐くのと変わりない。


 脳内にはっきりと焼き付いている、教室での様々な記憶と一緒だ。

 呼びかけても返ってこない声、肩を叩いても振り向かないクラスメイト、こっちまで回されない配布デバイス、俺が倒した机に蹴り飛ばした椅子、乱暴な衝突音と前方を向き続ける生徒たち。


 苦くて痛い過去を一気に思い出しすぎた。

 分かりきっていたトラウマの再燃とはいえ、中々に堪える。最初からいないものとして扱われるのも心にくるが、数秒前まで会話していた人間から認識されないというのは、覚悟を決めていたって受け止めがたい。


 目が彷徨う。救いを求めて。

 目視されることが俺の希望だ。よりにもよってそれが可能なのは、数多の視線を嫌う斗乃片透華をおいて他に――


「落ち着いて、比位くん。目を逸らさずともいいわ――遠慮しないで、貴方を見ているこの瞳を見なさい」


 身体が動く。世界も動く。心は反対に静まっていく。

 俺の世界の中心にあるのは、ありとあらゆるものを吸い尽くしてなお乱れない、底なしの双眸だった。


「どう、落ち着いたかしら? 私の声を聞いて、呼吸をして……どうせなら、子守唄を歌ってあげましょうか? 比位く――いえ、『ヒナト』くんが望むのであれば、サービスしてもいいわ」


 平坦でほのかに甘い声音は両耳から均等に染み込み、人の心の深いところにまで容易に干渉する。

 そしてそれは語り掛ける相手のみならず、周囲の人間にも及ぶ。


「あれ、斗乃片さんは誰と――いやヒナトと、喋ってるんだよね? そう、疑問に思うことなんて一個もなくて――」

「その通りよ。私は『ヒナト』くんに話しかけているわ。私の言葉と視線の先を丁寧に追うと良いわ――なんて、貴女に一々伝えることではなかったわね」


 助言に沿う形で夏那が視線を巡らせ、ひとつひとつを確かめるように頷いてから、静かに俯いた。そのあと顔をあげて、くらくらと不安定に笑う。


「ヒナトはそこにいる、と思う。信じる。うん、信じられるよ。斗乃片さんの動きを観察すれば、確信できる。でも、はっきりとは見えなくて――なにこれ、へんなの。おかしくて、やっぱり不安だよ……」

「本当、尋常でない拘束力ね。であれば、もう一度エプロンを着用してみましょうか」

「え、もう調理実習は終わったのにどうして――」

「いいから、つけなさい」

「は、はい……」


 クール系美少女転校生特有の圧力に屈し、幼馴染は粛々とエプロンを身に着けた。きゅっと腰の辺りで紐を結ぶと、爆発的な反応を示す。

 より華やかに、もっと激しく、一層躍動的に相好を崩す。

 それは、世界がまるごと好転したかのような表情。


「――わ! ヒナト! ひなと! ひーなと!」

「わっぷ!」


 近い近い近い! 元気でかわいらしい顔がすぐそばにありすぎて全体が眺められなくて勿体ないとか――いや今はそういうことじゃない!


「な、夏那、落ち着け落ち着け!」

「だって、だってだって! 一気にわたしの見えてる世界が晴れて、聞こえることがはっきりして、ヒナトのことを感じ取れるようになったんだよ! こんなの、こんなの嬉しくてしょうがないよっ!」


 接近しすぎていて全部が伝わってくる。深く息を吸う動作も感動による震えも乱れる古道も、当然感じ取れてしまう。

 だから、彼女が発する次の言葉にどれだけの思いが込められているのか、俺は語感全てを通して理解できた。



「変じゃないことって――普通に幼馴染と喋れることって、こんなにあったかいことなんだね……‼」

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