第18話 後輩とパッチノート
「へ~、いい話っすね~。とってもいいっす~。全あたしが泣いたっす。もう号泣しすぎて脱水症状間近っす! だからせんぱい、お茶買ってきて?」
「適当な相槌から先輩をパシらせようとするな。――で、なにがいい?」
「え、買いに行くのですか⁉ パシられるのですか⁉」
「ああ、今日は気分がいいからな。特別だ」
個々奈心は、今日も『なのです』口調が抜けないらしい。
いつもの放課後、いつものように、俺は後輩と第三校舎裏でお喋りに興じていた。今日会ったことを交換し終えると、寂れた一角に遠慮がちな注文が通る。
「じゃ、コーヒーをお願いしてもいいっすか」
「りょーかいりょーかい」
近くの全自動販売機まで行って、お求めの飲み物を買ってくる。とびきり甘いミルクコーヒーと突き抜けて苦そうなブラックコーヒーを選んで帰還すると、迷わず後輩に前者を投げた。
「さんきゅーっす……って、何も訊かずに『あまあまカフェラテ』っすか」
「あれ、もしかしてブラックの方がよかったか? なら交換するが」
「そ、そうっすね……超ブラックなの、すきっすよ! 毎日ガブ飲みっすね、やっぱこの歳にもなると、甘すぎるのはダメっていうか」
「がぶ飲み……? カフェイン中毒にならないよう気をつけてな」
ぽいと再度、飲み物のキャッチボールを行って――
「わ、あ……待つので……待つっす!」
あ、後輩が可愛らしく容器をぽろっと落とした。そのままころころ転がっては校舎に当たって跳ねるコーヒーを、ぽてぽて可愛らしく追って――あ、ひざから転んだ。
「おい、だいじょ――」
駆け寄ると、小さな手による通行止めにぶつかった。軽く伸ばされた五指はかすかに震えており、心後輩の顔は見えないものの、全身からなんとなく羞恥心が迸っている。
「いやぜんぜん、まったく大したことないですから、ほんとに。これっぽっちも痛くなくて、痛がることもできないから恥ずかしさがダイレクトにこみ上げてきてやばいってこともないのですっすね! てことで、手を取るのはなしっすよ! なしっすからね!」
前フリか?
やけに大げさな口ぶりから邪推がはかどってしまう。お膳立てに応えたい気持ちを抑えながら見守っていると、
「こんなの、ささっとぱぱっと立ち上がって……あれ、あれ?」
ふるふると小鹿よろしく立ち上がる姿が観察できた。力を入れているのにまともに立てないのが怪しい。よく見ると右肩あたりの布が校舎外壁のパイプに引っかかっていて、大丈夫かこ――
「わわっ!」
「おい嘘だろ!」
拘束となっていた引っかかりが外れ、一気に後輩の全身が自由になった。
天から吊っていた糸をばっさりと断ったかのごとく、ふらりと傾いていく彼女の身体。
なんとか俺の手が伸びて、重力にひかれたなで肩を受け止める。
呼吸が止まるほどひやひやした。それにしてもこいつ軽いな……。人を支えている実感が薄すぎて、なんとか対処した瞬間から危機感がぼやけていく。
「えと、ありがとなのです。た、たすかったっす」
にへら、という擬音が聞こえてきそうな緩いほほえみに相対すると、ますます心の棘が抜けてしまった。照れと笑いの半々から成る雰囲気に流され、何もかも溶かされそうだ。
ここは心を冷たくして、相手の方を直視せずに振舞おう。
「変な風にかっこつけようとするなよ。危ないときはなおさらだ。てか普通に頼れ」
「あは、りょーかいっす。弱がちなところ先輩に見せなくないなって思ったんすけど、結局一番カッコ悪くなっちゃったっすね。てか、そもそも反応早すぎっすよ、先の展開を予想されてた感じっす。手をとっちゃダメって言ったのに……」
「肩に触れちゃダメ、て言ったか?」
「それやってるといつか絶対刺されるっすよ、後ろからザックリ。後輩からの忠告っす」
「俺を刺す奴なんていないよ。そもそも認識できないんだから、目障りになったり恨みを買ったりなんてしないし」
「でも昨日今日は、違ったんっすよね?」
「違くない……大体はな。大まかにはこれまで一緒……のはずだ」
「へへ……ほんとっすかー? んー? 無垢な後輩に嘘ついたらダメっすよ~」
向かい合う愛想のいい顔が、にへらから、にまにまへと変貌する。むかつくが特有の柔らかいオーラから憎み切れず、むしろ絆されてしまって、結局受け入れることになるタイプのやつだ。
このやり方に、ここ最近で何度わからせられたことか。具体的には百二十四回ほどになるか。
「別に俺は嘘ついてないが……確かに、今の説明は正確じゃなかったかもしれない」
「うわ、ちょろ」
「ちょろくないが」
「いやいやいや、その反応でちょろじゃないは無理っすよ。なんか目そらそうとしてますけど、そらしきれてないっすし。相手の反応が気になっちゃってますし。あたしが『3ちょろ』ぐらいだとしたら、先輩は『9ちょろ』です」
「後輩もちょ……え、三倍じゃん」
完全な不当であり、思い切り不正の香りがする。
「抗議する。明らかに俺を茶化して遊ぼうとの気配を感じる」
「その意図はなくもなくもないのですけど」
「おい、さっきからちょくちょく『なのです』出てるぞ、真意と一緒に」
「……なのですは言ってないのですけど⁉」
烈火とでも呼ぶべき剣幕で怒られた。これまで俺が目にしてきた後輩の中で一番キレているかもしれない。それでも棘を感じさせないどころか、むしろ魅力が増しているのはズルなのでは?
ここは非難の意味も含めてジト目になっておこう。
「なんすかその目は。ジッと見つめてなんすか。喧嘩売ってんすか、買うっすよ。それとも求婚なんすか、婚姻届け書くっすよ」
「一つの視線で発想が飛躍しすぎだろ」
「飛んでないっす。ホップステップっす。『そこいじると怒るっすよ』って口酸っぱくして言ってるっすのに、言及してくるってことは――あたしのこと好きっすね」
「後輩の中の俺、小学生男子かよ」
好きな子はいじめたいってやつだ。数十年前に廃れていそうな考えを、さも当然とばかりに心は主張する。
「絶対そうっす。人間関係になると先輩はバカアホになるっすから」
「バカアホて」
「そのくせクソちょろっすからね。心配になるっすよ。まー、最近が最近なんで仕方ないっすけどね」
「クソちょろはない。比位陽名斗があまりにも寂しい人間だから、優しくされるどころかまともに接されるだけで致命的――なんてこともない」
「自分で答え言ってるですっすよ」
「自爆なんてしてない。どう考えても人を見る目が足りてないか、俺をからかって遊ぼうという意思がある。判断の変更か取り消しを求める」
「これは完璧に正当な判断っす。昨日ここに乱入してきた美少女転校生さんと、さっき先輩の話に出てきた幼馴染さんもきっと同意するのですよ。抗議異議その他もろもろは女子勢全員が認めないと思うがいいっす」
無い胸を張り、裁判長は頑固に判断を下す。
「横暴だ。さすが新参とはいえ『運営』のメンバーの一人。あの無茶苦茶なパッチノートと一緒で、チェンジもキャンセルも許さない感じか」
少し皮肉を混ぜ込んで返すと、一年生は純粋にぽかんとしていた。意図も何もなさそうなぼんやりした顔で、溜めもなく薄い唇が動く。
「何言ってるのですか。変更あるのですよ、パッチノート」
――なんだって?
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