第10話 転校生の考察

「午後五時五十七分――あら、約束の三分前だというのに、もう集合場所にいてくれるなんてうれしいわ。比位くんは日和ってやっぱり逃げてしまうのではないかと思って、私ずっと心配だったから」


 何故、背後から転校生の声がする?

 ここは放課後の第三校舎裏だ。

 斗乃片透華が俺との待ち合わせ場所に指定した、第一校舎裏ではない。

 どうして。俺は緊張して身構える。


 全身が強張る理由はただ一つ。俺のすぐ側には、『運営』所属の個々奈心がいたからだ。

 斗乃片透華をナーフした団体の一員である。いきなり鉢合わせするのは気まずいはず。


「心後輩、ここはイイ感じに誤魔化――って、は⁉」


 慣れない気遣いをしようとして、


「あっ先輩、ごめんなさいです! 急に腹痛の用事を思い出したっす! また明日いつものようにっす!」


 俺はバカみたいに目を剥いた。

 目を向けた方向に心の姿はなく、謝罪が聞こえてきた方に後輩の後ろ姿がある。

 愛くるしくちまっこい後輩は、全力ダッシュをしていたのだ。俺の声をその小さな背に受けながら、懸命に走っていた。


「あら、遅いわね。クールダウンのジョギングかしら?」


 斗乃片は心の全力逃走を一瞥し、残酷な感想をひとつ。

 個々奈心は運動が大の苦手だと、知らないからこそ放てる言葉だった。

 ちなみに彼女の走行速度は極めて遅く、俺らの視界から消えるまで十秒近くかかった。


「――わちゃ!」


 あと、途中で転びかけてもいた。


「あの、大丈夫かしら……? 私、肩を貸すぐらいは――」


 見かねて斗乃片が助けの手を差し伸べるも、


「いえいえ全然大丈夫なのですお構いなく触らないでありがとうございます~~っ!」


 見た目童女はぶんぶんと首を横に振って拒絶し、とてとてと走り去っていく。 

 あとに残されたのは、言葉もなく首振りだけで振られた美少女転校生。

 純粋に、すこし、かわいそうだった。


「あの、その、心は――さっきの子は重度の人見知りでさ、だから――」

「落ち込んでなんていないわ。大丈夫。落胆なんて全然していないもの。気落ちなんて単語、書いたことも読んだこともないから」


 にこやかに振舞う斗乃片の姿は健やかそのもので、何も知らなければそのまま安堵していたと思う。

 でも俺は既に、彼女の演技力を知っている。

 魔法のように自分の望むままに、ころころ表情を変えていく姿を思い出すだけで、胸の奥から感情が湧き出してくる。


「今のも別に斗乃片が近寄りがたいとかじゃなくて、あの子は初対面なら誰だってそうで、なんなら警報鳴らされそうだった俺の時よりは遥かにマシで――」

「――貴方が、どうして泣きそうな顔をしているの?」


 そんなことないだろ。

 俺が否定するより早く、あちらの呟きが空気を伝う。


「私の些細な失敗で、なぜ――いえ、この問いをした私が愚かね。自分の境遇と、先ほどの軽いすれ違いを重ねた……みたいなところかしら?」

「ちがう」

「随分と柔らかい否定ね。貴方がそう言うのであれば、そういうことにしておきましょうか。ふふ」


 親戚のちびっこでも見守るような瞳で見ないでほしい。そんなのと真っ正面から向き合うのは御免で、渋々目線を別のところにやる。


「もう、拗ねないで」

「拗ねてないが⁉」

「怒らないで」

「怒ってないが⁉」


 ほんの少し大きな声が意図せずに出て、自分でもちょっと引く。恥ずかしさからの咳ばらいをすると、斗乃片はくすくすと微笑する。


「からかうのはこの辺りにして、本題に入りましょうか。さあさあ、楽しくお喋りしましょう?」

「本題ってそれだったか?」


 もっと大事なことがあった気がする。具体的には、『俺がどうしてクラスで無視されるようになったか』を斗乃片が教えてくれるはずだった気がする。


「大事なこと、お喋り以外にあったかしら? 比位くんは確か、私と和やかで軽妙なトークがしたくてここに……」

「違う。俺はクラスからシカトされてる理由を求めてここに来たんだ。というかそれ以前に脅されたような……」

「……? そうだった……かしら?」


 斗乃片の形のよい瞳から善意や悪意がすとんと抜け落ちて、代わりに純度の高い疑問や混乱が空隙を埋める。

 きょとんとした、という表現はこの双眸のためにあるんじゃないか?

 そんな大層な考えを平然と浮かべてしまうほど、眼前の人物は絵になっていた。


「なるほど。比位くんは、私が感情を変化させるとこちらを見てくれるのね。ふむふむ、やはり興味深いわ……」


 すぐに目を逸らす。敗北感が喉奥にせり上がってくる前に。

 あと、見ていることを言語化されると極めてむず痒かった。


「おや……もういいの?」

「ほんとに、演技うまいよな。見た目もいいし」

「褒めてくれて嬉しいわ。誰もそんな風に言ってくれないもの」


 絶対嘘だ。これだけ美少女なら言われ慣れているはずだ、きっと。


「ダメよ、比位くん。不安と疑念がまるっと全部顔に出ているわ。ここまで分かりやすいとなると、逆にこちらが何かの罠かと疑ってしまうかも」


 指摘されて、自分の顔つきが変に固まる。表情筋の動かし方を身体が忘れてしまったらしく、俺に出来るのは必死になって彼女を見ないことだけだ。


「もういいだろ。早く予定していた話題にいってくれ」

「私としては、もう少しお話して遊びたいのだけど……」

「十分俺で遊んだだろ……」

「足りないわ」


 我が儘を躊躇なく口にしてから、斗乃片は顎に指をあてて考え込む。


「足りないのだけど、たまには餌をやるのが飼い主としての務めよね……」

「誰が飼い主だよ」

「ねぇ、ポチ?」

「ポチじゃないが⁉」

「あら、太郎だったかしら?」

「飼い主が飼い犬の名前忘れるなよ」


 いや、言うべきことはこれじゃない気がする。

 不慣れなツッコミが夜に差し掛かった学び舎に響き渡るも、斗乃片は優しく笑むのみだ。

 余裕すら感じさせるというか、余裕百パーセントの佇まい。そんな態度で接されると、何をしたって負ける気しかしない。


 はあ、無理だ。クラスの底辺が美少女転校生とかいうチートに勝つなんて、絶対不可能な案件だ……。

 精神を澱ませる諸々を全部かき集め、俺は唇の隙間からため息に変換した。


「はぁ~~~くっそ……」

「ため息ってことは、幸せでしょうがないってことね」


 すると、意味不明に少女のご機嫌度が急上昇。

 発言もよく分からない。普通は逆だ。


「それとは正反対に、『ため息で幸せが逃げる』ってやつじゃなかったか? あんまり自信はないが」

「私、その言葉はおかしいと思うわ。身体の奥底に溜まっている幸福が、ほんのわずか長い呼吸で逃げていってしまうなら――その人は幸せを、溢れるほどに抱えているに違いないもの」


 さも当然、これが世界の真理とばかりに、彼女は言い切った。


「私はそう信じているけれど、貴方は異なるのかしら?」

「ああ。もちろん。ため息なんて不幸せが引き起こした消化不良で、その影響で吐き出される不要物だよ。斗乃片とは逆に、俺はそう信じてる」

「酷いことを言いながら、いい目をするのね」

「これのどこがいいんだか」

「ほとんど腐りきっているところかしら」

「もしや俺に喧嘩売ってるな?」


 少し怒ったポーズをすると、どうどうと吠える犬でも宥めるような手振りをしてから、


「でも好きよ。腐ってはいるけど、死んではいないから」

「なんだよ、それ……」


 ほとんど同じようなものじゃないか。

 舌の上に乗っかった文句を噛み砕き、どうにかこうにか嚥下する。

 斗乃片の真剣そのものの瞳に唾を飲み込む。

 受け手が斬り殺されかねないほどの鋭利な視線に、何もかもを噛みしめる。


 これで彼女が嘘を言っていたとしたら、俺は普通に見る眼のない人間として死ぬだろう。

 どれだけ演技が上手であってもこの眼を信じられなかったら終わりだ。根拠もなくそんなことを深く思う。


「どうかしたかしら?」

「なんでもな――いや。なんでもなくない。俺はただ、その目の方がずっと羨ましいと思って、その……」


 いや、いくらなんでも人をじっと見ていたと告白するのは恥ずかしい。

 コミュニケーションペーパードライバーが、いきなりF1に乗せられるようなものだ。

 後から恥という恥が全速全力全身で、俺の心をひたすら追い立てにくる。これはどんなマシンに乗っても逃げられない。


 はずくて、目を逸らす。

 目と目が合う。

 顔を背ける。

 またきれいな目と俺の目が合――。


「……いや、あわせないでくれ……」

「どうしてかしら?」

「そっちこそ、どうしてこんなことするんだ? 見られるのが嫌なんじゃ――」

「私、そんなこと言ったかしら? 嫌いなことやものはあまり言わないようにしているのだけど……ふむ……」


 もう夜で光の乏しい屋外だというのに、斗乃片の両目には光が宿っている。逃げても逃げても、あげくの果てに俯いてさえ追いかけてきて、厄介な後悔と似ていた。

 これはもう観念するしかないか。


「俺で遊ぶ前に、せめて対価を支払ってくれ。じゃないといい加減キレる。自分がおもちゃになるなら、自分がどうしてこうなったかぐらい知らないと割に合わない」


 我ながら情けない抵抗だ。

 だが決死の祈りが通じたのか、少女はすぐに首肯した。


「その声、その目、ずるい貴方の全てに負けたわ。話します――って言っても、何から話せばいいかしら……?」


 自分で自分に疑問符を向ける。しばらく黙ってから、単刀直入に行きましょう、と声がした。


「比位くんは、一度ナーフを受けているわ。だから、貴方はクラス全体から無視されている――これが私の考えよ」

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