第11話 サイレントナーフ疑惑
「俺が一度、ナーフを……?」
そんな覚え、一切ない。
『運営』に弱体化されるほど有意義な学園生活なんて縁遠い。
ナーフされるくらいに成功していれば、そもそもこんな人間にはなっていなかっただろうに。
「ありえない。俺には理由もみあたらない、そんなことを――」
「現実を疑うほど統一された無視。それだけで、根拠としては十分だわ」
斗乃片は俺の顔を真っ正面から捉えて、重たい言葉を真剣に投射する。
「いじめにしたって、貴方への周囲の対処は異常よ。喋ったことをスルーするどころか、どんなに騒音を起こしたとて誰一人として身体を震わせないなんて――一体、どうなっているのでしょうね? まるで、ナーフ措置である仮面を装着しなかった際の私みたい」
脳裏に急速浮上するのは、乱雑な音と倒れ伏した椅子。
モノを思い切り倒したとて、誰一人として驚きや不快感を露わにしなかった今朝の一幕。
あの時のことを思い返すと、嫌な汗と奇妙な怖気が肌に纏わりつく。
「この話をするのは、怖い?」
「別に。もう慣れたよ。日常だ」
「痛みと苦しみを受けすぎて、麻痺しただけに見えるわ」
知ったような口で――
「私もそうだったもの。視線を受ける苦痛に親しんだと思って、慣れたら大丈夫なのかと信じて、鏡を見たら――今のあなたと同じようなひどい顔をしていたから」
「斗乃片と近い顔になれるんだったら、俺にとっては得で――いや、これは失言だ。悪かった、ごめん」
「貴方のそういう風に謝れるところ、好ましいわ」
謝るのが取り柄と言われても、自分が最悪な人間だとしか思えない。
「すぐに反省してしまって、極端に落ち込むところはかわいらしいけれど、嫌いかしら」
仕返しとばかりに人のことを好き勝手言って満足したのか、さぞご機嫌そうに斗乃片は笑んだ。
先に失言したのはこちらだから、甘んじて受けるほかない。いつだってどんな場所だって、悪いのは俺だった気がするし。
「何かを勝手に思い出して、卑屈になってる表情もまた愛らしいわね」
「もしかして喧嘩売ってるのか? セール中か?」
「販売したら買ってくれるのかしら?」
「売りに来るなら買うが」
「なら一日四回、千五百円で訪問販売するから、自宅の住所を――」
「悪い、今すぐクーリングオフしたい」
とんでもないものを買わされそうになった。とんだ悪徳商品だ。
「そんな、手渡しなのに……チェキまで付けるのに」
「地下アイドルみたいなこと言うな」
斗乃片透華がやるならちょっと人気が出てしまうやつだ、それは。
ファンがこいつの前に長蛇を作る光景が容易に想像できて、なぜか嫌な気持ちになった。
「まだ苦い顔ね……重苦しい話をする前に小粋なジョークで笑ってもらおうと思ったのだけど、力不足で申し訳ないわ」
「そう言うなら少しは悲しそうな顔をしてくれ。雑誌の表紙を飾りそうな笑顔で、詫びの気持ちを告白するな」
表情と発話が乖離している。彼女の見た目と吐露することとの間には、あまりに距離があった。
俺の受け取り方がおかしいのだろうか?
自己に疑問を募らせて勝手に壊れてしまう前に、さっさと口を動かす。
「気遣いはありがたいけど、いらないよ。苦しい話はとっとと済ませてしまいたい」
「そう、強い子ね。偉いと思うわ」
やけに褒めるな……。斗乃片は俺の親か何かなのだろうか。
「ではご要望通り、遠慮なくいくわね。私の考えでは、貴方がおかれている状況はナーフの一種ではなくて、ペナルティよ」
「ペナルティ……? 俺は一体、俺の預かり知らないところで何をやらかしたっていうんだ……」
「調整行為の無視よ、きっと」
今朝の私も実行したことだから、二人でお揃いね――なんて斗乃片は冗談を付け足してから、自らの毛先を弄び始めた。
嘘みたいに穢れのない長髪を一気に攫って、それで顔を隠す遊びまでしている。髪の合間から瞳を覗かせると、いたずらっぽく小さく舌を出した。
急に幼さを出すなズルいだろう――とかいうことはさておいて、さすがにここまでされれば彼女の主張したいことくらい分かる。
「仮面を外したら、斗乃片も俺と同様に無視されたってことか」
「そう。比位陽名斗がクラス中から完全にハブられていた影響を受けて、それに関わった私まで完全なスルーをされた、なんてことはないから安心するといいわ」
完全に内心がバレていた。
そこまで分かりやすく表情に出るのか、俺は。
「動揺は隠さなくていいわ、貴方の好ましいところだもの。それに貴方が特別分かりやすいのではなく、私の観察眼が優れているだけだから気にしないで。他の人にはバレていないはずよ……きっと、恐らく、多分そう……」
「不安になるようなこと言わないでくれ」
「ふふ。であれば、不安にさせたくなるようなイイ表情をしないように」
「いくら可愛らしく言おうと、中身は逆ギレだからな」
「可愛いと思ってくれているなら、嬉しいわ。私、貴方のおかげであと一週間は幸せよ」
「こいつ無敵かよ……どうなってるんだ……」
「ふふ、褒めてくれると幸福になるのね、人って」
ぽろりと零した愚痴に応じるのは、幸せいっぱいにも程がある笑顔。子猫を誕生日プレゼントに貰った時の喜び様だと教えられたら、俺は二秒で信じる。
斗乃片透華が振る舞いの化物だと認識していなければ、即騙されていたはずだ。
知っててよかった本質。転校生という属性がメタを支配しているのは、未知という要素も大きいからだ。相手を知っていることはコミュニケーションの勝ちに繋がる。
なお、コミュに勝ち負けやメタがあるのかは諸説。
「悩ましそうに眉をひそめて、目も細めて……強張った肩の力も少しは抜いたらどうかしら? わずかではあるけれど、やっぱり悲しいわ。私は貴方の味方なのに」
「会ってたった一日で『味方よ』とか言われてもな……」
こちらは数か月にわたって警戒心を尖らせてきた人間だ。いくら美少女だとしても、ちょっとやそっとの働きかけで揺らぐことなど……ちょっとしかない。
「というか、会って二日なのだけれど……」
「一日の違いじゃそんな変わらないだろ……」
たしかに、斗乃片が転校してきたのは昨日だが。
「重要よ」
鋭く答えを差し込んでから、斗乃片は考え込むポーズをとった。下唇に右手を当てる形式の、わざとらしいやつだ。
「味方、という言葉が信じられないのなら、そうね、同類なんて表現はどう?」
それなら少し……いいな。
と思ってしまった瞬間に、あちらの顔つきが一瞬で華やいだ。
しまった。俺はまた感情を表に示したのか。こちらの内心を読み取られたという事実に揺さぶられる。
それに心の琴線に易々と触れられたのも、どこかもどかしい。狐面に対する評価やセンスの件で思い知らされていたはずなのに。
「比位くんの反応も良好ですし、これでいきましょう。私たちは運営からの指示を無視した結果、周囲から認識されなくなってしまう同種族。この学校に無慈悲に敷かれた。ルールの犠牲者。抗いがたいからこそ、協力しなくてはならないわね」
彼女は俺との距離が詰める。
手が差し伸べられる。
一見すると友好的で、無条件に俺に優しく、だからこそ怪しかった。
この疑いを隠そうとしたって相手には筒抜けだろうから、口にする。
「どうしてここまでするんだ?」
「得難い状況で、はりきらない理由はないわ」
斗乃片は俺の手をとる寸前で指先を静止させ、告げる。
「私は受け身であることがほとんどだったから、自分から人を追い求めることに憧れているの。そして、ちょうど興味を持てそうな人がいる――」
夜闇で瞳を輝かせて、転校生は宣言――というより、宣戦布告をした。
「あらゆる手段を用いて、私はこの機を楽しむわ。全力で笑うし、距離も詰めるし、手が寂しかったら泣いてしまうの」
今にも泣き出しそうな少女が、俺の目の前に宙ぶらりんの手を差し出す。
「さあ、友好の証として、貴方はこの手をどうするかしら?」
選択肢は、一つしかなかった。
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