第8話 運営の後輩
放課後の第三校舎裏は、日陰者たちの安息所だ。
部活に励むわけでもなく、予習復習を徹底的にこなすわけでもなく、趣味を満喫するわけでもない人間にとって、静かに息を吐き出せる場所。
俺にとっても、ここの存在は救いだった。
そして他にも、オアシスを求める外れ者は存在する。
「――いやなにかっこつけて黄昏てれんすか。煙草とかいう遺物でも咥えだしそうな勢いっすよ。それで、外壁にもたれてそうでびみょーにもたれてないのはなに? 制服が汚れるの気にしてる感じ? ださ。かわい」
安寧を享受しているところに、随分な挨拶が飛び込んできた。
無理に雑な言葉遣いに反して、声質は軽やかで幼い。耳だけで判断するのであれば、小学生の喉から発せられているものだと、即座に断じているだろう。
そして目で見たとしても、俺の判断は変わらない。一つだけ年下であるはずの
「かわいいのはそっちのほうだ。心、お前相変わらず小さいな。背が高いほうじゃない俺からしても、ちんまりして見えるぞ」
「かわ……ちんまりとは失礼な。こちとら成長中っすよ。ついでに抗議しとくと、ひな先輩は『背の高いほうじゃない』というより、『背のちっこいほう』っす」
後輩はにやりと笑いながら、跳ねた毛先を指先でもてあそぶ。くるくると髪を巻き取る幼い動作が、不思議と煽りに見えてくる。
「あれれ、もしかして聞こえてないんすか? もっかい言うと、先輩も、とっても~、ちっちゃいっすよ?」
いや煽りだった。
「うるさい。あと、いつもの口調忘れてるぞ。あの『なのです』と『……』が盛りだくさんの喋り方はどこいったんだ?」
「何を言っているのですか……忘れてないのです……って、いやなにやらせんすか」
「やらせるもなにも真実だろ――あ、心、肩に大きい虫が――」
「ふぇっ‼ センパイ取ってくださいです‼ いやなのです‼ むしは、むしだけは心だめで――」
小柄な身体全体をびくりと跳ねさせ、盛大に暴れださんとして――見た目童女はぴたりと固まった。自分の右肩に付着した親指大の虫を直視し、瞼を閉じて停止した。
さもありなん。そんな状況になるの、俺だって願い下げだ。
「追い払うから動くんじゃないぞ――って言うまでもないな、これは……ほら、いなくなったぞ」
俺が後輩にとっての脅威を排除すると、
「う、ありがとうございますで……む……むむ……ありがとうございますっす」
彼女は、感謝と恐怖と不満で破裂しそうな両目を向けてきた。不機嫌そうに細められて不愛想な雰囲気を放っていた双眸はどこへやら。
複雑な感情でいっぱいになった丸っこい瞳は、皮肉にも愛くるしさで満点だった。
粗雑な言葉遣いも、力の入った目つきも何もかも――個々奈心が強そうな自分を演出しようとして生み出した全てが、ここに来て形無しだった。
こんな時、かけてやれる言葉は一つしかない。
「ドンマイ」
「ドンマイじゃないっすよ! なんすかその勝ち誇った瞳! これはあれ! 単にでっかい虫にビビっただけっす!」
それはそれでまあまあ恥ずかしい気がするが……。
「なんすかその憐みの目は! やるんすか!」
「そっちがその気なら、俺はそれでも。また虫が付いてても助けないだけだし」
「いやその時は助けろし! おねがい!」
語気に反して、素直で良い子だった。つんけんとした素振りや見た目とは違い、やはり中身は尋常でないほど清純で善良だ。
「そんな心後輩が、どうしてこんな風になっているのか……俺にはわからない……」
「何いってんの。いや先輩がなにあたしを語ってんの。あたしたち、知り合ってたかだか数ヵ月の関係っすよね? ここでたまに話すだけの付き合いっすよね?『小さな頃に雷の音で泣いていた心ちゃんを知っているんだよ』的な、きもおじさん的な雰囲気醸すのやめてもらっていいっすか?」
暴言の刃が早急に研がれ、こちらにビシバシ投じられる。俺の心臓はメッタ刺しにされてズキズキ痛むけれど、この痛みは会話の証拠だ。
会話は、ちょっと傷つくぐらいがよい。
――いやこれは俺が変態だと告白しているのではない。断じてない。
この精神の痛覚が、俺に『人と会話している』感を強く与えてくれるだけであって、ある一人の男子高校生がドMという話でもない。
クラス中からのガン無視が四ヵ月続くと、人は少々変質するというだけだ。
「え、なんで今のやり取りで先輩が笑顔なんすか。世が世なら立派な銅像にでもなりそな、優しすぎる微笑みは逆にこわいっすよ」
「笑顔になっただけで文句言われるのか、俺は」
「笑顔なら何でもいいわけないっすよ。笑顔貼り付け名人のあたしが言うのですか――言うっすから、間違いないです」
口調がもう滅茶苦茶だった。照れ隠しに膨らませた頬は若干紅潮していたし、妙な咳払いでその色は更に濃くなっていく。
「丁寧な喋り方、まだ抜けてないんだな」
「なにが抜けていないんすか、あたしは垢ぬけてるっすよ。ぬけぬけと一抜けっすよ」
「垢ぬけてるやつはそんな言葉使わないよ」
「なっ……! あたしの、不断の、努力を……!」
会話のボールを投げ返したら、突如相手が動かなくなった。よく見れば、わなわなと肩を震わせている……のか? 目を凝らしてようやく読み取れる微細な震えからは、堪えている様がありありと伝わってくる。
そして溜めた感情は、一気に吐き出されるのが常だ。
顔を上げ、弱弱しい視線を必死に尖らせると、
「あ、あたしをあんまりバカにしたら困るっすよ! いくら先輩が先輩であたしが後輩だとしても、そういう雑なコミュは違うんすよ! なんといっても、このあたしは、個々奈心は、『学園生活調整運営会』のメンバーなんすから! 『このバッジを見るがいい、控えおろう』、とかいうやつなのですよ! 外したり無くしたりしたら、たくさん怒られるんすから!」
セーラー服の胸元にあしらわれた金メッキのバッジは、夕方なので微妙に見えそうで見えない。会員様の脳内では、公正を表す天秤の紋章が輝きに輝いているのだろう。
ちなみに、この時代劇みたいな台詞を聞くのは百二十四回目だ。
耳に馴染み過ぎて、今では俺のお気に入りである。
心後輩の威勢のいい決めゼリフは、朝に聞こえてくる小鳥の囀りのようなものと言っても過言でもないかもしれない。
「先輩、不敬なことを考えてるっすね。あたし、鋭い子に育ちそうって言われたので、分かるんですよ」
心はジト目で年長者を責め立てる。
「あたしらに逆らったら、酷い目にあうっすよ。だからやめたほうがいいっすよ。薔薇色の青春や青々とした青春が、あっという間に灰色になってもいいと?」
「青なのか薔薇なのか、青春の色ってはっきりしないな。あと、俺の青春はとっくに無色で無形だ。その脅し文句は効かないぞ」
「威張ることかそれ……てかほんとに悲しいなそれ……あたしだけは、ここでしょーもない会話相手になってあげるっすからね……‼」
ガチの憐れみを向けられ、また俺はちょっと傷ついた。
「まあでも、傷つくのが会話だからな……」
「いやその独り言こわいっすよ。何回聞いてもこわい。慣れないっす。何があったのか聞きたくても聞けない感じで、後輩の悩みの種になってる」
「ほんとに?」
「ええ、一日四時間半しか寝られてないっす」
割と微妙なラインだった。他に寝不足になる要因があるんじゃ……との疑いも膨らむが、俺の罪悪感がとりあえず勝つ。
罪の意識が勝ったは勝ったが、
「何があったか、俺は全部丸ごと心に話したような……?」
「えっ。いやいやいや、そんなことないっすよ。噂ぐらいしか知らないっすよ! 先輩が一人の女の子を中心に揉めた人間関係を解決しようとして、代わりにクラスメイトのほとんどの反感を買って、どヤバイシカト決められたって話なのですよね……」
「大体知ってるじゃん!」
そこまで知ってたらもういいだろ。安らかに眠れるだろ。というか割とディテールまでばっちりだろ。
「いやほんとに詳しすぎる。もしかして後輩、俺のオタクか?」
「――いやまじでないのです。オタクとかありえないのです。そんなのになったら末代どころかご先祖様にまで申し訳なさがヤバいのですよ」
素の口調で否定され、胸に激痛が走った。予想外に苦しい。クラスメイトから無視られていた俺に残された唯一の救いが、消えたと想像するだけで泣きそうになる。
憎たらしくニコついていた愛くるしい後輩が、今となってはオアシスの水、あるいは雪山での焚火なのだ。
あのウザくも優しく仲良いJKの姿は影も形もなく、俺の目の前にはただ可愛らしい他人の童女がいるだけ。かわいいからまあいいが。
「うわなんか嫌な気配を察知っす。これはいよいよ『運営』からの懲罰っすね……輝かしい学生生活はないものと思うがいいっす」
「だから俺にその方法は効かないって。なんてったって、輝くものがないからな」
「自信満々に、弱みを振りかざすのやめてほしいんすけど。それも年下相手に。庇護欲湧いてくるっすよ。天下の『学園生活調整運営会』は、『強きをナーフし弱きをバフする』がスローガンの組織っすからね。優しくせざるを……ってあれ?」
『運営』の一員は疑問にのまれた。
「じゃあ先輩は……」
首をひねってから、心は真っ直ぐな瞳でこちらを見上げた。
「何で先輩は、バフされないのです……?」
そんなの、俺が知りたい。
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