第2話 転校生の気持ち
彼女だって、俺を無視していたはずだ。先日転校してきた時も、俺のことを気にする素振りは一切なかった。悲しいことに。
突然どうして比位陽名斗を意識したのか、まるで分からない。
転校してきたばかりで気付かなかった? このクラスに浸透した無視というイジメを見過ごせなくなった?
あれこれ考えが泡沫のように浮かび上がって、頭の中で音もなく消えていく。
乱暴に開け放たれたドアの先へ連れ込まれ、冷えた廊下の空気を浴びるまで、考え事は続いた。
「貴方、どうして私を見ていなかったの?」
これまた雑に扉を閉めながら、斗乃片は問う。ひどい衝突音がしたのに、教師は怒るどころか目もくれない。
隣のクラスだって無反応だ。いつものように締め切られたドアが、俺の悪態さえも見事に遮っている。
「見ていたかいなかったかが、そんなに重要か? 別にどうだっていいだろ。とにかく、さっさとこの手を放してくれ。俺はさっさと席で寝たいんだ」
「ダメよ。これは大事なことだから。きちんとしておかなくちゃいけないわ」
さも当然と信じ切って、彼女は告げる。優雅にご自慢の白髪を片手で揺らして、目の前のクラスメイトを言葉で押す。
本当に、いい性格をしていそうだ。
「大体、お前の勘違いだって線もあるんじゃないのか? 誰かに見られたとか見られてないとか、はっきりわかるもんじゃ――」
「そんなことはありえないわ、絶対に。私、人からの視線を相当浴びてきたから――誰がどこから自分を観察しているのか、解せるの。美しいから、当然よ」
そんなわけないだろと茶々を入れるには、相手の目つきが真剣すぎた。ずっと鈍らない視線の刃先からは、問答次第で叩き斬らんとする意思が放たれている。
相手がふざけていないということは、あれだ。
厨二病。
それも相当な重病で、罹患すべき時は三年ほど過ぎ去っている厄介なタイプ。普段から仮面を持ち歩いている謎も、症状の一つか。
「あーはいはい、そういうやつね。狐面も好きだろうな、そりゃ」
「……勝手に貴方一人に納得されて、なぜだか心がざわつくのだけど――そうね、このお面が好きなのは認めるわ」
斗乃片は右手の指先に引っ掛けた無機物をくるくると回し、
「貴方もこういうの、好きでしょう?」
「ああ、大好きだよ。正直ちょっとカッコイイ――部屋の中で一人きりなら、身に着けたい代物だよ。ここで被るのは御免だけど」
「そうでしょうね。貴方の視線は、さっきからずっとこれに注がれていたから――分かっていたわ」
なら何故聞いた――と言えれば、よかったか。
人と話すのが随分と久しぶりで、とっさの切り返しが口から出てこない。相手に問われるか、こちらからの発話じゃないと上手く喋れない。
俺は困って、白い仮面を見つめるしかできなかった。てか、間近で見るとやっぱ少し憧れるな、それ――
「ほら、今もこれに夢中になってるわよ。無理やり貴方を連れ出した私そのものより、ずうっとね。正直、くや――むかつくわ」
掴まれていた手を更に引っ張られて、俺らの距離が消えていく。
ほのかな熱と甘い香りが近づいてきて、まともな思考をじわりと溶かしてしまう。目と鼻の先というよりも、鼻先同士が触れ合ってしまいそうな距離まで接近されて、
「ちょ、いやいやいや」
俺は急ぎ、日和って逃げた。さすがにこれは近すぎる。急いで視線を下に――
「こうまでしても、私を見ないのね。でも、お話する時はさすがに見てもらわないと困ってしまうわ」
下方を向こうとした顔が、か細い指に捕まれて引き戻される。見た目に反して力強い五指に導かれ、人との相対を強制された。
すぐそこにあるのは、よい顔だ。ナーフとして仮面の着用を強いられるくらいに、整った顔立ちの美少女だ。
しばらくの間、他者に無視され続けていた人間には刺激が強い。
「ふむふむ……なるほど……きょ、興味ぶかいわ……」
こんな過激行為をしておいて、平静そのものの顔で彼女は思案している。
いや、ほんのり頬が赤いか? 緊張と困惑で、今自分が見ていることすら信用できなくなってきた。
執拗に縫い付けるように視線を走らせると、彼女はしきりに頷く。自分の中で、なにか得心がいった表情だ。
「やっぱり、貴方のことが気になるわね。他の人間より、よっぽど面白そうよ」
「そんなに全員から見られたいのか? 自意識過剰にもほどがあるぞ」
「見られたいとかではなくて、見られているのが普通だったから――その例外が現れると気になるものなの」
「変わってるな」
「誰だって、少しは変わったところがあるはずよ。それに、貴方だって同じ穴の貉でしょう」
斗乃片透華と比位陽名斗に、同じところなんてあるか? 劣った俺からすれば、同じ人とすら思えない。
そもそも肉体の造形が違うのだと、毎秒理解させられっぱなしだ。今だって、その現実と向き合っている真っ最中。すらりとした人差し指を突きつけられれば、それだけで彼我の差を認識してしまう。
「比位くんだって、私に興味があるはずよ。徹底的に自分を無視してきたクラスメイトの中で――唯一自身を直視する転校生に、ね」
ちょうど私と逆かしらね? なんて憎たらしく小首を傾げる姿が、とても様になっていて憎らしい。
この世で一番くだらない憎しみスパイラルを育む前に、とっととこの場を去りたいのだが許されない。
「比位くんはどうしてか帰りたがっているみたいだけど、無理よ。私が貴方の腕を掴んでいるもの」
「あの、どうにか放していただくことは……」
「ここで女子に腕力で勝とうとしないところは、少し好きかもしれないわ」
「そ、そりゃどうも……」
実は勝とうとして敗北したのだと、言えそうになかった。全体重をかけて全力で抗った上で諦めたことは、墓まで持っていこう。
ぺらっぺらな見栄を保ちつつ、俺は相手と交渉しなければならないらしい。
「で、どうしたら解放してくれるんだ?」
「どうしたら……? 分からないわ。何をしたら貴方への興味がなくなるか、まったくはっきりしないの。正直自分でもこの気持ちが理解できないわね。この感情の正体――貴方、知っていたりしないかしら?」
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