第10話 人の手に余る計画

 チップは2枚差。2回目までは確実に三島が劣勢だった。


 しかし今、この場を支配しているのは三島である。


「さぁ、どうするユウくん」


 三島の余裕そうな顔と三島の手札、そして汗で濡れた手に握られているカードを見る。


 9のワンペアに、ワンペアが期待できる6のカードが1枚。


 わきから汗がにじみ出る。


 今、英司は確実に悩んでいる。いや、


(イカサマを見破られているのか? いや、しかし……)


 イカサマをしていることがわかっていれば、弾劾だんがいすればいい。


 そうすれば、ヴァイオレーションとしてチップ10枚取ることが出来る。


 あとは全ての勝負をフォールドすれば勝てる。


 だが、三島はそのようなことはしてこない。


(俺がイカサマをしているのはわかっているが、方法がまだわかっていないのか。それとも、俺が読心系の異能を持っているとでも思っているのか。はたまた、全てを見抜いたうえで、あえて黙っているのか)


 思考がこんがらがる。考えても考えても、光が見えてこない。


 コールしたいのだが、三島の自信満々な表情に、あと一歩が出ない。


 三島の異能は、表向きは身体能力の強化だった。しかし、それが本当だとは思えない。


 異能を使っているかもしれない。


 英司は三島の前にあるチップ6枚に舌打ちしたい気分だった。


 勝負を邪魔する一番の理由は、このチップ数。この勝負に負ければ、三島のチップは35枚となり、英司のチップは25枚となる。


 そうなれば、あとの4回はフォールドされ続け、ジリ貧で英司が負ける。


(チップが1枚なら勝負しているんだがな。くそっ)


 英司は歯を噛みしめるのをこらえた。苛立いらだちを見せてはならない。


「悩んでいるようだね、ユウくん。どうやら僕の作戦はハマったようだね」


 三島が侮蔑ぶべつと挑発の両方を込めた笑みを浮かべる。


「僕の表情からは読み取れないみたいだね。いっそ、カードの表情を読み取ってみたらどうだい?」


(ムカつく野郎だ)

 

 しかし、追い詰められているのは事実である。


 スーツの裏側を流れる汗が、メッキをじわりじわりと溶かしていく。


 英司は目をつむり、考える。


 こういう時は相手のペースに合わせず、自分のペースで考える。目を瞑って脳の容量を少しでも確保し、一定かつ深い呼吸で考える。


 いくら時間がかかろうと、あせってはならない。


(どうするのが、ベストだ……?)


 英司は考える。


 凛のことを。三島のことを。メッキをりつけた意義を。このギャンブルを行う目的を。そして、自分の中にある守りたいモノを―――――


(………………)


 目をゆっくりと開けた英司は、持っている手札を一纏ひとまとめにした。


「フォールド」


 英司は降りた。これが最善の手であると信じて。


(降りていい。ここは一旦様子を見る。三島の出方を見て、次の手を判断すればいい。むしろ、ここで負けてしまえば、奴は一生降り続けるだろう。だからここは―――――)


 英司は捨て札に手札を置きながらを思った。


(―――――様子見でいい)

「―――――様子見でいい」


 英司の心の声と重なるように三島が言った、


「と、思ったかな?」


 英司は目を見開いて三島を見た。


「きっと慎重なんだろう。だから僕の行為をそのまま見た通りに受け取らない。考え、疑う。何か仕込んでいるのではないか、と。それはおそらく正しく、賢い。でもね……」


 不敵な笑みを浮かべた三島は、テーブルに無造作に置かれたトランプを左から1枚ずつ、ゆっくりとめくる。


 クローバーの3、クローバーのK、ハートの4、スペードの5、そして―――――


(―――――ダイヤの8ッ‼︎)

 

 役無しブタだった。


「危なかった。まさかブタだったとは」


 三島の安堵した顔に、英司は驚きを隠せなかった。


(まさか、イカサマをしていなかったのか!? いやしかし、そんなわけが……っ)


 イカサマをしてなければリスクが高すぎるプレイだ。なのに役はブタ。もしかしたらイカサマをしていないのかもしれない。


(しかし、そんなはずはない。あのタブーなプレイングと余裕そうな表情)


 イカサマをしていないわけがない。


 しかし手札はブタ。


 その結果を目の当たりにした英司は思わず、


「……狂ってやがる」


「狂ってる?」


 ハッ、と馬鹿にした笑いを出して続ける。


「当然さ。ギャンブラーなんてものは狂ってるもんさ。君ならわかるんじゃないか? ユウくん」


(こいつ……!)


 三島の挑発的な口調と表情に、英司は直感した。


(奴は、俺がイカサマをやってるってわかってる。それを知っているうえで暴くことはせず、真っ向から挑んできやがった)


 英司は机の下で拳を握った。やられたままでは終わらない。


 チップは互いに30枚。


 振り出しに戻ったように見えるが、場の流れとしては英司が圧倒的に劣勢。


 執事はただ英司と凛を交互に監視している。目の動きには穴があるものの、意図して作られた穴だと感じる。


 そしてプレーン役である凛はディーラーになりきっていて、ずっと無表情のまま。


 三島は相変わらず何を考えているかわからない。


 英司は現状、非常に苦しんでいた。


 これ以上、三島のペースに乗せられるわけにはいかない。


 が、勝てる算段が運のみ。


 そしてそれも、イカサマされていた場合は回ってこない。


(どうする………!?)


「さぁ、続けようか」三島がテーブルをトントンと叩いて、カードを要求する。「と言っても、次が最後の勝負になるだろうけどね」


 安い挑発だが、今の英司を揺さぶるには十分な効力だ。


 山札が少なったため、凛は山札をテーブルに置き、捨て札と合わせてぐちゃぐちゃにかき混ぜた。


「へぇー、ウォッシュシャッフルもうまいんですね」


 三島は凛を見ていた。一見和やかな目をしているが、瞳の奥に力強さがある。凛を監視しているのだろう。


「初心者はカードを傷つけたり、上しか混ざらなかったりするんですが、貴方のは均等に混ざってる。流石ですね」


「どうも」


 ぶっきらぼうに言い、かき混ぜ終わったカードを集め、最初のシャッフルと同じ順序で行う。


 その間、英司は黙って考えていた。


 ―――異能を使っているんじゃないか、と。


 この1週間、英司はギャンブルを猛勉強した。その過程で、プロギャンブラーのプレイングをいくつも見てきた。


 手札を一切見ないプレイヤーなど、1人としていなかった。


 そのようなプレイは絶対にしてはならない悪手。


 当然といえば当然だ。手札を見ないということは自殺行為に等しい。


 そんなプレイをしたということは、三島がイカサマをしている可能性が極めて高い。


(奴は確実にイカサマをしている。おそらく、異能を使ったイカサマだ)


 英司は三島を睨んだ。


 三島のイカサマを見抜き、弾劾しなければ負ける。


「随分と無口なようだけど、何か考えごとかい?」


 シャッフルが終わると同時に、三島が話しかける。どこか下に見ているような口調が、腹立たしく、思考を鈍らせてくる。


 そう考えて、これも作戦のうちかと英司は思った。若い人は舐められたくないという気概きがいがある。それを逆撫さかなでるのも作戦のうちだろう。


「……どうしてそんなことをしているのか気になってさ」


 このままでも負けるなら、仕掛けてやる。

 

「さっきも言ったけど、君からカードを読み取らせないようにしているのさ」


 あくまで真っ当なギャンブラーとして語る三島の顔を見て、英司は覚悟を決めた。


「驚いているんだ。そんなプレイをする人間は今まで誰1人としていなかった、誰1人としてな。だがこれで確信したよ。お前がイカサマをしてるってことを」


 英司はメガネをくいっとあげた。


「ほう」レンズ越しの英司の鋭い眼光に、三島は対峙する。「奇遇だね。僕も君がイカサマしているんじゃないかって疑っていたところだよ」


 両者睨み合ったまま、互いにチップを置く。


 凛がカードだけを見ながら無言で配る。


 英司はしっかりカードを手に取り、三島はカードを一瞥いちべつするだけ。


 英司は自分の手札を見ながら考えるふりをして、三島を観察した。


(目線の移動は互いのカード間のみ。凛も執事も見る様子はない)


 怪しい様子は一つもなかった。


 先手の英司は、手札が役無しブタなのと、チップの塔を握る三島を見て、


「……降りる」


 参加料として出したチップを三島の方は投げた。


「あらら……」


 三島は先程と同様にチップをかける気だった。


 この状態からツーペアに持っていける可能性は限りなく低い。


 なら確実に勝てそうな時に勝負するのがベストな選択である、と英司は割り切った。


 チップ差は2枚。まだ負けない。


(待つ)


 英司は攻める機会を伺った。


 そしてそれは、早くも5回目に訪れた。


 英司の手札は7のスリーガード。まさかこのタイミングで三島のラッキーナンバーが来るとは。


「お、どうやら良い手が入ったね」


 顔の筋肉を動かしたつもりはないが、何故かバレた。


 でも、もういい。ここしかない。


 返事の代わりに英司は宣言した。


「レイズ」


 上限いっぱい7枚を賭ける。


「ほう……」好奇な目を向ける三島。「面白い。……コール」


 三島も自信満々な表情を浮かべて応えた。


 勝負はこれを入れてあと3回だが、ここで7枚チップを獲得すれば、あとの6、7回は降りるだけで済む。


 ここが勝敗の分かれ目である。


 英司はフルハウスを願って、カードを1枚だけ交換する。


 びしっとカードが英司の手前に飛んできた。


 それをめくり、英司は心の内で舌打ちする。


 狙ったカードは来ない。それでも手は悪くない。英司は勝負する意向を決めた。


 一方、三島は机に無造作に置かれたカードを見てうなる。


「ここは、この2枚をチェンジしようかな」


 カードを見ることなく捨て札に置いた。


 凛からもらったカードも裏側のまま、手に触る素振りすらない。


 それでも変わらず自信満々な表情を英司に向ける。


 先攻後攻が入れ替わり、三島の番となった。


「……ここで勝負を決めたいな」


 上一直線に連なったチップを掴み、賭けエリアに置く。


「レイズ」


 三島は試すような瞳に、


「……コール……!」


 英司は真正面から立ち向かう。


「そうこなくては」


 湧き上がる喜びを噛み締めるように三島が言った。


 運命の時。


 英司がカードを机の上に置く。


「7のスリーカードか」


「お前のラッキーナンバーというヤツだ。ラッキーナンバーに首を絞められるとは、なんとも皮肉なことだな」


 すると、三島がせせら笑う。


「なにがおかしい?」


「はたしてそうかな?」


「なに……?」


「さ、答え合わせだ」


 三島はカードを1枚ずつ開ける。


 スペードの9。


 ハートの3。


 クローバーの9。


 ジョーカー。


 そして―――――スペードの7。


「―――――っ!?」


「やはりラッキーナンバーだ。握っていたおかげで、フォーカードは阻止できた」


 場に溜まった大量のチップが、三島の元へいく。


 英司はこの勝負も負けた。


(……っ!)


 英司は唇を噛んだ。どのようなイカサマをしているのかわからなかった。


 カードを見ないであんな綺麗に役がそろうわけがない。


 確実にイカサマをしている。そんなことはこの場にいる誰もがわかっていた。


 しかし、方法がわからない。証明しなければ、イカサマではないのだ。


「さてと」三島が時間を見る。「本当なら勝負するところなんだが、今回は時間がない」


 実に冷たい声だった。目も先ほどまであった挑戦的な色はすでに黒く塗りつぶされ、使い捨てた部下を冷酷に見下すような目をしている。


 その後、6・7回目はカードが配られたと同時に三島がフォールドを宣言。


 5分とかからず、呆気なくゲームが終わった。結果は英司の完全な敗北。すべもなく。


 ドンッ!


 英司は悔しさから机を叩き、そのまま項垂うなだれた。


「ではお嬢様、約束は守っていただきますよ」


 三島の勝ち誇った顔に、凛はため息混じりで、


「わかっているわ」


「よろしくお願いします」三島は平手でドアを指す。「官兵衛、お嬢様とそのがお帰りだ」


「かしこまりました」


 執事が扉を開ける。


 凛はいつもと変わらない歩幅で、英司は悔しさから重い足取りでVIPルームを出る。


 彼らの背中に向けて、三島が頭を下げた。


「またのお越しをお待ちしております」


 扉がバタンと閉まる刹那せつな、英司は口角を上げた。

 

 ※


「ただいま、織部様とそのお付きがカジノ•セカンドの敷地から出ました」


 祖父ほど歳が離れた官兵衛の発言に、三島はVIPルームの窓を見たまま「そうか」と一言。


 午後9時を過ぎたカジノ・セカンドの店内は、最高潮に盛り上がっていた。


 客が狂喜乱舞きょうきらんぶもしくは阿鼻叫喚あびきょうかんする姿は、いつ見ても心を躍らせる。


 人間の本性が表れる。だからギャンブルは良いのだ。


 手に持つシャンパンを一口飲んだ三島は、一歩後ろにいる官兵衛に、カジノを見下ろしながら訊く。


「奴のイカサマを見抜いていたか?」


「正直に申し上げて、存じてはいましたが方法はわかりませんでした。せいぜい、メガネが怪しいくらいかと」


「俺も同じだ」


 三島は公私で一人称を使い分けている。これを始めたのは三島が起業して2年ほど経ってから。


 多忙な三島にとって、メリハリをつけるための処世術であった。尊重したい相手や目上の人間には“私”、対等もしくは目下の相手には“僕”、プライベートの時は“俺”。


 こうすることで、脳が切り替わる。


 仕事は好きだが、常に仕事のことばかり考えていると疲れてしまうし、斬新な発想も生まれない。


 良いアイディアには、良いコンディションが不可欠。


 また、一人称を意図して使い分けることで失言も減った。


 いわゆる役を演じるので、役に応じて適切な言動が出来た。


「あの発明女王のことだ。あのメガネで俺の手札を見ていたのだろう。もしかしたら監視カメラをハッキングしていたのかもしれないな」


「私もそう思います」


「……ところで、俺が負ける確率は何%だと思っていた?」


「30%です」


「あまり期待してくれていないんだな」


「ギャンブルは運もあります。どれだけ計算したとしても、運に見放されたら終わりです」


「嫌いじゃない考えだ」


 三島は頷いた。官兵衛の率直な意見を言うところは好きであった。


「俺は3回目終了時点で勝利を確信した」


 三島はシャンパンを飲んだ。炭酸がピリピリと舌を刺激しながら、全体にアルコールを染み渡らせていく。


 気分が高揚するのと同時に心地良さを感じる。


 やはりアルコールが入っていなければ味気ない。


 アルコールは子どもにはない、大人にだけ許された特権の一つだ。


 ノンアルコールカクテルを好んで飲む友人の気持ちなぞ、微塵もわからない。


「なぜそこまで自信がおありで?」


「それは奴が、本物のギャンブラーじゃないからさ」


「と、言いますと?」


「あの青年、ユウとやらはおそらく二流……いや、三流程度の腕前だろう。セオリーとイカサマでしか勝ってきたことのないタイプだ。そして今回もイカサマを使用してきた。だからこそ、俺は勝てると確信した」


 ニヤリとする三島。そこには成功者特有の狡猾こうかつさがにじみ出ていた。


「なぁ官兵衛、さっきの3回目の勝負の時、お前ならどうしてた?」


 カードを見ないまま、5枚レイズした時のことである。


「役が出来ていれば賭けます。カードを見ないで賭けるなど、骨頂こっちょうです」


「そうだ。俺も賭ける。しかし奴は賭けなかった。なぜか?」


「イカサマを疑ったから、でしょうか」


 フッと笑い、


「そうだ」


 三島はシャンパンを飲み干す。すかさず、官兵衛がグラスにシャンパンを注ぐ。


 そしてまた、三島の一歩後ろに立つ。主人の前にも横にも立たない。それが官兵衛の美学なのだ。


「イカサマをした人間は、相手のイカサマにも敏感びんかんになるもの。少しでも怪しいプレイをしていれば、イカサマではないかと疑う。そしてイカサマの効力を知っているからこそ、迂闊うかつに賭けられない。相手のイカサマにハマってしまえば、自分は多大な損害を被るからな。俺はそこを利用した」


「なるほど」


 実を言えば、三島はユウがゲームを受けてくれた時から、勝てるとわかっていた。


 三島はブラックジャックで荒稼ぎするユウの姿を、監視ルームとは別の部屋で見ていた。経験から、カードカウンティングが行われていることはわかっていた。


 組織的にカウンティングが行われていないことから、なんらかのイカサマをしていることも想像がついた。


 イカサマに頼る三流プレイヤーであるとは思いつつ、一方で織部凛が選んだ人物でもある。間抜けなプレイヤーなはずがない。


 自分にもわからない、高度なイカサマを駆使する。異能を使わずに。


 そこで三島は、あえてゲーム回数を制限した。ユウは未熟だがさかしい。確実に勝つためには、未熟なうちに潰さなければならない。


 計画としては、最初は勝たせて油断させつつ、中盤に勝負を仕掛けてリードし、そのまま勝ち逃げする。


 その計画が見事にハマった。


「でも」


 計画成功の余韻に浸る三島に、官兵衛が静かに言った。


「彼の考えは間違っていませんでした」


「そうだな」


 三島のニヤリ顔が、窓ガラスに映る。


 ゲーム回数を制限していた最大の理由、それは―――――


「イカサマ、暴かれる前に仕留められてよかったよ」


 ※


「やはりイカサマをしていたわね」


 織部セントラルタワーのアジトにて。


 アイオスの記録映像を見た凛が冷たく言い放った。ドレス姿のまま、髪もセット崩していない。


「私達と似たイカサマなのが腹立つわね」


 凛の吐き捨てた台詞に、ワイシャツ姿の英司は苛立ちから歯を食いしばった。


 三島が行ったイカサマは、マークドデックと呼ばれる裏面に細工を施したトランプを使うことだった。しかも市販のものではなく、三島のみが扱える特注品。

 

 カードの裏面に数字が書いてあるのは一緒だが、特注のレンズを使用しない見えない仕組みになっている。


「そういえば……あの野郎、コンタクトレンズをつけていた」


 ハッと英司が思い出す。


「私も今思い出したわ。失態しったいね……これは」


 三島の異能が、人間の身体能力を向上させるものであれば、視力だって良いはずなのだ。実際、過去の三島の写真にはメガネをかけた姿がない。コンタクトレンズをつけているのはおかしいのだ。


 しかし、それに気付かなかった。三島に一歩先を行かれた。


 壁一面に広がる巨大ディスプレイに映し出された三島の顔が、妙に憎たらしく見える。


「しかも、イカサマだけじゃないわ」


「異能だろ?」


「あなたも気付いていたのね」


「確証はなかったがな」


 アイオスに異能探知機能は備わっている。が、カジノにいる間は反応しないように設定してある。


 異能探知機が反応すると、英司が身構えてしまう。そうなれば、メガネの秘密がバレてしまうかもしれなかったからだ。


「勘付くだけで十分よ」


 凛がキーボードをカタカタと叩き、凛の前にある2つの27inインチディスプレイのうち、左の方に異能の波長を表したウィンドウを開いた。


「この勝負に異能を使用していたわ。でも―――」


「使用していたのは三島じゃない」


 2人は老執事を見た。波長を強くさせていたのは、執事の方だった。そして執事以外にも、波長が強まる部分があった。それは―――


「トランプのカードにも反応がある」


「そう。しかも異能を使ったのは3回目から」


「3回目……!?」


 3回目といえば、英司のイカサマを疑った三島が手札を見なくなった回であり、そしてオープンした手札が役無しだった回である。


「でも手札はブタだったはず…………まさか」


「その、ブタをイカサマで用意したの」


「…………」


 そこまで考えが及ばなかった。


「そうよ。そして4回目はスリーカードを演出。おそらく本当はワンペアだったんでしょうね」


「7は自分で引き当てていたのか」


 三島の手元にある7に、異能の波長はなかった。運を引きつける力もあるとは。


 奴にとって7は本当にラッキーナンバーなもしれない。


 英司は映像を何度も見返し、三島と執事を見比べた。


「ハンドサインも、アイコンタクトも出していない。完全に息ぴったりだな」


 自分とリア以上のコンビネーション。彼らが手を組んだ状態で戦うとなれば、かなり厳しい。


「惨敗ね」凛は大きく息を吐きながら背もたれに体重を預けた。「負けるべくして負けたわ。ギャンブルは、ね」


「ああ、そうだな。奴の異能と警戒すべき点は把握できた」


 笑顔になるのも一瞬、すぐに表情に影が差した。声も暗い。


「あら、浮かない顔ね」


「負けてしまったからな。俺のせいで、三島の記事が書けなくなってしまった。スクープを取ってきた記者に申し訳が立たない」


 気を落とす英司に、凛はきょとんとしたが、すぐに理解した。


「ああ、その話ね。スクープを取ってきたのは私」


「……え?」


「それに、三島のことを記事に出来なくて落胆する人間は、うちの会社にいない。だからアナタが気を落とす必要は無いわ」


「はぁ?」


 英司は脱力した。自分が先程まで感じていた心苦しさは何だったのか。


 ふと、凛が上体を起こし、キーボードを打つ。


「あの執事、見覚えがあると思ったけど」


「見覚え? 有名な元兵士とか?」


「違うわ」


 キーボードを打つ手が止まると、今度はディスプレイを指差す。


 英司はディスプレイに顔を近付ける。

 

 同時に、凛との距離も近くなった。


 不意に匂う良い香りにドキリとして思わず横を向く。


 化粧した凛の横顔が目の前にあった。


 前から綺麗な肌だと思ったいたが、近くで見るとレベルが違った。綺麗なんてものじゃない。そんな言葉では言い表せない。


(こいつ、こんなに――――)


「なに?」


 少しだけ顔を離しながら、英司の方を見た。


「え、ああ、いや」


(馬鹿か、俺は。相手は凛だぞ。なに見惚れてやがる)


「香水キツい?」


 凛は自分の左手首を嗅ぐ。


「いや」


 上手い言い訳が思いつかなかったので、変に言葉を継ぎ足さずにパソコンを見た。


 すると、映し出された映像に、先程まで抱いていた感情が吹っ飛んだ。


「これは……」


 前に見た紫苑と三島の映像だった。三島の後ろに、執事がいた。


「会った時からどこかで見覚えがあったと思ったけど、まさか奴の右腕だったとはね」


「よく覚えてたな」


「アナタとは違うからね」


 ぴしゃりと言われた。


(馬鹿だ俺は。どうしてこんな奴に一瞬でもドキッとしてしまったんだ)


 一生の不覚であった。悔やんでも悔やみきれない。


 それはさておき、面倒なことになってきた。


 常に三島の側に執事がいるとなると、戦う時にもいることになる。


 数での勝負ができない英司にとって、凶悪な異能持ち2人を相手にするのは荷が重い。


 しかも1人は幻覚持ちときた。


 苦戦を強いられることになりそうだ。


「なんとか1人になったところを狙えないかな?」


「さぁ?」凛は老執事が映ったウインドウを閉じた。「まぁ彼への対策は後にして、次はこれを見るわよ」


 接続していたアイオスを抜く。


「ご苦労様。おやすみ、ダイヤ」


 アイオスのフレームにキスした。


(この愛が人間にも向けばなぁ……)


「ダイヤは人間で、アイオスは現実世界という宇宙を旅するための宇宙服」という、凛の言葉を思い出しつつ、英司はしみじみ思った。


 ダイヤを搭載したアイオスを優しくしまい、カジノに持って行ったハンドバッグからジョーカーを出す。


「何を見るんだ?」


 まぁ見てなよ、と言うような表情を浮かべてキーボードを叩く。

  

 ディスプレイに流れる映像は、見覚えのない場所であった。床の色からおそらくカジノ・セカンドであることは予想がつく程度。


「言ってなかったけど、カジノ・セカンドの地図を極秘に手に入れていたのよね。その地図を頼りに、三島の自室にジョーカーを派遣させてた。アナタがブラックジャックやポーカーやってる時にね」


「抜け目ねぇな」


 英司にも秘密にしていたのは、伝えるメリットとデメリットを熟考したうえでの行動だろう。


 もし英司に事前に伝えていたら、不自然に時間を引き延ばしていたかもしれない。そうすれば三島に怪しまれる。


 そのことを説明しなくても、英司は一瞬で理解した。

 

 それに、最後まで説明しなくても英司は凛にわだかまりを持つことはない。英司が凛からアハトの力を授かる条件の一つに、”どんな状況でも凛を信じ、従う”がある。


 信じ、従うことが出来なくなったその時は、アハトの力を脱ぎ捨てる。


 2人でジョーカーの映像を注視する。


 蜘蛛型ロボットだからか、映像を見ているとさながら蜘蛛になった気分だ。


 本棚が高層ビルなみに高く見える。


 椅子も奇抜きばつな建築物に見えてきた。


 壁をい上がり、天井にたどり着くと、ダークグレーのノートパソコンを発見した。


「わりと古い型を使っているのね」


 ノートパソコンを発見したジョーカーは、その真上に着くと、つーっと蜘蛛さながらゆっくり降りる。


 そして、ノートパソコンのUSBコネクタに張り付く。


「まさか、データを抜いているのか?」


 ええ、と答える凛に英司は驚愕した。冗談じゃない。

 

「これ、凛が操作しているのか?」


「まさか。自動よ。そのようにプログラムしたの」


「マジかよ。恐い時代になったものだ」


「大丈夫。この技術を発明したのは世界中で私だけで、この技術を知っているのは世界中で私達だけ。発表する気もない。人が正しく使えるのは当分先だもの」


「そりゃよかった」


 技術が普及したら確実に悪用される。


 おちおちパソコンにデータも残せておけない。


 とんでもない技術を持ったジョーカーの記録した映像を一通り見たが、怪しい場面はなかった。


 むしろ、ジョーカーが一番怪しかった。


「じゃ、データを拝見しましょうか」


 凛が滑らかに操作し、2人で抜き取ったデータを見ていく。膨大な会社のメールや報告書1つのデータにたどり着いた。


 タイトルは『Speechless Beauty』。


「無言の……美女?」


「悪趣味なタイトルね」

 

 データを開こうとすると、パスワードを要求された。


「パスワードか…………解けるか?」


 英司の問いかけに凛は答えず、顔色一つ変えず、怪しげなアプリを起動した。


 そのアプリの中にパスワードがかったデータを入れる。


 すると、すぐにパスワードが解除された。


「なぁ、どんな裏技使ったんだ?」


「話すと30分かかるけど」


「やめておこう」

 

 気を取り直して、データを開く。


 画面に表示されたのは、『Speechless Beauty』と書かれた表紙だった。


「もしかしたら、しゃべれない美女、かもね」


 ポツリと言った凛の言葉に、英司は胸騒むなさわぎがした。何か、日本の闇を見るような、そんな恐れを抱いた。


 2枚目から文章に入る。


 日付と文。


「日記か」


 最初に書かれた日付は約1年半前。


 最初の一文には、こう書かれた。


『10月7日、戸籍にも登録されない非力で無能力の子どもを10体ほど手に入れた。今日からこの子どもたちを恒常的こうじょうてきに異能を発現出来る異能者にする、偉大な計画が始まる。』

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