第11話 Speechless Beauty
10月21日
子ども達に手術を行い、薬を投与してから2週間が経った。異能に身体が慣れていないせいか、何回か使うだけで立てなくなるほど疲弊する。まだまだ実用には程遠いが、薬による異能発動が認められた。定着するまで薬を投与する必要があるだろう。
実験は始まったばかりだ。焦る必要は無い。
11月11日
被験体Ⅲが暴れ出した。一緒にいた被験体Ⅳを殺し、
リーダーの協力を
副作用による暴走、と中島は推測した。薬を与えすぎだとも。明日からは投与に気を付けなくてはならない。
11月14日
手術がどうにもうまく行かない。脳が繊細過ぎる。少しのダメージで動かなくなる。動物と違い、処分するのも調達するのも面倒だから失敗しないでもらいたいのだが。
いや、
職員は身を粉にして研究に没頭している。私が出来ることを最大限行うだけだ。
11月18日
また1体、動かなくなってしまった。薬の投与には細心の注意を払ったというのに、だ。植物状態のように、目を開けたまま動かない。中島によると薬によって与えられた異能に、脳が追い付かなかったようだ。
多数決の結果、被験体Ⅸを殺処分とした。これで残る被験体は3体。新しい被験体を用意せねば。
ここまで犠牲が多いとなると、薬に問題があるとしかいえない。新しい試みが必要なのかもしれない。
※※※
「……………」
約4、5日に1回のペースで書かれた日記を読み進めていくなかで、英司は言葉も出ないほど憤った。
無意識に拳を握り、歯を食いしばっていた。
こんな事が許されていいはずがない。
「落ち着いて。恐い顔よ」
画面を見たまま凛が言った。
「そういうお前だって目付きが恐いぞ」
「……私はいつもこんな目付きよ」
ぶっきらぼうに呟く凛の瞳は、明らかに怒っていた。目で人を殺せるほど鋭い。
そんな目付きのまま、凛はキーボードを高速で叩く。
エンターキーを押すと、ディスプレイに30代くらいの男性の顔写真があらわれた。
その下には、”
「この中島という男。元第二東京大学医学部の助教で、異能に関する分野を研究していたわ。経歴的には一流と呼べないけど、将来を有望されていた人間ではあったらしい」
「なんで辞めたんだ?」
「さぁ? 辞めた事実よりも、違法な研究所にいる事実の方が大事だわ」
「……そうだな。しかし、そんな人物がテログループに所属しているとはな」
どうしてその
2人はそのまま日記を読み進める。
※※※
1月8日
ついに被験体Ⅱが死んだ。これで最初の被験体全員が無くなってしまった。
このご時世、良質な被験体を手に入れるのは難しいが、資金と資源を用意するのが私の責務だ。1年やそこらで成功するとは思っていない。耐える必要がある。
3月29日
被験体の死亡数が50を超えた。上手くいかない理由はいくつもある。
我々は発想を変える時が来のかもしれない。子どもを手に入れるのではなく、作るものだと。
7月3日
受精卵にいれて無理矢理成長させてから数か月、ついに3体誕生した。
人間なのか、生命物体なのか、わからないがこの3体をX1、X2、X3と名付けた。名前は成功してから付ければいい。
この3体から、無能力者を異能者にする手がかりを得たい。
9月10日
X1の成長が突如止まり、奇形化した。もはや人間ではなかったため、即廃棄した。焦って駄目にしては意味が無い。X2とX3はもう少し成長スピードを遅らせよう。
10月23日
X2に続きX3も成長を止め、心臓が動かなくなった。
行き詰まる研究に皆の士気が下がっている。非常にマズイ状況だ。
10月24日
新しいことにチャレンジすれば、失敗もたくさん経験する。当然のことだ。誰も通ったことの無い道を歩くのだ。転んだり、手を切ってしまったりすることは当然だ。まだ見ぬ毒蛇や人喰い虎が出ることは当然なのだ。誰も通ったことが無いのだから。
それを私は忘れていた。愚かだ。本来の目的を見失ってしまった。この結果、時間を無駄にしてしまった。
原点に立ち返り、無能力者を異能者にする方法を探るのだ。
進み続ける限り、いつかたどり着く。
明日は久しぶりに職員と飲みに行こう。彼等にも休養が必要だ。
11月4日
アハトという鉄の鎧を着た人間が巷で暴れ回っていると、幹部会で上がった。リーダーはアハトの行動に注意しつつ、遭遇したら対処しろとのことだった。研究所が狙われるとまずい。紫苑ちゃんが率いるチンピラグループに武器を回して叩いてもらおう。
12月7日
ついに実験成功者が現れた。
被験体
やはり7という数字は私に幸運をもたらすラッキーナンバーだ。
だが、気を抜いてはならない。ここからが本当の始まりなのだ。
無能力者を異能者にする方法を。
彼女からたくさんのデータを集めなければならない。
※※※
「実験の……成功者」
「ついに成功してしまったわね」
「……それまでに犠牲になった人達は」
それ以上は言葉にならなかった。
怒りはすでに臨界点を超えている。
今度は悔しさが込み上げてきた。自分達は彼らを救えずに終わってしまった。
三島の、ひいてはワールドペインの企みにもう少し早く気づいていれば。
しかし、いくら悔やんでも過去は戻せない。失ったものは、二度と取り戻せない。
英司が出来ることといえば、研究所を潰し、新しい犠牲者を生み出さないことだけだ。
※※※
12月14日
被験体
そこで我々は特殊な培養液に浸すことにした。少しずつなじませるように。ここで焦ってしまっては、せっかくの成功例がつぶれてしまう。焦ってはならない。
12月18日
しかし、ひとたび命令すれば、完遂するまで従う。異能もコントロールできる。
問題は、喋れないことだろう。いくら言葉をかけても交わさない。
コミュニケーションが取れないのが難点だが、それでも成功である。大事に育てていく。我々に足りなかったのは真心だ。
実験の成功を祈願して、研究名をSpeechless Beautyとする。彼女が我々の希望だ。
4月8日
数々の実験をクリアし、培養液に入る頻度も減った。
それと今後は
完成まであと少しだ。アハトや警察に気付かれる前に、実験を
4月28日
アハトが紫苑ちゃんを倒したという報告が入った。それに伴い、奴への警戒レベルを一段階上げた。
また、アハトにこの工場を襲撃される恐れを考え、研究所を海外に移転する話が出た。
冗談じゃない。
研究員には家族がいて、暮らしがある。暮らしを守るために、成果を出そうとして一生懸命働いている。それなのにあと少しのところで海外に移転など、馬鹿げている。何としても阻止せねば。
4月30日
抗議も空しく、
場所はアフリカ拠点のどれかになるという。SBもアフリカで研究されることになる。移転日は
SBを最後まで見届けたかったが、幹部会の決定には従わなければならない。それが幹部の掟であり、幹部になった者の義務だ。決定を無視して動いては、幹部会軽視にあたる。部下にも示しがつかない。それに厳しい制裁もある。
悪いのは現場の感情を無視した決定になったことではなく、幹部会をまとめきれなかった私だ。
しかし、無念である。
※※※
「移転……」
そう呟いたあと、凛は暗いため息を吐いた。アフリカともなると手を出しづらい。単純に距離が遠いし、海外で下手に暴れると行うと国際問題になる。
かといって、ロクな調べもなく研究所を攻めれば、返り討ちにあう。
日記にある通り、移転の際は幹部が護衛につく。
もしかしたら、移転準備中も安全のためにワールドペインの幹部達が護衛するかもしれない。
幹部2人相手には、5分と持たず殺される。
しかし、モタモタしていれば、被験体がアフリカへ渡ってしまう。
救出出来ないだけでなく、兵器として我々の前に立ちはだかってくるかもしれない。
そんな事態は、絶対に招いてはならない。
(どうするべきか)
顎に手を当てて考え込む凛に、
「俺が出る」
英司は
「待ちなさい」
決して大きくない凛の声が鋭く響く。
「ちゃんとした対策も立てず、感情だけで先走っても待つのは死だけ」
「だったらいつ行くんだ?」
英司は凛の方へ振り返った。
「モルモットにされている人間は今も苦しんでいる。俺達が準備に時間を費やすたびに救える人間が減っていく」
「アナタが死んだら0よ。それだけじゃない。アハトも奪われる」
「自爆装置があるじゃないか」
アハトには奪取を防ぐために背中に爆弾が埋め込まれている。
世界の数歩先を進む織部凛の技術の結晶をテログループに奪われてしまっては、世界に危機が訪れる。
「あの爆弾は半径15mに入ったものを吹き飛ばす。近くに人間がいたら確実に死ぬわ。救出対象を巻き込むかもしれない」
黙る英司。
「もしかして、あの子と重ねているの?」
「重ねてるよ」
英司の声には、今までの理不尽に対する怒りや悲しみ、憎しみが全部が詰まっていた。
「だが、それだけじゃない。もし俺が彼女らを救えるとしたら、今日しかないと思っている。日記の日付を見てくれ」
凛は英司に言われた通り、日記の日付を確認した。
「……なるほどね」
英司は凛に近づき、日記を上にスクロールする。
「奴は多忙だ。毎日研究所に行っているわけじゃない。奴は最初の1週間を除いて必ず2日以上間隔をあけて研究所へ行っている。奴が最後に研究所に行ったのは、昨日」
「だから今日は来ない。そう言いたいのね?」
ああ、と
「移転する日は明後日。ここには必ず来る。前日も来る可能性が高い。だから今日は来ないはずだ」
「甘いわね」
強い意志を灯した英司の目と、凛は真っ向から対峙した。
「平時なら私もアナタの意見に賛成したわ。しかし今は移転時。来る可能性は高い」
「それならそれでいい。奴をぶちのめすだけだ」
英司はディスプレイに表示された三島を睨む。その目に凛は危機感を覚えずにはいられなかった。
今の英司は完全に熱くなっている。
この状態で三島と彼の執事に遭遇したら、間違いなく負ける。
さきほどのギャンブル対決で三島の度胸と
加えて今日の英司は、慣れないカジノに行って疲れている。
経験でも能力でも劣っている相手に、体力や心が良好でない状態でどうやって勝てというのだろうか。
「行かないとは言っていない。焦る必要はないと言っているの。負けたら元も子もないのよ」
「幹部2人なら勝つのは難しいが、1人なら勝てる。実績も自信もあるさ」
「それが甘いって言ってるの。この間の幹部は相性で勝った。それに、アナタ1人では負けていたわ。今回は私の支援すら望めないかもしれないのよ?」
「だからどうした?」
英司は必死に訴える被告人のような目を凛に向ける。
「俺が戦う理由は勝つために戦っているんじゃない。奴らに恐怖を刻むために、そしてアイツのような被害を受ける人間を二度と出さないために戦ってる。もう救えないのは嫌なんだ」
最後の言葉は、英司の悲痛な叫びだった。決して癒されることのない、永遠の傷。憎き犯罪者を叩き潰すことのみ、痛みが止まる。
「俺は行くぜ」
「アナタが負けたらそれも達成できない」
「負けても俺の代わりはたくさんいる。そのための鎧だろ」
「でも、あの子を本気で思ってくれる人はこの世からいなくなるわ」
「お前がいるだろ」
英司の発言に、凛が言葉を失う。
「お前がいるから、俺は戦えるんだ。日記を見る限り危険なことをやっている。手遅れになったら俺は、凛の制止を振り切れなかった自分を一生許すことができない」
視線がぶつかる。互いに譲れない信念があり、拭えない過去もある。
張り詰める空気。空調制御とパソコンの動作音しか聞こえない。
それを破ったのは、
「はぁー……」
凛だった。
「負けることがあれば、私は
それが凛の妥協点だった。どう
が、英司の気持ちも痛いほど分かる。
だからこその歩み寄りである。
「構わない」
凛はすぐさまキーボードを素早く叩く。
「日記の日付を元に、三島と研究所の道のりを割り出す。少し時間がかかるわ。その間、ハーブティーを飲みながら少し仮眠をとりなさい」
「了解」
英司は凛の言う通り、カップにハーブティーを注ぎ、ソファベッドに座る。
ハーブティーを飲むと、爆発していた怒りも憎しみも少しだけ
すると、今度は疲れが徐々に押し寄せてくる。
目を
深い暗闇が迫ってくる感覚がした。
3分も経たずに眠りに落ちた。
※
「実はね。アハトの中の人は、ユウみたいな未成熟な男なんじゃないかなって思っている」
VIPルームにて、三島は官兵衛に言った。
「ユウみたいな、ですか?」
「ああ。あの一人前になろうとしてなれない、どこか若さがあるあの感じが、ユウと似ている。犯罪者を自らの手で潰そうという子ども
「そうですね」
「だがアハトは自警を選んだ。犯罪にも関わらずね。あれはきっと、過去に相当なトラウマを残しているよ。おそらく、両親か親友、恋人とのどれかを殺されたかな。もしかしたら子どもかもしれない。そして、加害者は捕まってないか、軽い刑で刑務所暮らしと言ったところか」
「なるほど」
「さて、中身はどこの大富豪の息子かな」
幹部会の共通認識として、アハトの中の人物は金持ちであるという認識がある。
最先端技術を詰め込んだ物と一目見ただけでわかる鎧を手に入れられるのは、本物の金持ちしかいない。
「大富豪ではなく、大富豪の息子ですか」
「ああ、きっとね」
「大富豪の息子が、ですか」
「金持ちの家に生まれた子どもは、
「それは偏見だよ」
三島が笑って諭すと、「失礼しました」と官兵衛が笑った。
「慈善活動に熱心で、穏やかな親ならば、子どもは悪を絶対に許せない、心狭い人に育つよ」
「心狭い……たしかにそうかもしれませんね」
「だろう? 綺麗事で成り立つほど、世の中は単純に出来ていない。事業を起こせばわかるよ」
三島はここまでの地位に昇りつめるまで、綺麗事がどれほど美しくて、この世に存在しないかを知った。
綺麗事は実行するためにあるのではなく、自分を
「そういえば、官兵衛はアハトを見たことがあるかい?」
「いえ、はっきりとは」
「一度見てみるといい。現代美術と最新技術の見事な融合だよ」
官兵衛は感嘆した。
「貴方様がそこまで言うのであれば、見てみたいものです」
「悪いことをしていれば会えるよ」
「なら早いうちに会えそうです」
2人は悪い顔で笑った。
「まぁいいさ。どちらにせよ、奴が活躍できるのはあと数か月。もうじき、彼が帰ってくるからね」
独り言のように呟いたあと、三島はシャンパンをまたも飲み干す。
すかさず官兵衛が注ぐ。
「しかし、官兵衛は聞き上手だね。少し長く話してしまったよ。今日はもう上がっていいよ。残業代も
「ありがとうございます」
しっかりとお辞儀した官兵衛は、シャンパンにソーダキャップをつけ、冷蔵庫の中に入れた。
そして部屋を出る時に、三島の背中に向かってもう一度頭を下げた。
見ていないところでも律儀な官兵衛を、三島はとても気に入っていた。
官兵衛が出て行ったところで、シャンパンに口をつけた。
VIPルームの窓から店内を見下ろしながら、三島は思考する。
(拍子抜けした。織部凛。意外と見る目がないな)
織部凛は、三島が本気で好きになった数少ない異性のうち1人だ。
未だ成長し続ける織部企業。
そこの入社試験の最後は社長面接がある。
織部凛直々に、面接者を品定めするのだ。
あれほど成長した企業をつくっているということは、相当な人を見る目がある―――と三島は思っていたが。
(若さに飢えて、選球眼が鈍ったか?)
三島は
(つくづく、歳は取りたくないな)
20代前半の時にあった底知れぬパワーも、今は落ち着いてきた。昔のようにバリバリ働くのも、体力的に厳しくなってきた。
(それにしても)
左腕の織部企業が作ったスマートウォッチに目をやる。
(移転まであと2日。移転の日は手が空いている幹部達も来てくれるというが……)
幹部会ではそれなりの面子が来てくれることになっていた。
しかし、三島は移転の成否はあまり関心がなかった。
移転を止められなかったこと、それだけが気がかりであった。
アフリカに移転すれば、自動的にアフリカチームとも協力する。
ほぼ成功している研究にアフリカチームの名前が刻まれる。
三島的には、絶対に許せないことだった。
技術の流出も気掛かりだが、一番は名声が欲しかった。
偉業を成し遂げた、という名声が。
そのために大金をつぎ込み、リスクを冒してまで研究を行ったのだ。
それを横取りされるなんて、到底許されることではない。
今まで色々と切り詰めていた研究者たちにも申し訳が立たない。
そう考えていくうちに、アハトに対してどんどん怒りが込み上げてきた。
(—――っ)
窓に映る自分の強張った顔を見て、三島はため息をついた。
(ダメだな。決まったことに腹を立てても仕方が無い)
こういう時は、怒りを他のエネルギーに転換して発散したほうがよい。
三島はズボンのポケットからスマートフォンを出し、連絡帳から女優の名前をタップした。
連絡すると、すぐに返事が来た。あと30分ほどでカジノ・セカンドに着くという。
(今夜はこの子で発散させてもらおう。)
シャンパンを飲んだ三島は、ふと、VIPルームの窓にユウの顔を思い浮かべる。
頭の中で何かが弾けた。
しまったスマホをもう一度出し、電話をかける。
「あー、もしもし。僕だよ。…………仕事を頼まれてくれるかな。…………うん。ある人の素性を調べて欲しくてね。僕のカジノを荒らした、ユウという人間をね」
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