第8話 Maximum Bet

 ――――明るい。 


 見慣れない光に英司は、凛お手製のマニュアル本から顔を上げた。


 後部座席の車窓から見える眩しい景色から、カジノ・セカンドがある地区—―――通称サンアイランドシティに入ったことがわかった。


 アイランドと名称についているが、島でも埋立地でもなく、横浜市や川崎市とは陸続きの内陸である。


 サンアイランドシティの由来は、三島のサンと島の英語をくっつけた呼び方で、三島・クロスロード・譲二がカジノを建てたことによって、辺鄙へんぴな土地が急に栄えたからである。


 当初は三島シティの予定だったが、それだと格好がつかないと譲二が譲らなかったためである。


 さて、日本で唯一のカジノがあるサンアイランドシティは現在、成金の一大テーマパーク地区となった。


 サンアイランドシティとはよくいったもので、その名の通り街全体が明るい通り越して眩しい。建物を始め、プール、観覧車、はたまた道路まで光っている。そのためサンアイランドシティの夜空は明るく、月すらぼやける。


 そんな光輝く街を見た英司は、あまりのきらびやかさに嘆息たんそくした。果たしてここは本当に日本なのだろうか。


「最近、サンアイランドシティ内で路上寝禁止の条例が出たわ。ホームレスを閉め出して、観光地としての質を上げるみたい」


 隣に座る凛は、頬杖ほおづえを立てながらつまらなそうに窓の外を見ている。彼女も英司同様、カジノ用に着飾っていた。


 体の線が浮き出るロングドレスは、凛の体型の良さを見せている。程よい胸部から引き締まった腹部。細く美しく傷一つない脚には、英司でも見惚れてしまった。


 あんな引きこもり生活を送っていてどうしてそのような体型を維持できるのだろうか。見えないところで努力しているんだろうか。


 髪型も編み込んだ髪をハーフアップしていて、ドレスとよく合っている。


 ドレスからはみ出る脚は、特にずるい。脚を組むというポーズがあんなに美しく見えるとは思わなかった。


 ふと、窓から差し込む淡いライトに照らされた彼女のアンニュイな表情に珍しく目が留まった。


(ホント、黙っていれば綺麗なんだけどな……)


 紅く綺麗な口紅が塗られたなまめかしい唇を何となく見惚みとれていると、


初めて来た印象はどう?」


 急に唇が動き、ドキッとする英司。気付けば、凛が無感情な目を英司に向けていた。


「…………なに?」


「いや、別に」


 英司は顔を逸らした。見惚れてたのがバレたら、からかわれる。


「そう、ならいいけど。で、どう?」


「まぁ、金持ちになった気がして悪くない」


 英司がサンアイランドシティに入るのは今回で二度目である。最初に入ったのは、アハトとしてである。


「そう」


 凛は再び車窓に目を向ける。


「あと5分で目的地に着くわ。準備しといてよ」


「わかってる」


 マニュアル本を横に置いた英司は、座席間に備え付けられた肘掛ひじかけのくぼみに人差し指を入れて、グッと押す。


 カシャッ、と肘掛けのクッションが後ろへ下がり、カラーコンタクトやメガネなどのアイテムが現れた。


 慣れた手付きで身につけていく英司。最初はコンタクトをつけるだけでも1時間ほどかかったが、今は10秒あればつけ終わる。違和感も感じなくなった。


 最後に後部座席に備えられた鏡を見た。


 身だしなみは問題ない。


「完了だ」


「そう、じゃあこっち向いて」


 英司が凛の方を向いた。じーっと見て上下を見たのち、首元に凛の綺麗な両手が伸びて、


「…………………きちっと締めなさい」


 第2、次いで第1ボタンを閉じ、最後にネクタイをきゅっと上まで締める。


「これで良し」


「首がキツイんだよなぁ」


「我慢して。緩いとだらしないわ」


 最低でも1時間は、この息苦しさと向き合わなければならいと思うと気が滅入る。だが、泣き言は言っていられない。


「じゃあ、最後に作戦を言ってみて」

 

「ブラックジャックで荒稼ぎし、獲物をおびき寄せる。それだけだろ?」


「ええ、あくまでブラックジャックのみよ。熱に浮かれてバカラとかポーカーとかやらないでよ。ましてやルーレットなんて絶対。メッキ、がれやすいんだから」


「わかってるよ。子どもじゃあるまいし」


 英司の言葉に「はあー」と凛が大きく溜息をつく。


「一番懸念してるのはヒューマンエラーよ。リアもいないし」


 今回の作戦で英司をバックアップするのは”ダイヤ”と名付けられたカジノ特化のAIだ。凛によると、冷たくぶっきらぼうなお姉さん設定らしい。でも給料分の仕事はしっかりする省エネお姉さんだそうだ。ついでに、リアは非番ということになっている。英司は適当に相槌あいづちを打って、聞き流していた。


 どんな性格だろうとAIはAIだ。しかも凛が生み出している。仕事はきっちりこなすはず。


「起こしたことないだろ」


「この間、あの女城ケ崎に勝手に接触したのは誰だっけ?」


 糾弾きゅうだんするような目で見てきた凛。返す言葉が見つからなかった英司は、逃げるように窓の外を見た。


 道路と道路の間にある細長い池の噴水が優雅ゆうがに舞う。その奥に、金色に輝くイスラム風の宮殿があった。タージ・マハルを連想させるあの建物こそ、三島・クロスロード・譲二が人生をかけて作り出した夢の結晶—―――カジノ・セカンド。


「高そうな車ばかりだな」


 対向車線を通る8ケタ越えの高級車を見て、英司は思わずぼやいた。日本で年収1000万越えの人が1%って、本当なのか疑いたくなる。 


「いいよなぁ、俺もあんな車乗ってみてー」


「興味ないわね」


 そんな凡人の考えを凛はスパッと斬り捨てた。


「そりゃあ、お前の年収じゃ10台でも20台でも買えるだろうけどよ。俺のような庶民は車を持つことすら大変なんだぜ」


「既製品レベルの性能しか持ち合わせてない車に興味はない。今の時代はワンオフよ」


「ワンオフ?」


「その人専用機って意味」


「へぇー」英司は座席をポンポンと叩く「じゃあこの車も、他とは違うってわけか」


「もちろん」


「へぇー、何が違うんだ?」


「空が飛べる」


「……………………それはすげぇや」


 凛の予想外の台詞に度肝を抜いたところで、ついにカジノ・セカンドの入口を通過する。


 英司は気を張った。変装しているとはいえ、顔をさらす以上、ミスは許されない。


「シャキッとし過ぎない」


 不意に、横から言葉が飛んできた。


「こういうとき、かっこいい男なら余裕持ってエスコートするものよ」


 緊張しているのが見抜かれ、英司の頬が急に熱くなる。


「……俺に100億は重過ぎるんだ」


「あら、カードならたった一枚よ」


 さっとブラックカードを出してくるあたり、やはり好きになれない。


 重苦しそうな顔をする英司に対し、


「私ね」


 と、凛は英司の目を見る。


「あなたの、私を見る目だけは気に入っている」


 そう言う凛の顔は――――


「自分が16歳の美女だってことを、思い出させてくれるから」


 ――――――幾万いくまんの星よりも輝いていた。


「自分で美女なんて言うかな」

 

 英司はくすりとした。


「こう見えても私、美しすぎる社長ってネットで取り上げられているんだよね」


 車が入口で止まる。


「さ、エスコートして。英司」


 ドアマンが車のドアを開ける。緊張はもう、ない。


「ああ、凛


 最初に降りた英司は、車の中へ右手を差し伸べる。その右手に華奢きゃしゃな左手が乗せられる。優しく握り、ゆっくりとすくい上げる。


「ありがとう」


 凛のクールな笑みに、ドアマンが息を呑んだ。


 暗い車内から現れた凛の口紅と同じ紅いドレスは、カジノの光に照らされて燦然さんぜんと輝く。


 透き通った肩、程良い胸元、細く傷一つない脚を周りに見せる。しかし、はしたないイメージは無く、むしろ高貴さを感じる。まさに、お嬢様である。


「さ、いきましょう」


「ああ」


 ハイヒールをかつかつと鳴らして、カジノ・セカンドへ入っていく。


 客の視線が凛に集まる。そして口々に彼女の名前と疑問を呟いていた。


 織部凛が有名人であることを英司は思い出した。当の本人は慣れているせいか、注目されても一切気にかける様子はなかった。


 従業員は、凛の姿を見るなり急いで彼女のもとへ駆け寄った。


「織部様。お越しいただき、とても感謝しています。しかし大変恐れ入ります。当店、18歳未満の方の入店は禁止されています。ご引取り願えますか?」


 若い青年従業員が、努めて冷静に言った。


「入店禁止は、あなたのお店のルールでしょ」


 凛は毅然きぜんとした態度に、従業員は少し気圧される。その最中、英司は入口付近の自動販売機に向かった。


「法律上、入店は出来るのよ。遊べないだけで」


「しかし—――――」


「これ、見える?」


 凛はハンドバッグから三島社長直々の招待状と入店許可証を見せる。すると従業員がたじろぎ、姿勢を改め始めた。


 缶ジュース片手に戻ってきた英司を見た凛は、謝罪を聞く前に、


「今日遊ぶのは私じゃなくて、彼。大丈夫、彼は18歳を超えてるわ。なんなら証明書を見せてもいい」


「いえ、大丈夫です。失礼しました」


「そう。では」


 頭を下げる従業員の横を2人は優雅に通りすぎていった。


「しっかり働くのね、彼ら。顔付きも良い」


 凛は心底感心していた。


「そりゃそうだろ。仕事だから」

 

「楽しそうに仕事する人って、いないのよ意外と。あなただって嫌な顔するじゃない」


「俺のは仕事じゃないからな」


「あら、誰の金で一人暮らし出来ると思っているのかしら?」


 痛いところをつかれた英司は、凛から顔をそむけた。やはり口では勝てない。


「さて、そろそろ準備—―――」


 小声で話しかけてくる凛に、


「もう出来てる」


 一瞬驚くも、すぐにニヤリとする凛。


「それは結構。じゃあ、始めましょうか」


「ああ」


 ジュースを一気に飲み干した英司は、缶を近くのゴミ箱に捨てた。メガネをくいっとあげ、ブラックジャックエリアに足を踏み込む。


 どこのテーブルも活気付いている。スーツをかっちり着たベンチャー企業の社長っぽい男性や、露出度の高いドレスを着た大学生くらいの女性が、トランプの数字に一喜一憂する。


 その様子を楽しみながら5分ほど歩き回った後、英司は1つのテーブルについた。英司が座ったことで、そのテーブルは満席となった。


 可愛いディーラーが、スマートに挨拶する。英司も軽く挨拶をしたあと、大金をテーブルの上に置いた。


「チップと交換してくれ」


 大量のチップとなって、英司のもとに返ってくる。


 周りの人々が英司に注目する。後ろに凛がいるのも理由の一つだが、一番はこのテーブルがブラックジャックエリア内で賭け金が最も高額なテーブルだからである。


「では、続けます」


 凛に一切動じることなく、ディーラーが慣れた口調でゲームを開始した。


 英司は笑みを浮かべた。これからこのテーブル―—――いや、カジノを食い尽くしてやる、という狩人の笑みを。


 ※


 英司が座っているテーブルの周りが、どよめいていた。


 大勢が英司のもとに集まり、彼の前に積み上がったチップの山に瞠目どうもくする。


 始めた時よりも約5倍、チップが増えていた。


 異様な空気が漂うなか、最後のゲームが始まる。


 英司は上限一杯の額を賭けた。テーブルが再度どよめく。


「えぇい! ツキまくってる君に賭けるっ!」


 隣の陽気な老人も、英司と同じ額を賭けた。


「よろしければ……」


 ディーラーがプレイヤーを見渡す。


ファイブボックス、ノーモアベット」


 ディーラーがクールな表情で、英司含む5人と自分にカードを配る。


 英司のもとに配られたのは7とJで、合計17。他のプレイヤーも右から19、12、14、16。ディーラーは6。そのうち12と14のプレイヤーがカードを追加し、2人とも絵札を引いて21を越えて賭金とカードを没収された。


 英司はステイカードを追加せず


 運命の時。


「オープン」


 ディーラーが自分のカードを開ける。


 ディーラーのもう1枚のカードは8で、合計14。ルールにより追加でカードを引く。


 出たのはクローバーのKキングバースト21を越えた


「オーバー」


 三度みたび、どよめく。


「おお! きたぞぉっ! 君のおかげだ!」


 喝采かっさいする陽気な老人。

 

 ディーラーの敗北と同時に、英司のもとに大量のチップが置かれる。


「どうもありがとう」


 さも当然のように言い、英司は席を立った。その後ろを凛が歩く。彼女まだ満足そうにしていない。勝つのは当然。まだまだ喰い切れてない。


 英司はものの10分で300万ほどを稼いだ。それだけでもカジノ・セカンドで初めてのことなのに、英司はまだ止まらない。


 その表情と賭け方に監視員とディーラー、そして監視カメラで見ていた支配人に一つの疑問が思い浮かぶ。


 —―――カードカウンティングが行われているかもしれない。


 カードカウンティングとは、場に出たカードを記憶し、まだ未使用の山札にどのようなカードがどれほど残されているかを把握する戦術のことである。これは昔からある方法で、行うこと自体は違法ではない。


 カジノとして重大な問題は、カードカウンティングをである。


 支配人は監視カメラで英司と凛の動きを見ながら、顎に手を当てて黙考もっこうする。


 カードカウンティングを行っている人物を特定することは難しくない。少額で賭けていたプレイヤーが、いきなり高額で賭け始める。このような場合はカードカウンティグが行われている可能性が高い。


 その場合、そのプレイヤーには即刻そっこく帰ってもらう。


 カジノでは店側に不利な客のプレイや入店を拒否する権利が認められている。カジノ・セカンド含むサンアイランドシティのカジノでは、カードカウンティングを行っていると見なされたプレイヤーは例外なく追い出される。悪質な店では、裏に連れていかれて制裁されることもある。


 まなた、一度でもカウンティングを行った人間はブラックリストに乗り、カジノ間で共有される。こうなったらもう、普通にプレイするのさえ難しくなる。


 それだけカウンティング行為は重い罪なのだ。


 しかし英司の場合、突然参加しては大金を賭ける。


 一見、金持ちの遊び方に見える。


 が、カウンティングしていないならテーブル選びに5分もウロウロすることはないし、遠く離れたテーブルに早歩きで一直線に向かうこともない。


 最初は凛が指示を出しているのかと思ったが、彼女はずっと英司の隣にいただけで指示を出す素振りは一切見せなかった。そのため、カウンティングしている可能性はかなり低い。


 となると、別の協力者がカウンティングし、英司に指示を出したはずだ。


「あの表情、勝つのがわかっていたかのようですね」


 監視カメラ映像を拡大して見ていた部下の言葉に、支配人が頷く。


「ああ、そうだな」


「やはり、異能は使われていないんですよね?」


「ああ、探知機は反応しない。そもそも彼は健常者だ」


 基本的にカジノでは異能自体、発動してはならない規定になっている。自動的に異能が発動してしまう異能者は、そもそも入店出来ない。


 異能によっては、カジノ側に尋常ではない損失が出てしまうからだ。


 そのため、カジノの入り口にはもちろん、店内のあらゆるところに異能探知機が設置されている。波長が強くなった瞬間に、屈強な従業員達が異能者を取り囲み、獲得したお金を没収して追い出す。


 しかし、現在の店内では異能を使っている客は1人もいない。波長の著しい乱れもない。


 つまり、異能に頼らずカードカウンティングを行なっているのだ。


 ちっ、と支配人は思わず舌打ちした。


「絶対にやってるはずなんだ…」


 本来ならばマニュアルの”疑わしきは罰しろ”に従い、お帰りになってもらう。


 しかし、大企業の社長でオーナー三島の紹介で来店した織部凛とそのパートナーを無下に帰らすのは難しい。


 織部財閥は業界一の出版社を持っている。敵に回すとかなり厄介だ。場合によっては、手痛いしっぺ返しを受けることもある。


 ノイズ音を経て、部屋のスピーカーから監視員の声が響く。


「支配人、どうしますか?」


 屈強な監視員が、レンズ越しにいる支配人を見据えるように監視カメラを見上げた。


「次のプレイを見て決める。焦らず、でもしっかり見ろ。同じテーブルの客にも気を配れ。小さな仕草も見逃すな」


「了解です」


 監視員の目が光る。


 せめて、英司とチームを組んでいる人間は誰か、そしてどのようなサインが出ているかは暴き、それを突きつけなければ。


 でなくては、カジノ側の敗北を意味する。


 カジノ側が奮闘する一方、英司はノンアルコールカクテルを飲みつつ、ブラックジャックエリアを4分ほど彷徨うろついたところで、次のテーブルについた。


 たくさんの野次馬がつく。そこに覆面ふくめん監視員も混ざる。


「サインをした様子は見られません」


 監視員が支配人に小声で伝えると、


「こちらで巻き戻して調べてみる」


 支配人は隣にいる部下に録画検証を指示し、自分はモニターを注視した。


 社長はカウンティングを良しとしない。どうカウンティングしているのか見破れなかったら、カジノの損失が増える。そうなればカジノの運営はもちろん、自分たちの定年も危うくなる。


(絶対に暴く……!)


 モニターに映る英司と凛を睨んだ。


 それを知ってか知らないでか、英司は嘲笑あざわらうように高額を賭ける。


シックスボックス、ノーモアベット」


 今度は20代後半の大人の品格を纏った女性ディーラーがカードを滑らかに配る。


 英司は9と8の合計17。一方、ディーラーは6。英司はステイカードを引かずし、プレイを続行。


 全てのプレイヤーのターンが終わり、ディーラーのターンに移る。


「オープン」


 表向きになったカードは9。これで15。


 ディーラーはルールに則り、山札からカードを引く。


 出た数字は―――――10。


 ディーラーのバーストで、英司の勝利。マキシマム・ベットと同じ額が報酬として返ってくる。


(やはり、カードカウンティングが行われている……!)


 支配人は歯を食いしばった。


 この一連のゲームだけで、もっといえば英司が賭けたところだけで確信した。


 しかし、方法が分からない。


 他の客を見たが、怪しい動きをする者はいなかった。会話はもちろん、秘密のサインすら見えなかった。凛のことも監視していたが、ただプレイを見ているだけで、スマホをいじったりバッグの中に手を入れたりしなかった。


 チームで動いているのは確実だ。しかし、肝心のチームがどの人物かわからない。


(誰だ? 協力者は、いったい誰なんだ……っ!)

 

 ※


「ユウ様、ナイスです」


 カジノ特化のAI”ダイヤ”が感情を込めずに称賛する。それを聞きつつ、英司はニヤリとした。ユウとは、カジノにおける英司の偽名である。


「さ、次行こうか」


 気取るように言った英司は、チップを持つ。


「ユウ様、現在”10”がデッキに多くあります。依然、プレイヤー有利です」


 英司はダイヤの意見を参考に、今回もマキシマム・ベット。


 各プレイヤーにカードが配られると同時にダイヤはカードを瞬時にカウントし、それを英司のメガネに表示する。


 英司が付けているメガネは、AI搭載型骨伝導イヤホン機能付きメガネ”アイオス”。フレームがやや太いが、ぱっと見はメガネにしか見えないため、通信を行っていると疑われることも少ない。


 アイオスのレンズには今まで場に出たカードの情報やディーラーがバーストする確率、プレイヤーとディーラーの有利度を示してくれる。しかし、この数値をそのままレンズに映し出してしまうと、客やディーラーに不正なガジェットを使っていることがバレてしまう。


 そこで特殊なカラーコンタクトレンズを併用し、それでのみ見える文字にした。これでダイヤが表示した文字が見られることはない。


 肝心の各テーブルのカウンティング方法だが、普通ならばチームを組む。


 騒ぎ立ててカジノ側の注目を集めるおとり役。カウンティングしつつ、プレイヤーに有利な状況になったら合図を出す指示役。合図を出された直後に登場し、大金を賭けて一気に儲ける大物役。


 この囮役と指示役を各テーブルに配置し、大物役が稼ぐ。通常ならこのようにチームを組む。

 

 しかし、凛と英司はこの理論を利用すれど、同じ方法は取らなかった。人という極めて裏切りやすい存在に頼むことはしない。人を巻き込むこともしない。


 では、どうするか。


 答えは技術力である。


 各テーブルをカウンティングするのは、2㎝未満の蜘蛛型ロボット”ジョーカー”。稼働時間は3時間弱と短いが、自力で天井に登ることができ、上からテーブルを監視、カウンティングすることができる。


 入口での凛が店員との口論中、自動販売機に行った時にジョーカーを壁に放っていた。踏まれると壊れるためである。


 ジョーカーから送られるデータをもとに、ダイヤが勝つ確率を計算。大金を稼げると判断したテーブルを英司に指示する。


 そしてダイヤのバックアップのもと、英司がブラックジャックをプレイする。


 結果は、凛の予想通りうまくいった。


 凛はジョーカーの回収とアクシデントが起こった際にアシストする役だが、このままいけば出番はない。


(順調だ。怖すぎるほど)


 ここまでは凛の筋書き通り。あとは大物が釣れるか、だ。


シックスボックス、ノーモアベット」


 カードが配られる。


 英司のもとに届いたのはジャック2枚の合計20。


「スプリットを提案します」


(こいつ……!)


 ダイヤの提案に英司は驚く。


 スプリットとは最初に配られた2枚のカードが同数の際、最初の賭け金と同額の賭け金を追加することで、2手にわけて勝負することである。負ければ2倍の損失だが、勝てば最高4倍の額を賞金としてもらうことが出来る。


 通常”A””A”か”8””8”のときにスプリットするのがセオリーである。

 

 Aをスプリットする理由はそれぞれAのが10の数値のカード引けば、21になるためだ。


 8のペアをスプリットする理由は、ディーラーの手が16以下なら、ヒットする義務があるからだ。そのため合計して16になる手が、ブラックジャックでは最悪であるという考え方もあるほど。


 逆に”10””10”の時はステイするのがセオリーだ。こんな良い手をリスクを取って分解する必要は無い。


(強気過ぎる。だが……ビビッてもしゃーない。現在、山札に10の数値のカードが多いから提案してきたのだろう。なら、俺は――――)


 英司は強張る気持ちをニヒルな笑みで塗りつぶし、ダイヤの指示に従う。


「――――スプリットだ」


「スプリット」ディーラーが復唱しつつ、重なったJを分ける。「ではこちらから」


 ディーラーが山札からカードを引き、1枚目のJのもとへ置いたのはスペードのクイーン。合計で―――


「20」


「ステイ」


 胸が高鳴る。良い手だ。


「20ステイ、ではこちら」


 2枚目のJのもとへ置かれたカードは、クローバーの3。


「13」


「ステイ」


「13ステイ」


 13でステイというやや攻めた手を英司自身で決断した。10のカードが山札に多い現状で、これ以上のカードの追加はバーストすると考えたからである。


 ディーラーは15、ルールに則ってカードを引く。


 跳ね上がる心拍数を必死に隠しつつ、英司はディーラーの鋭い指先を追う。


 出たカードはスペードのKキング。よってディーラーのバーストによって英司が勝利した。


「ツイてる」(よしっ……!)


 キザったらしく呟いた英司は、胸の高鳴りを押し殺して大量のチップを受け取った。


「ユウ様、予想以上に絵札が出ました。席を立つことを提案します」


 ダイヤからの通信が入ると、英司はすぐさま席を立った。


「悪いね。ここでのツキは使い果たしたみたいだ。違うテーブルに行くとするよ」


 社交辞令のように言って、英司は次のテーブルに向かう。その後を凛がついて行こうとしたところで、


「お客様」


 野太い声が後ろから聴こえた。


 振り向くより先に、声をかけた人物とその仲間たちの計4人が英司と凛を囲む。英司よりも体格が良く、カジュアルスーツが張っている。4人の左耳にイヤホンがついている。カジノによくいる、体が大きく顔が恐い監視員で間違いなだろう。


 監視員は抑圧するような目で英司をじっと見た。


「大変恐れ入りますが、ご退転願えないでしょうか」


 優しい口調だったが、根本にある粗暴さは隠しきれていない。無理矢理にでも連行するつもりだろう。


 しかし……。


(思ったより早い。もう少し稼ぎたかったところだけど)


 そんなことは2人にとって想定済みで、かつ既定路線だった。


 ちらっと周囲を見た凛。獲物がまだ網にかかってない。ここは時間を稼ぐ。


「あら? 遊びにきてまだ30分しか経っていないのに退店だなんて、随分と酷いじゃない?」


「大変申し訳ございません。しかし、私達にはお客様に帰っていただく権利があります。あなたもご存知ですよね?」


「もちろん。でも、せめて理由は聞かせてちょうだい」


「説明の義務はありません」


「義務はないけど、誠意は見せる必要あるでしょ」


 凛は招待状を4人に見せる。


「私はただの客じゃない。カジノ側が招待してきた客よ。招待しておいて30分程度で帰れって、それはないんじゃない? 追い出すならそれなりの誠意を見せてもらわないと。権利を主張するのはいいけど、誠意を見せないのであれば、こちらもそれなりの覚悟がある」


 凛と監視員の口論に、野次馬たちは興味津々だ。


 1人の監視員が露骨にめんどくさそうな顔をし、今にも舌打ちをしそうだった。


 比較的落ち着きのある監視員が意を決し、英司を手で示す。


「あなた様にカードカウンティングの疑いがあるからです」


「カウンティング?」英司はわざとらしく首を傾げた。「知りませんね。僕は直感でプレイしてるだけです。それとも、ここはギャンブルで大勝ちしたら出て行くシステムか?」


「ゲーム初回から参加せず、中盤以降のテーブルにふらっと座って、大勝ちして帰って行く。これがカウンティングと言わず何と言いますか?」


「強運、じゃないですか?」


 短気そうな監視員からプチっとキレた音がした。拳を握り、右肩を上げたところで止まり、思い留まる。


「握った拳を振るってもいいんですよ。あなたに意気地があるなら」


「なんだと……!」


 生意気な顔で挑発した英司の腕を掴もうとするも、落ち着きのある監視員に制止される。


 場はすでに暴発寸前。互いに睨み合う。


「ここは議論する場ではありません。これ以上身勝手するようでしたら、警察を―――」


「まぁ待て」


 野次馬の奥から若々しくも深みのある声が聞こえた。


 英司と凛は声をする方に目を向ける。


 野次馬が道をあける。


 その先にいたのは、稀代の企業家で今回のターゲットである男、三島・クロスロード・譲二であった。


「こんばんは。織部お嬢様」


 英司と凛は心の中でニヤリとする。


 獲物が網にかかった。

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