第2話 六月

 やわらかな日差しが、揺れる梢を通して優しい影を描きます。古びた石造りのテラスは西の中庭を向いており、誰の目にも触れることはありません。

 ひっそり秘密のこの場所は、王様の私室のひとつ。今日はこの涼しい木陰に、二人と一人の姿がありました。


 豪奢な彫刻の樫の椅子に、王様がちょこんと座っています。大きな椅子の上では王様の脚は地につかず、ぷらぷらと揺れています。肩からは真っ白なケープを被り、まるでクリームに包まれた焼きたてのお菓子のようです。

 その王様の隣には老いたおひげの大臣が、クッションの上に王冠を抱え、平然として立っています。


 その二人の傍らに立つのは、国一番の腕と評される床屋です。

 床屋は白いシャツを肘まで捲くり、長い前掛けを巻いています。腰から下げた革のポーチには使い込まれた道具が差され、櫛も鋏も剃刀も、みんなぴかぴか光っています。


 床屋の銀の鋏が軽やかな音を立てて動くたび、王様のさらさらの髪がはらり、はらりと肩に落ちました。細く輝く栗色の髪は、菓子職人が紡ぐ飴細工の糸のようです。 


 王様はショキショキと心地いい音を聞きながら、銀色の鏡を覗き込みました。そこには必死にうきうきを封じ込めようとしている王様の顔と、その後ろに、涼しい顔の床屋の姿が映っています。


(目を伏せると、ますます睫毛が長く見えるな)


 床屋の顔を盗み見て、王様はぼんやり、そんなことを考えました。


 先日はあまりの無礼な発言に、この男の首を落とそうかとも考えましたが、そうしなくて良かったと、今は心底思っておりました。

 床屋はなるほど評判どおり、大変腕が立ちました。王様は王子であった頃から、幾人もの床屋を雇ったことがありましたが、こんなに優しい指の理髪師は初めてでした。なんだかとろとろと、眠たくなってきてしまいます。


(それに、)


 と、王様は思いました。


 鏡の中を覗き込めば、床屋の顔が良く見えました。彼は漆黒の睫毛を伏せ、きりりと薄い唇を結んで、物も言わずにただ鋏だけを動かしています。


 これまでの床屋といえば、王様の耳が気になってそわそわしたり、首を刎ねられやしないかとびくびくしたり、全く落ち着きがなかったのです。なのにこの男はすっかり心静かな様子で、淡々と仕事をこなしておりました。


 流れる指先が、その先で踊る銀の鋏が、そして澄んだ空色の瞳が。


(美しい)


 そう思った瞬間そのアイスブルーの眼が王様を見つめ、王様はどきりとして身を竦ませました。こめかみの上で長い耳もぴぴんと真っ直ぐ立っています。


「王様、いかがなさいましたか?」

「い、いや、別に僕はいつも通りだぞ! 緊張などしているものか」

「左様でございますか。失礼いたしました」


 物静かな床屋の言葉に、王様は再び椅子に深く座り直すと、コホンとひとつ咳をして、ゆっくり瞼を閉じました。やんわりと髪を梳く長い指が、心地よい眠りを誘います。王様のすべすべした耳も、うっとりと伏せられました。が、ふいにその耳に触れられて、王様はびくりと首をすくめました。


「んっ! おい、床屋、耳に触れるな! 僕の耳は他の者より敏感なのだ!」

「申し訳ございません王様、しかし仕事柄どーしてもお耳には触れてしまいまして」


 ひょうひょうとした棒読みの言葉と同時に、尚もしなやかな指が王様の耳をくすぐりました。


「んっ! やっ」

「や――困ったなあ――――」

「棒読みではないか! 貴様、わざとやって……んんっ!」

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