卒業式

尾八原ジュージ

卒業式

 目を覚ましてカーテンを開けると、空はよく晴れて真っ青だった。これは日頃の行いがいいおかげだな、なんて思いながら、あたしはさっそく身支度を始めることにした。

 今日は卒業式だ。

 このイベントを、あたしは毎回楽しみにしている。中三のときは感動し過ぎて泣いてしまったけれど、あたしよりもおじいちゃんが大泣きして、途中から何だか可笑しくなってきてしまった。おじいちゃんは今は天国にいるけれど、今日の卒業式はきっと笑顔で見守ってくれているはず。いやでも、やっぱり泣いちゃっているのかもしれない。

 洗面所で顔を洗って髪をセットした後、いつもよりちょっと時間をかけて、丁寧に高校の制服を着た。学生はこれが正装なのよ、なんてママに言われて、従兄の結婚式にまでこの格好で参列したものだ。いつも着ているものだからつまらない気もするけれど、ワイシャツの裾をきちんとスカートに入れて、変なシワがないか念入りに確認して、ブレザーを着てネクタイの位置をじっくり調整すると、何だか「晴れ着」って感じがするから不思議だ。

 部屋を出てダイニングに行くと、パパとママがもう朝ごはんを食べ終えて、コーヒーを飲んでいた。

「おはよう、パパ、ママ」

「おはよう、みづき」

「おはよう。もう制服着ちゃったの? 気が早いわねぇ」

 ママにちょっと呆れたように言われて、あたしは初めて(ご飯の後にすればよかったかな)と気づいた。まぁいいか、気をつけて食べよう。うっかりボロボロこぼしちゃうほど子供なわけじゃない。

 テレビが朝のニュースを流している。今は芸能トピックスの時間で、なんとかというアイドルグループのなんとかさんが画面に映っている。同じようなグループが多すぎて、あたしには名前も覚えられないのだが、「卒業」という言葉が耳に入ってふと気になった。

 そうか、アイドルがグループ抜けるのも「卒業」っていうもんな。この人、抜けた後はひとりで頑張るのかな。それともアイドル自体やめちゃうのかな。

 そういえばパパは、タバコを止めるときに「ニコチンから卒業するぞ」なんて言っていたし、ママは仕事復帰のときに「専業主婦は卒業ね」って張り切っていた。ひとくちに卒業と言っても、人によって色々だ。

「みづき、パンこぼれてる」

「あっ」

 気をつけていたはずなのに、案の定スカートの上にパンくずが落ちている。ママがゴミ箱を持ってきてくれたので、あたしはその上でスカートをそっとはたいた。


「おばあちゃん、まだ寝てるのかしら」

 時計を見てママが呟いた。普段は黒のパンツスーツしか着ないママも、今日はオフホワイトのジャケットに同じ色のスカートを合わせている。パパも普段しない色のネクタイをビシッと締めて、髪をきちんと撫でつけている。ふたりとも見慣れなくて変な感じがするけれど、まぁ今日は晴れの日だからな、とあたしは改めて卒業式のことを考えた。

「あたし、ちょっとおばあちゃんの部屋見てくるね」

「お願い。時間に間に合わないと困るから」

 おばあちゃんの部屋に行くと、おばあちゃんはもう今日のために用意した着物をちゃんと着て、仏壇の前に正座していた。何をしているのかと思ったら、おじいちゃんの遺影を手にとって眺めているのだ。

「あ、おばあちゃんも朝ごはんの前に着替えちゃってたんだ。おはよう」

「ああ、みいちゃんおはよう」

 振り向いたおばあちゃんの笑顔は、なんだかちょっと寂しそうだ。

「おばあちゃん緊張しちゃって、なんだか食べる気がしなくってね」

「大丈夫?」

 おばあちゃんの具合が悪いように見えて、あたしは心配になってしまう。今日はせっかくの特別な日なのだから、おばあちゃんにだって完璧なコンディションで臨んでほしい。

「うん、おじいちゃんが見ててくれるからね。大丈夫よ」

 そうは言うけれど、おばあちゃんは遺影を膝に載せたままうつむいてしまった。よく見るとポロポロ涙をこぼしている。せっかくきれいにお化粧したのに、このままでは台無しになってしまう。

「おばあちゃん、しっかりしてよ。はい」

 あたしがティッシュを差し出すと、おばあちゃんは「ありがと」と言いながら受け取った。

「でもね、みいちゃん。おばあちゃんが若い頃は卒業なんてなかったのよ。だから心配になっちゃうの」

「大丈夫だよ。今はみんなやってるんだし」

 あたしはおばあちゃんの肩をやさしく叩いた。

「おじいちゃんだってちゃんと卒業したじゃない。大丈夫だよ」


 あたしが生まれる前、日本の平均寿命が延びに延びて、超高齢社会が大問題になった。そこで八十歳になった人は「卒業」するよう、法律で決まったのだそうだ。

 はじめは大変だったみたいだけど、今やそこかしこに卒業会場があるし、卒業準備専門の雑誌や、卒業マナー講師なんてのもいる。卒業はもう、当たり前のことになったのだ。

 パパとママとおばあちゃんとあたしは、車に乗って卒業会場に向かった。今日のために何ヵ所も回って選んだところだ。白くてシンプルな建物に、大きな煙突がついている。ここは火葬場も兼ねているのだ。

 会場には親戚やおばあちゃんの知り合いが集まっていた。司会の女性が挨拶をして、皆に改めておばあちゃんを紹介する。それから、古い写真を集めたスライドが静かなBGMと共に流れる。照明を落とした会場のどこかから、鼻をすする音が聞こえた。  

 スタジオで写真を撮った後、いよいよ式場の人がおばあちゃんを迎えにやってきた。

「じゃあ、行きましょうか」

 パパが「お願いします」と頭を下げた。ママが「お義母さん、おめでとう」と言い、あたしも「おめでとう」と続けた。

「嫌ぁねえ。行きたくないよ」

 おばあちゃんがあたしの手を握った。「卒業なんかしたくない」

「何言ってるのおばあちゃん」

 あたしはおばあちゃんのやけに冷たい手を、両手でぎゅっと握り返した。「おめでとう」

「おめでとう、母さん」

「おめでとう」

「おめでとうございます」

 来てくれたお客さんも、式場の人もみんな笑顔で、口々におめでとうと言った。

 とうとうおばあちゃんは、式場の人に連れられ、背中を丸めて控え室を出ていった。

「終わっちゃったなぁ」

 パパが呟いた。

「でも、いいお式だったじゃない。仰々しくなくて」

 ママが言った。「私も自分のときは、あんな感じの卒業式がいいわ」

「ママったら、気が早いんだから」

「そうでもないわよ。最後に流す音楽なんか、よく考えておかなきゃ悔いが残るわ」

 お客さんたちに挨拶をして、皆で喋りながら外に出ると、もう煙突から白い煙が上っていた。

「おばあちゃんだな」

「ご卒業おめでとう」

 皆が口々に言いながら手を振った。おばあちゃんを焼いた煙は、青い空へとまっすぐに吸い込まれていった。

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