第5話
私は、時間の許す限り、マスターやその奥さんと将棋を指した。マスターはもちろん強かったが、奥さんの強さには度肝を抜かれた。何もできない将棋とはこのことかとつい口から言葉が漏れてしまっていた。奥さんは、そんなわたしを見て、終始穏やかな表情を浮かべていた。
マスターは、私と将棋を指しながらも、奥さんとも将棋を指していた。いわゆる、多面指しだ。二人は、将棋を指しつつ、時々思い出したようにたわいもない話をしていた。その内容は、将棋のこと、仕事のこと、そして思い出話など、多岐にわたっていた。そんな二人の姿は、とても微笑ましく、そして、穏やかな気持ちにさせてくれるものだった。
「さて、そろそろ私は帰りますね」
飲むのを忘れてた梅酒をグビリと喉に流し込み、私は二人にそう告げた。
「ありがとうございました。また来てくださいね」
「……また指そうね」
「はい!」
お金をテーブルに置いて店を出る。とんとんと軽い足取りで階段を降り、ビルの外へと足を運ぶ。誰もいない線路沿いの道。少々冷たい春風が、ひゅうっと私の頬をかすめた。将棋で疲れた私の頭が、ゆっくりと冷えていく。それが、とてもとても心地よかった。
「また来ます」
私は、ビルの2階を見上げ、そう言った。
オレンジ色の優しい明りが、カーテンの隙間から漏れ出ていた。
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