第11話  コップの中のあふれる想い

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 今日も空は快晴、やはり、今日も青空が眩しい。

 僕は、得意先へと、もうひとつの愛車のエイギョウ・ビーグル略してE・V、なんて普通は言わないか? まあどうでもいいか、僕が入社してすぐあてがわれた営業車だ。

 僕は、昨日と同様に明日もデパートのイベントでの販売員としての仕事が待っている、おかげで今日の営業先は必要最低限の処だけを重点的にまわることとした。何せ、今週は通常の営業活動日六日に対し、今日を含めて四日しかまわれないのだから、今日はかなり忙しい……って言っても、イベントには志緒梨と一緒にいられるのだから、僕としてはかなり嬉しい。

 日頃は、志緒梨の顔を朝の一時だけ見ることができ後は離ればなれで、僕が会社に戻るのは大体が夜の十時を過ぎた頃だ。当然、彼女は退社し家にいる頃になる。だから、志緒梨の傍で仕事としょうしいられるのが嬉しいのだ。

 愛車のE・Vは、エメラルドグリーンにえる恩納村おんなそんの海を助手席の窓に映しながら北へ、名護なごへと向かう。今、カーステレオから流れている曲は、ボンジョビのシー・ドント・ノー・ミーだ。どこまでも青く拡がる空と煌めき続ける海に、僕の想いを乗せた曲が響きわたる。

 ハンドルを握る僕は、頬に潮風を受けながらも昨夜のことを思い返していた……どうしてだろう? なぜなのか、僕の思惑通りに物事は進展していかない。昨夜は、絵美ちゃんと具志堅にとっては、運命的な出会いの日の筈だったが、上手く行かなかった。

僕たち、三人が飲みに行った処は、いつもの板長の国吉さんのいる居酒屋だった。そこへ向かい歩いていると、具志堅が僕に耳打ちしてきた。

「仲村、絵美ちゃんと仲村はどういう関係? 仲村には、志緒梨さんっていう人がいるんだろう? まさか乗り変えたのか?」

 具志堅は、思った通り絵美ちゃんに一目惚れのようだ。だから、彼女のことが気になり、僕に聞きに来る、これはなかなかいい感触だ。その念い、僕が成就じょうじゅさせてやろう。僕が愛のキュウピットとなって必ず。

疑心暗鬼になっている彼に、僕は笑いながらそっと伝えた。

「乗り変えるなんて、彼女は車じゃあないぜ。それに、僕は志緒梨の他には誰も目には入らないよ。志緒梨命さ。体中に、志緒梨命って刺青タトゥーを入れたい気持ちさ。だから、安心して僕に任せろって。僕が、具志堅と絵美ちゃんのキュウピットになってあげるから」

 と、言いなだめて居酒屋へ行ったのだが、絵美ちゃんは僕とのデートだと思い込んでいたせいで僕にベッタリ、その様子を見て具志堅は始終口からいて出てくるのは、僕への悪態あくたいばかりで、絵美ちゃんは、僕に「どうしてこんな人を一緒に連れて来たの」て言う始末たっだ。僕の仕掛けた、具志堅と絵美ちゃんの記念すべきファースト・コンタクトは失敗に終ってしまった。

 日頃、誰にでも優しい具志堅が、僕だけでなく絵美ちゃんに対しても、ことあるごとに駄目出しをして仕舞う始末で、その上、途中から飲む酒が自棄酒やけざけにかわり、もう酔ってしまった挙句あげくに「妻子ある男に、れるヤツがいるか」と言い出してしまった。

 最初は言い返していた絵美ちゃんだったが、酔っ払い具志堅の執拗しつようさに負け、泣いてしまった。彼の優しい人柄を、僕としては彼女に見てもらいたかったのだが、僕の思惑は全て違うま逆の方向へと行ってしまった。

 そんな僕のいた堪れないでいた時間のまつは、彼女を先に帰し、その一時間後の十一時過ぎに親父の佐和田さんから早々に携帯に電話が入り、「どうしてウチの絵美に、泣かすようなことをするんだ」と怒られてしまい。それでも怒りの治まらない佐和田さんは、僕が今度イベントに入る明日の土曜日に、また改めて話をするから「首を洗って来い」と電話を切った。

明日は、志緒梨に逢えるのは嬉しいが、佐和田さんのことで気が重い。このまま何処か遠くへ逃げて行きたい気分だ。

 作業服の胸元のポケットに入れておいた携帯が、バイブ振動と共に〝パラノイド〟の着信音が鳴った。出してディスプレー画面を見ると、具志堅からだ。

 僕は、携帯にマイク付きイヤホンを繋げ、車を走らせながら電話に出た。

「もしもし、お疲れ。具志堅、昨日はどしたんだよ」

「アア、そのことで仲村に謝ろう、と思ってね。昨日はごめん、自分でもなんで、あんな……絵美さんを、泣かすなんて……どうかしてしてたよ」

「本当だよ。絵美ちゃんは、具志堅、お前の運命の人なんだから、そんなひとを泣かすなんて」

「ウン、分かっている。絵美さんは、僕の運命の人さ。だから……だから、なんとかしたいんだ」

「なんとかって、なんとかできるのか? 僕は明日、絵美ちゃんの親父の佐和田さんに、絵美ちゃんをなんで泣かしたか、説明をしないといけないんだよ」

「アア分かっている。でも、なんとかしたいんだよ。ただ、昨日は仲村には悪いことをした。本当にごめん。わるい、また夕方にでも電話するから……プツッ」

「わるいって……オイ、具志堅……具志……」

 電話の向こうは、具志堅が一方的に切ってしまったので、空白の無音だけが僕の耳に残り鳴り響いた。

 具志堅はなんとかしたい、て何とかすることなんて出来るものなのか? しかし、彼も絵美ちゃんのことを大切な人だと思うからこそ、だからなんとかしたいという思いに駆られているんだろう。その気持ちは、僕にもよく分かる。僕だって、まだ志緒梨に自分の気持ちを打明けてはいない。具志堅のその思いは十分に僕にもわかり過ぎるほどだ。それならやはり、今は先ず具志堅の想いを絵美ちゃんに伝えるべきなんだろう……でも、どうすればいいか悩む。

 携帯がまた鳴り出した。ディスプレーを見ると、得意先のホームセンターの具志川店からだった。

「ハイ、仲村です」

「アッ、仲村ちゃん? 具志川店の我喜屋がきやだけど」

「アッ、我喜屋さんどうしたんですか? アッ、もしかして、セラミック・パウダーのことでしょう? 売り場の棚に、もうなかったから心配して電話してきたんじゃあ」

「そう、その通り。流石仲村ちゃん、よく分かったなー。今、お客さんにパウダーがないって言われて」

「アッ、どうもすみません。その商品今切らしているんです。ですが、今週末にはメーカーさんから届くはずなんですけど、ただ今週からMデパートで、ウチもイベントに参加しているんです。それで、商品を持って行けるのは来週頭になると思います。悪いんですが、我喜屋さん、お客様にはそういうふうにいって貰えませんか? お願いします」

「アア、分かった。お客さんには、もう切れたから、来週にでもまた来て、といっておいたから……それよりも、仲村ちゃん……」

 我喜屋さんとは釣り好きな仲で、しかし一緒に釣りに行ったのは、まだ一回しかない。彼の休みの日がいつも平日で、滅多に僕と同じ日曜日に取れないから、殆んど彼とは釣り談義ばかりで、今の電話も彼が昨日休みで釣りに行き、十キロ超えのタマン(フエフキダイ)を釣り上げたことの自慢をしたくて、の電話だった。

 僕としては羨ましい話だ。僕の、今まで釣り上げた実績はガーラ(ロウニンアジ)のまだ八キロ止まりだったから、つい話しに乗ってしまい、十分ばかりいつものごとく釣り談義に花が咲たのだが、携帯の向こうの我喜屋さんの様子が急に変わった。

「ン、ンフン、そうですか、分かりました。エエー」

 と、これもいつもの如くで、誰か上司が近くに来たから、もう話は打ち切る、という合図だ。

「我喜屋さん、また店長ですか? また、来週にでも話の続きを聞かせてください」

 と言って、電話を切った……海ねー。久しぶりに、思いっ切り釣りを楽しみたいなー。

そういえば、我喜屋さんに一万五千円という、破格の値で安く譲って貰ったシーカヤックが、まだ海で浮かべることもなく自宅のベランダの隅にシートを被せたままだった。頭の片隅にある佐和田さんのことを考えると、シーカヤックにでも乗り、何処か遠く海の彼方に逃げ去りたい気持ちで一杯だった。

 手の中にあった携帯がまた鳴り出した。まだ耳にイヤホンを付けていたから、僕はディスプレーを見ず反射的に通話ボタンを押した。

「ハイ、仲村です……」

「アッ、ナカちゃん?」

 ンッ? ナカ……ちゃん?。

「ワシだよ。ワシ、本部もとぶの……」

「ああ、本部の玉城たましろさん? 久しぶりですねー、どうしたんですか?」

「ンー、明日にでも畑に撒く肥料のボカシを作ろうか、と思ってなー。ナカちゃん、今日は北部をまわる日なんだろ? それで、遅くなってもいいから、ナカちゃん余分に持っているなら、A液を持って来てくれないか、なって思ってなー」

「イヤー、それは僕にとっても、ナイスなタイミング。今日、仕事終わりにでも玉城さんのところへ行こうと思っていたんですよ」

「ウンウン、分かった。それじゃあ、頼んだから来てくれよ。ワシも、用意して待っている……プツッ」

「もしもし、用意って……もしもし……」

 またも、先に電話を切られてしまった。

 玉城さんの言っていた用意とは、今晩もまた一緒に飲もう、という意味なんだと思う……僕の気持ちの中には、出来るのなら一晩かけてもじっくりと、玉城さんの体調には十分に留意し、早めに病院へ行って検診を受けてもらいたい、とそのことを分かってもらえるまで語り明かしたい、その思いに駆られるが……しかし、明日はどうしてもイベントというめいが僕にはあるから残念だ。

 イベントといえば、またも佐和田さんの怒った顔が僕に重くし掛かてくる……横目に映る、どこまでも広がり輝くコバルトブルーの海は僕を招く。早くシーカヤックを持って来い、と……。


 名護での営業を終えたのは、夕方五時を過ぎとなった。僕は、E・Vを走らせ、本部に入り海洋博記念公園を通り過ぎる頃には陽もかなり傾きはじめていた。急がないと、折角ここまで来た楽しみが半減してしまう。

本来の目的は、玉城さんに会って商品を届けて話をすること、なんだが……く気持ちのままに、車はやっと備瀬びせという部落に入った。備瀬の部落の道は、とても狭く車が二台すれ違うのもやっとの道だ。

 僕の生まれた所は沖縄本島からかなりはなれた離島の石垣島いしがきじまで、中学の頃に那覇に親の都合で移り住んだのだが、備瀬のこの通りを通る度に、何故か石垣島を想い出し何処か懐かしくなる。両脇を苔とか植物のつるなどがおおい茂った民家の石積みの塀に挟まれ、その上、塀の内側からの車道の細道を覆い隠すほどの高さがあるフクギの木々の葉が陽射しをさえぎり昼さえも薄暗い、その道を通り抜け海沿いの広場にやっと着いた。

 備瀬の海は珊瑚礁リーフに囲まれかなり遠浅で、遠くに外洋からの強い波が打ちつけ白い波が立ち、そこにリーフの先がやっと見える。そして、またその彼方先には伊江島いえじまが見える。

 車から降りると、陽が地平線間際へと近づき傾いたせいか、潮風がまだ春の名残りに少しひんやりと潮の香りを漂わせている。ドアを閉める前に、玉城さんに届ける商品の液と、来る途中に買ったお土産の入った袋を手に、その腕には作業服の薄でのジャンパーを僕はかけ、広場の隅にある小さな商店に向かった。すると、その商店のまん前で玉城さんが、僕の記憶のままに、いつものように僕に手を振り迎えてくれている。懐かしい光景が目に入ってきた……アッ、ああ、この玉城のオジーもやっぱり生きている。生きていて僕に手を振っている。僕に満面の笑みを送っている。ああ、やっぱり何か熱いものが僕の中で込み上がってくる。

 玉城のオジーは、店の前の小径こみちを挟んで、防風林が長く海沿いに並び海と部落を隔てる木陰にいるのだが、テーブル代わりに厚めのベニヤ板を搬送用のボトルケースの上に敷き、椅子の代用品として、両端にコンクリート・ブロックを置き、その上に人が座るために板を載せただけのものだ。部落のひと二人とオジーは腰掛けていて、もう既に缶ビールを飲んでいるようだった。

「ハイサイ、ナカちゃん、やっと来たね。待っていたよ。早くこっちに来て乾杯しよう……サァ、早くはやく」

 玉城さんは、おいでおいでと手を招くのに、僕はまあまあと笑いながら受け流し、店に行き二リッターのペットボトルのお茶を買って出てきた。

「アッ、なんで? ナカちゃん、今日は飲まないのか?……ンッ?」

「イエネー、今Mデパートでイベントをしていてウチの方も参加していて、明日は僕も商品販売のために出るんですよ」

「何だよー、折角ナカちゃんと飲めると思って酒を楽しみにしていたのに……っていうことは、今日はここへは泊まらないのか?」

 傍にいた、この部落の建築屋の頭領の僕と同じ名前の仲村さんが、笑いながらオジイをたしなめた。

「オイ、酒を楽しみにって、玉城のオトーヤ(親父は)昨日もワッター(自分達)と一緒に飲んだじゃあないかー。それになー?」

 と僕に、笑いながら玉城さんになんか言ってやれと、あごで合図を送ってきた。

「アッ! アアー、そうそう、玉城のオジーは、いつも僕が飲まないで話だけするって言ったら、飲まない人が傍にいても面白くない、て言って無理やり飲まそうとするさー」

「何で、なんでナカちゃんまで、こんなこと言う。ああ、もうお先の短いこんなワシみたなオジーに、もう早く先に逝ったオバーのところに行けってか? ああ、もう分かったよ。分かったから、ナカちゃん、もう今日が最後の乾杯さー。サア、早くこちに来て、乾杯さー、ハイ」

 玉城のオジーは勝手にビールの缶の栓を開けて僕に手渡し、勝手に乾杯をしてきた。

「だから、オジー。今日は飲めない、て言ってるサー」

「イー、なんでかー? 今日は何かやることはないんだろー? アンシーネー、ハイ、マジュンヌマナー、ハイ(それなら、ハイ、一緒に飲まないと、ハイ)」

 傍にいた頭領が、聞き分けのない玉城のオジーに呆れ、僕に見かね僕と玉城のオジーの間に割るかのように言葉をかけてくれた。

「エー、オトー、ナカちゃんも今日は、このビールは飲めない、て言ってるさー。だから分かったらハイ、ナカちゃんのビールは玉城のオジーが飲んで、ハイ」

 と言って僕の缶ビールをとって、玉城のオジーに渡した。

「ハイ、ナカちゃんは、これを飲んで乾杯さ」

 頭領は新しく缶を開けて、僕に手渡し乾杯をしてきた。僕は思わず、ありがとうと乾杯に応じて飲んだ。ゴクゴク、喉の渇いていた僕は半分まで飲んでしまった。

「ン!? 頭領、なんで? これもビールじゃあないかー」

 僕を見ていた三人はしたり顔で笑い、口々に「ハイ乾杯、カンパーイ」と乾杯を僕にしてきた。

「ナカちゃん、もう帰れないよ。今日はもう覚悟を決めて、ハイ……アッ、アリッ(それっ)、見てみー」

 頭領のあごで指す先を見ると、警官がパトカーで巡回に来ていて、僕のE・Vのナンバーをチェックしているようだった。

「アアー、もう帰れないじゃあないかー。頭領どうするー」

「ナカちゃん、本当に今日は、もう何もないんだろう?」

「エッ、ンー……今日は何かあるか、て言われたら、何もないけど、でも明日は……」

「だったら、ハイ、今飲んでいるのをガバーって飲んで、覚悟を決めて、新しくこれを飲みなさい。ハイ早く」

 僕の手にしてるビールが空になるまで待って、僕が飲み干すと、新たに缶を開けて渡してきて、三人はまたニヤニヤして乾杯をしてきた。

 僕は覚悟をした分、今度のビールは美味しく感じられた。

「プッハー、旨ーい。最高ー。めっちゃいいねー」

「だろなー? ナカちゃん、さっきのビールはどうだった? さっきのビールをちゃんとよく見てごらん。ク、ク、ク……」

 玉城のオジーが笑いを堪えて先程の空になったビールの缶を僕に手渡してきたのを、手に取り僕は確認した。見たことのないビールだ……ン、ン、ン、表示にアルコール分が0,3%と表記がある……やられた。まんまと頭領にしてやられてしまった。缶を凝視し、その缶を片手に固まっていた僕、目を三人に向けると、一同に笑いが起こった。

「だろーなー。ナカちゃんさっきのビールな、あのビールは、ホラ観光で来るナイチャー(内地の人、及び本土の人)がよく買いに来るからって、そこの店で最近置いたもので、今日はナカちゃん酒を飲まない、て言うから、それじゃあ可哀そうだから、ってこれを飲ませてあげたんだけどなー。アー、ハ、ハ、ハ……アー、腹が痛い。こんなに素直に冗談に、はまるヤツなんてみたことがない。ア、ハ、ハ、アー、ヒーヒー、苦しいー。腹が痛くて、息も出来ないー。アー、苦しいー」

 頭領は身をよじって笑い転げている。以下二人も同じだ。此処の店の息子で、僕より十歳くらい若い光男みつおなんかは座ってる板から転げ落ち、それでも笑っている。

 僕は手にしていた袋から、途中で買ってきたものを取り出した。

「分かった。わかったから、ホラ、これチキアギー(魚のすり身を油で揚げた物)と春キャベツにマヨネーズ」

「オッ、いいねー。この時期のキャベツは最高ーだからなー。でもオジーは歯がないからなー」

 頭領はキャベツを手にしながらニタッと玉城のオジーを見た。

「なに言ってる。前歯が数本欠けているだけ、奥歯はまだガンジュウ(頑丈)、大丈夫。ダアー(よこせ)、ワシにもちょうだい」

 頭領から大きな葉を一枚取り、口に入る分を千切りちぎり、バリバリと自慢そうに食べて見せた。

「ウン・ウン、旨いなー。オイ光男、お前んちにこの前博多から明太子を送られてきていたのが残っているだろう。早く持って来い。あれと食べたらもっと美味しいだろうなー」

 光男は店から入って行き、手に明太子の入った箱と、気を利かせて皿を何枚か手にして来た。それを玉城のオジーは受け取り、皿に明太子をほぐしマヨネーズと和え、キャベツを千切って付けて食べた。

「オオー、旨い。こりゃー、本当ーに最高ーに旨いわ……食べてみー」

 ウンウン、そうだろうなー。明太子にマヨネーズ……想像するだけでも美味しいのは分かっている。旨いんだろうな。

 頭領も光男も、歳なんて関係ないとばかりにキャベツを明太子とマヨネーズを和えた皿に、我先にと付け込んだ。この僕だって負けてはいない。一口食べた……う、旨い。

 想像していたものよりも数倍も美味しかった。何せ、僕の想像では明太子とマヨネーズの味だけで香りがなかったが、実物は口に入った瞬間、明太子の辛さと香りが広がり、その上この時期だけの春キャベツ独特の甘さとシャキシャキとした歯応えが絶妙で最高に美味しかった。

 僕を含め四人は夢中になり、キャベツを明太子とマヨネーズ和えの皿に付けては食べ、喉に詰まりそうになるとビールで流し込み、あっと言う間に大玉のキャベツはなくなってしまった。名残り惜しそうに玉城のオジーは明太子とマヨネーズの残っている皿をペロペロと舐めている。

「アー、旨かったなー。落ち着いたところで、また乾杯をしよう。カンパーイ」

 一同は頭領の音頭で乾杯の仕直しをし、辺りが薄暗くなて来たことに気がついた。

「ナカちゃん、ホラ見てごらん。今日もきれいだよ」

 頭領はあごをしゃくって、海を背にしていた僕に振り向かせた。

 僕の目に、伊江島の百七十数メートルしかない小さな山なのだが、ピンと天を突き刺すように立っている、その伊江島イージマタッチューの向こうに落ちていこうとしているまん丸なオレンジに赤みかかった色の夕陽が見えた……本当にキレイだ。

 僕はポケットから携帯電話を取り出し、カメラ・モードにし撮たが、明暗の調整が思うよう上手くいかず手間取り、夕陽が沈む間際にやっとこれはという一枚が撮れた。僕はそれを玉城さんたちみんなに見せ、夕陽談義になり涼やかな風と共に楽しい時が吹き流れたが、辺りはすっかり暗くなっていた。そこへ仕事を終えたこの部落の若い衆が帰って来た。若い衆は、僕の目の前にいる頭領のとこの連中だ。

「おやじ、お疲れ様です……オッ! ナカさんもいる。何を盛り上がっていたんですか?」

「オウ、お疲れさん。イヤね、ホラ見てご覧よ。僕の撮った夕陽を……キレイだろ?」

 僕は、近くにいたひろしに携帯に映る夕陽を見せた。

「オッ、これはナカさんがとった夕陽ですか? いいですねー。いいですけど、ねー」

「いいですけどねー、てなんだよ。なんか文句あんのー?」

「イイエー、ないです。ないですけど、ただねぇ、ナカさんのもいいですよ。ただ、コウさんのを見ちゃうとねー」

 と意味ありげにほくそえんだ。コウさんというのは頭領の次にこの組を束ねている、若頭的存在で僕と同じ歳で浩一こういちという奴だ。

「なんだよー、コウさんの撮ったヤツの方が僕のより断然いいって言うのかよう。だったらコウさんのを見せろよう」

 そこへコウさんがトラックの荷台の整理を済ませて、遅れて来た。

「オッ! ナカさん、驚いたー。ナカさん生きてんじゃあねえかよー……オーイ、ノブーちょっとこっち来い。早く来て見ろよー。ナカさん生きているぞー」

「なんだよーそれ、僕がなんかした?」

「イーヤ、そうじゃあないんだ。唯、ちょっと待ってなっ」

 そこへ呼ばれていた信哉のぶやが来た。

「コウさん、何んすか? エッ、ウソ!? 本当? ナカさんがいる」

「だろう! ナカさん、いんじゃあねえかよ、オイ。ピンピンして、旨そうにビールなんか飲んでんじゃあねかよ」

「オイオイ、なんだよー。まるで僕が幽霊みたいじゃあないかよ」

「アッ、ごめんごめん。ナカさん、わりー。コイツが、ノブーが先々週ダチがバイク事故に遭った、ていうんで、那覇の病院にそのダチを見舞いに行った時に、ナカさんが口から泡を吹いて担架に乗せられて、担ぎ込まれたとこを見たっていうもんだから」

「口から泡なんて吹いてないよ。ただの栄養失調なんだから」

「栄養失調? エッ、じゃあ泡は吹いてないの? オーイ、ノブー。ナカさん泡なんか吹いてないてよー。お前またアレか? エーオイ、もしかしてナカさんは泡吹かないで、オメーがホラ吹いた、ってかー?」

 そこにいた一同が、大笑いした。大爆笑だ。

「エ、ヘ、ヘ、笑えんじゃねかよ。だけど、ノブーお前は笑んじゃあねー。この野郎、俺に嘘言いやがって……もう少しでナカさんとこに香典持って行くとこだったじゃあねえか。オウ、でも、笑えたからいいか? それにナカさんも元気だし。しかし、もうこんなホラはやめろよな。分かったら、いいや……って、ナカさん、こういうことなんだ。ごめんね」

 と缶ビールの栓を開け、乾杯を求めてきた。仕方なく僕も応じてはみたものの、何だか釈然としない。

「アッ、コウさん、コウさんの夕陽を見せてよ。夕陽」

「夕陽って、携帯のかー? ちょと、ちょっと待ってよ……ンッ、ホラ見てよ。キレイだろう」

 僕は手に取って見てみた。とてもキレイだった。僕が苦労した夕陽の明暗とか、特に色なんかはどんなプロのカメラマンだってこの時に巡りあわないと撮れないだろう、と思う程のベストショットだった。

「ナカさん、いいだろう? 他のものも見てくれよ。何枚も撮っていんだぜー。これなんかもいいだろ?」

 僕は、コウさんが一枚一枚説明してくれるのを、次々と夕陽の写真を見た。

 コウさんが言うには季節によって夕陽の沈む位置が違うそうで、何枚かとげのような伊江島タッチュウの先に夕陽が突き刺さるようなものもあって、どれも僕にはかなわないなあ、と思いながらも悔しい反面、羨ましい思いで僕の目は魅了された。

 なんでもコウさんは仕事が終わり、みんなでここに集まり酒を飲みながら夕陽が沈む頃は、毎回携帯で写真を撮っているのだ、と言っていた。それでこんなにも夕陽を撮るのがプロの域まで来たんだろうと思う……敵わない訳だ。

 携帯の夕陽に見入っている僕に、玉城のオジーが話し掛けてきた。

「ナカちゃん入院していたのか? ナカちゃんまだ生きてはいるけど、そこも天国だったんだろうなー?」

「ンッ、玉城のオジーこれも何かの冗談なの?」

「ウッ、ウーン、まっ、まあなっ……っちゅうかホリ、そこの天国には可愛い天使がいたじゃろう? 白い服を着た。まあ何ちゅうか。白衣の天使って言うか……ホリ若くてピチピチした娘とかいて、あれこれナカちゃんの色んなお世話をしたんだろう? どうだったんだよー」

 なんだ、僕の体の心配じゃあなく、玉城のオジーは若い看護婦さんたちへの興味があって、話を聞きたくているようだ。なんだかヘラヘラしながらこっちを見てる。

「まったく、このエロオジーやー。死んだオバーがあの世に逝きたくても、オジーがこんなだからいけなくて、たぶん今もオジーの近くをウロウロしているんだはずよー、ヤー? ナカちゃんも知ってるよなー? オジーがなんで、此処に帰って来たか」

 頭領は、玉城のオジーをからかいながら、僕にオジーがどうして此の地、備瀬に戻って着たのか知っているか、と確認をしてきた。

 勿論、僕は以前、オジーと酒を飲んだ時に、本人からその話をきかされていて知っていた。確か、オジーは若い頃大阪で暮らしていて、その時オジーは契約の大型トラックの運転手で、荷物の運搬の仕事をしていたそうだ。なかなかその頃は羽振りもよかったそうで、おかげでオジーは女の人にモテたそうだ。オバーの方も、オジーが歳を取ればいつかは落ち着くはずだ、と思っていたのだが、歳を取ってもいっこうにオジーの女癖がなくならず、子供たちも大きくなっていたので、ふたりの生まれ故郷のこの地に帰ってきたのだ、と言っていた。

 帰ってきてからのオジーも、若い頃には沢山オバーに悪いことをしたと悔い改め、これからはオバーの幸せの為に生きて行こうしていたのだが、僕と会う数年前にオバーは病気で亡くなったということだった。僕は頭領の問い掛けにうなずいた。

「また、そんなことを言うなよ……だったら、ワシだって幽霊でもいいからオバーには傍にいてもらいたいよ」

 オジーが頭領に言い返したが、後半の言葉は力なくぽつりと呟くように言った。

 それを聞いていた、もうすぐ三十男の光男がオジーに尋ねた。

「オジー、僕もオッカー(母)にシッチュシッチューへークナーニービチサニー(いつもいつも早く結婚しないと)って言われているけど、僕としてはなんだけど、ちょっと聞いていい? オジーは内地でいろんな女の人と付き合っていて、よくオバーのところに帰って行けたなー?」

「なんだ?。光男、お前は、ワシが女遊びをしいながらも、どのツラさげげてよくもオバーのとこに帰って来られたなー、て言っているのかー? フラーや、ワシだってオバーのことを誰よりも大切にしていてからな。だからオバーだって、こんなワシの傍にずっといてくれたんだろうー。ヤー?」

 オジーは光男の言ったことがおおいに不満だったのか吐き捨てるように言い、〝ヤー〟と頭領に同意を求めた。頭領はウンウンと首だけを縦に振って、〝まだ光男も子供だな〟とでもいうかのように笑って見せた。

「い、嫌、そうじゃあなくてさー。僕が聞きたいのは、大切なオバーがいて、オジーは他にも女の人と付き合っていて、よくややこしくならなかたなー、って言うか、気持ちの整理が付いたって言うか……なんて言えばいいかなー。浮気の出来る人はみんな、一度に沢山のひとを愛したりなんか出来るのかなーって……」

「光男、お前もまだ若いなー。お前も、結婚して世帯を持ってオジーになれば分かるよ」

「ちょっと待ってオジー、僕も聞いたいなー。光男が言っていることを」

「アギジェ(なんだ)、ナカちゃんまでなー?」

「イイヤ、俺も聞いたいけどなー」

 僕が聞き返したことに、コウさんも同調してオジーに返事を求めた。するとオジーの傍でニヤニヤ聞いていた頭領が口をはさんできた。

「オジー、どうして色んな人を好きになれるか、っていうのを、この前オジーが話していたのを、コイツらにも話してあげたらいいじゃあないかー。アレはアレで俺も納得したよ、て言うか、面白かった」

「アーアレか? 仕方ないなー。じゃあ、光男ウチからなんでもいいから、コップを何個か持って来い。話は、それからだ」

 光男は、オリオンビールの景品で出している六オンスくらいのグラスを五個持ってきて、それをベニヤ板のテーブルに並べた。

 オジーは僕たちみんなの顔を見ながら慎重に話をし始めた。先ず、右端のコップを手にした。

「いいか? このコップがAとして、Aというコップが女の心とする。それでワシがAに逢っている時はこうだ」

 と言って、コップにビールを注いだ。

「今コップに入れているビールがワシ自身のその女にたいしての気持ちだ。分かるか? そして残りの四個のコップは空で何も入っていないだろう? そうだ、Aという女に逢っている時は、ワシはAという女にしか気持ちはない。だから、残りの女たちには気持ちは何もないってことだ……分かるか?」

 オジーはみんなの顔を見比べて、今度は右から二個目のコップを指差し、また話を始めた。

「っで、これがBという女だ。いいか? これに、Aのコップからビールを移す。するとBのコップはビールで満たされていっぱいになる……ってことは? 光男どういうことか、分かるか?」

「ン? Aが空になった?」

「ンッ、バカだなー。光男ー、いいか、Bがビールでいっぱいになっている、っていうのはワシが逢っているのは、さっきはAだったけど、今はBという女と逢っているってことだ。分かるか? いいか、今度はこれだ」

 オジーは光男が分かった、とうなずくのを見て、左端のコップを指差した。

「これに、Bからのビールを移す。っで、これはどういうことか分かるか? ノブー、ワシが言っていることが、分かるか?」

 僕の隣で、身を乗り出し見入っていた信哉に、オジーが名指した。

「ン? エーっと、この右端からABCD、5番目はーE、だからー、Eのコップがデージ(すごく)いっぱいになった? ダールヨネー(そうだよネ)コウさん? アッ! ですよねー?」

 信哉に声を掛けられたコウさんは呆れた顔をした。

「アーア、もうノブーもフラーだなー。ワシが言いたいのは、Aがワシにとってオバーで、他のコップが浮気した女たちで、BからEの女のところに行ったらいったで、その時はワシの気持ちはその女でいっぱいだった。まあ、行った先のその女に夢中になっていたってことかな。でもなっ、いつもワシはちゃんとオバーのもとに帰ってきて、オバーへの気持ちはこのようにあふれるぐらいにいっぱいに愛していたんだよ」

 と言って、EのコップからAのコップにビールを勢いよく注いで、コップからビールの泡があふれ出た。それを見てオジーは、みんなの顔をうかがい、ニタリとしたり顔を見せた。

「どうだあ?。分かったか? でも、ノブーと光男にはもう教えん。クッターフタイヤ、ニービチスンメーナカイ、モウナーチケーンガッコウンカイイチュシガマシヤンドウー、ヤァー?(この二人は、結婚する前に、もう一度学校にかよった方がいいよ。なあ?)」

 オジーは言葉を吐き捨てるように愚痴ると、一斉にまわりのみんなは吹き出し大笑いになった。何故か、信哉と光男も笑っている。

 顔を上にやると、夜空にはいつしか、か細い下弦のお月さんがあって、周りには無数の星々が煌めいていた……今宵のうたげはまだ始まったばかりだ。

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