第9話  為すがままな僕・・・

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 翌朝、天気は良好。

 今日も青空が眩しい。

 僕は、今朝も珈琲一杯だけで、いつもより早めに会社に着いていたが朝礼には出ず、昨夜用意しておいたイベントの商材品を車に積み込み、車を川平とは別にデパートへと向かった。

 目的のMデパートへ着き、建物の裏手にある搬入口から商材を積められるだけカートに乗せ、僕たちは季節ごとに行う物産フェアーの会場へと来た。デパート側より割り当てられた売り場となる八平米の長方形に区切られた格好のスペースに、長テーブルを連ねたブースの上に様々な色の布を敷きつめ、その上に商品を並べた。

 予定としては、十時までに並び終え、後はお客さん待ちの状態へと持っていければよかったが、川平が、このイベントの予備商品ストックのために、もう一度会社に戻らなければいけないこともあり、九時三十分までに今ある商品等はとりあえず適当に並べて終らせた。

 そして今は、川平もいなくなり、僕は独り並べた商品のレイアウトをチェックしながら、並び替えをしていた。今回の僕らの目的は、あくまでも無農薬での野菜を栽煤、育てるための資材の販売なのだが、お客の気を惹き呼び込むために販売する有機野菜を、一番に目に入るようにと並べた。来てくれるお客の方も、この時期三月の頃に採れる旬の野菜を目当てに足を運ぶ。そのことはデパート側も周知のこと、有機野菜を販売するアース・フーズのブースを中央に置いてのイベント会場の配置となっていた。

 僕は、此処のMデパートでのイベントはもう六度目となる。このデパートは、年に二、三回の割合でのイベントを行うが、我々アース・フーズとしては一年で一番美味しい野菜の季節のこの頃が勝負のしどころだ。何せ、足を運んでくれて、安心安全な有機野菜を美味しく食べて貰い、もう一度食べたいというお客さんたちにウチの会社の販売するショップに来てもらえるのだから、絶好ぜっこうのアプローチの場でもあるのだ。そのこともあり、日頃はちまたなどでは出回らない珍しい野菜の種類を中心にならべ販売をする。具志川の山城さんの苺だってそうだ。

 予定としては、多分一年から二年後までくらいにはこの場に山城さんの苺をならべ、大きな反響を呼び、そこからテレビとか雑誌にまで取り上げてもらい、人気に火が点いたのだから、次くる年のことを考えると、今やっていることがとても大切に感じられる……慎重に野菜を並べている僕の肩を、後ろからポンと叩く手があった。

「仲村さん、今日も頑張っているね。今回も時間があったら宜しく頼むよ」

 振り向くと、ウチの野菜を使ってもらっているサンドウィッチ屋の主人が声を掛けて来た。

「アッ、佐和田さわださん。どうも、こちらこそ……」

「アレッ、まさか、今日は仲村さんひとり?……じゃあないよね? ひとりだと、ウチの手伝いなんて出来ないからね」

 この、サンドウィッチ屋の親父は、もう僕を当てにしているらしい。元々、僕はこういうイベントは好きな方で、自分の売り場以外にも活気がない出店を見つけると、つい呼び込みを手伝ってしまう。

 今、目の前にいる佐和田さんのところは、特にウチの野菜をあつかってもらっていることもあって、よく手伝ってあげているのだ。

「イイエ、これからウチの川平と、今日は西原店からヘルプで中山なかやまさんが、もうすぐ来てくれますから、大丈夫ですよ」

「アレッ、仲間さんは? 今日は仲間部長は来ないの?」

「仲間部長? エエー、そうですねー。彼女は昨日、体調をくずしちゃって……今日は、何ともいえませんねー」

「そりゃ、大変だなー。仲間部長が来てくれないとなー……まいたなー」

「オイ親父、何を油売ってんの。もう、早くウチも準備を終らせないと……アッ、仲村さん。おはようございます」

 佐和田さんの娘で、次女の今年二十三歳になるつばさちゃんが来た。

「ホラ、早く。早く野菜の仕込みをしてよ……早く」

 佐和田さんは、かされ持ち場のブースへと行かされた。

「ごめんね、仲村さん。ウチの親父、なんでも今日ね、仲間部長にプロポーズするんだって、昨夜家族会議をして言っていたんだよ。だから、今日の朝なんか、めっちゃ張り切っちゃって」

 そうかー、佐和田さんも志緒梨のことを……アッ!? 思い出した。

 そうだ、確か彼は志緒梨にプロポーズして、えなく撃沈してしまったんだ。そのせいで、僕は三日間彼の傷心に付き合わされて、飲み歩いたんだった。その後、彼は僕が志緒梨の部下だからということで、僕に彼女を宜しく、と言って男らしくきっぱりとあきらめてくれたんだった。

 佐和田さんは今五十二歳で、奥さんを十年前に病気で亡くしていて、やっと奥さんのことを忘れることが出来る心境だっただけに、その時は大変だったっけ。佐和田さんは、もうサンドウィッチ屋も辞めるとか言って、まわりの人たち、特に娘さんたちには大いに心配を掛けたんだっけ? だから、今回はどうにか大人しく終ってくれればいいのだが……そうだ、彼に志緒梨へのプロポーズの場を作らなければいいんだ。

「……仲村さん、聞いてる? ネエ、仲村さん」

「エッ、なに、お父さんのこと? ウン聞いてるよ。大変だね」

ちがうよ。ウチの、姉貴のことだよ。絵美えみお姉ちゃんのこと、お願いよ。よろしくー……って、おねがいしたからね」

「ウ、ウン、分かった。でも……」

 つばさちゃんは、僕の言葉を最後まで聞いてくれないまま、親父が心配なのか自分の売り場にきびすを変え一気に駆けていった。

 一体、何を言っていたんだろう? 姉の絵美ちゃんのことって……絵美というのは、つばさちゃんの三つ上で、二十六歳の佐和田さんの長女のおとなしげなだ。僕、個人としてはこの当時、二、三度しか、会話をした記憶しかない……だけど、僕はよく知っている人で、懐かしいひとだ……不意に、また背中を叩かれた。

「おはようございます」

と、西原の店舗を任されている中山さんが来ていた。

「課長、お疲れ様です。忙しいですね。朝から、本当に……もう、すでに女の子のお相手ですか?」

「アッ! 見ていたの? でも、あの子は佐和田さんとこの子で……佐和田さんといえば、ウチのお得意さんで……」

「課長、なに言ってるんですか。私も知っていますよ。ただ、課長をからかっただけです。もう、直ぐむきになるんだから。アハハ……」

 今年、五十歳になるという中山さんに、言いやられてしまった。

「おはようございます。なに? 何か楽しそうだけど、なにを話しているんですか?」

 志緒梨がいつの間にか、僕の後ろに来ていた。

 彼女は、髪を後ろ手に束ねながら売り場のレイアウトを確認している。

「仲村課長、ちょっとこれ……この、トマトの場所は……」

 彼女が、手招きをしながら僕を呼んだ。

 僕は、彼女の傍に行き、彼女の意向を聞こうとし、彼女の目線の側に顔を近づけると、彼女は小声で喋ってきた。

「仲村さん、昨日はごめんね。昨日は、私が眠れないからってメールをしたのに、本当にごめんなさい。つい、いつの間にか寝てしまって……仲村さんからの、メールを見たのは朝になってからなの。それでね、今度の飲み会は私、仲村さんにお任せしちゃって、本当に酔っちゃおうかなって思っているの。だって、私もついこの間、籍を旧姓に戻したから……それで、久しぶりにシングルに戻った気分で、仲村さん、お願いしてもいいかしら?」

 予期していなかった彼女からの言葉に、僕の頭は一瞬フリーズをしたが、勿論喜んで申し出を受け取ると返事をした……今日は、なんていい日なんだろう。人生最良の日。嫌、今度の飲み会の日までこのよき日を残しておかないともったいない。

「仲村さん、それじゃあ宜しくね」

 志緒梨は、僕の顔をのぞきこむようにして、僕に念を押した。

 僕は、彼女の目を見た瞬間、思わず、たまたま手にしていた胡瓜きゅうりをポキンと折ってしまった。

「アアー、もう仲村課長、駄目じゃあない。物を粗末にしちゃあ」

 志緒梨が、笑いながら僕をたしなめた。

 僕は、何だかそれでも幸せで、中山さんのところへ離れて行く志緒梨を夢見心地で見送ると、向こうで中山さんが楽しそうに憎まれ口をたたいていた。

「部長、仲村課長を余りからかっちゃあいけませんよ。課長は、すぐ本気になっちゃうんだから」

 と笑いながら、僕を指差していたが、ふと気づけば、僕の後ろには、また佐和田さんが立っていた。僕の背に隠れながら志緒梨にプロポーズの機会をうかがっている。

 気づいた僕の視線に彼も気づき、ばつが悪そうに頭を掻きなが目の前の並らべられている野菜を手に取り品定めをしている仕草をしてみせた。いつもは、仕入れの野菜はウチの野菜班に任せっきりで〝オウ、いいのをポンポンと見繕みつくろってくれ〟が口癖なのに……。

「オウ、仲村ちゃん、ウチの仕入れの野菜が足りないんだ。何か、いいのをポンポンとホラ、いつものように頼むよ……アア、そうか、野菜の販売は仲村ちゃんは苦手だったよな。そんじゃあ、部長の仲間さん、お願いよ。野菜苦手の部下のために、こっちに来て、いいモン見繕ってよ」

 僕は、何も野菜を苦手としていないのに勝手に……志緒梨を見ると、日頃から佐和田さんを苦手としていたから、傍にいる中山さんに佐和田さんの相手をお願いした。当ての外れた、佐和田さんは渋りながら中山さんに適当にいい物を、といつものセリフを吐き、去って行った。

 館内放送で、これよりデパートを開館します。売り場の人たちは各自今日一日頑張りましょうとアナウンスが入り、お客さんたちが一揆に押し寄せてきた。

 午前中は、お客さんの応対に追われ、あっというまに過ぎ、時間も午後一時を越えた頃、お客の数も少しまばらとなり、アース・フーズのスタッフ各自時間をずらして昼食を取ることになった。先ずは、腹がへったとぼやきながら途中戻ってきた川平が入り、その後中山さんと順を送り、僕か志緒梨の番の頃には三時になろうとしていた。

「仲村さん、お昼休みを先に取って下さい。私は、仲村さんが戻って来たら、会社に一度帰らないといけない事情があって、その後この場を仲村さんにお願いしますので……ねっ、お願いします」

 と志緒梨が、傍に来て耳打ちした。

 僕は、分かったと、着ているイベント用の黄色のハッピを脱ぎ、昼食をとりに行く準備をしていると、佐和田さんの娘の絵美ちゃんが近づいて来た。

「仲村さん、お食事ですよね? では、宜しくお願いします」

 と言って来た。僕には、何のことかまるでつかめずに首を傾げ、思わず聞き返した。

「エッ、なんのこと? 何か、僕と約束しました?」

 と言ったが、刹那、今朝のつばさちゃんのことを思い出した。やばい、僕は迂闊うかつにも適当、無碍むげに返事をしてしまたが、もしかしてこれは結構センシティヴィティなシュチュエーションなのかも……しれないと思ったが、時既ときすでに遅し。目の前の絵美ちゃんの瞳がおもむろにうるみ出し、みるみるうちに涙が溢れ出した。

 絵美ちゃんは、その場にへたり込んで、しくしくと泣きだした。それを、見ていたつばさちゃんと佐和田さん親子で駆け寄って来た。

「オイ、仲村、お前ウチの娘になにしたんだよ。エッ?」

「仲村さん、朝お願いしたじゃあない。今日、ウチの姉貴とランチを一緒にとるって……もう、ひどいじゃあない」

 この騒ぎに、売り場の周りの人たちも集まって来てしまい。まるで見世物の中心に、呆然と立ちすくむ僕がいた。

「ちょっと、待って、絵美さんは、ウチの課長の仲村とランチを一緒に取るって約束したの?」

 集まって群がる人の波を掻き分けて来て、助け船を出してくれたのは志緒梨だった。

「仲村さん、貴方駄目じゃあない。こんな可愛い子と約束をして泣かせるなんて……今日はとても忙しくって、忘れちゃったの?」

 今の現状では、絵美ちゃんに対して〝ハイ〟と言うべきなのだが、僕自身としての感情は、すごく複雑な思いで一杯だ。気乗りのしない人とランチを一緒に取りに行くということを、意中のひとに言わなければいけない、この心境を……でも、仕方なかった。結局、僕にはうなずくことで、騒ぎを鎮めるということしか択べなかった。

「ごめんなさい。絵美さん、余りにも忙しくて、絵美さんとランチの約束していたのを、忘れていて……もし、よかったら、これから僕とランチを一緒に行きませんか?」

「そうだよ、お姉ちゃん。今日、めっちゃ忙しかったから、仲村さん忘れちゃったんだよ。仲村さん、フラー(バカ)だから」

「オウ、そうだよ。このなかむらーは、フラーだから……何でも、すぐ忘れるんだよ。だから、ハイ、立って、一緒にランチでもなんでも食べてきたらいいさー、ハイ」

 佐和田さんとつばさちゃんは、フロアーの地べたに座り込んでいる娘の絵美ちゃんを優しく両脇を差さえて立たせ、涙を拭ってやりながら絵美ちゃんに語りかけた。

「絵美、お前も今日は勝負の日なんだな。頑張れよ。父ちゃんはな、こんななかむらーでもお前が決めたひとならいいよ。今日は父ちゃんも頑張るからな……なかむら!」

 彼は、急に踵を変え、こちらに向かい近づいて来た。眉がりあがっていて……怖い。

「仲村、ウチの絵美のことを、もう泣かせることは絶対俺が許さんからな。ただし、絵美の花嫁衣裳を着た日の、一日だけは特別だ。分かったな……だったらホラ、今日からお前は息子で、俺はお前のお父さんだ」

 彼は、僕に抱きついてきた。それを見ていた周りの人たちは最初パラパラの拍手が大雨が降ったかのような拍手の大合唱となった。感激のあまりハンカチで涙をふいている人も何人か僕の目にとまる。

 それから、佐和田さんは僕の手と絵美ちゃんの手を取り、二人の手を繋ぎ合わせて、僕たちふたりの背中をそっと押し出した。

「ホラ、行ってきなさい。いって、二人の愛のあかしの可愛いベイビーを連れて、一緒に帰って来なさい」

 僕と、絵美ちゃんの二人はなすがままに、そこにいる人々、みんなの祝福の輪の中を送られるように離れて行く。

 つばさちゃんが何を思ったのか、トマトを手に駆けつけて来て、姉の絵美ちゃんに渡して祝福の言葉を伝えた。目に涙を溜めて……。

「お姉ちゃん、おめでとう。幸せになってね」

 すがるつばさちゃんを、その場に、僕たちは、更に離れて行く。

 背中で、バンザイの合唱が鳴り響く。

 絵美ちゃんは、というと目を潤ませ真っ直ぐ前を見て、歩幅を几帳面にゆっくりと合せ歩く。

まるで、花嫁がバージンロードを歩くように、僕の左腕に右腕を掛け、胸の前に両手を組み、手の中に真っ赤に熟れたトマトを大切そうに持って……。



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