第8話  今宵はミュウとふたり・・・?


                 8



 〝ピッピッピッ〟

デジタルの目覚まし時計のアラームが鳴っている……もう朝だ。


 玄関の方で、バタンッとドアが閉まる音がした。多分、娘の麻美まみだろう。時刻は七時半、麻美はいつもこの時間に学校へと向かう。息子の真樹まさきは、麻美より十分から二十分遅れで出て行く。僕も顔を洗って会社へ向かわないとけない時間だ。そう思い台所へ出て風呂場へ行きかけると、シャワーの音が聞こえる……真樹だ。風呂場のドアを二、三回ノックして真樹に早く出るように声をかけ、ガスレンジでお湯を沸かし、珈琲をドリップし、マグカップに移して一口つけた。


 僕が病院から退院をし、家で子供たちに再会をしたのだが、子供たちにすればただの数日父親がいなかっただけで、ただ一言「おかえり」の言葉だけだった。僕は、入院中に子供たちのことを考えていた。この時代に戻る前は、二人に金のこと以外は何もしてやれなかった。年に二、三回程度の近況報告的なことでしか会えなかった。そんな思いがあって、今度はなんとかしたい、という思いは強くあったのだが、冷めた子供たちの迎えを受け、子供たちへの思いは心の奥底へと退いてしまった。だからといって、子供たちへの想いは消えた訳ではない。あの頃に比べ真樹や麻美はとても若い。僕の気持ちとしては、抱き締めて頬擦ほほずりもしてあげたいのだが、なにせ二人はもう大人の一歩前、もうすぐ大人になるのだ。ある意味、大人の方が物分りは幾分いいのだろう。今のこの二人は、世のことに対し全てを拒否をするだろう。僕が、その年齢の頃がそうであったように……まだ、この子たちが小学の低学年の頃だたのなら、思いっ切り抱き締められただろうに……そんなことを考えながら珈琲を飲んでいると、風呂場のドアがガチャリと開いて、真樹が出てきた。


「お父さん、出たよ」

「アッ、ああ、分かった」

 風呂場から出て居間の方へ行く真樹へ、僕は声をかけた。

「真樹、近いうちに一緒に釣りにいかないか?」

「エッ、釣り? だいじょうぶ。今、全然興味ないし」

 と言い、居間へ行ってしまた……やっぱりなー。今は、何を言っても拒否をするんだ。真樹が三十四、五歳になった頃に、たまに一緒に釣りに何度か行った。今、後ろから見るアイツの体はもう大人として出来上がっているのに、まだまだ内面は反抗期の子供だ……アッ、のんびりなんてしている時間はない。僕も早く顔を洗って、会社へ行かなければいけない時間だ。



 会社へ向かう道路は余り混んでなどなく気持ちよくスムースに走れた。

 今日も、天気はいいが、朝からもうすでに薄っすらと額に汗が浮んでいる。頭の上には雲もなく青空なのに、何処か遠く離れたとこでは雨が降っているんだろうか……昨夜は、具志堅との邂逅の時を祝い酒を酌み交わし、とても楽しかった。僕は少し酔ってしまい、僕が、未来での出来事を話したことに、具志堅はどこか絵空事のように聞いているらしく、ところどで楽しそうに茶々を入れてきた。僕としてもそれは、それで楽しかった。結局僕は、彼自信将来胃癌になる、ってことは、最後まで伝えることが出来なかったのは残念で仕方ない。そこの居酒屋では、具志堅はしきりに若い女の子たちのいるスナックへ行こう、と誘ってきたが、時計の針が十二時を指す頃には、彼の方が先に出来上がっていて、おひらきとなり、各自歩いて家に帰った。

 僕は、とても久しく元気な具志堅をこの目にし、その邂逅の余韻よいんにまだこの身を浸していたい気分となり、帰る途中コンビニに寄って缶ビールを買て帰った。家に戻り二日間の体のあかをシャワーで洗い流し、朝の早いパートをしている妻を起こさないように洗濯干し場のベランダへ行き、買ってきた缶ビールのプルトップを引き開け飲んだ。今更いまさらだが尽々つくづく思う、友達というのはやはりいい。以前の世界では具志堅がこの世を去って、僕は志緒梨と一緒になったが、それを一番に彼に祝ってもらいたかった。何せ、彼が生前の頃、志緒梨に想いを打ち明けられずに鬱積うっせきだらけの僕だったが、いつもその時々の僕の気持ちを、彼を通し埋めてもらっていたのだ。今は、彼がこの世にいる。唯、それだけでも、僕には心を穏やかにできる。その上、彼は僕の今の状況を一番よく知っていて、僕のことを応援するから、とまで言ってくれた。何よりも僕には心強い言葉だった。

 時計を見ると、八時を二十分も越えていた……やばい会社に遅刻しちゃう。愛車のアクセルを踏み込むとブーストが掛かり、ターボのタービンを回し始めた。法廷速度内で走り、点在し走る車たちをパッシングしながら、会社へと少し湿気を含んだ初夏独特の空気の中を突っ切って行く。カーステレオでは、ラバー・ボーイズのそれ行けウイークエンドが流れてる……OK! 今日も仕事、頑張るぞ!。



 会社の駐車場に着くと志緒梨が車の側に立っていた。

 僕はその脇を、回り込むようにし、彼女の車の隣に愛車を止めた。彼女の表情がなんだか暗く感じる。何かあったのだろうか。僕は、車から降り彼女に声をかけた。

「おはようございます。何かあったんですか?」

「アッ、仲村さん、おはようございます」

 そのまま行きかけた彼女に、僕はもう一度問いかけた。

「仲間部長、何かあったんですか? 体調がよくないとか?」

「エッ、エエ、まあ……少しですけど、大丈夫です」

 彼女は、僕に笑って見せたが、表情はまだ暗いままに、僕の前を通り過ぎようとしている。その背中に、更に声を掛けたかったのだが、会社の入口で川平が〝朝礼始めますよー〟と叫んでいた。

 その日の朝は、彼女と話せる時間はなかった。彼女は、明日から那覇のデパートおこなわれる物産フェアーに参加するための商品集めで忙しそうに動き廻っていた。そんな、彼女の側を力なく「行ってきます」と告げて、僕は営業へと向かった。

 営業先では、今朝の志緒梨の表情が心の奥にあったが、得意先の人々に接する間は忘れることが出来た。僕は、営業先のお客さんたちを嫌いになったことがない。それは、僕自身考え実行していることに〝フラシーボ効果〟というものがあるのだが、本来フラシーボ効果というのは心理学用語の中の言葉なのらしい。例えば、神経的なことからくる胃炎での痛みをうったえてくる患者さんに「これは、何処そこの有名なお医者さんが最近創ったよく効く薬だから……」と、なんでもないただの白い粉を出してあげると、受け取った患者は〝これは、自分に、とてもよく効くものだから……〟と思い込み、不思議と痛かった胃炎の痛みが失くなるという……早い話が、患者さんの勝手な思い込みからくることなのだろう。それと、以前阿刀田高(あとうだたかし)という僕の尊敬する大好きな作家のコラムに〝人は、今日は気分がよくないなあ、って思い鏡を覗いて見て、やっぱりよくないのでは? と思うかも知れないが、本来人というものは、鏡を覗く時は誰だって意識というものをしてしまい、何かしら顔を作ってしまうものだ。鏡に映る顔より、まったく無意識な本当の自分の顔は、もっと酷い表情をしている〟というのだ。それを僕は勝手な解釈で引用し、お得意先の中に、この人は付き合いにくい人だ、と思える人に使うのだが、大体ひと付合いのよくない人というのは、いつも不機嫌で周りに嫌な思いをさせていることなどが多い。そこでそんな人に会うときは、出会いがしらの挨拶の後に「オヤ? **さん、今日は何かいいことでもあったんですか?」と聞く。答えは、やはり不機嫌そうに「ないよ。今日は朝から何もいいことなんてないよ」と返ってくる。そこで、「エッ、そうですか? でも、今日の**さんの顔は、すごくいい顔していますよ。人って、不思議と頭では感じていなくても体は、何かしらを予知しているなんてことあるから……**さん、これから、何かすごくいいことがあるんじゃあないですか? とりあえず、先ずは**さん、その顔を鏡で見てきて下さいよ」と言う。そこで、その人はトイレか何処かへと行き、ひとり鏡を見る。その時、鏡に映った自分を意識して見る。もう一つ、不思議と人は鏡を覗き自分を見ることによって、自分もまた人に見られていると自覚のようなものを持つものだ。他の人に対しても自分が、こんなことされたら嫌だ、と思うことは自然としなくなるもので、それによって、その人はいい人となり、その日一日を気分よく過ごす。そんなことを、何度も繰り返すことによって、僕と会うことで自然と今日も一日楽しいという一種のスリコミが出来て僕を好きになり、その上、例えばその人が売り場の人だとすると、顔も硬かった表情からにこやかな表情に変わっていき、接客も気持ちのよい対応をするようになるから、その人の担当の売上げは自然と上がる。また同僚や部下たちも、その人と仕事をするのが楽しく、集まって来るようになる……と言うことで、僕が営業を担当するお得意先の売り場の人たちは、他に比べ成績が常によく、いつも僕を気持ちよく迎えてくれる。しかし、それを果たしてフラシーボ効果と呼ぶかは定かではない。だが、勝手だが僕はそう呼んでいる。そのせいなのか、僕の周りはいつもいい人たちに囲まれ、毎日楽しく仕事をし過ごしている。唯、息の詰まるような自分の家庭にいる時間を除いては……。

 夕方となり、陽も傾き、僕が時計を見るともう六時を越えていて、帰社の時間だ。そこで、僕は会社に戻ることにして、まだ明るかったがライトを点け、ヘッドライロを会社に向け走り出した。

 車中では、カーステレオからブライアン・アダムスのストレート・フロム・ザ・ハートという曲が流れている。その時、ふと思ったのだが、今日、営業に使っているこのもうひとつの僕の愛車で、会社の営業車両のトヨタのバンのライト・エースに乗っている間、何だか湿しめった感じの曲ばかりをチョイスしている。やはり今朝の志緒梨の暗い顔が、心の中にあってのことなんだろうか。彼女はやはり忙しかったのだろうか、今日一日志緒梨からの連絡やメールは、ひとつもなかった。信号待ちになり。助手席にはCDを収めているブック・タイプのケースが幾つかあって、その中から一つを手に取り、パラパラとめくり、聴きたい曲を選びCDを入れ替えた。選んだ曲は、フォリナーの(ウェイティング フォー・ア)ガール ライク ユーだ。その曲は、やさしくリズムを刻み流れだし、僕を心地よく包んでくれた。この時間なら、明日のデパートのイベント用にと、志緒梨は商材集めでまだ頑張っている頃だろう。急いで戻れば、少しぐらいは話しが出来るはずだ。



 会社に戻ると、部長の新城たち、数名が明日のイベントに持って行くたための商材リストを手に、商品集めの真っ最中だった。帰ってきた僕に気づいた川平が、近づいてきてボヤキながら手伝いをせがんだ。

「課長、いいところに帰ってきたすよー。今日、仲間部長が気分が悪いからって、お昼過ぎに帰っちゃたんすよー。もう、本当にイベント関係は部長の仕事だっちゅうねん。だから、課長もお願い。手伝って……」

 と僕の目の前で合掌がっしょうしてきた。

「川平、仲間部長が気分悪いって、本当なのか? っで、何で悪いんだよ?」

 川平に問い詰めながら、僕は部長の新城に目をやった。

 彼は、僕の視線に気づき、苦虫を噛みながら商品集めの手を止めず説明をしてくれた。

「そうなんですよ。僕も五時頃に帰ってきたんですが、この有様だったんですよ。仲間さんに電話をしても、ただごめんなさい、ってしか答えてくれないんですよ。それで、僕もなんでかは分からないんですよ。だから、仲村さんもお願いします」

 とのことで、僕も商品集めをすることになった。その後、明日持って行く商品を箱詰めし、ミーティングをした。

 明日は、仲間部長が出られないかもしれないので代わりにイベントを取り仕切る人が必要なのだが、問題は誰がそこに行くかなのだ。新城の方は、急なことで午後以降ならイベントに参加は出来るが、朝からはとても無理だと言ってきたので、それなら僕がやるとかって出た。

 会社を出る頃には、もう既に十二時前だった。今日は、酒をやめておこうと思ってはいたが、メールを送っても返事のない志緒梨のことが心配で寝付けそうにないので、十二時を越えても開いている、いつも行く自宅アパートへの途中の大型スーパーに行き、缶ビール二つ、チーズとクラコットに惣菜の揚げ豆腐を買って、家へと向かった。

 家に帰ると家族はもう寝ていて、起さないようにとドアを閉め、音を立てないように内に入り。シャワーを浴びた。キッチンで、買ってきたチーズを皿の片側にフォークの背でつぶし、冷蔵庫からレモンを半分搾り、混ぜながら更に粗挽きのブラックペッパーを少々ちらしこね、空いている皿のもう片方にチューブに入った蜂蜜で〝おつかれさま〟と自分へのメッセージを書いた。揚げ豆腐はパックの容器から出さずに、そのまま上から醤油をかけ、又その上から一味をパラパラとき、鰹の削り節を最後の仕上げにさり気なくのせた。寝ている妻を起さないように、足元をそっと通って、干し場のベランダに行き、ビールと肴を、プラスチックの配送用のボトルケースの上に板を敷いた台のその上に置いた。

 先ずはビールを、五百ml缶の半分を一気に喉に流し込んだ。乾いた喉に、冷たい炭酸の刺激と苦味が、今日も心地好い。やっぱり生きている、ってことを実感させる。揚げ豆腐は、箸など用意してないから、そのまま箸を使わずに素手のままにパックから口に運びかぶりついた……これも旨い。指に付いた醤油をなめ、口には、まだ揚げ豆腐があるが、手にはもうビールの缶を握っていた。削り節の旨味が口いっぱいにに広がるが、それ追うかのように一味が噛むほどに口の中でチリチリと暴れ出す。ディープインパクトなアクセントでさらに深く旨味を出してくれる。それで、ビールが強制的に進んでしまう。次に、レモンで練ったチーズをクラコットにのせて、おつかれさま、と書いた蜂蜜をほんの少しだけ付け口に放り込んだ。口の中で、パリパリとした歯ざわりに、チーズとレモンのハーモニーがよく、またまた更に隠し味の粗挽きブラックペッパーも噛むたびに砕けシャープな香りで全体を引き締めてくれる。これも絶品なのだが、どちらかというと、やはりワインのほうが合うようだ。

 僕がその味に、過去の思いに浸ろうとしたその時、麻美の部屋の窓辺から、小さくニャンと鳴き声がし、ベランダの地面にトンと降り立ち、ウチで飼っている猫のミュウが近づいて来た。

 僕の、晩酌に付き合うっていうより、僕の肴が欲しいようだ。僕の、膝に体をあずけるようにして両手をのせ、もう一度ニャンと鳴いた……分かった、わかった。でも、削り節は一味と醤油が付いているし、チーズもレモンで酸っぱいし……ちょっと待ってろよ。今、キッチンに行って、残りもののチーズとおかかを取って来るから、とミュウの頭を撫でながら声をかけた。

 また、そぉと部屋を通って、キッチンに行き、冷蔵庫からチーズを取り、テーブルに置いておいた。小袋の削り節の残りを持って行こうと手を延ばしかけると、小袋の側で僕の携帯電話のメールの着信を知らせる青いランプが点滅していた。

 ベランダに戻り。メールを開くと、志緒梨からのメールだった。

 件名〔こんばんは・・・〕、本文〔 夜、遅くからすみません。

 今日は、気分が悪く、早退をしてしまいました……多分、仲村さんにもご迷惑を掛けたことと思います。本当にすみませんでした!。

 夜も遅いので悪いかなって思ったけど、仲村さんのことだからまだ起きているんだろうなってメールを送っちゃいました。

もしかして、今日も飲んでるのでしょうか?。もし、寝ているのでしたら、ごめんなさい。

今日、私は気分が悪く昼寝をし、目を覚ましたら夜の十一時を過ぎていました。

 おかげで眠れなくって、仲村さんにメールを送ってしまいました。本当に、重ねがさねすみません!〕とあった。

 着信時間を見ると十分ほど前に届いたようだ。僕は、急いで返事のメールを打った。

 件名〔当たりです!?〕、本文〔こンばンは。

 その通り、ご視察どおり。

 僕はまだ起きているし、今日もお酒を飲ンでいます。

 今日は、ひとり淋しい僕に、猫のミュウが相手をしてくれて、二人で(いや、一人と一匹、この場合なンていうンだろう?)男同士やっています!。

 それより、仲間部長は大丈夫ですか? 少しは気分はよくなりましたか?。

 明日のイベントは僕も参加することになったので心配しないで、明日も気分がよくないようでしたら気にしないで休ンで下さい。

 僕は、まだ起きていますから、仲間部長も眠れないのでしたらメールを送って下さい。

待っています!。〕と送った。

 また、膝に両手をのせてきて、ミュウが怒ったようにミャン、ミャンと鳴いた……アッ、悪い、わるい。ごめんな、ミュウ。今、あげるからな、とチーズをひとかけら千切ってあげた。しかし不思議なことに、ミュウは変な声を出しガツガツと食べたが、どうもフニャン、フニャンというより、僕の耳にはどうしてもウミャイ、ウミャイとしか聞こえてこない。

 そういえば、猫も長年飼っていると、尻尾も二つに分かれ、人の言う言葉も解るようになる〝猫また〟になるというらしいしのだが、コイツがウチに来てもう十二、三年は経っているのだから、もしかすると本当は聞くことも出来るし、お喋りだって……僕はミュウを、まじまじと見た。

 ミュウはミックス猫ではあるが、見た目は毛がふさふさのチンチラシルバー猫で、目を真ん丸くして僕をきょとんとし、チーズを欲しがり見つめている。僕は、もう一度チーズを千切って話しかけてみた。

「ミュウ、美味しいか?。もう一度〝美味い、うまい〟って言ってごらん。ホラッ」

 と言ってチーズをあげた。すると、ミュウはまたガツガツと食べた。

「ウミャイ、ウミャイ……」

 と言って……言ってなのか鳴いてなのか、今度も僕の耳にそう聞こえた。

「おい、ミュウ、話し出来るんだ? 何か話ししてみろよ。ホラ、早く」

 ミュウは食べ終えて、また僕の膝に前足をのせてきょとんとした表情でこっちを見ている……一体、僕はミュウに何を聞こうとしているんだ。我ながら、意味不明な言動に戸惑う……ンッ!? そうだ。

「ミュウ、お前、今、幸せか?」

 と聞いたが、やはりミュウは唯の猫ようだ。もっとちょうだい、というように「ニャン」とだけ鳴いた。

 本当に僕は何をしているんだ、我ながら笑える。苦笑をまじえながら、ミュウにチーズの欠片をあげ、ビールを口に含んだ。その時、携帯に志緒梨からのメールが届き、着信音が鳴りだした。

 件名〔ありがとう〕、本文〔 よかった。お邪魔じゃあなくって!……でも、本当に大丈夫?。

 私は、もう気分も落ち着いたから大丈夫です! 心配してくれてありがとう!。

 明日も、大丈夫です!。

 イベントにはちゃんと出られるし、仲村さんも、いてくれるのでしたら逆に楽しみです!。

 ちなみに、今日のお酒は美味しいですか? 私も、飲みたいけど、今度の仲村さんの退院祝いの会まで我慢しておくことにします!。

 その時は、沢山飲んじゃおうかな? もし、酔っちゃったらお願いね!。

 仲村さんの飼ってる猫って、ミュウっていうんですね。

 可愛いんでしょうね?〕とあった。

 僕は、目を疑った志緒梨からのメールに〝酔っちゃったらお願い〟とあったから……僕は、思わずクラコットにチーズと蜂蜜を付けて口に運び、ゆっくり味わいながら噛みしめた。

 この味は、僕と志緒梨、ふたりの大切な想い出の味のひとつでもあったから……ふたりは、過去(現在の僕にとっては未来)でふたりが一緒になり住みだし、週末や何かいいことがあった時にワインを開けた。グラスの側には、いつもこのチーズとクラコットがあった。その時、ボトルの側で灯るローソクの炎に頬を仄かにピンクに色づかせ映る志緒梨の顔が揺らめき、テーブルの向こうで、僕に笑いかけていた。

 そして、そんなふたりを包むように、流れていた曲はボズ・スギャッグスのウイ・アー・アローンだったっけ……口に想い出と共に甘酸っぱさが残る。その甘酸っぱい余韻のままに、僕は一本目の残りのビールを飲み乾し、志緒梨に返信した。

 件名〔僕に任せて下さい〕、本文〔安心して、酔っちゃって下さい! 僕が、責任を持って介抱させて頂きます!!。

 早く、飲みに行く日が、待ちどおしいです。その前に、明日からのイベントも頑張りましょう!。〕と送った。

 しかし、その後二本目のビールを飲み終えても、志緒梨からのメールは帰っては来なかった。……




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る