第6話  疑惑の茄子とひき肉のトマトグラタン


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 日中は暖かくシャツの袖を捲くるほどだったが、今は陽も沈みかけ車内に吹き込む風も肌寒くなった。

 薄暗くなった車道にヘッドライトを点け、僕の営業車両は名護なごでの営業を終え、那覇まではまだまだ距離のある具志川に戻ってきた。

 市街地を抜け道も少し狭くなり、民家から点々と灯りがもれる中を突き進み、村から少し外れたある家の門を通り抜け車を止めた。車を止めた敷地内には、近くの海辺から取ってきたのだろう、ジャリジャリと珊瑚の石化した片欠かけらの上を僕は歩いた。

 ノーネクタイに淡いブルーのストライプの白い長袖シャツに、薄での淡いグリーンの作業着を上から着こんで玄関の扉をガラガラと開け「こんばんわー」と内に声を掛けた。すると、僕と同じ歳のこの家の奥さんが出て来て笑顔で迎えてくれたが、旦那はまだ裏のビニールハウスにいる筈だ、と言うのでそこへと向かった。

 家の裏てに回り行くと、少し離れた所にビニールハウスがあり、それが目に入り僕はいいようもない思いに駆られた。それは、僕が体験した未来のことなのだが、このビニールハウスの持ち主の山城やましろさんという人は、僕より四歳年上で、先程の僕と同じ歳の奥さんと、確か今度小学に上がる男の子に二歳離れた妹と、更に三歳になる女の子がいて、晩婚だったせいで此処ここの夫婦はとても子煩悩こぼんのうだった。その愛情は子供たちにも受けられているのだろう、とてもみんないい子だ。それは、僕にとって理想の家庭だった。旦那の山城さんは、誰にも優しいが、とくに奥さんには思いやりが感じられたし、その奥さんもそれに応えるかのように旦那さんを常に立てて、いつも山城さんの傍で笑顔をたややさない。それも、僕にとって憧れに近い理想の夫婦としての象徴かたちだった。しかし山城さんは、長男が小学生になるのを期に子供たちのためにと、今までの小規模な農業をもっと大きくしよう、と金を多額に借り込み、設備に全て投資した。更に、今あるビニールハウスの奥の土地も買い入れ、作物の種類も多く増やしたのだが、これから本格的に始動するというその年に、例年にないほどの大型の台風が沖縄全域を襲って来た。そして、山城さんの二十室もあった、多額の借金を注ぎ込んだコンピュータ制御のビニールハウスは二室を残し、殆んどは全壊状態となってしまた。そのせいで、人一倍責任感の強かった山城さんは、毎日借金の請求の催促さいそくに耐え切れなくなり気がれ、荒れて残ったビニールハウスのひとつの屋根の骨組みにロープをくくり付け、首を吊った。悲惨なのは、自分の亭主が首を吊りぶらさがっているのを見てしまった奥さんと、残された子供たちだった。それから、十数年もかけ借金に追われながらも奥さんは昼夜を分けず働いた。子供たちも、そんな境遇にも耐え、自分たち自身の出来うるアルバイトなどをし、残された家族は支え合った。長男の淳志あつしが高校を卒業した頃に、僕の願いを会社は聞き届け、アース・フーズの社員となり、僕の退職の日まで、僕のよく気の利く片腕となって働いてくれた。今は、ビニールハウスが四室あって、その中のひとつが明るくあり、扉が開いていた。僕は、もうこの場所へは二度と立ち入ることはない、と思っていただけに万感の思いに駆られ、僕は胸にあった〝こんばんわ〟という言葉を掛けることが出来ず、無言のままに中へと足を踏み入れた。

 僕の目の先にはあたかも幻かのよう、昔よく見ていた光景があった。小さな椅子で腰をかがめ農機具の手入れをしている山城さんの背中がそこにあった。僕は、思わず〝生きている。生きている山城さんが目の前にいる〟それだけで目頭が熱くなっていく。その信じられない光景に呆然自失ぼうぜんじしつとなり、立ちすくむ僕の気配に気づき、山城さんは振り向き僕の懐かしい記憶のままににこにこと笑って言葉をかけてきた。

「どうしたの? 仲村さん、そんな顔して……もしかして、おばけか幽霊でも見た?」

 やっぱり生きている。幻やお化けでもなく、生きて山城さんは僕の前にいる。

「アッ、え、目にゴミが入ったみたいで……」

「アッ、ああ、そう……そう言えば、仲村さん入院していたんだって? 石田いしださんから聞いたよ。大丈夫?」

 石田というのは、アース・フーズの三人いる野菜集配班の主任で六十過ぎの男だ。

「エエ、お蔭様で、この通り元気になりました。山城さん、まだお仕事ですか?」

「いいや、もう終わるとこだよ。明日の朝も早めに青梗菜ちんげんさいを収穫するから、準備していたんだよ」

「青梗菜かー? 山城さんの青梗菜はすごく美味しいですからからねー」

「エッ、仲村さんもう食べたの? ウチの青梗菜を? 今朝、初めて石田さんに持って行ってもらったばっかりなのに?」

「エッ、ええ……石田さんから連絡があった時に、山城さんの青梗菜がとても評判がいいって言っていたもんだから」

 そうか、この頃から山城さんは青梗菜を作り始めたのか……僕の記憶では山城さんの青梗菜は茎の肉厚がとてもあつく、しかもシャリシャリとした食感がたまらなく、他にはひけを全然とらない程美味しかった。もう一度食べたい……。

「ウン、それは嬉しいな。なんせ、青梗菜を作れば、って言ってくれたのは仲村さんだったからなー」

「エッ! 僕がですか?」

「アアー、そうだよ。忘れたのか?……アッ、そうだ。今日、仲村さん、ウチでゆっくりして行かない? 今日、淳志のランドセルを買ってきたんだ。それで、それのお祝いをしよう、と今ウチの家内が準備しているんだよ。なっ、ゆっくりしていってよ」

「エー、でもなー、今日は週始めだし……それに、僕、病み上がりだし」

「いいじゃないか。三年前死んだオバーの部屋が空いているから、そこで今日は泊まっていけよ。淳志の為に祝ってあげてくれないか……なっ?」

 僕は、山城さんに押し切られ承諾しょうだくした。ついでだから、僕は今夜、出来るのなら山城さんに多額の借金をしてまで、これからの大きな事業を展開してゆくのを止めさせよう、という思いがあった。それに、いずれ僕の片腕となる淳志の可愛いランドセル姿をお祝いしてあげたいと思った。



 山城さんの自宅へ、山城さんと戻ると、仏壇のある部屋に長い座敷用のテーブルの上には、もうご馳走が沢山ならんでいた。その中には、すでに僕のための席も用意されていて、子供たちはもうお行儀ぎょうぎよく座って待っていた。淳志の方は、背中にランドセルを背負っていて、僕にやたらと背中を何度も見せる……余程嬉しいのだろう。

「さあさあ、仲村さんここに座って……ウチの人は今、体を洗っているから、先にビールをどうぞ」

 と言って、奥さんはビールの栓を開けようとした。しかし僕は、旦那さんが来てからにして欲しい、と言った。

「ならお茶を出しましょうか? 他に何か欲しいものは?」

 と言われ、僕はテーブルに目をやり、思わずあることを口に出した。

「そういえば、奥さんの自慢の茄子とひき肉のトマトグラタンは今日は作らなかったんですか?」

「エッ! 茄子とひき肉の、トマトのグラタン? 仲村さん、それどんな料理? 私、作ったことないけど」

 ンッ? 何かおかしい。

 僕の記憶では、山城さん宅では何かあって、お招きされる度に食卓にはいつものっていたヤツなのに……僕は、その料理がすごく好きで、作り方までこの奥さんに教えて貰って……その料理を、僕は志緒梨によく作ってあげた。志緒梨はカロリーも気になるし、味にしても彼女はもう少しさっぱりとしたほうがいいとのリクエストで、合挽き肉の代わりに鶏のササミを入れて、志緒梨と僕、我が家の定番料理ともなっていた。正し、それは僕の記憶にある未来での話だが……奥さんがそう言うのなら、僕はいったい誰からその料理を習ったんだろう? 嫌、いいや、そんなことはない。僕は、この奥さんから教えてもらったんだ。それは、絶対間違いない。ンッ? ちょっと待てよ。そういえば、僕はこの料理を教えて貰った時に、僕は「とても美味しい料理だけど、奥さんはどこで覚えたんですか?」と聞いたら、その時、この奥さんは不思議なことを言っていた。「いいえ、誰にも教えて貰っていないし……テレビの料理番組でもないし……ある日、突然いつの間にか出来るようになった」と言っていた。どうなっているんだろう? 頭の整理がまるでつかない。

 その時、僕と奥さんとのやり取りを聞いていた淳志が「グラタン食べたい。僕、グラタンが食べたい」と言い出すと、妹たちも口々に「グラタン食べたい。グラタン食べたい」の合唱が始まった。

 その料理を作れないから、と困惑している奥さんに、僕は「それなら僕が作りましょうか?」と言うと、奥さんは助かった。申し訳ないがよろしくとお願いしてきた。

 それから、この家にある料理の材料を確認をした。茄子とトマトは裏の畑にあるし、ひき肉もたまたま残っているけど、チーズがあいにくないと言う。僕は、一つ忘れていたことを訊いた。。

「大事なことを忘れていました。飾り付けと味のアクセントにバジルも必要なんですが、ビニールハウスの一つはハーブ用で、そこにバジルとオレガノを植えていましたよね」

 と聞くと、又も僕の記憶とはみ合わなかった。

「いいえ、ウチの畑ではハーブなんておしゃれなものは作っていませんよ」

 と答えが返ってきた。

 僕は、何がなにやらフリーズしそうな頭で仕方なく傍にいる淳志に「それじゃあ、一緒に買い物に行こうか?」と淳志と会社の営業車で少し離れた大型スーパーで足りないものを買い、戻って調理を始めた。このグラタンは、僕には手馴れたもので三十分程度でガスオーブンに入れることが出来た。その間、奥さんは、また子供たちにせがまれる筈だからと、メモを取りながら作り方を熱心に習っていた。

 オーブンの焼きが入るまでの間、仏壇のある居間に戻ると、山城さんが三歳の末っ子の娘を胡坐あぐらの中に入れ、もう風呂上りの一杯を呑んだのだろう頬を赤くして待っていた。

「仲村さん、申し訳ないね。無理やり誘っといて、料理まで作らせちゃって」

「いいえ、いいんですよ。折角のお招きですから」

「ありがとう。さあさあ、仲村さん、此処に来て早く乾杯しようよ。はやく、ほら」

 その時、後ろでオーブンがチーンと鳴った。出来上がるのを、オーブンの窓から中を覗いていた淳志が、興奮したように駆け込んできた。

「那覇のおじちゃん、チーンっていたよ。早くはやく、チーンっていったから……」

 興奮気味の淳志は、顔を高揚こうようさせ、せがんで来た。僕はこの家では〝那覇のおじちゃん〟と呼ばれていた。

 台所へ行き。オーブンから大き目のグラタン皿二枚を取り出し、新聞紙の上に乗せ居間に持って行った。用意は万端、先ずは淳志の入学に乾杯をし、グラタンを人数分取り分けてあげた。子供たちは、それをフーフーしながら口にした。子供たちは大声で「美味しい。おいしい」と連発で、とてもにぎやかだ。奥さんも一口食べて、やはり「美味しい」と言って旦那にも勧め、山城さんも同じく「美味しい」の連発で、一皿ぺロリと平らげてしまった。僕としては、漫然まんぜんとはしない……当たり前のことだ。なんせ、この料理はもともと山城家の定番メニューなんだからイチイチめられても、と思ったが、今この家族はこの料理で歓んでくれているのだから、それはそれで僕も嬉しい。

「仲村さん、このグラタンはやっぱりバジルっていうのが入っているから、ハイカラな味になっているの?」

 と向かいで奥さんが、グラタンの入った皿を持ち、質問してきた。

「エエ、そうですよ。それに、今日作ったトマトとバジルの料理はちょっとアレンジすれば、ピザソースやパスタのミートソースとしても使えますよ」

 僕は以前、目の前にいる奥さんに言われたことを、同じように伝えた……やはり複雑だ。

「バジルって、この千切ってのってる葉片はっぱか?」

 僕の傍にいて、ビールの入ったグラスを飲み干し、山城さんが口を割って話し掛けてきた。

「この、バジルっていうのは野菜なのかなー?」

「いいえ、ウーン、野菜っていうより……やっぱり野菜、香味野菜です。ハーブって分かりますよね」

「アア、ハーブか……いいね。仲村さん、このバジルの栽培は難しいのかな」

「山城さん、興味持ったんですか? いいですねー。バジルはフーチバー(ヨモギ)とかと一緒で、雑草みたいなものだから、全然手が掛からないですよ。それと、ローズマリーとか、他にも料理に使えるハーブは色々と種類がありますよ」

「雑草みたいに? 本当か? それなら、今度新しくハウスを作って、そこをハーブだけのものにしよう。仲村さん、ありがとう。この前から何を植えようか悩んでいたんだ」

 僕は、一瞬に凍りついた。もしかして、山城さんはもう畑を拡張して手を広げようとしていて、僕もそれに拍車を掛ける手伝いをしようと、しているんじゃあないのか、とおもむろ驚愕きょうがくを覚えた。

「や、山城さん、新たにビニールハウスをですか?」

「ウン、そうだよ。隣の赤嶺あかみねのオジー知ってるよなー。赤嶺のオジーが、もう年だから農作業はもう身体からだにこたえて出来んから、畑仕事は辞めるからビニールハウスの骨組みとか色々資材が余っているからあげる、って言うし。畑の土地は奥にまだハウス二つ分あるしなー」

 それを、聞いてホッとした。凍りついた思いがすべて解け、気が楽になった。

「山城さんやりましょう。ハーブにイチゴを、僕がお手伝いしますから」

「イチゴ? 嘘だろ、沖縄で苺か? 難しいよ」

 僕は、知っていた。沖縄での苺の栽培方法を……それは、僕がいた以前の記憶で、山城さんはハーブや苺を育てていた。山城さんの、苺は沖縄の情報誌等にとり上げられ、沖縄でも新鮮で瑞々みずみずしく美味しい苺が食べられる、と珍しがられ評判になっていた。

 その頃に、僕は山城さんに苺の栽培の難しいことをいつも聞かされていた。また、その大変なことを乗り越える為のノウハウも、山城さんに教えて貰っていて、今もこの頭に僕の中には未だしっかりと残っていた。だから、僕には確かな自信があった。何より、今の収入が増えれば、ビニールハウスを拡張し、多額の資金を借金までして入れることはなくなるだろうと思った。

「いいえ、山城さん、僕に任せて下さい。僕が教えますから、御安心をして下さい」

 僕は、胸を叩いた。

「よし、仲村さん、分かった。やろう。仲村さんが、そう言うのなら、なっ」

 山城さんは、奥さんに問い掛けるようにうなずいた。

「それはそうと、仲村さんはいい時に来てくれた。今日の昼間に、農協の新垣あらかきがきて、息子の淳志の今後の為にハウスをもっと拡張して、もう少し設備を充実させないか、と言っていた。資金の方も自分に任せてくれたら心配ないからって……本当に今日はお祝いするにはよい日だ」

 僕の脳裏に、新垣の顔が浮んだ。

 新垣というのは、農協の農機具とか資材等を専門に販売する営業職員だ。悪いヤツではないが、風貌ふうぼうが眼鏡で痩(や)せていて、何より僕には彼からなぜか薄幸はっこうという得体の知れないものを感じさせる。僕は仕事がら、農協の職員とは二、三年の付き合いしかないが、僕は新垣の性格を知っているつもりだ。アイツは、大事な時にいつも逃げてしまう。そんな気の弱さを持っていた。山城さんが自殺した時も、あいつは葬式にも来ないでいつの間にか農協を辞め、この沖縄の地からもいなくなっていた。

「山城さん、ハウスを拡張とかするのは止めましょう。苺の栽培場所は、今植えているゴーヤーのハウスを使いましょう。ゴーヤーは今後、宮崎とか他府県から入って来るのが増えてくるから、ゴーヤーは他の人に任せましょう」

「でもなー、新垣が言っていたことも一理あるんだよなー。ゆくゆくは淳志の今後を考えると、今が俺にとっての勝負の時かなって」

「ウーン、淳志君のためですか? そうだ、淳志君のためだけではなく、家族の為に、山城さんに何かあった時のために、生命保険にでも入ったらどうですか?」

「エッ! 生命保険ですか? 私、生命保険って、何か縁起が悪いわ。このひとに早く死んでくれ、て言っているみたいで」

 今度は、奥さんが話に入ってきた。

「いいえ、奥さん。僕は、そんなつもりで言った訳ではないですよ。僕は、ただ提案として言ってみた、だけなんですから」

「オイオイ、仲村さんが困るようなことを言うなよ。仲村さんも、俺たちのことを考えてのことを言っているんだからな。仲村さん、ありがとう。このことは、自分なりに十分考えてみるよ。それより、そろそろ酒をビールからシマー(泡盛、あわもり)に変えよう。オイ、水を持ってきてくれんか」

 それから、山城さんは酒を飲む場所を居間にそくした縁側に移した。そこで僕たちは、ゴムのビーチサンダルに足を乗っけて、縁側のふちに腰掛け乾杯を仕直した。

 山城さんの傍では、淳志が酒のツマミのポテトチップスとさきイカを食べていた。山城さんは、島酒の一杯目を飲み干し、トイレへ立った。後ろの居間では、奥さんがテーブルの上を片付けている。僕はふと思い出し、携帯を取り出した。携帯の時刻では10:17とあり十時をもう過ぎていた。

 メールで、件名〔まだ起きていますか?〕、本文〔こンばンは仲間部長、まだ起きていますか?。

 僕は今、夕方六時に、業務を終え、具志川の山城さん宅にて、お酒を飲ンでおります。

 今日は、山城さんの長男が小学校に上がるとのことで、お祝いをしていて、そこで僕もお呼ばれをし、楽しく飲ンでおります。

 仲間部長は、今何をしていますか?……もし眠っていたのなら、ごめンなさい。〕と志緒梨に送った。

 その側で、珍しいのか淳志が、携帯の画面と僕の指を交互に見ていた。

「そうだ。淳志、この近くに、のりこちゃんて女の子がいるだろ?」

「ウン、いるよ……のんちゃん、いつも僕のこといじめるんだ。かわいくないくせに」

「そうなんだ。でもね、その子はとてもいい子だよ。それに、大きくなったらとてもきれいな美人さんになるから、大事にしてあげてな」

 則子のりこというのは、淳志の幼馴染で、淳志が苦労をしている時も身近でその姿を見ていて、大人になり淳志のお嫁さんになった子で、とてもいい子だ。僕は、淳志が片親だったので、亡くなった山城さんの代わりに父親として結婚式に出たが、今度は出来れば仲人役として出たい。

 淳志に、もう少し話しかけようとした時に、手にしていた携帯のランプが点滅し、メールの着信音が鳴り出した。志緒梨からだ。

 件名〔業務連絡ありがとう……?〕、本文〔わざわざの業務連絡をありがとうございます!。

 仲村さん、連絡が遅いですよ! プンプン!!。

 仲村さんからのメールがこないから営業先で何かあったのかと心配していましたが、山城さんのところにいるんですね?。

 でも、まさか本当にお酒を飲んではいませんよね?……貴方はまだみ上がりなのですからね!。

 仲村さん、くれぐれも帰りは気をつけてくださいね!〕とあった。

 僕は返事に、件名〔 無し 〕、本文〔ご心配かけてすみませン。

 今夜は、山城さン宅に泊まり、明日は直接出社の予定です。〕と送った。直後にトイレに行っていた山城さんが、手に何か炒めものがのっている皿を持って戻ってきた。

「ホラ、仲村さんが多分食べたいだろうと思って、俺が作ってきた竹輪ちくわと青梗菜の炒めもんだよ」

 と言って、山城さんは皿をさし出した。見ると、竹輪にしっかりと焦げ目を付け、和えた青梗菜の炒め物だった。僕は、一口食べ思わず、「美味しい」と言葉が割って出た。味は塩だけで十分だった。竹輪から出る旨味に、濃い目にはいった塩と一味が効いていて酒のさかなとしてはバッチリだった。僕には、懐かしい山城さんの青梗菜の肉厚のある茎がシャキシャキとしていて、申し分なく最高だった。

「仲村さん、ウチで採れた青梗菜の味はどうかな?」

「イーヤ、もうー最高。何も言うことないですね」

「ありがとう。仲村さんに、そう言われるとすごく嬉しいよ。仲村さんは、おべっかの苦手な人だからね」

「エッ、山城さんこう見えても、僕は営業マンなんですよ」

 と言ったら、山城さんは僕の目を見て「……アッ、違いないや」と言い、二人で大口開けて笑った。

 少し間が空き、山城さんがポツリと口を開いた。

「仲村さん、さっき携帯を手にしてたのは、例の彼女とのメールか?」

「エッ、例の彼女って?」

「また、知らばくって、この前〝最近、気になる人とメールのやり取りをしている〟って言っていただろう。その人って、どんな人なんだ?」

「アッ、そう、その人はとてもいい人ですよ。優しくて……」

「そうか、大きなお世話で、前にも聞いたけど、仲村さんは奥さんとは、もう何とかならないのか? 子供たちのこともあるだろう?」


「エエ、もう今更いまさらです。子供たちのことも出来るのなら、僕が何とかしたいんですけど……僕は男で、子供たちのことはやっぱり女親がみるべきで、女房の方も手放さないと思います。それに、今彼女と一緒の部屋で同じ空気を吸っているのさえ辛いんですよ。窒息ちっそくしそうで」

「フーン、そこまでか。大変だな」

 僕は、そこから言葉を返すことが出来ず、薄暗い庭を見つめた。

 山城さんは胡坐をかき、その膝をまくらに淳志がいつの間に寝ていた。奥さんがお風呂に入ってるから仕方ない、と息子の淳志を起こさないように、抱きかかえ寝床ねどこに連れて行った。僕は独りになり、しばらく庭を眺めていると、何処からか夜香木やこうぼくの香りが風にのり、そして僕の鼻孔びこうをくすぐった。もうすぐ夏がすぐそこまで来ている。そんな季節を知らせてくれる。

 僕は後ろでに手をつき、背と膝から爪先を思いっきり伸ばし、ウーンと唸った。久々に口にする酒が、体中に行渡り気持ちがすごくいい。空を眺めると無数の星々が澄んだ夜空で煌めいていた。

「仲村さん、私もお酒をいいですか?」

 不意に背中で、お風呂から上がってきた奥さんが、ビールとグラスを手に声を掛けてきた。

「アッ、はい。どうぞ……アッ、僕がビールをお注ぎしましょうか?」

「はい、宜しくお願いします」

 とグラスをかたむけ、こちらに向けた。僕が、ビールを注いでいると、山城さんが戻ってきて、奥さんの肩をひとみして言葉をやった。

「オウ、やっと今日も一日終わり、お風呂もあがったか……お疲れさん」

 夫婦、ふたりだけで乾杯をした。やや時間が空き、山城さんが不思議そうに僕に訊ねてきた。

「気になっていたけど、仲村さん、煙草は止めたのか? 今日は全然吸っていないけど、もし煙草を切らしているのならホラこれでも……俺も、この前から体のことを思い三mgのヤツにしたんだ。仲村さんには軽いかもしれないけど、これでもよかったら……」

 と煙草を差し出してきた。その時、僕には志緒梨の、僕が死ぬ間際の悲しんでいた顔が浮んだ。

「山城さん、ありがとう。でも、僕は煙草を止めちゃいましたよ」

「本当か? ほんとに止めたのか? 先週まで吸っていたじゃあないか」

 山城さんは、目を大きく開いて聞き返してきたが、傍にいた奥さんが山城さんの膝に手をおき、話しにのってきた。

「ホラ、仲村さんも煙草を止めたんだから、貴方もこの際やめたら」

「ウーン、俺も考えておくよ……」

 それから一時間程、三人で酒をみ交わしながら話をし、僕は床に就いた。寝所は亡くなったお婆さんの部屋だったが、久々の仕事疲れと酒の酔い、何より身体は病み上がりということもあり、すぐに自然と眠りに落ちた。



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