第5話  僕の念い


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 週も明け、生涯二度目の二千四年の三月十五日の月曜日。

過去に定年退職をしたという僕の記憶から思うと、とても久しぶりの出社の日となった。

何せ、裸眼で見る車のフロントガラスから見る景色は新鮮でたまらない。その上、趣味の一つだったドライブが癌の発病と共に出来くなっていたから、今朝、ドライバーズ・シートに身を深く沈めた体は感激に、身を震わせたくらいだった。

 出勤時の道程みちのりは、スムースに行くと平均二十分くらいでいける。あいにく今日の道路は多少混んではいたが、家を余裕よゆうを持っていつもより早めに出たのと、今日の僕の気分がよかったからぜんぜん気にもならない。ゆったりと流れる懐かしい景色に僕は目を奪われ続け、刹那的に流れる時、二度目の今この時を僕は楽しんでいる。季節は初夏を迎えようとしている今、朝の風が少し涼しげに感じ、ハンドルを握る手にも心地好い。

 この頃の、僕の愛車は中古の黒いボディのダイハツ・リーザ・ターボだ。ハンドルのグリップ感も懐かしく、更に気持ちいい。狭い軽自動車のリア・シートを倒してフラットにし、四十センチのウーハー二器搭載のスピーカーボックスが、ハッチバックの殆んどのスペースを占めている。カー・ステレオの電源をオンにすると、英語で早口でしゃべる男性の声が聞こえてきた。FMでFENの局、いつも僕が聴いていたキー局で懐かしい。

 更に他のチャンネルに幾つか切り換えてみると、どれも邦楽が流れていたが、やはり懐かしかった。しかし、CDのボタンに僕の目はとまった。今、このボタンを押せば何が流れるんだろう? この頃に、僕はどういった曲を聞いていたのか、すぐには思い出せない。若い頃、僕はハード・ロックに夢中で、仲のいい友達とバンドを組んでいたのが、結局は何も実績など出せなかった。おかげで、その思いはかなり永く引きずっていたから四十を越えたこの頃にだって、このボタンを押せばヘヴィーな曲がかかるんじゃあないだろうか……少し高鳴る鼓動を抑え、ボタンを押した。FMの音が消え、少し間が空き、ドキドキと胸をときめかし待っていた僕の耳にベリンダ・カーライルのヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アースが入ってきた。僕は思わずワーオ! と驚喜きょうきした。期待をしていた曲ではなかったが、期待以上いじょうだった。何故だろう? 多分、この世界に志緒梨という大切なひとがいるということに、この曲の歌詞の内容と共感し、力強いビートが全身を駆けめぐり、僕は生きているんだ、前にもましてこんなにも若くなり、気もって、これまでにもなく気力に満ち溢れている。その思いに駆られ、ついハミングして仕舞う。それに連られ、混んでいた道が開け、と同時に車のアクセルまでも深く踏み込んでしまう……ああ、神様、ありがとう。

 僕はこの世界、志緒梨がいるこの世界に生きている……へヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース・ウィズ・シオリだ。


 いつもの出社時間より早めに会社の駐車場に着いた。先に志緒梨の車ミツビシ・デリカ、一台だけぽつんと止まっていて、その側に僕も車を止めた。

 先週、志緒梨が病院にお見舞いに来てくれて、それ以来ずっと彼女のことを考えていた……僕は、どんな顔をして志緒梨に会えばいいのだろう? いいや、大丈夫。自然に「おはよう」って笑顔で言えばいいんだ……〝そうだ、笑顔だよ〟そう自分に言い聞かせるが、僕の心臓の鼓動はピークというものを知らずに高鳴り続ける。それに、車から会社までの距離はそれ程ないというのに足がもどかしく、もつれそうにもなる。

 僕の狂った時間の概念の六十秒足らずの中、僕の脳はフルに働きながらも、やっとの思いで、会社のドアにたどり着いた。意を決して、僕自身、渾身こんしんの笑顔でおはようを言おう、とドアを開けた……っが、事務所の中は、誰の姿もなくシーンと朝の気配を漂わしているだけだ。何か張り詰めていた僕の糸はプツッと切れ、気が抜けた。肩すかしをくらったような思いだ。懐かしいオフィスの記憶をたどり、その当時の自分のデスクへ行きかけた。その刹那、不意に背後から声がした。

「仲村さん、おはよう……」

 後ろを振り向くと、マグカップを二つ持ち立っている志緒梨がいた。

 思わぬ意中の彼女の存在に吃驚びっくりした僕は、思わず後ずさりをしてしまったが、その時、出っぱった書類棚の角に、左肘をしびれが出るほどに強く打ってしまった。肘を抱えしゃがみ込み、痛さに声も出ず悶絶もんぜつする僕に、彼女はカップを側のデスクに置き駆け寄り、僕の右肩に手をおき、心配そうに「大丈夫?」と声をかけてきた。

 僕は、肘が痛いのは痛いが、肩に感じる忘れもしない懐かしい志緒梨のあの頃と同じ温もりに、ただ嬉しく複雑な思いでいた。

「エッ、どうしたの? 痛くはないの?……そんな面白い顔して」

「ンッ、大丈夫。ただ、肘を打っただけだから」

「本当に、大丈夫? 今、凄い音がしたよ……いつもは、朝礼の時間ぎりぎりに来る仲村さんだけど、今日は、早めに来るんじゃあないか、と思って珈琲を入れていたの……一緒に飲まない?」

「エッ、あ、ありがとう……飲みます。頂きます」

 ふたりは、会議用に使っている大きな楕円形だえんけいのテーブルに椅子を引き寄せて腰掛け、そして僕は、彼女が入れてくれた珈琲に口をつけた。

「どうお? 私の入れた珈琲は美味しく出来た?」

 僕は一口飲んで、素直に美味しいと思った。

「ウン、美味しいよ」

「よかった……仲村さんは、朝のほんの少しの時間しか事務所にいなくて、朝礼が終わって、営業に行く準備が出来たらさっさと出かけちゃうでしょう? 最近、仲村さんとメールのやり取りをし始めてから、仲村さんが事務所にいる僅かな時間だけど、気になって見ているとね。分かってきたもののひとつが、仲村さんの口にする珈琲なんだけど、一杯目は濃い目の珈琲にお砂糖とミルクをティースプーン二杯づつ入れて、時間があってもう一杯飲む時は、二杯目からは薄めの珈琲のブラックだよね?」

「ウン、ありがとう……でも、よく見てただけで、僕の好きな味が分かったね。珈琲は、大好きだから薄めにすると沢山飲めるし、でも、朝は何も食べないで来るから、自然と砂糖とミルクを入れるんだんだ。砂糖とミルクを入れる場合は、僕なりに珈琲は濃くないとね」

 エッ、ンッ? ちょっと待てよ。彼女は、最近の僕のことが気になるって? ってことは、もう彼女の中では……そうだ、神様はちゃんとこの世にいて、僕に今がその時だってその時間を与えてくれたんだ。だから、僕をこの時代のこの時に〝ああ、神様、ありかとうございます〟と僕は心の中で感謝をし、改めて彼女を見なおすとかわいい。やはり可愛い。僕が死ぬまでの記憶の中で、つい最近までの三年間一緒に暮らし、いつもこの腕の中にいたひと……あの頃に、比べると、勿論もちろん、目の前の彼女はとても若くて可愛い。そのひとがつぶらな瞳で僕を見、目の前にいる。手を伸ばせばすぐそこに……もう言葉なんて要らない。唯、思いきりぎゅうっと抱き締めたい、そんな衝動に駆られる。そうだ、勝手な思い込みでもいい、ストレートに胸の内を伝えよう。

「仲村さん、どうかしたの?」

「アッ、し、志緒梨さん……あ、あのう……」

 彼女の、手を握ろうとした時、入口のドアが開き、後輩の川平かわひらが出社して来た。

「おっ早うございます。アッ、課長、もういいんですか? それに、小那覇おなは部長と二人で、何してるんですか? なんか怪しいなー?」

「何でもないよ。お前こそ、今日は何で早いんだ」

「エー? 僕はねー、新城部長に、今日の掃除当番は仲村課長だから、代わりに僕がやれって言われたからきたんですよー」

「アアー、そうなのか。もう分かったから早くしろよ。お前の当番の時には、俺がやってやるから」

 アアーかみさま……神様、あなたはやはりこの世におられないようですね。

「ちょっと待って、川平君……あのね、仲村課長のね、退院祝いをいつしようか、て話していたのよ。川平君なら、何処かいいところを知っている筈だから、お願いしてもいい?」

 お調子者の川平は、親指を立てて〝任せて下さい〟というようなポーズをとり、志緒梨の頼みに気をよくしたのか、掃除道具を取りに行き、ハミングしながらモップ掛けをし始めた。志緒梨は、その様子を見て、僕に向き直りチロッと舌を出して笑みを見せた。

「いいですよね? そういうことで……」

「エッ、何がですか?」

「仲村さんの、退院祝いのことです。日頃、こんな風に落ち着いてお喋りも出来ないから、その時は沢山お話しませんか?」

「エエ、もちろん喜んで、楽しみにしています」


 その日は、いつもの通り八時半に朝礼を行い、そこで僕は入院をし迷惑を掛けたことへのびも含め挨拶をして朝礼も終わった。営業へ行く仕度も出来、僕はそろそろ出掛けようとした時、志緒梨が社長室から出てきた。いつものことながら、父親である気難しい社長に無理難題を吹っ掛けられたのだろう。顔には、今朝、僕に見た笑みはなく表情が硬い。僕の席は、彼女のデスク向いで、彼女はそのデスクの前で思案に暮れ立っている。そんな彼女を僕が見ている、と彼女は僕の視線に気づき、寂しげに〝いつものことよ、気にしないで〟という淋しそうな笑みを僕に取りつくろった。その、彼女の寂しげな微笑に、僕は「いってきます」と立ち上がり告げた。

 僕は、事務所を出て、自分の営業車両に乗り込み、すぐ携帯電話を取り出し、志緒梨にメールを打った。

 件名〔お疲れさまです!〕、本文〔今日も朝から大変ですネ?。

 小那覇部長、改め仲間部長。そんな辛いことを部長独りで抱えちゃあ駄目ですヨ。

 部長の、そんな大変なところも見ている人もちゃんといます……僕は絶対、その中のひとりです。

 仲間部長、頑張って下さいネ!?〕

 と送って、車のイグニション・キーを回し、会社の駐車場を出た。


 僕は会社から出て、五分程車を走らせ、思わず懐かしい弁当屋を見つけ、車を路肩に止めた。お店に行くと、少し驚いた顔をしたそこの奥さんが僕を出迎えた。

「アラッ、いらっしゃい。もう大丈夫ですか? お宅の従業員さんが、当分は課長さんは来ない筈だから、て言っていましたから」

「アッ、どうもご心配かけました。この通り元気になりました」

「で、今日もいつものですか? 揚げサンドは、今揚げたばかりですよ」

「アッ、はい。それを二つと、このポーたま(ポークとたまご)弁当を下さい」

 この頃の僕は、家庭内別居の最中さなかで、朝食代わりと営業を担当する地域が中北部で、そこに行くまで一時間近く掛かるので、運転しながらでも食べれるサンドウィッチや惣菜などを買うのが日課となっていた。買ったものを袋に入れてもらい、車に戻ろうと歩みかけると、背後からしゃがれ声がし呼び止められた。振り向くと、此処の弁当屋の亭主だった。だが僕は、その彼の名前を知らない。身長はあまりないが、見た目が熊みたいな体格をしているので、僕の中では勝手に〝赤鼻の熊〟と命名していた。僕の心情としては、朝からこの亭主に会うのはちょっと苦手だ。何せ、会う度に、この熊は酔った赤ら顔で話掛けてくる。その上、たまに嫌味を言ったりするからだ。

「ヨッ、課長さん、入院していたんだって? それも栄養失調だって? 駄目だよ、ウチの弁当を食べていながら、栄養失調だなんて」

 案の定、やはり今日も赤ら顔で憎まれ口を叩いてきた。だがその熊は、不意に後ろの店内にいる奥さんに向かい、僕の予想に反したことを口にした。

「オイ、今出来上がったゴーヤーチャンプルーをパックに入れて持って来いや」

 と言った。余り間をおかず、奥さんがパックを袋に入れて持って来て僕の前に差し出した。

「エッ、いいんですか?」

 僕が、恐縮しながら袋を受け取ると、奥さんが小声で周りのお客さんに聞こえないように返事をした。

「イイエ、いいんですよ。いつも課長さんには、ウチに来て頂いて、その気持ちですから」

 その側で熊が、如何いかにもこれみよがしげに周りに聞こえるように大きく吠えた。

「いいんだよ。ウチの安心、安全で尚且なおかつ栄養たっぷりな弁当を食べて栄養をつけて、早く元気になってなッ」

 ついでに、僕は背中を思い切り引っかれた……嫌、叩かれた。

 僕は、お礼を言って車に戻りかけたが、一瞬あることが脳裏をかすめ、記憶を呼び覚ましてしまい、後ろを振り返り亭主に向かいあることを言った。

「お弁当屋さん、お酒を飲むのもいいけど……飲みにいく時は、絶対車に乗って行ちゃあ駄目ですよ」

「なっ、何だよ、急に……なんで、お前見てたのか? いいかげんなこと言うなよ」

 僕が、どうしてこんなことを言うのかというと……それは、記憶に、この亭主がこれから三年後に酒酔い運転での事故で亡くなるからなのであるが……なんて説明をすればいいのだろう。

「ホラ、あんた。課長さんもこういってんだよ。好きな酒は飲んでもいいけど、酔って車を運転するのだけは駄目だからね、って……もし、あんたが今度酒飲んで運転なんかしたら、あたしはもう離婚だからね。課長さんありがとうございます。実はね、今朝もそれで喧嘩けんかをしてたんですよ。本当にありがとうございます。ホラ、あんたも頭を下げてお礼を言ってよ。課長さんも心配をして言って下さったんだから、ホラ」

 亭主は、しぶしぶ頭を下げたが、僕は背中に熱い視線を感じながら車に乗り込み走り出した。

 車を走らせながら揚げサンドを食べ、一口づつ遠い過去を噛み締めた。やっぱり、この味だ。僕は、この味を忘れていなかった。改めて思う。というより願いに近かった。なにせ、事故を起こし、そこの亭主がいなくなり、弁当屋もなくなってしまって、それ以来二十数年越しのこの懐かしい味だった。この揚げサンドの為にも亭主には酒酔い運転はしないで欲しい、と僕は心から願っていた。気がつけば、僕はしみじみと味わって食べていた筈だったが、いつしか二個目もペロリと完食してしまっていた。未だ何か物足りなく走行中の車を空き地に止め、貰ったゴーヤーチャンプルーを半分だけ食べよう、とパックを開けて口にしたが、この味も懐かしく、結局これも完食した……お弁当屋さんには、つくづく感謝の思いでいっぱいだ。が、不意になぜ弁当屋の奥さんが物憂ものうげに笑みを見せたのか、思い当たったような気がした。というのは、僕が毎朝のように弁当を買いに来る。その時、お店の前には僕の止めた営業車のアース・フーズの安心・安全健康をうたい文句の書かれた看板が大きく貼られている。ちまたでは、その頃にはもう無農薬野菜のアース・フーズとし認知されていた。その車が店先に止まっている、となれば自然とお客は此処のお弁当は無農薬野菜を使った食材で安心して食べれるものなんだ、と勝手に思うんだろうな、と……何か、してやられたような感じで感謝の気持ちもあやふやになってしまった。

 それから、北へ向かいながら大口の取引先のホーム・センターのガーデニング関係を二件ほど廻り、店長や売り場を担当していた主任さんたちとも懐かしく話しをした。未来のことを少し知っている自分としては、少しいやらしいかな、と思いながらもこの頃は未だ唯のバイト生たちとも話をした。これから実績を積み店長やバイヤーになっていく彼らだが、今は未だあどけない。

 その後は、自社の置かせてもらっている売り場の棚の整理と受注を頂いて車に戻ると、車内に僕は携帯電話を忘れていた。スピード・メターのパネルの前に置いていた携帯のメール受信ありのランプがチカチカと点滅していた。メールを開くと、志緒梨からの受信で十五分が経っていた

 件名〔いつもありがとう〕、本文〔仲村さん、いつも私を見ていてくれてありがとう。

 仲村さんからのメールは、いつも私を元気づけてくれる……私にとっては、まるでビタミン・メールです!。

 午後のお仕事も頑張って下さい!。

 PS.仲村さんはまだ病み上がりですから、二、三日はお仕事も程々にして下さいね!!。〕とあった。

 ビタミン・メールかー? 上手いこというなー。僕にとっても彼女からのメールは、紛れもなくビタミン・メールだ。僕の想いさえ届いているのなら、それは絶対、ビタミン・I(愛)なんだろうなあ……って、なんか違うか? 先週、病院を退院して家に戻り、その頃の僕と彼女の携帯のメールの受信歴や送信歴を見て尽々つくづくそう思う。ビタミン・メールだと‥…ふたりのメールのやり取りは一日最低でも二件はあり、多い日には十件を超える程で、読んでいてお互いの思いやりを感じる。唯、そこに愛を感じると言えば……僕の一方的な、勝手な思い込みかもしれない。

 僕も、志緒梨に返事のメールを打った。

 件名〔僕の方こそ・・・〕、本文〔早速さっそくですが、ビタミン・メールっていいネ!……ナイス・ネーミングです!。

 仲間部長のご忠告の通り、今日は仕事を早めに切り上げて帰ることにします。

 仲間部長も、午後のお仕事を頑張って下さい!。

 PS.僕の、メールが仲間部長にとってビタミンになるのなら、これからも沢山送ります!!〕と打ち、送信をした。時刻を見ると、十二時を十七分も過ぎていた。

 僕の体に、僕の思考はもうこの頃の僕自身と同調シンクロしコンプリートした状態なのか、古い記憶の慣れ親しんだまま、違和感もなく行動をしている。この日も、この頃の習慣で十二時に食事はとらず、また二件ほど得意先を訪問し、三時を過ぎた頃に具志川ぐしかわの発電所近く、海を望む空き地に車を止め、遅い昼食をとった。弁当を食べ終え、自然とYシャツの胸ポケットに手をやり、思わず苦笑してしまった。僕はこの頃、身体には何も異常はなく至って健康で、まさか七十二の歳に自分が肺癌となり、医者にも見放され余命八ヶ月と宣告されるなんて未来を知らずにいたから、煙草を一日に二箱も吸っていた。この時代に戻って、意識はしなくても体はこの頃のままだから、無意識にこの頃いつも胸ポケットに入っていた煙草を取ろうと探す仕草にあきれたのだった。僕の思いには、あれほど苦しんでやめた筈の煙草だったが、体は欲しがった。だがその反面、僕が死ぬ間際に、必死に僕を呼びかけていた志緒梨の顔が浮かんだ。僕は、もう彼女のあんなにも切ない悲壮なまでの顔は二度と、というより僕は志緒梨といつまでも六十八歳を越えても傍にい続けたい。だから、一日でも永く僕は志緒梨の傍にいるんだ。その為に、僕は今のこの時代に戻って来たのだから……そのことが、何よりも大切なことだ、と今の僕は思う。今といえば、彼女、志緒梨は今、何をしているんだろう? ビタミン・メールを送ることにした。

 件名〔お疲れ様です!〕、本文〔午後のお仕事、頑張っていますか?。

 僕は今、海を見ながら遅い昼食をとったところです。

 今日も天気がよく底抜けに明るい太陽を見ていると、仲間部長のいつも明るく笑った笑顔を想い出します!。

 海が、キラキラと輝いてきれいです!。

 潮の香りをのせた風も、とても気持ちいいです!。

 またメールを送ります!……具志川の海辺より、かしこ。〕と打ち送信ボタンを押したが、また同時にメールが一件届いた。志緒梨からだった。僕と彼女の想いがひとつになったような、勝手にそんな錯覚を覚えてしまう。やはり、僕にとって彼女は運命のひとなんだと思ってしまう。

 着信ボタンを押して彼女からのメールを読んだ。

 件名〔体調は如何ですか?〕、本文〔お疲れ様です!……体調は如何ですか?。

 私は、店舗廻りをして、只今ただいまやっと一息入れているところです。

 今朝の仲村さんの退院祝いの件ですが、仲村さんは大丈夫ですか?。

 今まで仲村さんとお酒を飲んだことがないので、私はすごく楽しみにしていますが……仲村さんのお返事をお聞かせ下さい?。〕とあった。

 返事を送ろうとメールを作成していた時、また志緒梨からメールが届いた。

 件名〔仲村さん、ひどーい!!〕、本文〔私が底抜けに明るい太陽?……ひどーい! どうせ私は底抜けに明るいお馬鹿ばかです!!。〕とあった。

 僕は、そんなつもりはないのに……急いで彼女に返信メールを送った。

 件名〔間違いです!!〕、本文〔僕は、そンなつもりでいった訳ではないです!!。

 仲間部長の笑顔が素敵で、僕には太陽のようにとても眩しいから、ついメールで送ってしまったンです!。

 仲間部長が、おかしく受け取ってしまったのでしたら、ごめンなさい!!。〕と急いで送り、五分も経たずに志緒梨から返事が来た。

 件名〔ごめんね……!?〕、本文〔仲村さん、ごめんね……あせっちゃった?。

 ちょっと悪戯いたずらしてみました!。

 仲村さんは、私のことを本当に笑顔がいいって思ってる?……もし、本当だったら嬉しいな!!。

 でも、どうせ仲村さんはほかの女の人にも同じことをいつも言っているんでしょうね?。

 だって、川平君が仲村さんの入院中に、お得意先へ代わりに納品をしに行って帰ってきて〝お得意先の若い女の子たちが、みんな課長のことを心配して僕のことなんか無視してむかつく。なんか、課長は仕事しないでナンパばっかしてるんじゃあない?〟って言っていたから……!?。〕とあった。

 川平の奴、なんていうことを言ってんだろう? 今度、一言いっておかないといけない……っていうより、志緒梨になんて返せばいいんだろう?。

 こんな、メールだとまどろっこしい。

 言葉で……もし、目の前に彼女がいたのなら「これが俺の返事だ!」と言ってガバッと抱き締めて、熱~いキスでも一発してやれば……って、嫌々、駄目だ。やっぱり、折角ここまでメールをし合える仲になってきたんだ。彼女とはいい感じになっているんだら……それに、僕は女の人に無理やりキスなんかできるキャラじゃあない。ここはやっぱり、じっくり大切に……ちょっとキザな言い方だけど、僕のこの想い、この愛をあたためていかないといけない。

 それで、僕の悩んだ挙句あげく、返事のメールは、件名〔僕は……?〕、本文〔僕は仲間部長の他に、そンなことを言ったことはないです!!……僕はただそう思ったから!。

 だから、僕も仲間部長とお酒を飲むのを、すごく楽しみにしています!!。〕であった。

 メールを送った後、食べ終えた弁当ガラを袋に片付ける途中、胸の中に数名の人たちの顔が一つひとつ想い浮び、手が一瞬止まった。ひとりうなづき、ペットボトルのお茶のキャップを開け一くち口に含み、お茶の香りの余韻を感じ浸った。今、僕は生きてる、という実感が、僕の中で様々な感覚を刺激し敏感になっている。たかがペットボトルのお茶だというのに……僕は、もう一度お茶を呑みシートを深く倒し、身をシートに負かせ胸を過ぎった人たちのことを思い浮べた。

 一人は、四十七歳で自殺という道をとった山城やましろさんに、伊平屋の七十五歳で肺癌で亡くなった宮里みやざとさんと同じく肺癌で七十三歳に亡くなった玉城たましろのオジーの三人のことだ。僕が戻ったこの時、この三人はまだ生きている筈だ。

 今朝、弁当屋で、そこの亭主に注意を伝えたように、この三人にも何か忠告をし云えることが出来れば、まだ数年は延命が望めるのではないだろうか? 特に、若く自らの命を絶った山城さんなら、自殺することとなった原因を失くすことさえ出来れば……車の窓から見える何処までも広がる青い空を見ながら、こんな脳天気な僕でも出来る。そんな思いに駆られた。


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