第2話  私はどうして此処にいるのか?

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 又、私の意識が戻ったらしい。

 どうやら今の私はベッドの上にいるらしいが、今度は見覚えがない。

 ベッドの左側に窓があって、真っ白な薄生地のカーテン越しに柔らかい光が部屋に射し込んでいる。

 右側にもカーテンがあり、部屋を二つに仕切っているようだ。

 窓とベットの間に十四インチの今となっては懐かしいブラウン管テレビと、その下にトレイが引き出せるボックスがあり、その下に冷蔵庫が付いているようだ。見るからに此処ここは、多分、病院の入院部屋なんだと思う。

 左の腕には点滴が打たれている。と言うことは、私は助かったんだ。妻の志緒梨は何処へ行ったんだろう。

 何だか安心したことでまた眠くなってきた。目を閉じるとスーと眠りに落ちた。


 目が覚めると、部屋の中が暗くなっていて、窓の外には満天の星々が煌めいていた。

 昨夜の雷が鳴り響いていたあの嵐が、まるで嘘のようだ。

 眼を天井に移し、ふと思う。自分があんなにも死の淵を彷徨うような体験をしながらも、何故に私は新城が出てくる夢などを見たのだろうか? 不思議と今もリアルに残っている。

 夢の中では、意識も朦朧としていたが、まだ今も覚えている。夢の中で体験したあの感覚が、今も夢の中にいるような実感があり、何か不安だ。それより、志緒梨は何処どこへ行ったのだろう。その時、廊下の方からキュッキュと靴音がしてきて、この部屋のドアの引き戸が少しカラカラと音を立てて開き。誰かがこの部屋に入り、近ずいて来る。

 シャーとカーテンが開き、五十代らしき看護婦が顔を出した。

 ベッド脇の足元を照らしている小さいライトでお互いの表情が見て取れる。

「アラ、仲村さん、やっと眼が覚めたみたいね」

 そのひとは、体格がよくふっくらとした、いかにも人のよさそうな感じで少しほっとした。

「アッ、看護婦さん、私はどれくらい寝ていました?」

 「仲村さんは、昨日のお昼過ぎに救急車で入って来たから、大まかに言って一日と半くらいですかね」

「一日半ですかー・・・エッ! お昼過ぎの入院?。

 しかし、私は幾ら入院をしてみたところで助かる見込みなんてない筈なのに……ところで、私をここ、病院へ、うぅん多分、私を連れて来たはずのウチの家内は何処へ行ったんでしょうか? 看護婦さん知りませんか?」

 そのことを聞いた看護婦は、何か怪訝(けげん)そうな顔を面(おもて)に一瞬みせたが、性格なのかあまり気にもとめず。

「アッ、そうかー。此処に来た時、仲村さんは意識がなかったもんね。

 仲村さん、貴方を救急車で付き添って来たのは会社の方ですよ。

 テレビの上に、その方からの書置きがあるから……だけど、何だろうね。

 仲村さん、貴方は若いのに自分のことを〝私、私"って丁寧過ぎるっていうか、私には何だかお年をめされた人、老人に見えてねえ……それに、仲村さんはすごくオーバーね。

 たかが、疲労と栄養失調で入院しただけなのにねえ」

 看護婦さんは、私の口調を指摘をしながらも、体温に血圧と脈を測り、新たに点滴を換えてくれた。

「点滴によく眠れるようにお薬も入れといたから、睡眠を沢山取るようにね」

 と言って病室を出て行った。

 私は、看護婦さんが言ったことが腑に落ちない。

 私が、若い? 私より年下の看護婦のくせに、何が面白くてこんな六十八のジジイをからかっているんだ? それに、たかが? 疲労と栄養失調だって?。

 私は、紛れもなく末期の肺の癌なんだ。頼りにしてた私の主治医にさえサジを投げられた身だというのに……それに、此処に付き添ってきたのは私の同じ会社の人だって?。

 私は、もう三年も前に定年で会社を退職をし、今は妻の志緒梨とふたりだけで僅かに残された余生を過ごしているというのに・・・。

 何気に看護婦さんの言っていた書置きを思い出し、手を伸ばしテレビの上の書置きを取った。

 三枚に折られた手紙を広げようとして驚いた。

 私の、手からシワやシミが失くなっているように見える。

 それに、筋力も落ち細くなっていたはずの腕が太く見える・・・まるで見慣れていた筈のこの手は別のものだ。

 まさか、あの看護婦さんが言ったように、私自身……若いのか?。

 まわりを見るが、此処には鏡がない。今、立ち上がって、トイレにでも行き、鏡を前に自分自身を見て来たいのだが、まだ体に力が入らない。やはり今の私は栄養失調でもあるようだ。

 仕方なく重い頭は動かさずに眼だけで周りを見渡し、視線の端にテレビが視線に入り、枕元の壁のスイッチを押したら壁に付いていた可動式の明かりが点いた。

 ベッドの上をやっとの思いでって、テレビのブラウン管の前に顔を近ずけ、薄っすらと映る自分自身の顔を、もしやと思いながらも見て驚き、また更に見入ってしまった。

 なんと、私自身が若返っているのだ。

 まさか……思わず両手で顔を覆った。

 ブラウン管に映るのは紛れもなく私だ。ただし、昔の若かった頃の私の顔だ。私が手で顔をおおったのは、裸眼でものがハッキリ見えるのも不思議で、思わず確認をしてしまったのだが、確認をしたはずの手の中には、いつもある筈のものがないことに戸惑い、離れられないでいる……ない、やはりない。

 あれ程に、いつの間にか私の顔の一部となっていたはずの老眼鏡の感触が手にはないのだ。

 一体どうなっているんだ。私に、何が起きているんだ。

 今の状況を受け入れることが出来ないでいる私は、顔から手を離したが、その時、先程手からはなれベッドの上に落ていた手紙に触れた。

 そうだ、この手紙を読めば何か分かるのではと、拾って広げた。

 【仲村さん、大変でしたね。

 でも、診察結果を聞いて安心しました。

 また明日にでも、改めてお見舞いに来れたら来ます。

 それと、電話が出来るようになってからでいいですから、会社の方に一報を下さい。

 では、お大事に。             新城】

 とあったが、やはり何か呑み込めない。

 新城が、会社の方に連絡をくれとは、彼の会社のことか? それとも以前、私が勤めていたアース・フーズという会社のことなのか? 私は、一瞬凍りついた。

 夢でのことだ。夢の中で新城が出てきて、見てはいないが声が若かった。それに、今の私も若い。夢? やはり、夢なのであろうか?。

 私は、努めて冷静であろうとするが、余りにも受けたショックが大きすぎて喉の奥がヒリヒリと痛い。喉が渇いている。

 右側ベッド端の転落防止の柵にナースコールのボタンがコードのまま巻かれてあり、それを押した。少し待っていると、先程の看護婦さんが、靴を鳴らし急いで来てくれた。

「仲村さん、どうしたの? 気分が悪いの?」

「ええ、すいません。喉が渇いて、喉の奥が痛いんです。

 ベッドから起き上がれなくて、看護婦さん申し訳ないのですが、お水を貰えないですか?  お願いします」

「分かったわ。待っててね。今すぐ持ってくるから」

 看護婦さんは、急いで病室を出て行き、間もなく五百mlのペットボトルのミネラルウォーターを持って来てくれて、キャップを開けストローを挿し、私の口元に近ずけてくれた。

 私は、数回に分けてボトルの三分の一の水を飲んで、やっと息がスムースに出来るようになり落ち着いた。

 目で、合図を送ると、看護婦さんはボトルを私から離し、テレビ台のボックスのトレイを引き出し、ボトルを置いた。

「落ち着いた? ウン。

 また何かあったら遠慮しないで呼んでいいからね……ウン、それじゃあね」

 カーテンを閉めて出て行こうとする看護婦さんの背中に、私は声を掛けた。

「看護婦さん、今何年ですか? アッ、西暦ですよ」

「西暦?。今年は確か、二千四年よ。仲村さん、なにか?」

「アッ、いいえ何でもないです。あ、ありがとうございました」

「ああ、そう、それじゃあおやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

 カーテン越に、看護婦さんはいかにもあきれたという気配を残し病室を出て行った。

 薄々感じていたが、やはりそうだ。

 まさかとは思ったことだが、私は二千三十年から二十六年の時を越えて二千四年というこの時代に来たのだ。それとも、戻ったのか? ということは、このままなら私は後二十六年は死ぬことはないだろう。

 志緒梨・・・ただ、気になるのは未来にの残してきた妻の志緒梨のことだ。

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