チョコのお味は

 スマホのアラームで起きた二月十四日の午前一時。

 通知欄に藍からの『おやすみ』だけのメッセージが届いたのはついさっきのこと。私が送ったのは二十時過ぎだ。いつものことながら気ままな藍らしい。

 パジャマにしているローブを脱いで厚着をして。櫛では整いきらないくるくるの茶髪を赤いペンデュラムのついた髪ゴムで一つに結ってから、ケープと魔女帽を身に着ける。

 家族を起こさないよう静かに階段を降りてキッチンへ。冷蔵庫に作り置きした缶ジュースサイズのボトルから、ブルーハワイみたいな青い飛行薬を一気飲み。口の中で甘酸っぱさと炭酸が弾けて、身体がふわりと軽くなった。

 数時間の飛行のたびに一本を飲み干さないといけないんだから、この時代に魔法が流行らないのも仕方ないよね。

 飛行薬のせいで身体はすっかり冷えてしまったが、暖をとっているヒマはない。立てかけてある竹箒を手に取り外に出る。


 今日は風の凪いだ新月。絶好の鬼火日和だ。リュックにおしとオニグモの網を入れたのを確認して箒に腰掛けると、ローファーで軽く地面を蹴って夜空へと滑り出す。

 夜間飛行は何度目だって気持ちがいい。特に冬は星空も遥か遠くの明かりも見えて、世界が小さくなった気分になる。それに──瞬く星々は藍の星座に見えるし、ツンとした冷たい空気だってあの子の雰囲気にそっくり。真っ直ぐ届くリゲルの輝きは藍の青い眼差しみたい。藍を好きになったら冬も一番好きな季節になった。


 でも、冬はもうすぐ終わる。

 すぐに春が来て夏になる。

 その時藍の隣に私はいるのかな。急に怖くなって絞り出された白い吐息が夜の彼方に置き去りになるのが見えた。


 そうしているうちに夜よりも真っ黒な学校の裏山が近づいてきて、私は気持ちを無理やりに切り替える。暗闇のなかで墓石の合間に正確に着地するのは難しい。

 けれど準備は万全だ。上着のポケットに用意した小袋に左手の親指と人差し指を入れる。引き抜いた指先が粉でサラサラになったのを確かめてから指を弾くと、パチンと鳴った左手から青白い光が生まれて私の周囲を明るく照らす。ウミホタルの乾燥粉末から作った光魔法だ。粉を吹けば消えてしまうけれど熱くないし使いやすい。

 スマホのライトの方が便利かも知れないけど、あえて使わないのは現代に生きる魔女の意地だ。


 幅が広めの通路を見つけた私は難なく着地。ディアナさんに言われた通り隅の方におしを一掴み盛った。少し離れて待つと、すぐに鬼火は現れてあっさりと捕まえられた。メロンサイズの立派なのが二魂ふたたまだ。網のなかで動く鬼火はひゅーと言いながら縮んでいき、どろどろと震えながら大きくなるのを繰り返している。

 チョコを作ったらまたここに帰してあげるから我慢してねと声をかけつつ箒に網を括り付けて、私はすぐに帰路へと発った。


 商店街の奥にある銀の庭は、深夜二時でも空からはぼんやり光って見える。魔女がいつでも迷わず来られるようにという目印だ。

 木々を避けて庭に降りドアの前に立つと、静かに扉が開いて眼下に金色の瞳が輝いた。


「こんばんにゃ、イチクラウイカ様。遅くまでお疲れ様ですにゃ」


「ハチさんこんばんは! これ、ディアナさんに渡してください」


 ハチ割れ模様の二足歩行のネコ、ケット・シーつかいまのハチさん。夜の店番である彼に鬼火を渡して自宅に戻るけど、玄関はくぐらずにリビング前の庭へと回った。鬼火は明かりで縮んでしまうしキッチンで扱うには大きすぎる。用意しておいた材料と調理器具をリビングの窓際に置いて、鬼火の青い光を頼りに深夜のお菓子作りを始めた。


 この作戦が成功すれば、明日の今頃は幸せな夢の中。いやもしかしたら、ドキドキで眠れないかもね。


 ‡


「うえぇ眠いよぉ藍ー」


「寝すぎじゃない? 昨日は八時くらいに寝てたよね、初華おばあちゃん」


 昨夜のチョコ作りのせいで今日は授業内容も右から左へ。

 そこで藍に補習をしてもらうのを口実に部活をサボって、教室で二人きりになるのを待っていた。

 教室の天井で跳ね返る夕陽が藍を儚げに映して、また一つ藍の好きなところが増える。眠たげな振りをして隣に座る藍に寄りかかると、嫌がる素振りもせずに肩を貸してくれる。いい匂いのするグレーの毛先がくすぐったくて、ぐしぐしとおでこを肩にこすり付けた。


「……ねぇ藍。今日はチョコ貰った?」


「いくつか。おかげで毎日食べられて幸せ」


 片肘をついて口角を上げる藍に、ちょっとつまらない気分。


「チョコなら私だっていつも藍にあげてるのにー」


「知ってる」


 傾けてきた頭が優しく触れて体温が上がる。藍のズルいところだ。素っ気ない態度をしているくせに、きっちりポイントは押さえてくる。


「そういう初華は?」


「ないない。私が貰えるわけないじゃん! 天パにそばかすで、おまけに時代遅れの魔法部だよ?」


「あたしはそんな初華のこと、す──」


 藍はこほんと咳払いして、肩に置かれた私の頭をそっとどかした。呆れているのか悲しそうなのか分からない微笑みをしている。


「すごくいいと思う。ふわふわの髪もそばかすも、うるうるの赤い瞳もティーカップに淹れた紅茶みたいで魔女っぽい」


「……そ、そうかな」

 ──それなら、どうして藍は私にチョコをくれないの? どうして私の告白を受け入れて、あなたの特別にしてくれないの?


 もう一年近く一緒にいるのに、どんな答えが返ってくるのか想像も出来ないことが怖くて口には決して出せない。

 だから。


「そう! 私も藍にチョコを用意したんだ。受け取ってくれる?」


 白いリボンで飾った黒い長方形の箱をカバンから取り出して渡す。

 ──私の恐怖をあげる。この恐怖が二人を結んでくれる魔法になるの。


「ありがと。もしかして手作り?」


「うん! 焼きチョコ、初めて作ったから上手く出来たか不安なんだ。今食べて、感想教えてよ!」


 告白も魔法も関係あるかも知れないけれど、なにより私のあげたチョコを一番最初に食べてほしい。


「はいはい」


 藍はリボンをするりと解いて、蓋を開ける。

 白い紙器グラシンカップに納めた四角いチョコを手に取った。


「真っ黒」


「隠し味だからコゲてないよ!」


 おしが入ったチョコはビターチョコと並べてもさらに黒い。隠し味だというのは本当だけれど、恐怖を込めたのを隠したことに罪悪感が生まれる。

 でもここまで来たらもう後はない。


「そっか。いただきます」


 私が見つめるのも気にせず、チョコを一粒口へと運ぶ。


「サクサクでおいしいけど……あれ?」


 藍の色素の薄い唇から血の気が引く。蒼い瞳は焦点を結ばなくなり涙で揺らぐ。


「怖い……こわいよ初華。助けて……!」


 パニックを起こした藍の手がチョコの箱を薙いで、落ちた中身が床で砕ける。

 瞬く間に現れた魔法の効果にほっとするけど、あまりに怯え切った表情に胸が痛んだ。

 これ以上藍の顔を見てしまわないように、私は藍を抱きしめた。


「大丈夫、私がついてるよ。何も怖くないからね」



 藍は数分で平静を取り戻した。

 疲れたのか、まだ私の腕の中でぐったりしている藍に、私は囁く。


「私、藍のことが好き」


 見上げる藍の瞳にはまだ涙が残っていて、目尻も赤い。

 泣き顔も可愛いなんて端から端まで観察できるほどの時間が経ってから、ゆっくりと口を開いた。


「……あたし、ドキドキしてる。これはきっと、初華が好きってことなんだよね」


「私のこいびとになってくれる?」


「うん……いいよ、初華」

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