神殺し-GOD KILLERS-

汀桜

第1章

第1話・ありえないはずの任命と初任務

星宮ほしみや哉兎カナト。貴殿を“囚人番号K-225632”専属の看守に任命します。」

(ん"!?看守!?!?)

配属先・神崎収容所の一室で告げられたことに驚き、星宮ほしみや哉兎かなとはわかりやすく絶句し驚いてみせた。雑用や書類整理などの事務係の任命かと思っていたからだ。

「何か反論でもおありですか?新人さん。」

「あ、いえ、ありません。ただ、少し驚いてしまって……。だって、新人に看守を任せるなんて、よっぽど人手不足の小さな収容所くらいって…」

哉兎が本心と疑いの一部を遠回しに伝えると、上司に睨みつけられる。きりっとしたクール系美人の上司____坂口さんというらしい____は、口を開く前つまり第一印象こそはよかったものの、ここまできつくあたられると、やはり哉兎からの好感度は地面にめり込んだ。

現在の日本の司法制度は、収容所が表に立ち、回している。収容所にもグループのようなものが多数でき、その代表的なものが、哉兎が配属された神崎収容所率いる“ミサキグループ”だ。

看守とは、特に注意が必要とされる囚人___主に訳ありの死刑囚を、一人が専属で監視し続けるシステムだ(酷い場合は二人以上だが)。つまり新人に務まる仕事ではないのだ。

「囚人番号K-225632……って…もしかして…、」

「犬神。かの有名な食神鬼です。…もしかしなくても、K-225632は犬神です。勉強してきていないのですか。」

「いっ、いえ!!!驚いてしまって……。」

「そう、忙しい人ね。生憎ですけれど、私には時間がないので、早めに出ていただけますか?」

しっし、と彼女に追い出されるようにして部屋から出た哉兎は、渡された地図を見ながら“犬神”と呼ばれる死刑囚のいる独房へ向かった。











「本日より、囚人番号K-225632の看守役として神崎収容所に配属されました。星宮哉兎です。宜しくお願いします。えーっと……K-225632…さん。」

哉兎は本館から離れたところに牢があると聞いていたのだが、K-225632の牢は他の囚人のいる場所からも遠い、“独房”と言うにはやけに大きく広い独房だった。薄暗いそこは、必要以上に恐怖を感じさせる。

「あはっ、すげー記憶力。おにーさん、きっと他のみんなの番号も覚えてるんだよねぇ。番号、覚えてくれてるのわかったし嬉しいけど……、おれ、あんま気に入ってないんだぁ。キミたちががいいなぁ……?ほら、“犬神”って呼んでみてよ?」

哉兎の挨拶に、薄暗い檻の中から返事が来た。ついでとでも言いたいかのように、甘えるような声で爆弾発言も投下された。地べたに座り込んでいるK-225632は、哉兎が思っていたK-225632よりも小柄で、大きめの黒いパーカーに、フードを深くかぶっているため、その尖った凶器のような歯が覗く口元しか見えない。普通の看守なら、きっとすぐにでも「顔を見せろ」と怒鳴りつけるが、哉兎には別のことのほうが重要だった。

「お前、名前がないのか…………?」

「お前じゃなくて犬神!名無しじゃないよ~だ!犬神っていうかっこいい名前がありま~す!!……ほら、馴れ馴れしく犬神って呼んでみてよ?ね、かなと。」

かなり馴れ馴れしく哉兎が哉兎の名前を口にする犬神を見て、哉兎は心底驚いた。

「お?なんかすげーびっくりした顔してるね~。まっしろでびっくり?」


フードを被って顔が見えなかった今までは、哉兎は犬神がただ小柄なだけだと捉えていた。しかし、彼の容姿はあまりに幼すぎた。

くせ毛なのか、所々ぴょんとはねている短い銀髪と、「おれは他の有象無象とは違う」と主張するかのように、前髪のちょうど真ん中の束だけ、引き込まれそうにまで美しい黒髪。「色なんておれには必要ない」と神様にでも伝えたのか、白い瞳と銀髪だけでなく、彼の体は全て、色が抜け落ちてしまったかのように、儚く美しい。そんな感想をいだいてしまうほどに、犬神の第一印象は“自分勝手”だった。

「……いえ。シンプルでいいと思います。服装とも合っていますし。自前ですか?」

「うん、自前。……シンプル、ねぇ…。よしっ!かなと、入っておいで!おれ、キミの顔がもっとよく見たい!おれと、仲を深めようじゃないか!!、相手してよ。遊ぼう。」

……?」

「んぁ、ごめんごめん。看守が付くのも、遊び相手ができるのも久しぶりでさぁ。日本語、忘れてたね。」

取り繕うように犬神が発した言葉だったが、哉兎にはどうでもよい話だった。

(犬神さんの『遊び』って、すごく危ないイメージ……)

「哉兎、何ぼーっとしてるの?早く入っておいでよ。チェスしよ~。ルール覚えてる?ま、おれに与えられた遊びはこれだけなんだけど。」

「少しなら覚えてますけど……。」





「いやぁ~、哉兎は可愛い顔してるね~。親御さんに感謝しな~~。」

「は、どうしたんですか、突然。」

少し犬神を疑う哉兎に、犬神は「なんでもないよ~~。」と機嫌よく返事をする。ころころと話題を変えられて、哉兎は実はもうかなり疲れていた。

「ホントにやってくれるとはねぇ、上層部のお偉いさんたち。」

「? 何をですか?」

ぽろっと零れた犬神の言葉に哉兎が反応するも、今度は無視だ。いつの間にかチェスにも飽きてしまったらしく、そのまま小さな机に放置されてしまっている。

「飽きたけど、ちょっとは仲良くなれたね。」

「いや、犬神さん……アンタは僕のこと色々知れたと思いますが、僕はあなたの事まだ全然知らないですよ。能力も知らないし。それに、理由は知りませんけど、あなたの資料がいくら探しても見つからないんです。」

哉兎がそう溜息混じりに呟くと、犬神が心底嬉しそうな顔をして薄いファイルを近くの机から取り出した。

「これだよ。『灯台元暗し』って言うもんね?すぐ近くにあったでしょ?ねぇ、哉兎はこれがほしいの?」

本来は収容所の方で厳重に管理されているはずのファイルを掲げてけらけらと楽しそうに笑う犬神に拳骨を落としてやりたくなったが、仕返しが怖いから、と哉兎は諦めて「欲しいです」と小さな声で言った。それを見た犬神はまた嬉しそうに笑った。

「うん、あげる!おれもういらないし、元々哉兎に渡すつもりだったし!」

(もういらないって、ホントは神崎収容所こっちが持ってるハズだけど!?)

と心の中でツッコミを入れながら、哉兎は神崎収容所にしては珍しく薄いファイル______犬神についての資料に目を通し始めた。が、あまりにも空白が多い。本来記入されるはずの欄が空白で、記入されている箇所の方が少ない。


【No.K-225632】

名}犬神(仮名)

生年月日}

年齢}    (現在)

身長}150㎝前後

体重}

出身}

コード}Q7ob2n1

通り名}Bloody Snow

能力}渇望

詳細}

備考}犬神之現身(原)



十一項目の中で記入されているのは六つのみで、残りの紙は犬神の罪の記述のみだった。その中にも、ちらほらと曖昧な記述も目立つ。

「え、これ、犬神さんが書いたんですか……?」

「あれ、もうおれ適当なキャラに認定されてるの?勿論、おれの歴代の看守さんたち。おれのことを知ってる人がいなかったから、こうなってるの。あと身長体重の話はおれが暴れたからね♪」

哉兎が驚いたのは、それだけではなかった。犬神が初めて殺人を犯したのが、哉兎が4歳のとき______20年前だった。能力を持つ人間、つまり『神の現身』は一般人よりは長寿だとされるが、現在の研究では数年単位しか変わらず、ほぼ寿命に差はないのだ。10代のうちに殺していたとしたら、彼は30代ということになる。容姿と年齢がこれっぽっちも噛み合っていないと考えられる。

「あ!懐かしい記録見てるね!」

いつの間にか哉兎と一緒になって資料を見ていた犬神が楽しそうな声を上げた。

「それは初めてだったから時間がかかったんだ。いつも使ってるのとは違う____包丁だったね、上半身を食ったよ。頭は不味…じゃなくて、あんまり美味しくなかったけど。」

懐かしそうな表情を浮かべながら語る犬神は、間違いなく殺人を犯した者の眼をしていた。

「……よく覚えてますね、かなり昔のことなのに。」

哉兎が思ったままを口にすると、犬神は笑った。

「そりゃあ、覚えてるよ。哉兎も自分の親が死んだ日とか、見ていれば死に方とか、最期の言葉とか、覚えていられるでしょ?」

「え?ああ、まあ、…はい。って、もしかして、それ、」

「そ。この男女各一名って、おれの両親ね。」

楽しそうに「思い出」を語る犬神を見て、哉兎は悪寒を感じた。誰だって、自分を産んだ親や育てた親に対して情が湧かないわけがないと、哉兎は考えていたのだが、どうやら違うようだ。

「これ、おれの親父の形見。」

そう言って犬神がポケットから取り出したのは、古びた懐中時計だった。蓋の部分を開けば、ひび割れた文字盤が現れる。

「ここに来たばっかの頃はなんにもわからなくて、不安だったからさ。どんな時もポケットに入れててね。でも、激しい動きを繰り返してたからかな、気が付いたら割れてたんだぁ。」

面白いよね、と笑う犬神とは反対に、哉兎の気持ちは少し沈んでしまった。

「ちょっと、なんでそんな顔するの、」

「だって、ご両親の話ですし。」

「いいよ、別に。なんとも思ってないんだから、悲しそうにしなくていいよ。」

そう言って首を傾げる犬神は、ふと懐中時計を見ると「あれ、もうこんな時間。」と珍しく焦り始めた。

「なにかあったんですか?」

「なにがあったもクソもないよ、朝会だよ。聞いてない?」

聞いてないです、と正直に哉兎が頷く。

「ああ、うるさかったからおれが連絡止めちゃったのかも。あとでどうにかするね。……哉兎はなんかオメカシしないと人前に出られない人?」

「いえ、このままで出られます。」

「ん、じゃあこの紐離さないでね。おれと繋がってるから。」

紐____正確には鎖だ____を渡してきた犬神を見て、哉兎は彼が囚人であることを思い出す。それほどに、彼との会話は内容の割に自然だったのだ。

死刑という命のタイムリミットを言い渡された囚人には、二つの末路がある。一つは、ただひたすらに刑が執行されるのを待つだけ。もう一つは、死ぬまで犯罪者たちを狩ったり、危険な場所に赴く駒になること。ただ、後者は能力を持つ者のみが資格を得るが。ただ、こうして犬神のように枷をつけ、常に看守に見張られなくてはならない。そして、人によって枷の種類は違う。犬神のような首輪だったり、足枷、手枷など、対象の特性により異なるのだ。(犬神は比較的自由だが)。


広間に着き、周りを見回すと、たくさんの人が集まっていた。と、一組の男女が近付いてきた。

「犬神ィ。まァた飼いならされてンじゃねェか。相変わらずの駄犬がよォ。」

「黙れ、犬坂。言うならば貴様も私に飼われている身であろう?……すまないな、えっと…ホシミヤ、だったか。」

男性の方は犬坂いぬさか航次コージ。囚人番号P97abR2で、連続窒息死事件の犯人で、3年前____29歳から神崎収容所ここにいる。女性の方は広瀬ひろせ凛良リラ。犬坂の収容当時から彼の看守をしている。哉兎は凛良の言葉に頷き、犬坂と犬神の絡みを呑気に眺める。

「広瀬だ。新人なのに大変だな。…わからないことがあればなんでも聞いてくれ。」

「はい、宜しくお願いします。」

凛良はではな、と言い犬坂を連れてどこかへ行ってしまった。

「犬神ちゃん!のねえ!おかえりなさい!横の方はあ…?新しい看守さんかしらあ?」

女性が哉兎の後ろから声をかけた。三島みしま鈴華レーカ。2年前に4名の子供を毒殺した死刑囚だ。

「鈴華さん……!待って、待ってください…っ、」

後ろの息を切らしながら鈴華を追いかける男性は_______早坂はやさか陸斗リクト。彼女の看守だ。

「すみません、お騒がせして。早坂陸斗と申します。星宮さんも、犬神さんも、出席受付にはもう行かれましたか…?」

「出席受付……。あっ、まだです!」

哉兎はきょろきょろと受付のテーブルを探す。と、犬神があっちだよ、と哉兎の手を引いた。







「おはとうございます。星宮様ですね。K-225632、囚人証の提示を。」

「はぁい。中々読み取れませんって嫌がらせ、今日はしないでね。」

犬神は素直に囚人証を受付の女性に手渡した。それを見て女性が一瞬戸惑ったが、素早く機械で読み込んだ。

「確認完了です。ありがとうございました。写真、撮り直して下さいね。」


「おれ、あのお姉さんスキなんだよね~。」

囚人証を返却され、受付から元の場所に戻るとき、犬神がぼそっと呟いた。

「い、犬神さんって、恋愛の感情、持ち合わせてるんですか!?…年上好き………?」

「失礼だな。……ないと思ってるよ。年齢の話は離れてないから問題ないし、美人だけどそーいう意味じゃないよ。あのお姉さんは、囚人のおれたちにもお礼を言ってくれるんだよ。すごくいい子じゃん?」

(それ、もしかしたら僕たち看守の方に言ってる可能性がかなりあるの、犬神さん気付かないのかな…)

警察や収容所に駒として貢献しているとは言え、死刑囚は死刑囚。殺人鬼は殺人鬼。収容所全体の理解や了承は得られても、そこで働く個人個人の理解や了承は得られないことがある。働いていても、この制度に嫌悪感を抱く職員もいなくはないのだ。










「静粛に」










張られた妙に通る男性の声のあとに、とん、とん、とん、ときっかり3回、机をたたく音が広間にこだました。









哉兎に彼の所属先を伝えた例の上司が、彼を呼んでいた。みんなの前で大声で、しかも静かにさせて一人を呼ぶことがあるだろうか、と哉兎は思った。

犬神はお呼びではないらしいので、連れて行くべきか否か、と哉兎が悩んでいると、彼が握りしめていた鎖がくいっ、と引っ張られた。

「かなと、何ぼーっとしてんの?早く行くぞ。」

「え、犬神さんも行くんですか?呼ばれなかったのに…?」

「はァ?おれの鎖はかなとが持つんだろ。お呼びじゃなくても、一緒に行くに決まってる。」

ぎゅっ、と自身と哉兎を繋ぐ紐を握りしめ、犬神が笑った。



「来ましたね。星宮哉兎。…………………………………遅いですよ。」

「やっぱおれの人権ねーな!なくて当たり前だけど。」

犬神は清々しく爽やかに笑って言った。無視しないでよ!とも。

「犬神さん、それ爽やかに笑って言う台詞セリフじゃないです…。」

「だって!名前呼ばずに睨んだ!!」

この上司は、完璧に哉兎の好みではない。苦手だ。ので、それなりに気が滅入る呼び出しだったのだが、今回はその上司の隣に可愛らしい少女もいた。

「装備品を渡すだけだ。リアトリス様、あとは頼みます。」

そう言い残し、上司は他の者に資料らしきものを配りに行った。少女は困った様に笑い、持っていた鞄から箱を取り出した。

「ワタシ、リアトリス。この収容所の、doctor博士ネ。アナタのお名前、聞かせて?」

「は、ハロー?……星宮哉兎と申します。新人ですが、K-225632さんの看守をさせて頂いています。」

ぺこり、と哉兎が丁寧にお辞儀すると、リアトリスは驚いた様に犬神を見た。

「Oh!He is your彼はアナタの friend,right!?友達ね!?Hey,Inugami!ねぇ、イヌガミ!

「だーかーら。看守だって!」

犬神の肩を激しく揺さぶるリアトリスは、その言葉を聞いてすぐに落ち込んだ表情になる。

「そうネ。イヌガミ、friend友達、食べちゃうものネ……。」

「おい、今はそんなコトしてねーだろ。てか、早くしろよっ!“おれの”かなとは忙しいんだっ。」

リアトリスと犬神は知り合いなのか、軽い言い合いをしている。一方哉兎は、それを無心で見つめている。

「Oh!そうだったわネ!ハイ、これよ。」

リアトリスは持つ自身が持つ箱を開ける。その中には、紅い石が埋め込まれた指輪と、紅い石が入っていた。

「お前ら、悪趣味だと思わないわけ…?」

「何のことかしら?ワタシはMs.キノシタから預かったものを渡しただけ。ホシミヤには…、この“Ring指輪”。イヌガミ、上を見るのヨ。」

犬神の首輪にはめ込み、リアトリスはどこか満足げだ。哉兎も指輪を手に取り、左手の人差し指にはめた。

「紛らわしーな。ケッコン指輪と同じ手じゃん、右手にしろよ。」

「え、そうですか?」

犬神の指摘に、哉兎が反応する。リアトリスはくすくす、と笑った後、こう言う。

「照れ屋さんネ♪ホシミヤ、その指輪は、利き手にするものなのヨ。」

「あ、なるほど。」

(教えてくれたんだ…。わかりにくすぎるけど。)

哉兎はすぐに指輪を付け替えた。

「これは、二人を繋ぐ装置。ホシミヤの意思で、イヌガミを捕まえる。それだけ。Okeyいい?ワタシ、忙しいの。Byeじゃあね。」

説明を簡潔にして、リアトリスは足早に去って行った。

「せめてもう少し真面目に説明しろクソガキめ!いつからあんなデカい態度になったんだよ、親の顔が見てぇってもんだ。」










様々な囚人や看守と出会った大広間にて。

「かなと〜、可哀想に〜っ!あんな悪趣味な野郎共に負けないでねっ!」

犬神がそう騒ぐ。周りの人間は迷惑そうだ。

「へ…?」

「この指輪はね、代用品なの。だから、もう少しで変わるからね、

かなとが使いやすい形になるからね。」

「そんな勿体ない…。」

勿体無くない!と何故か犬神が憤慨する。

「じゃあ書類の意味は!?一生懸命書いたでしょ!?」

「書類?」

「ほら来る前に、武器書いたでしょ!?それまで無下にされたらもう怒るからね!!」

(武器…)

書いた。確かに、一月ひとつきほど前に、『使用武器』を書かされた。哉兎は当時、「何故こんな物騒な事を書く…?」と首を捻っていたのだが、一応それなりの理由はあったらしい。

「ホント、アイツらって悪シュミだよねぇ。なんで待たないんだろう…?少し待てば来るものなのに。」

犬神ははぁ、とわかりやすく呆れてみせる。

「待てなかったのって…、このせいじゃないですか?」

そう言い、哉兎は紙の束を掲げた。先程リアトリスからこっそり渡されたものだ。

「藤沢……、何?しゅ…?あ、守夫モリオか。を捕縛せよ、だそうです。どうしますか?」

「無視したい。ものすごく。でもできないよね?…珍しく位置も特定されてるし。」

藤沢守夫ふじさわモリオ、無職27歳。能力は表裏ひょうりを自称し、‘番’の現身うつしみと推測。

注意してね!》

ご丁寧にリアトリスの手描きの可愛らしいイラストも添えられている。少し覚束ない日本語だが、此方も可愛らしい字体だ。

船盛ふなもり軍事工場跡?かなり前に取り壊されたんじゃ?」

「おい、ちゃんと見てよ。だよ。取り壊されたのは第一と第二だってば。第三にはまだ資料があるらしくて、なぜか全然取り壊されないんだよね。」

だから堕神だしんみたいな害虫が住み着くんだよ、と付け足し、犬神は不服そうに身支度を始めた。

「気が乗らないけど、行こう。おれだって命が惜しいからね。」

そう言い、犬神は元々着けていた首輪に加えて、禍々しいものも身に着けた。口枷だろうそれは、彼の口の可動域を縮め、首輪に繋げられている。いつでも首を絞められる状態だが、本人はあまり気にしていないようだった。

























「何故歩き………?」

「死刑囚に出す車はねぇんだってさ。新人なら我慢して、ついでにおれを背負って走って現場に急行してそのまま藤沢を捕縛してきたまえ。」

哉兎の数歩後ろ____________________犬神の首に繋がれた"伸びる"鎖が張らない程度の距離(伸びるのだから張る張らないの定義は無意味だが)にいる犬神は、少し息を切らしたまま新人いびりを始める。

「おれよりデカい新人はルール違反なんだぜ、知ってた?違反料取るよ?」

看守用の売店から焼きそばパン5年分な、と付け足し、犬神は哉兎の脇腹をつつく。

「横暴!って、それ、ほぼみんな違反……!」

「いやいや。おれは寛大だよ?同じ大きさは許すし。160cmまでなら。」

『犬神さん、160cmないって書いてた!!!!!』

…とでも言えば、きっと機嫌を損ねてしまうと思い、哉兎はその言葉を静かに仕舞った。

(今機嫌を損ねたら、帰られそう…。そんなに嫌なのか……。)

船盛第三軍事工場跡が近くなるにつれて、辺りには霧がかかり、薄暗くなり始めた。心理的な効果もあるかもしれないが。

「能力かね?表記されてなかったけど。霧発生の能力もあるとか?」

「場所まで明記されていたのにその抜けてる感じはなんなんですか……。能力把握に力を入れてると聞いていたんですが?」

「知らねぇよぉ……!怒らないでよ〜〜〜っ!!」

本格的に犬神の機嫌が悪化してきたのか、彼は哉兎に抱きつく。一方哉兎は、呆れながら仕方なく足を止めている。いや、止められている。

「囚人の、死刑囚の俺なんか〜〜っ!どうせ、情報のアテにもならねぇ役立たずなんだろ!?」

「いや、情報に関してはアテにされてちゃおかしいでしょ……。突然どうしたんですか、」

突然不機嫌になった犬神を宥めようと思った哉兎だが、上手くいかず余計に犬神を不機嫌にさせた。

「落ち着いてくださいよ、犬神さん。大丈夫ですから。戦闘、頼りにしていいって聞いています。」

「はァ!?おれはお前の情報をアテにしてたのに!なんで知らないの!この霧、吸っちゃダメなんだよ!!!ちゃんと見ろよ!!」

そう怒鳴られ、哉兎は急いで鞄から資料を取り出す。リアトリスのメモの片隅に、『片方は霧を出すかもだよ!吸っちゃダメよ!』と小さく書かれていることに気が付いた。

片方ってなんだ。1人じゃないのか。

哉兎は、心の中で犬神とリアトリス、その他資料に関わった人たちに謝り、目的地へ急いだ。







「哉兎?…ちょっと待って、……なんか変な音がする。」

「音。」

船盛第三軍事工場の入り口。いつの間にか機嫌を直して戦闘に向けて口枷を外していた犬神が、哉兎の前に立ち、強引に歩みを阻んだ。犬神はそのまま立ち止まった哉兎の前に座り込み、床に謎の陣を描いた。紙もペンもなかったが、入り口の床が埃をかぶっていたのだろう、犬神の指が線を創っていく。

(何語だろう?知らない文字だ…。記号?)

犬神は描かれた陣に両手を当てて、目を閉じた。

数秒後、目を開け立ち上がった犬神が、楽しそうに微笑んだ。

「ごめーん、敵に見つかっちゃった。音は敵の常時発動型の能力だったみたいでさぁ。こっちから探知するつもりが、相手に探知されちゃった。こっち来るよ。」

一応謝罪の言葉はあったが、謝られた気がしない。哉兎には犬神が何をしたのかはわからなかったが、確かに何かの物音が聞こえてきた。それがだんだんと鮮明になり、人間の足音だと確信する。

「藤沢守夫サンかな?直々にお出迎えだよ。………………………?」

足音はその内爆撃に変わり、入り口の屋根が震え出した。哉兎は元々混乱していたのだが、隣で楽しそうに笑っている犬神に、更に混乱した。

「え、看守と能力持ちの死刑囚の任務って、いつもこんなのなんですか…」

「普通よりちょっとだけ激しいかな。もっと平和なのもあるよ。まぁ、能力にもよるからね。アイツ藤沢守夫はきっと、仲間集めが苦手なんだろ。だからこんな狭っ苦しいとこを根城にしてるんだよ。…もうちょっと広かったら戦いやすかったのに。」

犬神の言う“能力”には、2つの意味があるのだろう。1つは、能力者としての力量。もう1つは、人間としての力量だ。能力者の力量はさほどなくとも、人間力で補う者は多い。

つまりは、世は単体の力で動いているわけではないということだ。小さな力が集まって、ということである。哉兎はどちらかと言うと恋だの愛だの友情と言った類の目に見えない事柄は信用していない。現に、この世には子を愛さずに憎む親が____________________望まれずに産まれてしまった子供が存在するのだ。

思考が遠くへ行きかけた頃、ゆっくりとした足取りで、一人の男が現れた。少し茶色がかった、ごく普通の短髪に、薄く髭が生えている。思いの外普通の容姿に、哉兎は拍子抜けする。訓練学校時代の教科書で目にした派手な見た目をした能力、性格、生い立ち…その全てが派手な能力犯罪者は幻想だったのか、誇張だったのか、とショックを受ける哉兎に気付いた犬神は呑気にけらけらと笑う。

「教科書や先人の経験は、役に立つことの方が少ないよ。所詮他人のもの経験だからね。いい経験になったでしょ?来てよかったね。特に教科書は目立つのしか載せないしおまえらも目立つのしか覚えられないから、おれの看守をするなら二度と参考にしないこと。」

わかった?と犬神は威圧感を放つ。と、大きな音と共に砂飛沫しぶきが飛び散った。気付けば、哉兎の横にいた犬神の両手には、赤黒い小型の銃が。彼の右腕はいつの間にか負傷して、肉が抉れている。視界がはっきりとしてからやっと、哉兎は犬神の足元の床に大穴が開いていることに気が付いた。そして舌打ちした犬神は、2本の銃を藤沢と思われる男に向けて発砲した。

「ってェなァ……?お前、『スメラギ』ンとこの馬鹿だろ?」

銃弾が背中を直撃したにも関わらず、男はケタケタと薄気味悪く笑う。

「んん?誰と勘違いしてるのかな、もうボケ始めてるじゃんか。おれはNo.K-225632の犬神だよ、『神殺し』のバカ犬です♡…覚えなくていいよ、おまえのこと喰ってやるから。…ほら、お前の自己紹介聞いてないよ?早くしろ。」

「藤沢守夫、47。喰われるなんて聞いてねェなァ。なんでだ?」

「なんでだと思う?足りない頭で考えてみろよ、フジ。」

気付けば犬神の右腕の傷は跡形も無く消え、その右腕で彼は藤沢に殴りかかった。それに応じて、藤沢も犬神の顔面に拳をヒットさせた。

「あはっ、いたぁい。泣いちゃうかも。」

顔を殴られ多少の痛みはあるはずなのに、犬神は嬉しそうに笑った。そしてそのままの流れで飛びつく形で藤沢を押し倒した。

「殴られちゃったなぁ。痛いなぁ。フジ、お前がおれのこと殴ったんだよ。だからおれが今からすることは、正当防衛だよね。」

そう言い藤沢に微笑みかけると、犬神は服の上から藤沢の首筋に噛み付いた。グチュ、グチュ、と音を立てながら、犬神は藤沢を喰い散らかしていく。

「あ"……ァ…ゔッ、………ん"ぅ"ぅ、ぅ…るっさい!!!」

藤沢の体を食いながら、犬神が叫び出した。その叫び声で、哉兎はハッとした。犬神が捕縛対象を喰らっている。『貴重なデータだから、丁重に扱ってね』とリアトリスに頼まれていたのに、犬神もその場で話を聞いていたのに、だ。

「犬神さんストップ!相手ソレは捕縛対象です!リアトリスさん言ってたじゃないですか、貴重なサンプルだって!」

「うるさい!いいから黙れよ、早く死んじまえ!」

哉兎の制止にも聞く耳を持たず、犬神は藤沢を貪り続ける。暴言も浴びせ始めたと思えば、哉兎の耳に男の声が聞こえてきた。藤沢のでも、犬神のものでも、勿論哉兎のものでもない。藤沢のものに似てはいるが、それより若く狂気じみた声。

『ケケケ、どうしたのかな、わんこくんは。』

特徴的な笑い声。

(ただ、声は聞こえるというよりも…)

『頭に直接、でしょ?ふふ、飼い犬に手を噛まれるって、こんな感じかな。』

哉兎の思考を読んだかのように話したのは、先程までとは違う声。さっきのが20代くらいならば、今回のは高校生くらいだろうか。飄々としていて、余裕そうにからかっているかのような声色だ。

『知らないかな?ボクは守夫の中にいる神の副作用みたいなものだよ。カミサマの力で、一般人とも話せるんだよ。』

「やッッ、うるさい!」

「犬神さん!?」

犬神が本格的に異常をきたしていると判断した哉兎は、慌てて手にしていた鎖を引っ張った。"伸び縮みは使役者の意思で変化する"と聞かされていて、半信半疑だった哉兎だが、離れていた犬神がしっかりと自分の元に戻ってきて、ほっと一息ついた。

「かなと……」

「犬神さん、落ち着いてください!あの、」

「うん、ごめんね。…あのね、死亡フラグじゃないから聞いて。藤沢の能力の正体。カミサマの正体、わかった。アイツは表裏一体とか、一心同体って呼ばれる神の現身なんだけどね、」

『ケケケ、賢いわんこならわかるよなァッ?』

『わかったの?嬉しいけど賢く無くてもわかるね、足りない頭でいっぱい考えたね。』

藤沢の中の副作用(仮)たちは、嬉しそうに笑っている。一方犬神は、表情を歪める。

「彼はいわゆる多重人格。それが勝手に能力を持ち始めたもの。古文書とかに、そんな奴の記述はないし、おれの記憶にもなくて昔から不自然だと思ってたけど、あいつは新神シンジンという種類に分類される神だよ。人格同士で会話できる上、他者とも会話できる。条件すら揃えば、攻撃手段にもなる。………おれも、無関係とは言えない間柄だしねぇ。」

哉兎はどこか寂しそうに話す犬神に違和感を覚え質問しようとしたが、犬神はそれを遮るように続けた。

「哉兎は何人聞こえる?0?1人?2人?何人いるんだろうね、あの中。聞こえない方が幸せだから、あんまり迂闊なことしちゃダメだよ、乗っ取られるかもしれないからね。まぁ、条件を揃えさせなきゃいいだけ。」

そう言い、犬神は哉兎に赤黒い銃を創って手渡した。

「長射程だよ。触られたら発動するはず、新種だからね。話だから……、そっか。うん。…藤沢アイツの名を呼ぶな、哉兎。呼んだ回数分、人格たちと話せる。あぁ、おれってこんなに呼んでたのかなぁ。」

『そうだよぉ!あはは、さっすがお兄ちゃん!現役の時は大人しくしてたし、守夫お兄ちゃんも制御してたから、あたしとはあんまり話さなかったよねぇ!でもあたしたちはみーんな、お兄ちゃんが大好きだよ、昔から!』

哉兎が藤沢の名前を呼んでしまわないよう、犬神は定期的に哉兎に声をかける。しかし、本来藤沢に向けるべき意識を哉兎に分散させていた犬神が、藤沢の不意打ちを食らった。顎にクリーンヒットだ。舌を噛んでしまったのか、犬神の口からはボタボタと血が滴り落ちる。

「ってェ…!」

「犬神さん、僕のことはいいですから…!」

「じゃあおまえ、おれから離れて?間違って当てちゃうから。」

何も説明されないまま、とりあえず邪魔にならないようにと哉兎は犬神たちから距離を取った。

「 『愛してるよ、おまえを愛してた。

    いつまでも一緒、永遠に離れない。

     ずっとずっと、愛してる』

   ______________『飛血刀ひけっとう』」

聞いている方が恥ずかしくなるような詠唱をした途端、哉兎の視界から藤沢が消えた。

「え…?対象、は…?」

「ここだよぉ、一件落着だね♪…っと…、あぶね。」

体を赤黒い鎖や紐でぐるぐる巻きにされた状態の藤沢を軽く蹴飛ばして、犬神は笑う。と次に、彼の体がぐらりと傾いた。哉兎はその華奢な体を抱き止める。

「顔色悪っ…!大丈夫ですか、犬神さん。消耗状態は…?」

「貧血なだけだよ、大丈夫。…でも………、背負って帰ってくれると、ありがたいなぁ…。情けないね、ごめん。」

そう言って微笑む犬神には、今までの覇気が嘘のようだった。

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神殺し-GOD KILLERS- 汀桜 @arisu_sora

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