特別な夕暮れ

秋月 聖花

特別な夕暮れ

「わー、すごい! すごーいっ!!」


 学校の最寄駅からバスで約一時間。家と家の間がかなり開いているような山間の集落に降り立つと、僕と一緒にバスに乗っていた彼女は歓声を上げた。


「私が住んでるところと全然違う! これ本当に同じ市なの!?」

「今はね。何年か前の合併で組み込まれたよ」

「そうなんだー! でも全然違う! 景色もそうだけど、空気! なんか、ちょっと冷たい気がする!」


 ずっと町で育ったからか、彼女はテンションが高いままだ。バス停から十分ほど歩くのだが、もしかしたらこれがずっと続くのかもしれない。


「いいなー! そりゃあ、夏原君は植物採集が早く終わるわけだよー。いろいろありそうな感じがするもん」

「でも、大宮さんみたいな女の子は、こんなところ住めない、って言って出ていっちゃうよ」

「えー、そう?」

「女の子が楽しめそうなところ、ある?」


 ざっと辺りを見回しても、木と田んぼと畑しかない。コンビニまでは歩いて二十分。スーパーに至っては車を出してもらわないと行けない有様で、よくある大型のショッピングセンターはこの近辺には一切なく、結局山を下りないと何もないのだ。僕みたいな運動が好きな男子ならともかく、オシャレに目覚めるような女子ならこんなところ居たくもないだろう。本当に、何もないのだから。


「うー……たしかに、ないけど。でもでもっ、こういうところ、なんか憧れるんだよね。のどかな感じがして」

「実際はそんなことないよ。田んぼとか畑は家族総出でやらないと終わらないから、そんなのんびりしてないし、近所のおじちゃんやおばちゃんは話し好きだから、どんどん自分の時間がなくなるよ」


 一度捕まれば一時間は平気で喋っている。暇なおじちゃんおばちゃんは、一度喋り出すと止まらない。しかも話がループし始める。それが一人や二人ではなく、何人もいるのだ。それを『のどか』だと言うのかもしれないけど、僕にはそう思えない。が、それをなんていうのかは、分からないから困る。強いて言うなら、そんなに暇なのか、ってところか。


「あ、ここだよ」


 四方を畑と田んぼに囲まれた中にポツンと佇む一軒家。玄関の前は広々とした駐車場で、そこには軽自動車が一台停まっている。


「ここ!? なんか、大きくない? 車停めれるだけじゃなくて、普通にここで遊べるよね!?」

「どうだろう。この辺はみんなこんな感じだよ。畑潰してる家とかはもっと広かったりするけど。でも、大宮さんみたいに町で育った子にとっては信じられないかもね」

「う、うん。こんな大きい家だとは思ってなかった……」


 見慣れないものを見て圧倒されたのか、大宮さんのテンションは一気に下がった。新興住宅地とかに住んでる人ならまずお目にかかることが出来ないような家だから、圧倒されるのは分かるかもしれない。僕が逆の立場なら、やっぱり圧倒されるだろう。家の広さもそうだが、こんなところにこの人は住んでたのか、と、自分とは違う世界に住んでるのだと実感してちょっと距離を感じてしまうだろう。


「まぁ、珍しいものを見ることが出来る、くらいに思っててよ」


 僕が逆の立場なら、そう思う。だから、距離を置かれたくない。そうは思ったものの、口を吐いて出た言葉は、何のフォローにもなってない気がする。

 とはいえ、そのようなことを気にしていても仕方ない。こんなところで無意味な問答をしていても、本来の目的は何一つ達せない。

 家のことなんておまけだ。夏休みの宿題を片付けるついでの話のタネにしてもらうくらいがちょうどいい。広い家自慢とか、集落の普通を言うよりも、物珍しさを売りにした方がいいはずだ。


「暑いし、とっとと入ろうか」

「あ、うん」


 車が停まっているということは、中に誰かいるということなので、合い鍵を取り出すことはせずに、そのままドアを開ける。思った通りすんなり開いた。


「じゃ、上がってよ」


 振り返ると、大宮さんはポカンとしていた。


「どうしたの?」

「い、いや……。鍵、掛けてないんだね」

「あー……」


 言われてから気付いた。これが、田舎と都会の違いなのだ、と。いや、学校のある辺りが都会か、と訊かれればそれはそれで答えはノーなのだが。

 この辺りまで来ると、オープンになってしまうらしい。家人が家にいれば鍵が開いているのは当たり前。下手すれば、寝ている時だって開いている。

 僕はずっとそれが常識だと思っていたのだが、中学に上がって、この集落以外の、町の友人の家にお邪魔した時、カルチャーショックを受けたのだ。家に誰かいようが、防犯の為に普通は鍵を掛けているのだ、と。大宮さんは今、その逆を目の当たりにして呆然としているのだろう。

 無理もない、とは思う。あまりにも不用心だから。何かあってもおかしくはない。が、こんな田舎で事件が起こるほど人がいないのも、また事実だ。


「この辺だと当たり前だよ」

「えぇ!?」

「中に誰かいれば別にいいだろ、ってこと。町の方出たらそうじゃないんだってのは、僕も割と最近知ったよ」

「ぶ、不用心だね」

「まぁ、そうかもね」


 僕に促されるまま、彼女は玄関へと足を踏み入れた。お邪魔します、と小さな声で上がる。

 廊下を進んで居間へと大宮さんを案内し、僕は母さんを捜して台所へ入った。


「ただいまー」


 予想通り、昼食を作るための準備をしている所で、今から数を増やして、と言うのは気が引けるが、言わなければどうにもならない。


「あら、おかえり」

「母さん、お昼なんだけど」

「食べて来ちゃった?」

「いや、クラスメイトを連れてきたから」

「あらぁ! 珍しいわねー。男の子?」

「女子」


 きゃー、と悲鳴が上がったので、思わず耳を塞ぐ。いい歳をした人が、そんな黄色い声をあげていいものなのだろうか。


「彼女? ついに海にも彼女ができた!?」

「母さん! なんでそうなるんだ! ていうか、今どき恋愛事情に歓声をあげる主婦ってどうなんだよ!」


 準備を放り出してあれやこれやと歓声を上げるのは、どう考えても大人のとる行動ではない。だが、この人はなぜか、そういったものが好きらしい。事あるごとに「彼女は?」と訊いてくる親である。いつからこうなったのかは、正直僕にも分からない。

 暇があれば読んでいるのが恋愛小説と少女漫画であることは把握しているから、現実に恋愛の物語が降ってくると興奮するのだろう、多分。当事者も当事者でそれなりだ。


「じゃあ張り切って作らないとねー。任せときなさいよー。あんたはその子とテレビでも見て待ってなさい」


 母さんは上機嫌になって冷蔵庫を開けて食材を取り出した。ハミングをしながら料理をするその姿は、本当にこの来訪を心の底から楽しんでいるらしい。


「……じゃあ、頼んだよ」


 僕は溜息を吐いてそれだけ言うと、大宮さんの待つ居間へと戻った。テレビでも見て、と母さんは言っていたが、せっかくだから、冷房の効いた涼しい部屋で先に課題を教えてもらうことにしよう。そういう約束でここまで彼女を連れてきたのだから。


○○○○○


「それにしても楽しかったねー、夏原君のお母さん」

「あれを楽しいって言える大宮さんは凄いよ……」


 体を撫でる風が、心地いい。陽もだいぶ落ちてきていて、外を歩き回るのも少しは楽になった時間を見計らって、大宮さんと二人で今日のメインイベントをこなしに河原へと来ていた。

 家を出てきた大宮さんは、母さんに感化されたのか、それとも相乗効果を生み出していたのか、集落に来た時よりも更にテンションが高かった。僕はと言えば、普段よりもうるさい母さんにげっそりとしていた。

 ざっくりと言ってしまえば、酷いものだった。二人で課題をこなして時間を潰して、母さんと三人で食卓を囲んだのだが、何か、意気投合してしまって、二人でどんどん盛り上がり、手の付けようがなくなっていた。逃げ出したい、と何度思ったことか。家で肩身の狭い思いをするのが親のラブラブな姿を見ることだけではない、ということを初めて知った。

 食事の後も二人は盛り上がり、結局僕は終始相槌を打つだけだった気がする。まぁ、彼女が楽しんでいるならそれもいいか、とは思ったのだが。


「あ、ここちょっと急だから気を付けて」

「あ、うん」


 少し急な勾配の道を先に下り、振り返って大宮さんが下りてくるのを待つ。着替えは持っていない、というからお互いに学校の制服のままで来てしまったが、スカートにローファーという恰好では、やはり少し動きにくそうだった。少し考慮して山ではなく川の方まで来たのだが、それでも彼女には少し厳しかったかもしれない。


「大丈夫?」


 彼女が坂を下りた後に声を掛けると、うん、と元気な返事が返ってきた。そう疲れてはいなさそうで安心した。


「それにしてもすっごい水綺麗だね。遠くからだと全然分からなかったのに、近くで見ると川底が見れるんだもん」

「下流じゃあまり見れないかもね。でも、学校の近くでも探せばあると思うよ」

「そうかなぁ。私、こんな川底見れる所なんて知らないよー。だから、今、なんかわくわくする」

「はは、なんかそれは分かる」

「そう? でもちょっと疲れてきたけどね。こんなに水が綺麗なんだから、いろいろ植物あると思うんだけどなぁ」


 大宮さんの零す言葉はもっともなことで、もうかなりの時間を二人で歩き回っていることになる。

 ノルマにしている数までは後一つなのだが、これがなかなか見つからない。似たような見た目だと後で調べる時に苦労するから、何か分かりやすいのを、と思っていたようなのだがそれがダメだった。たしかに植物はいろいろあるのだが、似たような見た目のものばかりで数が集まらなかった。

 少し離れれば違うのがあるかもしれない、という彼女の提案によって川面のすぐ近くまで下りることにした。

 落ちたら大変だから乗り気はしなかったのだが、大宮さんの強い希望だったから断れなかった。水深がそう深くない川とはいえ、油断は出来ない。大宮さんに気を配りつつ地面に生えている植物を観察する。


「夏原君、これ採ったっけ?」

「ん、どれ?」


 後ろから大宮さんが声を掛けてきたので、そこまで戻ってからしゃがみこんだ。彼女が指していたのは、細長い葉を付けた草だった。茎の頂点にはいくつもの細長く丸いものを付けている。これは、種だろうか。白い毛のようなものが無数に生えていた。


「これはまだだね。こんな種のやつ今までなかったし」

「だよね。やったー、これで終わりだ!」


 るんるんとした様子で大宮さんはそれを一本採った。持ってきた袋にまだ名前も知らないそれを入れて、中身が出てこないように口を縛る。

 持ってきたメモ帳に何やら書きつけて、それを勢いよく閉じると、彼女は満面の笑みで言った。


「本当にありがとう! やっと終わったよ!」

「お疲れ様。なんとか終わってよかったよ」

「本当だよ、もうー。似たようなのばっかで区別付かないんだもん。区別付くのにしよう、なんて思わなければよかったー」

「まぁ、後が楽になると思えばいいんじゃないかな」


 笑いながら元来た道を戻る。足元に注意して、時折大宮さんを振り返りながら、堤防へと戻った。

 空を見上げれば、もうすっかり日は暮れていて、綺麗な橙色の空が頭上を覆い尽くしている。


「わぁ、すごい赤い!」


 僕に釣られたのか、大宮さんも空を見上げたようだ。雲までが色付いてるその様は、たしかに、赤いと表現するに相応しいだろう。


「やっぱり、山の方は雰囲気が違うね」

「そうかな?」

「うん。緑の上にある空と、住宅街の上にある空は全然見え方が違うよ。何ていうのかな、こう……。色のコントラスト?」

「それは、どうだろう。その日によって見え方は違うし」


 空の見え方なんて、本当にその日によって違うのだ。田舎だから、都会だから。そんなのは、きっと関係ないと思っている。違うのは、ただ、その空が広いか、狭いか、ただそれだけだ。


「でも」


 でも、と言葉を続ける。せっかく、普段とは違う場所まで来た彼女が、何か特別なものを感じているのだから、何か言ってあげたい。そんな欲が芽生えた。


「知らない場所で見る初めての風景って言うのは、きっと、特別なんだと思う」


 僕にとっては見慣れたものでも、彼女はそうではない。こんな人の少ない集落に来ることなんてそうそうないから、余計に新鮮に映ったはずだ。多分、それが、このありふれた景色を特別に見せているのだと思う。


「そっかぁ。そうだね、きっと」


 言葉を噛みしめるように、何度か小さく繰り返した後、納得したように頷いて、もう一度空を見上げた。その横顔が、綺麗に見える。


「うん! 夏原君が言うんだもん。きっとそうだよね!」


 かなり苦しい言い訳だったか、と思ったけど、受け入れてもらえたようだ。ほっとした。


「帰ろうか」


 山の夜は、町のそれよりも来るのが少しばかり早い。うかうかしていると、あっという間に真っ暗になってしまう。街灯も少ないこんな所で日が沈んでしまう前に帰れない、なんてことになったら笑い話じゃ済まなくなる。

 けれど、今度はまっすぐ帰るだけだから、きっと、暗くなる前には家には辿り着けるだろう。


「うん、そうだね。もうへとへとだし」


 川に背を向けて僕達は家路を辿り出す。橙色の光を背に受けて、長くなった影を追うように歩くことさえ、特別なことのように感じられた。


「ねぇ、夏原君」

「ん?」

「もしよかったら、また来てもいいかな」

「……こんな何もない所でもよければ、喜んで」


 その誘いを断る理由はない。僕だって、楽しかったのだから。

 きっと、また、ありふれたことが特別になることがあるのだろう。僕にとっても、彼女にとっても。ただの夏休みの課題が、とても特別なものになったのと同じように。

 こんな何もない所にまた来たい、と思ってもらえたのが嬉しかったのだ。誰かの所に行くのではなく、誰かに来てもらうのが、こんなにも楽しいことだとは思わなかったから。

 だから、叶うことならば、この夏休み中にもう一度、彼女と遊ぶことが出来ればいい。

 来た時と同じようにはしゃぎながら声を掛けてくる彼女を見て、次はどうやって誘おうかと、考えを巡らせ始めた。

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