柩の丘②

 さらさらと、さらさらと、砂のように降り積もる。

 痛いような、苦しいような、寂しいような、行き場を知らぬ感情を。

 捨てられぬのだと知ってしまったから。

 いつか。

 そう、いつか、きっと――。




 こういう時に、名前を呼べないのはひどく不便だと思う。だが、それもまた仕方のないことなのだ。

 生まれながらに神に捧げられてしまったものを取り戻す力など、今のヴァランにはないのだから。

 駆け寄ってくる姿に、ほっと息を吐く。

「すまない、ヴァラン。待たせたか」

 探しにきたことを理解しているのだろう。少年は謝罪を述べると、自然にヴァランの隣に並んだ。そのまま彼を連れて離れようとした瞬間、ぞくりと背筋が粟立った。刺すような視線に振り返れば、青年が睨むようにこちらを見つめている。より正確に言うのならば、その青の瞳は少年だけを捉えている。

「おい王サマ。さっき何話してたんだ?」

「ん? ああ。フフ、ちょっとした未来の話をしただけだ」

 前を行きそうな手を掴んで耳打ちすれば、含んだような笑いが返ってくる。

「未来……」

 そんなもの、こんな浮浪者みたいな子どもに何を言われたところで信じないだろうに。そう思うのに、青年は少年をじっと見つめている。どこか狂気すら見えそうな熱を帯びたその視線に、ヴァランは盛大に顔を顰めた。

 余程、妙なことでも言われたのだろうか。ここは早く去った方がいいだろうと、少年の手を握って走り出す。突然のことにも驚くことなくついてくる少年と共に、急いでいつもの路地まで戻った。

「ったく、マジで何言ったんだよ。アイツ、スゲーこっち睨んでたんだけど」

 もう姿の見えない場所まで来たはずなのに、未だ、視線が背中に突き刺さってくるようだ。それを振り払うように、ヴァランは早足に歩を進めていく。少年は、赤子を見る母のように目を細め、星を数えるように言葉を紡いだ。

「精霊の加護だよ。彼の後ろに見えてな。――龍の姿が、美しかった」

 精霊、というのは少し前に聞いた話だった。幼い頃からずっと、彼には人ならざるものが見えているのだとか。ヴァランは蛇だな、と笑いながら言われた時にはさすがに小突いてしまったものの、それを聞いてヴァランは確かに納得したのだ。

 それこそが、彼が彼たる由縁かと。

 ヴァランは己の目で見えないものは信じない主義だ。けれども、この少年が見えるというのならば、それは確かに存在するのだろうと思えた。件の蛇が己に憑いているかどうかはともかく。

「白い龍、ねえ」

 さて、己に憑いているらしい蛇と、一体どちらが強いだろうか。

 そんなことを考えてしまう辺り、もうすっかり、この王子サマに毒されている気がしてならない。そうして、それすら心地良く感じてしまうのも、やはり彼と共にいるからなのだろう。

 友達のような、この儚い時間の中で。

 兄弟のように過ごしさえする、この幼くあたたかな日々を抱いて。

「賢そうだろう? オレが王だったら、側近にしたいくらいだ」

「ハッ、てめえの側近じゃあ、苦労しかねえな」

 少年が、ずいぶんと長いこと教育係の目を盗んで下町に来ていることをヴァランは知っている。恐らく今日とて、爺やとやらが、目を皿にして王宮内を探し回っていることだろう。

 ハンッと鼻を鳴らして言ってやれば、一応公務はちゃんとするつもりだぜ、と笑いながら返される。まったく、皮肉の一つも通じやしない。

「まあ、オレとしては、お前がなってくれても良いと思うけどな」

「……バカ言ってんじゃねーよ、王サマ」

 盗賊なんかが、そんなものになれるわけがなかろうに。まったくもってバカな王子サマだと、ヴァランはつくづく思う。いくらこうして共に下町で過ごし、友のような扱いをしてこようとも、ヴァランと彼は身分が違う。違いすぎている。

 だから、こうして互いに知らないふりをして、誤魔化したままの時間を重ねている。

 捨てられるものなど互いに何一つなく、だからこそ想いはいつでも平行線のまま。

「なあ、王サマ」

 問いかけて、言葉を失くす。意味もなく散った言の葉を、いつであろうと掬い上げる、幼い唇。

「どうした、ヴァラン」

 そこにあり続けると信じて疑わせない、太陽が。

「ヴァラン?」

 ひどく眩しくて、怖くなる。

「なんでもねえ」

 上手く告げることは叶わず、もどかしさだけが残る。それを疎むヴァランの手を、少年がそっと握りこんだ。

「大丈夫だ、ヴァラン」

 紡がれる言は、何に対しての保証であるのだろう。子どもらしく高い温度を握り返しながら、熱に浮かされた頭で考える。この灼熱の砂に囲まれた大地で、確証などどこにもない。

 明日の命も、未来の約束も。

 だからこそ、かつてヴァランの同胞は惨殺されたのだ。

 月さえ身を潜めた闇の中、幾振りもの刃が肉を裂き舞う血飛沫、耳をつんざく幾多の悲鳴。不吉な黄金の棺へと放り込まれ、形を変えられていく同胞の姿。ごぽりごぽりと、呻くように蠢く液体。神の力を得るべく捧げられた、命の杯。

「はっ」

「ヴァラン」

 脳裏にまざまざと浮かんだ光景に、息が詰まる。それはいつになく鮮明で、どうして今更、とヴァランは唇を噛む。

 忘れたことなど、ただの一度もない。おぞましく、身の震える、あの光景を、忘れられるはずもない。

 いつ如何なる時でさえ、その憎しみと怨みはヴァランの生を蝕み続けている。幾度となく吐き出された言葉と共に、とぐろを巻いて己を見つめ続ける怨念。それこそが今ここにいる理由であり、すべてだと。


 いつだって、知っている。










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