蜘蛛の糸①

 ひどく、滑稽で無様だった。

 道理も知らぬ幼子であるならまだしも、この年にもなって大声で泣き喚くなど。

 後から後からあふれ出てくる雫は、同胞を狩られたあの夜にさえ流れなかったというのに。とめどない感情の波に情けなさが増す。

 それでも、少年は笑わなかった。

 ぽんぽんと背をたたく手は母のように優しく、あるいは父のように広大で、ヴァランのすべてを受け止める。

 こんな、まるで、本物のようで。

「ひ……ぐっ……ぅ」

 せり上がる感情を幾度も飲み下して、その度に喉を突き上げる嘆き。嫌だ嫌だと今なお子どものように縋っている。これほどまでに救いようのない現実が他にあるだろうか。浅ましさに吐き気がする。

 額に触れる胸から伝わる温度は熱く苦しい。絹のように滑らかな手が、白い髪を撫でていく。その度、棘を持った蔓に巻きつかれ、心臓が血を流す。

 じくじくと、じくじくと、いつまでも。

 けれど、それらは恐らく少年も同じことだった。布を隔てた肌の向こう、額を通して伝わる鼓動は、痛みを訴えるように忙しない。

 どうすることが正しくて、どうすることが間違いなのか。

 互いによく理解しているはずで、それでもこの感情に折り合いを付けることができないでいる。

 何を望み、何を得たのか。二人で過ごす時間に求めた答えは同じであり、けれども始まりからしてあってはいけなかった。

 どうしてなのかと、問うたところで意味はない。すべては後の祭りである。


 だから、痛くて。

 痛くて、痛くて、痛くて。


「ヴァラン」


 おもむろに、少年が名を呼んだ。背を撫でる手は止めずに、言葉にしない想いをたらふく込めて、少年がヴァランの名を紡ぐ。その想いの一つ一つを、ヴァランは拾い上げていく。

 ありがとうと、ごめんなさいと、さようならと。


 ――さようなら?


 バッと勢いよく顔を上げて、ヴァランは少年を見た。視界に映る世界はまだ滲んでいて、良好とはいえない。その中で、薄い肩を強く掴んで、ヴァランは陽色の瞳を覗き込むようにして見つめた。

「ヴァラン?」

 ふしぎそうな顔をする少年。確かにその反応は正常で、異常なのはヴァランの方だった。一体何を考えているのだろう。奥歯を噛み締めながら、ヴァランは探す。今更、どんな言葉をかけて彼を引き止めようというのか。


 すべてを知った今なお、何を。


(うるせえ)

 己の中の疑問へ、ヴァランは否定を叩き付ける。


 もう、そんなこと、どうだっていい。


「……行くな」

 喉から絞り出した声は見苦しいほど不安定であった。

 ぐらぐらと世界が揺れている。

 身の内から溢れる闇に灼かれて、心は荒野を彷徨い歩く。

 そうして渇いた心に注がれたのは、あたたかで、優しく、美しい未来だった。


 いつだって、そう。


 手を伸ばす先にあるのは、かつて幼い子どもが疑うことなく胸に抱いていた、柔らかな未来だった。

 だから。

「行くんじゃねえ」

 いらだちなどではない、縋る響きを持って言葉は紡がれた。それはひどく情けないものであったが、それでも良かった。この少年を、あの日の惨劇で失われたはずのそのあたたかさを、手放さずに済むのなら、今はもう何もかも忘れ去ってしまいたい。

 背中に回っていた腕が外されて、滑らかな肌に両頬を包まれる。交わされた視線の先、朝焼けを映した真っ赤な瞳に、知らず息を呑む。

「私はお前の憎む王族だよ」

 残酷な言を紡ぎ出す唇が憎たらしい。そんなことはヴァランとてわかっている。わかっているのだ。

「それでもお前が……」

 続く先を奪って、ヴァランは応えとした。

 それでも、望んだのだ。

 手放せやしないと、分かってしまったのだ。

 その気持ちにだけは嘘をつけるはずもなく。


 分け合った温度が熱いのは、互いに同じ想いを抱えているからだった。

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