幕間① 光の雨
たとえ、それがひとときの夢に過ぎなくとも。
▽*△ Φ ▽*△
ヴァラン、と響く声を聞く。
かすかに鼓膜を震わせるだけの、決して大声ではないはずのその声を、ヴァランの耳はいつだって確実に捉えるのだ。
「また来たのかよ」
「ああ、また来たぜ」
軽い舌打ちと共に吐き出された、呆れたようなヴァランの言葉にも怖気づくことなく、少年は笑って応える。今日も今日とて変わらない少年のその態度が、ヴァランを不快にさせることは、ない。
「それで、今日はどこへ行くんだ」
「んなの……」
特に予定などない。そう言いかけて、ヴァランは言葉をしまった。先日情報屋から仕入れた話を思い出したのだ。ヴァランは少年の頭の天辺から爪先までをじっと見た。貧弱とまでは言わないが、筋骨隆々とは言い難い細い身体だ。
少年にはいつも振り回されてばかりなのだ、意趣返しにはちょうど良いかもしれない。
「ヴァラン?」
何かを悟ったのか、戸惑ったような声音で少年がヴァランを呼ぶ。それにニヤリと笑って返し、ヴァランは少年の手を掴んだ。
「ちょうどいい。ちょっと付き合え」
「おーい、ヴァロウ」
「なんだあ」
石を担ぎ上げた男から声をかけられ、ヴァランは手を止めそちらを見た。男はクイッと親指である方向を指し示す。彼の示す先には、周囲に休むよう促されている様子の少年の姿があった。
「弟がへろってんぞ、声かけてやらんのか?」
「あー、ほっとけほっとけ」
適当にあしらい作業に戻る。こうして声をかけてわざわざ様子を伝えにくる者がいるように、智慧を貸していた分だけ周囲に気遣われているようだ。多少休んだところであの少年ならばお咎めはないだろう。ヴァランとしては、休憩時間にでも様子を見に行けば問題ない。
「んな冷てえこと言わねえで、ちゃんとしっかり見ててやれよ、兄ちゃん」
カラカラと笑いながら、男は空いた手でヴァランの背中を強く叩く。
「いっ――――ってぇな、馬鹿力で叩くんじゃねえよ!」
「ハハハッ、いいじゃねえか! にしても、またすげえ大きなもん作んだな」
「ハッ、権力者なんてんなもんだろ。でけーもん作っちゃあ、自分が偉くなったと思いやがる」
「そういうなって。おかげで俺らもこうして仕事と飯にありつけるわけだしよ」
さー昼までもういっちょ頑張るかあ。
そう告げた男はヴァランを抜かしてさっさと先へ行ってしまう。
「くだらねえ」
小さく悪態を吐いて、ヴァランも足を早めた。
休憩時間になり、周囲を見渡せば、建物の影で寝転んでいる少年を見つける。どうやらあれから体力の限界がきて、ヴァラン達より先に休憩に入らされたらしい。ヴァランはさっさとそばへ行くと、バシャっと上から水をかけてやった。
「何するんだ……」
「よぉ、弟クン。だいぶへばってんな」
「――知ってるか、兄さん。魚は陸ではなくて水に棲むべきなんだぜ……」
「ハハハッ、慣れねぇ肉体労働がこたえたってか! 弱えなあ」
「翼なき獣が地を這うのは当然で、水中で息を吸えない生き物が陸で過ごすのも自然だろう」
「おーおー、そうだなぁ。いやあ、お前のンな顔が見られんなら連れてきてよかったぜ」
「意地の悪い兄さんだな」
「そりゃどーも」
返事をしつつ、ヴァランは少年の横に座り込む。支給された果実を齧り、人の手により積み上げられていく神への建造物を眺める。意趣返しとはいえ、こんなことをしに来るだなんて思いもしなかった。少年がいなければ、ヴァランはここにはきていないだろう。当然ながら、あれを建てる側ではなく暴く側としてあったはずだ。
「で、どーなんだよ。お貴族様とちげえ庶民の暮らしってやつは」
「どうもしないさ。不便な点はまだあるからな、あとで監督者に話でも……」
「今のナリでか?」
浮浪者のような格好の子供が意見したところで聞き入れられるはずもない。ヴァランが指摘すれば、何か問題が、とでも言うような表情で少年が続ける。
「立場がどうあれ、言えることは言うべきだろう。判断するのは彼らだが、意見をされて腹を立てるようならそちらの方が問題だ」
「そんなもんか」
「そんなものさ」
果たして、彼の言葉にはどれほどの重みが生じるのだろう。この国での神官の位置は確かに高いが、所詮は子供でもある。だが、時々目にする所作や言葉に、何か、酷く重たさを感じてしまうのだ。
「それより、お前はどうしてここを選んだんだ」
「あ?」
「お前からこういうことに参加したいというとは思わなかった」
「誰かさんのせいで仕事ができねえからな」
「盗みに頼らずにすむならいいことだろ」
「ハッ、んな綺麗事で飯が食えるかよ。ま、うまくいきゃあ侵入できそうだろ」
「ヴァラン」
また。時折聞く静かなあの声で、少年がヴァランを呼ぶ。それは咎めるような響きではなく、どこか哀しそうな、淋しそうな色を孕んでいるようにヴァランには思えた。
「なんだよ」
「ふふっ、なんとなく呼びたくなっただけさ」
「――あんまでけえ声出すんじゃねえぞ」
「わかっているさ、兄さん?」
茶目っ気を出して片目を瞑って見せる少年に、ヴァランは小さくため息を吐いた。
▽*△ Φ ▽*△
食い繋ぐために他者から奪うことは、ヴァランにとって当たり前の行動であった。王族やら神官やらとは違い、こちらは贅を尽くした生活どころか今日の糧すらろくに手に入らない。ないのであれば、奪っていくしか方法はない。
世界は甘っちょろいやつには手厳しいのだ。誰かに優しくしてしまったら、その分だけ不幸になるような気がしていた。
だから、ずっと、奪って。
奪って。奪って。奪って。
これ以上、誰にも何も奪われないように生きてきた。ずっと、変わらずそうあり続けるはずだったというのに。
「なんだ、お前さん、最近はずいぶん大人しいのう」
そんなことを言ってきたのは、なじみの質屋の老人だった。どんな流通路を持っているのか、この老人はヴァラン含めた盗賊たちが集めた金品を裏で気軽に売り捌いている。そのくせ普通の働き口なんぞも紹介できるときているのだ。世話になっているとはいえ、商売以外で極力関わりたくない相手である。
「はっ、大人しくってなんだよ」
「自覚はあろう。最近できたという弟分のせいかのう」
ほっほっと顎に蓄えた白い髭を撫でる老人。少年の存在が同じ稼業の者に知られてきているとはいえ、この老人の前に連れてきたことはない。一体どこから聞きつけたのやら。これだからこの老人はろくでもないのだ。
「関係ねえよ。つーか弟分なんざ――」
「ほれ、噂をすれば、よ」
「ヴァラン? こんなところで会うとは珍しいな」
「は」
当たり前のようにひょっこりと姿を見せた少年に、ヴァランは一瞬息をするのを忘れた。盗賊たちになじみの質屋で、そうでなくとも働き口を探している者でなければ訪れもしない場所だ。
「おお、坊主。久しぶりじゃのう」
「久しぶりだなハディ。息災か?」
「ほっほっ、老体とはいえまだまだ若いもんには譲らんわい」
ヴァランを置いて、老人と少年はまるで昔からの顔なじみのように話している。傍から見れば祖父と孫のような気やすさである。
「どういうことだ?」
「以前に知り合ってな」
「なに、老人のしがない話し相手になってもらっただけよ」
そう告げて、ヴァランの疑問を軽く流す二人。その態度にヴァランは知らず眉間に皺を寄せていた。
ああ、何とも気に食わない。
「ま、別にいーけどよ」
秘密など、わざわざ探りたくもない。互いにすべてをさらけ出せる様な関係でないのは確かなのだ。ヴァランとて、少年に告げていないことは山ほどある。けっと吐き捨てるように告げるヴァランへ、少年の手が静かに伸ばされる。
「そう拗ねるな。ここの胴元だから話しただけだ」
あたたかな指の背が頬に触れる。触れる温度はどことなく心地よささえ覚えるようではあったが、それに絆されたわけでは、決してない。それでも、少年がヴァランに嘘をつくことだけはないとわかっている。知っている、だから、まあ、しかたがないのだ。
「別に拗ねちゃいねえよ」
お返しのようにわしゃりと少年の頭を乱暴に撫で、ヴァランは話題を変えた。どうせこの後は暇なのだ。用事を済ませたら、少年を連れてさっさとずらかるに限る。
「それよかじいさん、こいつの鑑定」
「なんじゃ久しぶりにこっちの仕事もしたのか。ちょっと待ってろ」
老人はヴァランから貴金属の入った袋を受け取ると、よっこいしょと腰を上げて奥へ引っ込む。
「別に盗んじゃいねえよ」
「知っているさ」
誰に告げるともなく溢れた言葉を、少年に拾われる。当然のように告げられたそれが、何だか妙にこそばゆい。
実際のところ、先日たまたま助ける形になった相手から礼にと渡されたのだ。そんなことは初めてで、らしくもなく、受け取った袋を手にしばらく立ちすくんでしまった。
まるで、普通の生活でもしているような、不思議な感覚。
積み重ねていく時間の中、決して止むことのなかった声をすら、時折聞き逃してしまうことがあるように思う。
けれども、それはあってはいけないことだ。
忘れたことはない。忘れることはない。
ヴァランはずっと、これからも変わらず、復讐心を抱いて生きていく。この国に復讐するためならば、奪い盗むことも厭いはしない。
それでも、降り注ぐこの光の日々を、今はただ。
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