朝焼けの瞳

 ヴァランが王宮に侵入してから、十日ばかりが経過した。

 盗賊を取り逃したことは王宮にとっても不名誉なことなのか、情報屋から仕入れた限りでも、躍起になってヴァランを捕らえようとする動きは市井では見られなかった。街に張り出された探し人の姿絵も、相も変わらず背格好が似ているだけで、どこにでもいるような浮浪児と変わらない。その情報だけでヴァランに行き着くのは至難の業だった。それでもしばらくは様子見を決め、本日ヴァランは晴れて昼日中の街を闊歩している。

「つっても、やることなんざねえか」

 変わらない通り。変わらない景色。変わらない人々の様子。

 平民の生活などこんなものだ。汗水たらして労働に従事し、国のため王のためにと税を納める。手元に残ったわずかばかりの糧を消費し日々を漫然と過ごす。

 すべては、王の支配下にあるがため。

 胸糞悪い、以外に言い様などない。

(問題は、コイツをどうするかだな)

 ヴァランは腰に下げた袋をちらと見て溜息を吐いた。ずっしりと重みのあるそれは、あの日少年から渡された金の腕輪だった。ただの子どもが手にできるようなものではない。王族だの貴族だの神官だのといった、平民とは隔絶された階層の連中のみが手にすることを許されている装飾品だ。

 こんなもの、いつもの盗品と同じようにさっさと売り飛ばしてしまえばいいはずなのに、なぜか今のヴァランにはコレを他人の手に渡らす気が起きないのだ。

こんな、施しのように与えられたものでは盗賊としての自尊心が傷つく。恐らくはきっと、そんな理由に過ぎないのだろうけれど。

「くそっ……」

 彼のことを思い出せば、無性に苛立ちが沸き上がってくる。

 最後に見せられたあの笑みが、脳裏に焼きついて離れてくれない。

「なんだってんだよ、ちくしょう……!」

 名前すら、教えはしなかった少年。

 ヴァランに手渡してきた腕輪やあの態度から推測するに、恐らくは神官の子どもで間違いないのだろう。けれど、その態度には盗賊であるヴァランを蔑む様子など微塵もなく、寧ろ単なる国民の一人としてしか認識していないようであった。恐らくそれが、ヴァランの中により苛立ちを募らせている。

 神官の、子どもの癖に。

 ヴァランにとって、王やら神官やらは最も唾棄すべき対象である。神などという信仰を盾に、人を殺すことさえ躊躇しない。その癖、神こそがすべてだの何だのと、揺るぎのない正義を謳っているから許せないのだ。

 無性に苛々しながら歩いていると、通りで子どもとぶつかった。

「わっ!」

「いってーな! 殺すぞクソガキ!」

 怒鳴りつけるも、子どもはその怒声にびくつくこともなく、すっと顔を上げた。

 瞬間、どくり、と心臓が脈打つ。

 まっすぐにヴァランを見つめてくる、紅玉のように赤く澄んだ、静謐な瞳。

 見覚えのある双玉に、ヴァランはすぐにこの間の少年だと気付いた。

「てめえは神官の」

 子ども、と続けようとしたところで、少年の両手で口を押さえられる。だが、それなりの声量であったせいか、「神官」というヴァランの発言に、通りにいる人々が次々と二人の方を振り返った。

「神官様?」

「神官様がいらしているの?」

 向けられる複数の視線に、布を纏った少年から少しばかり焦ったような気配が窺える。どうやら、お忍びで町に下りてきているらしい。一人でいるようだが、供も連れずに来たのだろうか。

「もう、兄さん! 昼間から寝ぼけないでよ! 探すの大変だったんだから! 神官様がこんな所にいるわけないじゃないか! ほら、早く帰るよ、兄さん!」

 周囲の人間を誤魔化すためなのだろう、少年はそう叫んでから、勢いよくヴァランの手を掴んで走り出した。

「おい!」

 ヴァランの制止など聞く耳も持たず、素早く人気のない路地へと体を滑り込ませる。妙に手馴れた様子からして、どうやらこうして町に下りてくるのは初めてではなさそうだ。

 辺りに完全に他人の姿がないのを確認し、少年は安心したように肩を落とした。ふうっと息を吐く彼の様子を見ていたヴァランは、ふと未だ握られたままの手に気付き、思いきり彼の手を振り解いた。

「このクソガキ! 誰がてめえの兄貴だ! だいだいてめえ、こんなところで何してやがる!」

 威嚇するように低く唸ったヴァランに、少年は至極ふしぎそうに首を傾げてくる。

「何って……市場視察だが? 街中の様子を知っておくのも公務の内だからな」

「へっ、お偉い神官サマの子どもが、供も付けずに一人で徘徊してんのかよ! いいご身分だなあ!」

「そうは言ってもな。オレの供などしたがる者はあまりいないぜ?」

「はあ?」

 貴族ってのはずいぶん気楽なもんだと皮肉を言ったのに、返ってきたのは予想外な答えで、それに疑問をぶつけたヴァランを、少年が再び静かに見上げてくる。金の髪の下から覗くその瞳は、濃く深い赤を宿している。それを改めて認識し、ヴァランは気付いた。

「てめえ、目の色が……」

 赤は血濡れの色であり、この国では忌むべき対象とされている。死や病などの不幸を呼ぶ色だと、服飾に用いることは推奨されず、地の底から掘り出される宝石でも、魔術師らなど一部の界隈を除けば、世間では価値なきものとされている。ましてやそれを最も人の目を惹きやすい瞳に宿しているなど。

「なんだ、気付いていなかったのか」

 そう呟くと、目を見張ったままのヴァランをよそに、彼はそそくさと布を目深に被り直した。そのままどこかへ走り去ろうとした少年を、ヴァランは無意識の内に引き止めていた。ぐっと握られた腕に、少年がびくりと身を竦ませる。

「おい、どこ行く気だよ」

 訊ねれば、少年はヴァランの方を振り返りかけて、けれども結局はそのまま俯いてしまった。

「……お前には、関係ないぜ」

 そんな彼の態度に、ヴァランの脳内に疑問符が浮かぶ。

「ここまで引きずってきやがったのはてめえだろーが」

 人ごみからヴァランをここまで連れ出したのは、紛れもなく目の前の少年だ。そう指摘してやれば、それはすまない、と細い声で返される。謝罪の色は窺えるのに、まったく温度を感じさせない硬い声。そこには先日の夜に受けた傲慢な様子も、先程までの傲岸不遜な調子も見る影がない。急に態度を変えて、一体何がしたいのだろう。わけが分からない。

「それは悪かった。だから、もう放してくれ」

「はあ?」

「いいから、手を、放してくれ」

「んだよ、ワケわっかんねーヤツだな。そんなに放してほしけりゃこっち見ろっての!」

「っ、いいから放せ!」

 互いに引かない空気に、少年もヴァランも、だんだんと声を荒げていく。こちらを振り返りもしない彼に、ヴァランは無性に腹が立った。

 先日の出来事にしても、今日の一件にしても、最初に関わってきたのは少年の方だというのに、どうして自分の方が振り回されなくてはならないのか。そう思うと、自然と体が動いていた。

「てめえ! 何がしてえんだよ!」

 あの日と同じように強引に肩を引けば、ようやく赤い瞳と視線が合う。

 日の光の下に晒し出される、少年の顔。

「ヴァラン! やめろ!」

 慌てて布を下ろそうとする手を制止し、頭を掴んで己の方を向かせる。

「気にしてんのかよ? この目」

 至近距離で見つめてやれば、気まずそうに視線を逸らされる。

 陽光を受けて、赤く紅く宝石のように輝く瞳。

 忌むべきはずだと言われているその色が、けれど、ヴァランには違って見えた。ゆらゆらと揺れる瞳に映されているのは、穢れなどでは決してなく、ナイアの朝焼けのような美しさだった。

 すべての始まりを象徴するようなその色を宿しておきながら、一体何を恥じることがあるというのだろう。

 そう思えてしまうほどに。

「……別に、そういうわけじゃないぜ。気にするのは、オレじゃない」

「へえ、つまりてめえを見る奴らが気にするってことか。んで、オレ様もそいつらと同じだって?」

 これの周囲にいるのだというのなら、どうせ神官連中なのだろう。そんなクソのような輩と一緒にされるなど、ヴァランにはごめんだ。

「…………お前だって、知らなかったから、平気だったんだろ」

 視線を逸らしたまま零された言葉に、ヴァランはチッと舌打ちをする。何だって、そう卑屈な考え方をしてしまうのだろう。似合わない彼の態度に、ふつふつと怒りが沸く。

 ヴァランが、どうして、どんな思いで、こうして引き留めたのかも知らないくせに。

「だったら、今もてめえのことなんざ見たりしねーよ」

 苛立つ心とは裏腹に、そう告げたヴァランの口調は思いの外落ち着いていた。掴んだ手に力を込めれば、少年の体が強張る。怖がっているのは、嫌っているのは、ヴァランではない。この美しい瞳を疎んで、離れていこうとしているのは少年の方だ。

「つーか、オレ様にとっちゃ、んな迷信なんて関係ねーっての。天下の盗賊様だぜ?」

「……それは何か違う気がする」

 なおも言い聞かせるように紡いだ言葉に、少年はようやくヴァランのことをまっすぐに見返してきた。恐々と合わせられる視線をヴァランが逸らさずにいれば、少年の口元がゆっくりと綻んでいく。

「でも、ありがとうな、ヴァラン」

 その笑った顔が、ひどくきれいだと、ヴァランに思えたのだ。

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