砂の邂逅①

 それは、空に月が赤く輝く晩のことだった。

「おい、侵入者だ!」

「宝物庫に侵入者が出たぞ!」

「背格好から、近隣を荒らしている盗賊と思われる! 急ぎ捕らえよ!」

 王宮の宝物庫へと侵入を果たしたヴァランは、寝ずの番をしていた見張りに見つかってしまった。見張りの一人が張り上げた声に、ぞくぞくと兵士が集まってくる。

「チッ」

 増え続ける兵士を見て、抜ける機会を誤ったかとヴァランは己の甘さに舌打ちを漏らした。

 とにもかくにもまずは逃げるしかない。迷路のような造りの廊下を走り出し、右に左に曲がっては兵たちを撒こうと試みる。しかし、内部構造を詳しく知らない子ども一人に翻弄されるほど兵士たちも甘くはない。

 一度は侵入を許してしまったが、それも外へ出さなければ済む話。王宮に忍び込む不届き者に制裁を与えようと、どこまでもしつこく追い回してくる。

「こっちだぜ」

 兵士たちをどう撒こうか考えながら角を曲がった途端、ぐいっと手を引かれ、ヴァランは何かの中に引きずりこまれた。

「うわっ」

「しー、少し静かにしていろ」

 そのままぐっと頭を押さえつけられて、ざらざらとした布の感触が頬に触れる。それを不愉快に思いながらも、兵をやり過ごすためだと声の言う通りに押し黙った。暗くてよく見えないが、抱き締める腕は細く短い。恐らくヴァランよりも幾分か年下の子どもなのだろうと判断できた。

「ヤツはどこだ!」

「どこに逃げた、恥さらしの盗人め!」

「子どもだからと油断するな! 見つけ次第ひっ捕らえろ!」

 兵士たちの低い叫び声が間近でし、ヴァランは思わず息を止めた。呼吸音すら立てぬよう息を潜めてじっとしていれば、やがてバタバタと忙しない足音が遠ざかっていった。

(行ったか?)

 しばらく経ってから、もう十分かと外へ出ようとしたところだった。ふいに視界に光が差し込み、白い衣装がヴァランの目に飛び込んできたのだ。急な光に目を瞑り、慣れるのを待つ頃には、ヴァランは自分がどこにいるのかを理解していた。

 どうやら壺の中に押し込められていたようだ。傍にいた体温はすでになく、ぎゅっと押さえつけられていた頭が、いつの間にか解放されている。

「急に押し込めてすまなかったな」

 降ってきた声は、言葉とは裏腹に、ちっとも悪びれていない口調だった。すでに外へ出ていた少年は、ヴァランへと自然に手を差し出した。それを無視してヴァランは壺から出た。

 そうして薄明かりの下で目にしたのは、予想していた通り、ヴァランよりも身長の低い少年だった。

 少年は全身を真白い布に包んだ、旅人のような装いをしていた。顔は良く見えないが、頭に被った布からはみ出た前髪は月の光のような金の輝きを放っている。

「……礼は言わねーぜ。てめえが勝手にしたことだからな」

 とりあえず、一時的にでも兵士を撒けたのならそれでいい。後は見つからないようにここを出て行けば済む話だ。迷路のような造りで厄介ではあるが、油断せず慎重に行けば再び兵士に見つかることもないだろう。息を潜めることには慣れている。

 見知らぬ少年の児戯に付き合っている暇は、ヴァランにはないのだ。ゆえにそのまま去ろうとしたというのに、少年に腕を掴まれて引き止められてしまった。

「んだよ」

 お前に構っている暇はないのだと不満をありありと態度に出して睨んだが、どうにも少年には利かなかったようだった。少年は、その口元に笑みを湛えてヴァランを見ている。ヴァランが凄みを利かせれば、時として大人でさえも怯むというのに、どうやら無駄に度胸があるようだ。あるいは、単に鈍いだけなのかもしれない。

「案内してやる。外に出たいんだろ?」

 少年に問われ、ヴァランは苛立ちと疑いに顔を顰めた。

「ハッ、んなの誰が信用するかよ」

「そうか。なら今すぐに兵を呼んだ方がいいな」

「なっ!」

 少年の視線の先には、ヴァランを探している複数の兵の姿があった。ここから大声で叫べば聞こえない距離ではない。

 少年が、すう、と息を深く吸い込む。

 その口から声が発せられる前に、ヴァランは急いで彼の口を塞いだ。

「むぐっ」

 掌の下で、もごもごと口を動かす彼を、そのまま物陰へと引きずりこむ。

「てんめえ……なめた真似しやがって」

「……ぷはっ! 何だよ、お前が帰りたくないようだったから、手伝ってやろうとしただけだぜ?」

 ヴァランの手をどうにか外し、にっと笑う、食えない少年。

 先程の行為は確かに本気であった。それが分かってしまっているから、ヴァランはチッと舌打ちをして少年に返す。

「さっさと連れてけよ」

 返事を聞いて、フフ、と笑みを浮かべる少年。ヴァランはその顔面に拳をいれてやりたくなった。

 こんな子どもに付き合っている暇はないが、人を呼ばれても面倒だ。それに、この迷路のような廊下の構造が分かっていないため、案内人がいるのならば使わない手はないかもしれない。煮え切らない感情を抱えながらも、ヴァランは歩き出した小さな背中を追った。


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