緊急電話の向こうの声

 ビルに設置されている非常電話を見ると、何故未だに恐怖を感じるのか? その話をしたい。

 当時、健康のために非常階段を使って通勤していた。エレベータを使わずに入り口から歩いて西側にある金属の扉を開けて、一階から職場のある五階まで上るわけだ。

 階段を上がっていくと、ビルに入る扉の前に非常用の散水栓とその上には非常用電話と書かれた小さな扉が各階に設置されている。

 好奇心から非常用電話と書かれた赤い扉を開けてみた。金具を中に押し込むと、半円の金属の輪が出てきて、引っ張ると扉が開く形式だった。

 中には古めかしいクリーム色の電話機がぽつんとあるだけだった。0から9までの押しボタンがあるが、受話器を取ると自動的に電話がかかる仕組みになっているようだ。

 たしか、こういう電話は受話器を取るとビルの管理室につながることになっているはずだ。見咎められても困るので赤い扉を閉めようとすると、突然こちらに向かって連絡する機能がないはず電話が鳴り始めた。

 ここは三階だが、階段には監視カメラなどない。扉を開けると通知する仕組みになっているのかと思って確かめるとそんな仕掛けはない。

 とぼけて扉を閉めようと思ったが、警報が鳴り響くことになったり、本当に火災だったとかなら困る。

 意を決して受話器を取った。思ったより軽い受話器だった。

 何か混線しているような雑音が聞こえて、ささやくような女の声が聞こえたが意味がわからない。

 すぐに通話が切れて何も聞こえなくなったので、受話器を下ろして箱を閉めた。


 それから、次の日は四階、そのまた次の日は五階と非常電話が鳴るが、意味不明な女の声が聞こえるだけで切れてしまう。

 ちなみに二階の階段には非常電話は設置されていない。

 好奇心に負けて、さらに次の日は職場のある五階より上の六階へ行ってみた。

 やはり、非常電話が鳴った。

 早く出勤する必要はあったが、好奇心には勝てず、一日ごとに七階から最上階の十二階まで上がって非常電話の鳴る音を聞いた。

 十二階の階段の手すりは思ったより低く、乗り越えたら飛び降りられそうだ。

 下を覗くと後ろのビルの間にある小さなコンクリートの地面が遠く見えた。


 もう上の階がないので次の日はどうなるかと思っていたら、今度は三階の非常電話がなった。

 電話を取ると、十日以上聞いた女の声で「後ろ」と聞こえた。

 なんとなく振り向くと、逆さに落ちていく女と視線があった。にやりと笑った気がする。コンクリートに何かがぶつかる音が響く。

 空気が漏れるような声が出た。

 慌てて、降ろしたばかりの非常電話の受話器を上げた。冷静ならスマホで連絡することも出来ただろうが、動転していたのだろう。

 回線がつながった音がする。とにかく女が落ちたとまくし立てた。自分でも何をしゃべっているかはわからない。

 もしかしたら助かるかもしれない。と思ってとにかく状況を説明した。

 女の声でない、地獄の底から聞こえるような低い男の声が聞こえてきて、電話はぷつりと切れた。

「馬鹿め。その女ならすでに死んだわ!」



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