無名の本

 自分は活字中毒者といえる本好きで、色々な本を読んできた。小説やら、学術書、果てには魔導書の類まで手を伸ばしたが、読書欲はおさまらなかった。

 本だけでは飽き足らず、色々とWEBの文章も読みふけっていた。

 そんなある日、とあるSNSでの書き込みで、謎の本の噂を知った。単なる都市伝説に過ぎないと考えたが、本好きにしては興味をそそる噂だ。

 探してみると、他には有名な掲示板サイトにでもその本の噂は書かれていた。細部は異なるが、似た話は散見できた。

 

 散見する噂をまとめた概略はこんな感じだ。

 その本は、どこの書店でも見つけることができる。

 閉店直前でないと見つけることはできない。

 棚差の場合もあるが、平積みの場合もある。

 皮は人の皮でできていて、触ると軽く汗をかく。

 本は、条件を満たさないと発見することはできない。

 レジに持っていくと、無料で購入できるが代金はその実、寿命である。

 ネットショップでは購入することはできない。

 表紙は黒く。題名はない。便宜的には『無名』といわれている。

 中はこの世のあらゆる本より面白い。

 本を読み終わると、寿命をなくしこの世から消える。

 内容はこの世のすべての本を合わせた知識を得ることができる。

 本を見つける条件は、本好きであること、四百四十四回別の本屋の閉店時間をすごすことらしい。

 噂が間違いでもコツコツ書いているブログのネタになりそうなので、全国に出張するたび、その町で探した本屋で閉店時間まで過ごすことにした。

 

 数年、本屋巡りを繰り返した。最近はネットショップで本を買う人が増え、実際の本屋はめっきり減ってしまった。応援の意味でも一冊位は本を買って帰ることにしている。

 

 そして、四百四十四店目の書店を見つけた。街外れのうらぶれた雰囲気の本屋で、個人の書店のようだ。

 閉店まで本を物色し、なんとなく小説を買って本を出ようとしたが、ふと雑誌を平積みしている横に黒い表紙の本が見つかった。

 手に取ると、しっとりと皮の手ごたえがある。

 汗をかいているような湿りもあった。ぞくりと寒気がした。店主に見せると、そんな本は知らないから、無料でくれるという。そろそろ店を閉めると年配の店主がため息まじりでそうつぶやいた。売上が低迷し続けることができないそうだ。

 

 はやる気持ちを押さえて、宿泊先のビジネスホテルに帰ると、震える手で表紙を開いた。

 ページは真っ白で何も記載がない。落丁本かとも思ったが、あぶり出しのように文字が浮かび上がってくる。

 その文字は宙を舞い、自分の額に潜り込んできた。脳を引っ掻き回させるような感覚が襲ってくる。吐き気がし、視界が暗転した。

 宇宙が見える。時を超え、星を超え、あらゆる知識が頭に流れ込んできた。

 本が顎のように大きく開いた。頁がひとりでにゆっくりとめくれていく。

 さらに大量の文字が、虚空を舞い頭に潜り込んでくる。

 時間が進み、巻き戻っていく。過去と未来が行き来して、宇宙の始まりまで到達した。

 自分と世界の境界はほどけ、何もわからなくなった。

 最後に聞いたのは一人でに本が閉じる音と、バリバリと自身が本からかみ砕かれる音だった。

 

 

 


 

 

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