「太ってますねぇ」

 その日は真夏で、とても暑かった。外にでたくはなかったが、やんごとない用事があり、仕方なかったのだ。

 歩道を歩いているだけでも、アスファルトと空から照り返す太陽の熱で、両面焼きの目玉焼きになりそうだった。

 最近は体重が増え、すでに三桁を超えている。履けるズボンもないので特注だ。シャツも肉ではちきれそうになっている。汗は滝のように流れ落ち、灼熱のアスファルトに落ち気化して消えた。

 ふうふうと荒い息を吐き、めまいがしそうな熱気の中、亀の歩みのように前に進んでいた。

 なんとか駅までたどり着けば……。それまでの辛抱だ。手荷物も重い。

 右足に何か硬い物が当たる。見下ろすと空き缶だった。腹がたってきて缶を蹴り飛ばした。

 缶は思ったより飛び、数十歩離れた男性の靴に軽く当たってしまった。

 五十歳くらいだろうか? やや白髪頭の男性は汗でにじんだシャツと短パン姿だ。 男性はこちらをじろりとにらむ。次の瞬間、無表情になった。何か恐ろしい。

 謝罪しようとおもったが異様な雰囲気にのまれ声がでない。男はこちらに駆け寄ってきた。

 反射的に反対方向へ走り出してしまう。手荷物はどこかに放り出してしまった。一瞬で息が上がり、目の前にちかちか星が飛ぶ。心臓が激しく胸の内から叩いてきた。気管が、できの悪い笛のようなヒューヒューといいう音を奏でだした。足がもつれる。捕まるとまずい。そんな一心で走る。

 人に当たりそうになったり、蹴躓けつまづきそうになった。

 何とか、細い道に入る。もう少しで駅だとおもったら、行き止まりだった。どうやら曲がる道を間違えたようだ。

 白いシャツの男はあっさりと追い付いてきた。相手は細身だ。重い荷物を腹にまとわりつかせている自分とは軽やかさが違う。

 もう走れない。それどころか歩くこともままならない。膝が笑い出す。痩せておけばよかったとおもったが、後悔先に立たず。

 やや熱をもつ地面に尻もちをつき、見上げた。もうどうとでもなれという気分だった。

 名も知らぬ彼は黙って見下ろしてくる。

「なんだ。いいたいことがあれば、はっきり言え」

 男は急に真顔になり、口を開く。

「太ってますねぇ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る