一寸の虫にも五分の魂

 どうやら自分は死んでしまったようだ。目の前には閻魔大王がいて、死後の裁きをうけることになっていた。

 赤い顔で、下あごから突き出した鬼のような牙をもつ閻魔は、爛々と輝く瞳でこちらをみやった。さながら、裁判所の法廷に座る裁判長のようだ。

 自分は今まで、まったく悪いことはしていない。それどころか人助けばかりしている人生だ。地獄行きのはずはない。そう告げると閻魔は首を振った。

「この玻璃の鏡を見よ。お前の悪事が映し出される」

 閻魔がそういうと、虚空に自分の身長くらいはあるであろう鏡が虚空にあらわれた。

 そこには在りし日の自分が映し出されていた。

 もっていた鞄に円形の虫が止まっていた。それに気づいた自分は鞄を振り、虫を振り落とした。

 虫は暫く地面でもがいていたが、後ろから歩いてきた女の子が踏みつぶし、まったく動かなくなった。

 女の子はそんなことは気づかず、歩き去ってしまった。

「このように、お前は虫を殺した。これは罪だ」

「ちょっと待ってください。閻魔様。これは、私の罪ではございません。私は虫を殺さないために、鞄から振り落としたのです。殺したのはこの女の子の罪でありましょう。私は無実です」

「いや、ちがう。お前が虫を振り落とさねば、娘は虫を踏み潰すことはなかったのだ。これはお前の罪である。娘は自ずから虫を踏み潰したわけではない。不可抗力であろう」

 そんな不条理なことは認められない。さらに抗弁する。どうやらここには弁護士はいないようだ。自分で弁護するしかない。

「いえ、私には虫がこの女の子から踏みつぶされることは予測できてはおりません。まさに不可抗力でありましょう。私に罪はございません」

「いや、お前には配慮ができたはずだ。このような人通りの多い場で、虫を払い落すと踏みつぶされると。それを怠ったお前の罪であろう?」

「いや、違います。その理屈では、虫に罪がありましょう。払い落されることがわからず、私の鞄に飛びついたのですから」

 閻魔はさらに顔を赤らめた。どうやら怒り心頭のようだ。

「お前は自分の罪をみとめぬというのだな?」

「認めるも何も私に罪はございません!」

 強く言い切る.

「ぬぬ。ではお前は罰すべき存在は誰だというのだ?」

 しばらく考えると、自分は閻魔を指さした。

「それは、閻魔様。ご自身でありましょう。貴方様が罪といいださねば、罪はありませんでした」

「では、何も罪としないことがどういうことか、体験してみよ」

 閻魔がそういった瞬間。世界が糸がほどけるように消え去る。

 あらゆるものが消え去り、虚無に変える。

 まるで、布の糸がほどけていくようにあらゆるものが消え去っていく。

 自分も、自分であったものも消え去り、何も残らなかった。

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