第4章 その1
「暑ッ!」
急にサウナ風呂に入ったような体感だった。ふと向けた先にはグラウンドで変わらず練習する選手たち。
「戻ってきたんだ。あれ?」
陽炎を見た気がした。イデアとプラトンが通り過ぎていくような。
「錯覚? ……先輩!」
小林陽子の軽くうめく声が聞こえた。ゆっくりと身を起こす小林陽子に、どう言い訳しようかと思案していると、
「熱射病かな……」
自己完結してくれてありがたかった。
「もう終わりか。てか、晶雄が見ててくれたの?」
晶雄の腕時計を覗き込み、部活の終了時間が近づく。
ほっとしている晶雄の横で、立ち上がった拍子に腰をさする小林陽子。
「どうかしたんですか?」
その様子に、先ほどまでの一連で不調がもたらされたのかと、晶雄は急に不安になる。
「ううん。どうもない。けど、なんとなく軽い感じがする」
不思議そうに腰をまださすっている。
「腰、ばっちりになりますよ。先輩」
「そりゃ、あなたが診てるからね」
「そうですね。そういや」
デイバッグをあさり、晶雄がファイルを一冊取り出した。
「先輩、これ読んでください」
受け取り、ぺらぺらとめくる。
「これも整体です」
「整体って、資料読んでるだけでしょ。……え? 骨格の変位と痛みには関係がない? 歪みだけでは痛みにはならない、歪みが固定されることによる動作の制限が痛みになる?」
厚生労働省の国民生活基礎調査や、アメリカとか欧州とかの腰痛ガイドラインなどから引用したデータやら表やらグラフやらがページ狭しと並んでいた。
小林陽子の手が止まった。
「TMS?」
「Tension Myositis Syndrome。緊張性筋炎症候群の略です」
「難しいって」
「じゃあ、話題をすっかり変えて。一〇〇キログラムを腕で持ち上げたり、蹴ったりできますか?」
「できるわけないでしょ」
「ですよね。でも、腰はそれくらい支えることができます」
ファイルから目を外し、晶雄の顔をまじまじと見る。
「そこにもありますけど、おじぎするだけでも腰椎には相当の力がかかります。身体の中で体重の何倍もの圧をどうにかできるのは、腰だけです」
きょとんとしている小林陽子は、体内が急に熱くなってくるのを感じていた。
「つまりは、腰は強いってことです」
「!」
目を見開く。
「誰しもが、腰はもろくはかないと言います。けれど、その前提自体が腰痛から解放されない一因でもあるです」
「要は、思い込みだと?」
「そうです。先輩はそんなのに、腰痛には負けません。『腰痛なんて、4Ⅱ』位の冗談を言っちまえばいいんです」
体内の高揚が、晶雄からそう言われて、頬の紅潮に移る。
「俺も昨日、師匠から教えてもらって、資料集めたりしたばかりですけど。これから何冊か本買って読まなくちゃですけど」
「それは言わなくてもいいでしょ」
「そうですね」
「でも、ありがとう」
小林陽子から焦りや緊迫感が消えていた。クリアファイルを晶雄に戻した。
「なんだか、跳べそうな気がする」
「跳べますよ」
「体のメンテナンスはしてくれるんでしょ? 魔法使いの先生さん」
今までに見たことのないほど、いたずらっぽく笑って鞄を背負う小林陽子は、スタンドから軽快に小走りでもしそうなステップをし出した。
「ちょっと待ってください」
ファイルをデイバッグに突っ込んで、慌てて彼女を追いかけていく。
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