第3章 その3
繰り返し繰り返し晶雄に紡がれるのは、跳べない理由だった。
「先輩……」
それはどんなに励ましても届かない、と晶雄には分かった。理由はない。この小林陽子に大丈夫だと言ったところで、何の説得力もないのは、感覚が理解していた。
誰にも言えなかった不安。
誰にも言わなかった本音。
誰にも言おうとしなかった弱音。
言うことなど許さなかった。彼女自身が。
あるいは、言う方法を、言い方を小林陽子は知らなかったのかもしれない。
晶雄はそれを見過ごすことはできなかった。誰も聞き及ばなかった彼女の言葉を今受け止めたからである。
――何かできないか?
晶雄が思うのはそれだけだった。
「晶雄さん!」
「晶雄!」
魔女と使い魔が名を呼んでいた。振り向いた。濃いクリーム色だった空間が再び淡いクリーム色になり、それどころか鮮やかに色とりどりに変化していっていた。
この空間に入った時から、どことなく空寒かった。しかし、徐々に体感が変わってきていた。寒いのに心地いい。初春のような感じ。あるいはそれがほのかに暖かくなる春真っ盛りのころ。変化があった。
「個体保存」
晶雄は思うこともなしに、そんなことを思っていた。
この色の変化、体感の変化は小林陽子の身体がXという異物を意識から排除したことで改善を試みている反応ではないか。身体内の生理的反応と意識の相互作用の関係など今の晶雄にとって理屈はさておきだった。そもそもXだけでなく、晶雄たちも異物となっていた。
個体を保存しようという自意識ではない、体の意識は一体なんなのだろう。そして、その機能、つまり治る働きを持つ力は一体なんなのだろう。例えば、それを神と呼ぶのなら、文字通り「神は細部に宿る」ことになるだろう。しかし、体は神と呼ばずに表現できるはずだ。しかし、それが一体何なのか、見つからない。
生命・個体を誕生させ、維持し、保存しようとするその生命力そのものは一体何と呼んだらいいのだろう。
そして、それはなぜそのような形を築き、そうなるようになろうとしたのだろう。
あの標本、第三腰椎が歪んでいた。それを矯正し、理想の標本に戻したはずだ。しかし、理想ってなんだ? どの体がモデルで、理想って決めつけているんだ?
どんなに歪んでいても、痛みがあっても体は生きようとしているのだ。
怖い。
もう跳べない。
私は弱いカラ。
だから、私の腰も弱いカラ。
「違う!」
小林陽子の嘆きに、もはや条件反射で晶雄は叫んでいた。
「あなたが弱いなんてこともなければ!、あなたの腰が弱いことなんてない!」
言いたいことを終えて、晶雄は自分が言った内容を咀嚼しようとした瞬間、
「晶雄さん! 色が!」
イデアに言われて見上げた。
辺りが、鮮やかな虹色に、しかも瞬き始めた。
気温と言っていいかはさておき、その場の温度が急上昇を描いていた。夏の日差しのような熱。それが広がっていった。それに伴って晶雄は体温も上がるのを感じていた。さらに、もぞもぞと全身の筋肉がうごめき始めた。
「気持ち悪!」
「なんか、変になってきました!」
どうやら変化は晶雄だけでなく、イデアにも訪れているようだ。
「イデア、術を! 戻るぞ」
プラトンが叫んだ。
「はい!」
杖を回転させながら、呪文を唱える。
「いや、だからいきな」
晶雄の制止は再び無視された。
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