第3章 その2
もう時間がない。
跳ばないと。
トバナイト。
あれ? なんで私跳んでるんだっけ?
優勝、一位を取りたいから。
自己記録を更新したいから。
そうだよね。
競技してるんだもん。
勝たないと。
勝た、ないと。
カタナイト。
モウジカンガナイカラ。
トバナイト、カテナイ。
怖い。
全然楽しくない。
モウトバナクテイイカ。
人体模型は居心地よさそうに寝そべっていた。足を組み、手は頭の後ろで組んで。
とはいえ、無重力空間なのだから、浮いている状態なのだが、まったくもって我関せず、魔女たちの追跡を気にもとめていない様子。
人体模型は何かに気付いて、上体を起こした。瞼があるわけでもないが、辺りをきょろきょろと見渡し、頭を傾げる。再び寝そべろうとして、立ち上がった。慌てふためき、右往左往しだした。
「音もなく忍び寄り解決するは、魔女イデアなり!」
マントを一度翻し、颯爽と決めた感満載の顔をしているが、どうしても学芸会のセリフをどうにかこうにか覚えたて風にしか聞こえない。
イデアが仕掛けた魔術。透明なキューブが収縮していき、人体模型をその中に閉じ込めて行っていたのだ。
「巨大化する必要ねえだろ、やっぱり」
「晶雄さん、ナイスアイディアです!」
サムアップで勝利を告げる。
「よしイデア! 解放の魔術だ」
「どうやるんですか?」
三点リーダーの二乗が応答になったのは、晶雄だけではない。
沈黙というよりあきれ返っている一人と一羽の目の前で、人体模型はもう棺桶の中にいるとしか言えないほど収縮したキューブをぶち破ろうと、もがいている。さすがに魔女に追われる敵さんだけのことはある。魔術でこしらえた壁に早くもヒビが入っている。これを壊し、再び逃走の勢いである。
「イデア、それが分からんで、進入の魔術使ったのか?」
「プラトンに聞けばいいと思って」
言いぐさにもほどがある。
「じゃあ、プラトン! 早くイデアに教えてあげて!」
そうするより他にあるまい。
簡易レクチャー開始。プラトンに合わせてイデアが真似する。晶雄には知れない文言を復唱し、姿見状態で身ぶりも交えている。まるで戦隊ヒーローの変身みたいだった。
こんな調子なら、プラトンが魔術かける方が早いのではと疑問を持つが、今晶雄にできるのは、人体模型が逃げ出さないか、イデアが作った魔術箱が壊れないかを視線を外さないことだけである。
「ん?」
注視が凝視に変わる。
「やっぱり」
晶雄、確信。
「おい、イデア。あの棺みたいなのを、縄状みたく変えて、あいつを縛ってうつぶせにできないか?」
両腕を上げたポーズのまま、またしても晶雄には知れない呪文をつぶやいた。
「えい」
杖を人体模型に向けると、晶雄が言ったように、人骨を閉じ込めていた透明な箱が縄に変わり拘束した。
「何するんですか?」
身を伏せられてもジタバタする人体模型に跨る晶雄。彼自身に危害があってはならないと、プラトンを肩に乗せて、イデアは晶雄の側へ。
「ほら見てみろ」
晶雄が指したのは、第三腰椎だった。
「ここが歪むと結構厄介なんだ。もう身動きが取れなくなるくらいに」
「すっごく動きまくってましたよ」
「それはともかく、歪んでいる以上矯正した方がいい」
「標本だから理想的な身体像なのではないのか?」
「そこも知らん。とにかく今は」
言って、晶雄は身を翻した。うつぶせの人体模型の脇に膝立ちになり、片手を仙骨に、もう片手を頭蓋骨と環椎の間に入れ、
「ふん」
と、力を入れて腕を広げるしぐさをした。骨しかないのに、そこに筋肉も肌もあるかのような手つきだった。牽引したように背骨が伸びる。
「ウフン」
とでも言わんばかりに悦に入った表情を浮かべたのは、人体模型である。
「よし」
イデアにも分かるくらいに第三腰椎が歪んでいなかった。妙に大人しくなった人体模型。
「お前はもう治っているって感じですか、晶雄さん。まるで『必殺! 仕事人』みたいな腕前ですね。将来、安泰ですね」
テレビドラマの情報まで勉強したのであろうか。
さすがは魔法使いである。魔女が呪文としぐさの施しをしなければならいというのに、骨格調整だけで人体模型を制してしまった。それどころか、
「気持ち悪い!」
人体模型が雪解けの雪だるまみたいにうねうねと形状が変わり始めた。
「おい、イデア!」
プラトンが指示を出す。イデアにはまず何よりも魔女としての勉強をきちんと復習して欲しいと、他人ながら願う晶雄。
「私、何してたんでしょうね。晶雄さんたら……」
妙に感心するイデアだが、今ここではすねている暇はない。体を整えられた人体模型はすっかり快調になったのか、その場から消えてしまい、現れたのは、
「いや、確かにXだけども」
羽根が針のようになっている、掌くらいの蝶にしか見えない。
「イデア、これ捕まえるのにでっかくなったのか?」
「はい。でっかくなっちゃいました」
「……何してんの?」
そのせいで晶雄は腰痛を発症したのである。げんなりにもほどがある。
「イデア、早くしろ。逃げられるぞ」
プラトンが急かすものの、Xはただひらひらと無限大のマークを描いて飛んでいるに過ぎない。
「えい」
今までよりも短いスペルを唱えて、杖をかざした。
「? あれでいいの」
晶雄、肩を落とす。
「はい。晶雄さんには感謝しきれないほど……」
深々と頭を垂れるイデアの手にはプラスチック製としか見えない虫篭とそこに収まっているX。もう片方の手には杖。遠目から見れば、夏の自由研究で昆虫採取をした小学生である。格好は夏らしくないが。
「これで、一件落……着じゃねえよ!」
晶雄たちがいるのは、小林陽子の意識の中だということを失念しかけていた。
「そうだな。少しおかしい。Xを確保したと言うのに、この女子が覚醒する兆候がない」
プラトンの説明に、晶雄は空恐ろしくなる。
「ここに俺たちがいるからじゃないのか?」
「いや、違うな。イデア、浄化の魔術を」
「はい!」
杖を両手に持って、呪文を唱え始める。
クリーム色だった辺りは、その淡さを濃くしていく。
「これ、大丈夫なんだろうな?」
大声になる晶雄。
「……の、はずだが……」
頼りになるはずの使い魔が冷や汗を流し始めては、晶雄は
「イデア! ちょっと待」
止めるしかなかったのだが、言い切ることができなかった。
「イデア、待て」
プラトンから制止を促された。
晶雄には声が聞こえた。この空間に響いているようで、それよりも遠くにあるようで、近くにあるような。それよりも広いような、狭いような。
晶雄にはこう聞こえた。
「怖い」
と。その声は小林陽子の声に似ていた。いや、似ているのではない。その人そのものの声だった。
その次に晶雄に分かったのは、声が聞こえるということではなく、文章が晶雄の頭に入力されているかのような感覚だった。
腰が痛いから、トベナクテモイイヨネ。
もう時間がないから。トベナクテモイイヨネ。
どうして跳んでいるのか分からなくなったから、トベナクテモイイヨネ。
跳ぶのが怖いから、跳ばなくてもいいよね。
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