第2章 その2

 市営の陸上競技場。

 梅雨に入ったばかりの夕刻の熱はまどろこっしく、日陰さえ気休めにもならない。ただ、少し日差しを避けられただけでも、どことなく火照りが小休止する。

 競技場内には、市内のいくつかの高校が練習に来ており、各校独自のジャージの色で見分けられるのは最初のアップの時間だけだった。

 スタンド席にひとまず到着した晶雄は、小林陽子の姿を走り幅跳びのピットに見つけた。半袖のティシャツとハーフタイプのスパッツの姿で、今まさにシューズからスパイクに履き替え立ち上がった。

「やはり魔術ではないな」

 晶雄の横には腹部がこんもりと膨らんだイデアの姿。昨今の二次元文化のおかげでユニークな装いが許容される容易になった昨今とはいえ、ハロウィンを先取るには気が早過ぎるイデアの格好には、さすがに街の人の中で二度見しない人がいないというわけはなかったが、その数は晶雄が予想したよりは少なかった。

 けれども、やはり魔女ならば、姿を隠すだの、人間からは見えなくなるだのの魔術を施してくれた方が良かったのだ。というよりもイデア自身が「見つからないように」と言っていたにもかかわらず、そのための行動の予兆さえもなかった。問い詰めて分かった。魔術を見つからないように、という意味で、魔女自身が見つからないようにという意味で答えたわけではなかったようだ。こんな格好の見た目小学生が街を歩いて警察関係者がまったく来なかったのは、幸いと思うしかない。

 その点、プラトンは地方都市で姿を顕わにすることを避けるのは当然と言った。言ったものの、どうあってもイデアのゆったりとしたマントを利用して隠れるという案を強固に主張し、ぬいぐるみまたは剥製としてじっとしているという妥協案さえ拒む勢いだった。

 イデアに隠れたプラトンが、小林陽子をその鋭い眼光でスキャンしたが、事前と同じ結果だったようだ。

「プラトンの目から見ればスケスケだぜってなもんか。なら、なんでだろうなあ」

 晶雄は顎を掻きながら、幅跳びのピットを見やっていた。

 軽快な助走を始める小林陽子。そのモーションからはやはり腰痛の影響は皆無だろというか、あんな優雅なフォームは高校生で他にはないだろと思われるくらいだった。

 踏切。

 しかし、小林陽子は跳ばなかった。

 踏切板に足が合わなかったわけではない。ファールどころでもない。むしろ、どんぴしゃだ。それなのに、彼女は砂場を駆けて行き、スピードを殺すと、重々しく砂場から出た。踏切板を一度ちらりと見たが、すぐに空を仰ぎ、仕方なさそうにうつむいて助走スタート地点へとぼとぼと歩いた。

「ちょっと見てくる。なんだったら帰ってもいいから」

 イデアの返答も待たず、晶雄はスタンドを駆け下りて行った。

「あいつは面白い奴だな。てっきり魔術を彼女にかけて治してやってくれと言うのかと思いきや」

 イデアの腹部から顔だけをのぞかせて、プラトンは感心をしているようだ。

「どうにかなりませんかね?」

「人間の領分で対処できることは、彼なりにやらせた方がいい」

「じゃあ、私にできることができたら、できるようにしてもいいってことでしょ」

「言いたいことは簡素にまとめるのだ。まあ、そういうことだな」

 まだ日の入り前の蒸し暑さが、黒いマントで身を包んだイデアの背中を射していた。晶雄から買ってもらったスポーツドリンクのペットボトル二本目が着実に減っていっていた。

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