初めての剣

「サウスカ森林、って知ってますかね。このユタリカ城下街の南に位置する森です。この街や周りの草原はマナ濃度が極めて低いのですが、その森だけずば抜けて高いのですよ。マナ濃度が高かったら、モンスターが沸いてくるのはさすがに知ってますか?ああ、知りませんか。まあ、そういうことだって知ってください。というわけで、その森林は街中や草原ではありえない位モンスターがいるのです。そのモンスターが増えすぎて森から溢れ、街にまで来る、なんてシナリオを回避するために定期的に間引かないといけないのですよ。モンスター、と大した名で呼んでいますが、そこらの害獣駆除と同じですね。あ、害獣駆除の方はわかる、と。全く、貴方の知識の偏りは何なんでしょうね」

 そこまで言って、グレイさんは口を閉じた。言いたいことを言いきったというより、話し過ぎたから、息継ぎをしたって感じだった。

 大きく、一息落ち着けたところで、グレイさんはもう一度話し出した。

「森林にいるモンスターも、そんなに強いのとか希少なのはいません。よくいるスライム系と獣系、あとは植物系が主だったところでしょうね。いかに‟マナ濃度過多危険地域”と言っても、近くに街が存在できる程度のものですからね、そもそも危険度が低いのですよ。奥の方や稀にあるマナの異常発生地は、その限りではないのでしょうが。ま、そんな場所に行くことも今回は無いでしょうし、腕利きの傭兵団と一緒の任務なので、心配はいらないでしょうね」

 話を聞きながら、なんとなくわからない単語が出てきたが、話の流れで大体は察することができた。リリィはというと、すでに何度か経験してるだけあって、話の内容は聞かなくてもわかっているようだった。手元の紙で遊んでいる。

「詳しい任務内容や、駆除優先種についても、その傭兵団を頼ればいいでしょう。彼らも長いですからね、ちゃんと君たちの指導をしながら依頼をこなしてくれるはずです。あと、素材回収も今回の依頼に含まれます。そんなに難しいものはないので、頑張って集めてください。余った分は傭兵団の方と山分けして結構です。採集するべき素材に関しては、今渡した紙の一番下にリストアップしてるので、確認しておいてください」

 ようやく、話が終わったようだった。グレイさんも満足げに頷いてから、言葉を切った。


「わかりません」

 前の世界では、あまり縁のなかった言葉を、いっそ清々しいほどに堂々と口にする。予習もできていない中で、専門用語満載の今回の講座は、厳しいものがある。

「リリィさんや、傭兵団の人に聞いてください。それも一つの経験です」

 あえなく袖にされた。グレイさんには、もう少し親切にしてもらえるかと思っていたけど、経験を積むために、と言われたら反論の余地がない。

 仕方なく、縋るように隣の少女に視線を送ったが、「追い追い教えるわ」とだけ返ってきた。今、一気に教えられても混乱するだろうし、それはそれでありがたい。 


「依頼の件については、これでいいでしょう。明後日なので、準備はしておいてくださいね。それと、一心君にこれを渡しましょう」

 僕たちのやり取りを微笑ましく見守っていたグレイさんが、脇に置いていた布に巻かれた何かを手に取りながら、そう言った。

 それは、少しだけ黄ばんだ布に巻かれていて、長年被っていた埃を軽く払われたといった感じの年代物だった。グレイさんが、多少手間取りながら何重にもなった布を取り除く。取っ掛かりを見つけた後は、シュルシュルと小気味のいい音と共に、一気にほどかれていった。

 数瞬ののちに、恐らく数年ぶりに日の目を浴びることになったそれは、どうやら西洋風の剣のようだった。使われなかった期間も長いのだろうが、使われた時間も相応に長そうな雰囲気を持っている。鞘に収まった形だが、その鞘にも何らかの返り血がついていて、持ち主と共に歩んだ激戦の日々が思われる。

「うちが偶然持っている剣です。前の持ち主も、君のような未来ある若者が使うことを喜ぶでしょうね。一度、手に取ってみてください」

 武器としてのみ存在する、日本では全く見ることのなかった種類の道具に、僕は呆気に取られていた。実際には、門番さんたちが帯剣していたし、なんなら新人門番さんには切られかけたし、リリィがいつも持っている杖も戦いの魔法を使うためにある以上、区分としては似たようなものなんだろう。

 それでも。

 仕事として、ある意味戦いを避けるための武器だった彼らの剣や、魔法という、ファンタジーの産物のような不可思議なものの一部である彼女の杖と、目の前の剣は一線を画すように感じた。

 わかりやすく、血なんかついているからだろうか。それとも、全く違う理由で何かを感じてしまったからだろうか。何の血がついているのだろうか。この剣はいつ福音荘に置かれたのか。前の持ち主は、一体?5W1H、様々な種類の問いが脳内に駆け巡ったが、そのいずれに対しても明確な答えがなかった。

「どうかした?」

 急に固まり、薄らと冷や汗まで掻き始めた僕に、隣の少女は問いかけた。戦いの中に身を置く彼女としては、剣程度を前に、恐怖を感じる人間なんて想像できないのだろう。グレイさんは、僕の感じているものにある程度の理解があるのか、苦笑交じりの表情で見つめてくる。助け舟を寄こすことはなさそうだが。


 ええい、ままよ。とばかりに、意を決して右手で柄を握る。予想以上の重さだったが、それぐらいなら想定済み。がくんと傾いた刀身側に対して、考えるよりも早く左手を添えた。

 片手で振り回すには重いが、両手で支えると、シャーペンばかり持っていた細腕でも持てないことはない。形からも考えるに、叩き切るよりも突きが主流なのだろうか。洋の東西を問わず、刀剣の扱いなんて全く知らないから、想像するしかない。

 今、自分が普通に触っている物が、幾度となく何かの命を奪い、順調に行くのであればこれからも奪い続ける。期待していたような、計り知れない重み、のようなものはなく、段々と手に馴染んできたそれは、あくまで殺しの道具であると、僕の理性だけが主張を続けた。


「扱い方に関しては、今日の午後、私がある程度教えましょう。明日も練習をすれば、森の浅い場所で自衛する程度はできるでしょう。傭兵団も、うちの特性上ずぶの初心者がいることも理解してくれるでしょうしね」

 恐る恐る鞘から左手を離し、軽く振ってみ始めた僕に対して、グレイさんはそう言った。まあ、練習は必要だろうな、と、自分の太刀筋を見ながら客観的に考える。リリィも、苦笑いを抑えきれないようだった。


「私は、これから教会と街門守衛隊の本部に行きます。一心君のことで報告すべきことがあるのでね。足屋を使うので、恐らく昼頃には帰ります。二人は、明後日の任務の準備でもしておいてください。それでは」

 暫く愉快そうに僕と剣の格闘を眺めていたグレイさんがチラリと腕時計を確認した後、そう言って席を立った。ササっと、自分の前に散らばっていた書類と布を片づけて。

「行ってらっしゃい」

 意識せず、そんな言葉が出た。案外、この場所に早く慣れたかも知れない。 

「はい、行ってきます」

 グレイさんも少し驚いたような顔をしたが、笑いながらそう返してくれた。


「ん、準備とかも、君は何も持ってないし、知らないんだよね。明日もあるから今日頑張って集める必要もないかもだけど……。明日は明日で、剣の練習とか連携とかやってみたいし、グレイさんが帰ってくるまでにできるだけ用意しとこっか」

 グレイさんを見送ってから、リリィはそう呟いた。

「ああ、そういうのもあるの?じゃあ、教えてくれる?」

 リリィの言葉を受けて、僕はそう答えた。リリィも、特に嫌そうな顔をせず、頷いてくれた。

「わかった。ちょっと遠い店にも行くし、早めに出ましょう。準備してくるから、君もいるものがあったら、今のうちに部屋からとってきてね」

「オッケー」

 なんて会話をして、お互い階段に向かった。

 レディーファースト、なんて気取って先を譲ってから、なんとなく後ろを振り返った。部屋の隅のテーブルに、相変わらずギレンさんが座っていた。

 目があった気がして、軽く会釈したが、何の反応もなかった。心ここにあらずのようだった。



 酷く辛そうな顔が、印象に残った。

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