第百壱章 最後の罰
「うぎゃああああああああああああああああああっ!!」
ローゼマリーを閉じ込めた扉の奥から聞くに堪えない絶叫が聞こえてきて聖女達の体がビクリと震える。
ローデリヒ皇子が中にいるであろうローゼマリーの安否を気遣う間も無く、扉の隙間から鮮血が溢れて床を汚した。
「ろ、ローゼマリー?」
「あーあ、なるようにしかならなかったようでやすなァ」
残念そうに語りかけてきたおシンにローデリヒ皇子が食ってかかる。
「なるようにしかならなかったとはどういう意味だ?! ローゼマリーはどうした?! 扉の中で何が起こっているのだ?!」
胸倉を掴もうとする手をおシンはヒラリと躱した。
再度、掴みかかる皇子の足を払うと彼は無様に転んでしまう。
「大方、ウルリーケに“会いたかったよ、おっ
洞窟から救い出してくれた恩人を謀殺して家まで乗っ取ったユルゲンは心の底から幸福を感じる事ができなくなっているはずだ。
どれほど裕福になり表面上は高笑いをしていようと、心の底では罪悪感に縛られ怯えていたに違いない。否、人であるならばそうであるべきだ。
そうでなければユルゲンはもはや人ではない。怪物だ。
怪物に母と呼ばれたウルリーケの気持ちを思うと、聖女達は遣り切れなかった。
「で、ではローゼマリーはどうなったのだ? わ、私の子は?」
その時、扉が開いて更に血が溢れて床は血の海と化した。
同時に元気の良い赤ん坊の泣き声が響き渡る。
「ローゼマリー!!」
ローデリヒ皇子が中に入ろうとするが部屋自体から拒まれるかのように弾かれてしまう。
「何故、入る事ができぬ?! ローゼマリー!! 無事か?!」
ローゼマリーからの返事は無い。
代わりに赤黒く染まった二本の腕が闇の中から伸びてきてローデリヒに真っ赤になったものを差し出した。
「こ、この子はまさか私の…私とローゼマリーの子か?」
鮮血によって深紅となっていたが女の赤ん坊である。
ローデリヒ皇子が恐る恐る赤ん坊を受け取ると、もう用は無いとばかりに腕が引っ込んで扉は無情にも閉められてしまった。
元気良く泣いている赤ん坊を抱いてもローデリヒは呆然と立ち尽くすばかりだ。
「しっかりしろぃ! テメェは父親になったンだぞ!」
月弥に尻を蹴っ飛ばされて漸くローデリヒは正体を取り戻した。
慈母豊穣会の教皇でなくとも泣いている赤ん坊に無反応な父親が目の前にいたならば喝を入れようというものである。
「何はなくともまずは産湯だ。これだけの規模の施設なんだから風呂が無ェって事はあるめェ? 案内してくれ」
「ええ、こちらで御座ンす」
おシンの案内に従って一行は秘密基地の入浴施設へと急いだ。
ローゼマリーがどうなったかは気掛かりではあるが、月弥のいう通り、今は生まれたばかりの赤ん坊の方が先決である。
一大事ゆえに誰も気付いてはいなかったが、血の池地獄の様相であった床はどうした事か、何事も無かったかのように綺麗になっていた。
ただ振り返ったゲルダと月弥のみが苦笑していたものだ。
『行ったわ。アナタの虜になって『虎』の聖女を追放した皇子様のキモを潰していくなんて、おシンも凝り性ね。でも御陰でローデリヒ皇子も向後の人生で迂闊な事は出来なくなったに違いないわ。公権力を持つ者の責任と行動の結果を思慮できるようになってくれるでしょう。それだけの教訓を得たと信じたいわ。差し出せる報酬は我が身しか無いのにアフターケアまでしてくれるのだから頭が下がる思いよ』
「は、母上……」
ローゼマリーは出産の疲労と
先程、闇の中に浮かんだ白い顔に仰天したローゼマリーは悲鳴と同時に破水してしまい、その上、赤ん坊の頭が既に見えていたのだ。
恨み言を聞かせるつもりであったウルリーケも緊急事態にそうも云っていられず子供を取り上げる事となる。
転生武芸者に生まれ変わり女となったグレゴールは、地母神であると同時に
その恩恵か、産道は非常に柔軟で出産も怖いくらいにスムーズであったのだ。
一刻も早く産湯に浸けさせる為に生まれたばかりの赤ん坊をローデリヒに押し付けはしたが、中の様子を見ていたおシンは出産と連動して、ローデリヒ皇子にローゼマリーの悲惨な末路を妄想させるに十分な幻をみせていたのである。
未来の聖都スチューデリアにおいてヴァルプルギス家を犠牲にしない為にも元から怨念を発生させないようにする事が肝要だ。
その布石として帝室の血筋であるローデリヒ皇子に権力者が迂闊な行為をすれば悲惨な末路を辿るとの教訓にして貰おうと血の池を見せた訳である。
後に種明かしをした時にローデリヒが激怒する事は予想出来るが、彼とて罪が無い訳ではないので仕置きとして受け入れて貰うとしよう。
『頑張ったね。云いたい事は色々あったし、正直に云えば許す気にはまだなれないけど、孫に免じて復讐はこれで御仕舞いにしてあげる。今後は先代の公爵様と義理のお兄さんの菩提を弔っていきなさい。彼らは
闇の中から白い手が伸びてローゼマリーの頭を撫で、乱れた髪を指で優しく梳いていく。
「父上…兄上…何故、私を恨まなかったのですか?」
『それは教えない。答えが出ない疑問を一生抱えて生きていきなさい。それが私からの最後の復讐。答えを知りたかったら一生かけて悩んで、償って、善行を積む事ね。死んだ後、天国に行けたら公爵様に会って教えて貰いなさい』
「貴方を通じておシンから仕置きを受けてきた身ですが今のが一番応える罰で御座いまする」
『そうかしら』
我が子との再会したからか、はたまた孫を得たからか、闇に浮かぶ白い顔にはローゼマリーを怨んでいる感情は欠片も見えなかった。
しかし植え付けられたヴァイアーシュトラス家の怨念と的外れな復讐心から解放された今の彼女から狂気もまた消え失せていた。
故に助けた相手に裏切られ、家まで乗っ取られたにも拘わらずローゼマリーを恨む事をしなかった先代公爵とその本来の嫡嗣の心情を生涯かけて理解しなければならぬという難題に苦しむ事になる。
「ええ、怨まれないという事がこれ程まで苦しいとは知りもしませんでした」
闇の中で穏やかな顔を取り戻した母の横に、優しく微笑む父と兄の顔を幻視してローゼマリーは静かに泣いた。
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