第百弍章 それぞれの覚悟

「ほぅら、気持ち良いのぅ」


 おシンの秘密基地にある大浴場で恵比寿顔のゲルダが生まれたばかりの赤ん坊を産湯に浸けていた。

 聖都スチューデリア第一皇子ローデリヒとローゼマリーの子である。


「手慣れていますわね」


「これまで冒険者ギルドで何度も産婆をやっておったからのぅ。これまで取り上げてきた子供は百をくだるまいて」


 感心するヴァレンティーヌにゲルダは笑って答えたものだ。


「冒険者ギルドでですか? お産とは縁が無さそうなイメージですけど」


 首を傾げるイルメラにゲルダはニタリと笑う。


「いや、これが意外と多いのじゃよ。共に冒険をしていく内に絆が深まって仲間だった者同士が男女の仲になる。それ自体は珍しくも何ともないのじゃが、命懸けの冒険を繰り返しておるとな溜まってくるものよ」


 漸く意味を察したイルメラは顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 特に死を覚悟させられる経験をすれば共感を得られるだけでなく吊り橋効果もあって気持ちが昂ぶり燃え上がるものだ。


「分かるぜ。俺様も海賊共と一戦交えた後は若い船員とだな」


「お主は単に性欲を持て余しておるだけじゃ」


 ベアトリクスの言葉に被せてゲルダは突っ込んだ。

 かく云うゲルダもその昔、アンネリーゼと共にベアトリクスの海賊退治に同行する機会があったのだが、海賊を殲滅した昂奮が収まらぬベアトリクスに襲われかけるという非道い目に遭わされた事がある。

 両性具有である上に両刀遣いでもあるベアトリクスが子供の腕ほどもあるモノ・・を屹立させて咆哮をあげながら追いかけ回してきた悪夢のような体験は暫く二人の夢に出てくる程だったという。


「まさしく悪夢だったな、ありゃ。俺は暫く穴子・・が喰えなくなったぜ」


「ワシなど当分松茸・・が喰えんくなったわえ」


 ゲルダとアンネリーゼは顔色を悪くして身震いしたものだ。


「そんな状態のベアトリクスから善く逃げ切る事ができたわね」


「親分に風の魔力で高く上げて貰ってな。落下の勢いを利用して脳天に肘を落としてやったのよ。思えばアレ・・が『髑髏割り』の原点だったな」


「えっ…あの技のルーツはそんなでしたの?」


 イルゼの問いに答えるとヴァレンティーヌが唖然としたものだ。

 女性でも威力を出しやすい肘による攻撃はローゼマリーから勝利を得る事ができたが、まさかルーツがこんな仕様もないとは思いもしなかったのである。


「頭に上った鼻血が抜けて頭が冷えたかと思ったが、気を失ってなお船長の一物はしおれる事がなかったのだから呆れて物が云えんかったわえ」


「つーか、アレ・・が入る女がいる事が信じられねェ」


「人聞きの悪いことを云わないでくれ。俺様は女だけでなく男も極楽へいざなう有り難い“命の杖”なんだぜ。何なら今夜試してみるかい、兄弟?」


「いや、遠慮しとくぜ。ベアどんがどうこうじゃなくてまだ踏ん切り・・・・がな」


「ああ、悪い」


「別にベアどんが謝る事じゃねェさ」


 男勝りの大親分であるアンネリーゼも昔は恋に夢中になっていた時期があり、結婚もして子供までいたのだが、かつて捕らえて三尺高い・・・・ところへ送った兇賊の残党に逆恨みされ、有ろう事か夫と子供を惨殺された事があったのだ。

 その後、聖女達の協力もあって残党を捕らえる事に成功するが捕り手術を用いてほぼ無傷で捕獲し公正な裁判の場に出したところにアンネリーゼの矜持が窺えた。

 仇を討ったものの気が晴れるものでもなく、暫くは恋から遠ざかり星神教も無理に再婚や見合いを勧める事はしなかったという。

 しかし我が子を思えば思う程に募る恋しさから母乳まで染み出す有り様であり、見かねたゲルダが頭を下げる形で当時まだ乳児だったカンツラーに乳を分けて貰っていた時期があったそうな。

 カンツラーの育児を手伝っていく内に心の傷も癒えてきたが、同時にカンツラーへの愛着も湧いてくるのは自然であった。

 その後も何かにつけカンツラーを招待するようになり、幼いカンツラーを連れてあちこちへと遊びに行っていたようである。

 自分では見せてやれなくてもアンネリーゼならではの景色を見せてくれるかも知れないとの期待もあって快く送り出していたゲルダであったが、ある日、サイコロを振って遊んでいる我が子を見つけてしまう。

 それだけなら何も不審には思わなかったが、善く善く観察してみると必ず同じ目・・・が出るので何かあると察したものだ。

 そして再びアンネリーゼからの招待を受けてカンツラーが出掛けていくと自らもこっそりとアンネリーゼが営む料理屋へと趣いた。

 そこは離れがあり、その地下にはなんと隠し賭博場があったのだ。


「親分ときたらカンツを博徒共の前で壺振りをさせておってのぅ。流石にワシも仰天したものだわえ」


「いやぁ、あの時の坊っちゃんは将来有望だと思ったねェ。なにせコワモテの博徒に囲まれながら堂々と壷を振っていなすっていたもの。連中からは“この子は大物になる”“将来が楽しみだ”と一目置かれていてな。事実、ガイラント帝国で宰相にまで登りつめちまったンだから大したもんでさ」


「悪を知らねば悪党を知る事は出来ぬと申すがな。母としてあの光景は卒倒しそうになったものじゃ」


「あの時の先生は怖かったねェ。鼻先に『水都聖羅』突き付けられてね。“メイドと冥土、好きな方を選べ”と凄まれた時は小便をチビるかと思ったもんさね」


 迷わずアンネリーゼは『水の都』の居城で三ヶ月間、メイドとして働く事を選んだのは云うまでもない。

 だが幼いカンツラーを寝かしつける際に物語として昔の出入り・・・を聞かせていたというのであるから呆れた話だ。

 もっともゲルダもゲルダで寝かしつけに赤穂浪士の討ち入りを語って聞かせていたのでどっこいどっこいであろう。


「俺も世間勉強にとカンツを預かっていた事があったがな。水滸伝百八星一覧表をそらンじてみせた時は開いた口が塞がらなかったぜ。慈母豊穣会系列の小学校に入れてやった時も学芸会で浅野内匠頭たくみのかみを演じて見事な作法の切腹を見せられた日にゃァ、どういう教育をしてるンだ、と唖然としたもんだ」


「ふふん、カンツには“武士道というは死ぬ事と見つけたり”と教育しておったからな。カンツもその意味を正しく・・・理解しておった」


 月弥もゲルダの教育に呆れてはいたが、巨大な帝国で宰相にのし上がるまでに至る人物に育て上げた事には敬意を払っていた。

 月弥とて朝起きて、顔を洗った後にするのは切腹の作法の稽古である。

 これで自分は死人しびと、その覚悟を持って一日を始める事で何者も畏れる事はなく、何が起きようと動じる事なく対処できると信じているのだ。


「私にはいまいち理解できかねますわ。我が子に正と死のいずれかを迫られた時に死を選べとは親の云う事ではないと今でも思っていますもの」


「だから云うたであろう。カンツは正しく・・・理解しておるとな」


 ゲルダの言葉を理解できたのはイルゼと月弥、そしてイルゼの愛弟子であるローデリヒ皇子のみで聖女達は一様に首を傾げるばかりだ。


「何も思案することはない。余計な事など考えずに生きれば善いと云うておるのだ。事を成就せずに死ねば犬死にだという考えは損得に生きる商人の思い上がりよ。人生において正しい道を選ぶ事は難しい。事実、死ぬより生きる方が良いに決まっておる。で、あるならばじゃ」


「それならば生きる方を選ぶでしょう? 矛盾していませんか?」


「生を選択してじゃ。事を仕損じて、それでも生きようとすれば恥となる。じゃが、朝に夕に死を覚悟して死を選んでおれば、事が成らずに死んで“犬死に”と誹られたとしても恥にはならぬのじゃよ」


「生き恥を晒すな、という事ですの?」


「うむ、分かってきたようだの」


 ゲルダはローデリヒ皇子の子の体から水気を拭きつつ続けた。


「武士道と仏道は相反するものであるがな。釈尊は仏道の本質を『一日一生』と説いておる。さて、『一日一生』とは?」


「死をおもんみてのお言葉とお見受けしました。『一日一生』と思えば一日は我が物となり心に安らぎを得られる。違いまして?」


「流石はヴァレンティーヌよ。では武士道を極めるには『一日一死』である。仏道とはまさに表裏逆の言葉であるな。『葉隠』に武士道を極めるには朝夕繰り返し死を覚悟する事が肝要であるとしておる。常に死を覚悟しておるという事は?」


「そういう事ですか。死にたがりの理屈と思っていた私が浅はかでしたわ。死を覚悟していれば武士道は自分のものとなり、自分が自分である事ができる。そういう教えなのですね?」


「うむ、それなりに答えになっておるようじゃ。生きるのに小賢しい理屈はいらぬ。死を覚悟して生きておればおのずと正しく生きられるものよ」


 ゲルダの教えに聖女達は頭を下げた。

 教えが有り難かったのは勿論だが、何よりその覚悟に敬意を覚えたからだ。


「武士道とは死ぬ事と見つけたりと思えば、どこに生きるだの死ぬだのを思案する隙があろうよ。怨念共も同じじゃ。覚悟が無いから唐突な死で未練が残り、くだらぬ事を怨み、悪鬼となりて世に災いを為すのじゃよ。ローデリヒ」


「はっ」


 ローデリヒは片膝をついてゲルダの言葉を待つ。

 ゲルダもまたイルゼと同じく偉大な師と仰いでいるからだ。


「そなたが聖帝となるか、宣言通りにヴァイアーシュトラス家に入るかは知らぬ。だが下々を導く立場となる事は間違いない。貴族共に“覚悟”を伝えよ。ローゼマリーの事を教訓としたならば出来るはずじゃ」


「ははっ! 聖都スチューデリアを怨念無き国にする為、邁進していく事を誓いまする! どうか今後もお導き頂きたく存じます!」


「うむ、その覚悟が揺らがぬ限りは力を添えて進ぜよう。その代わり頼みがある」


「何なりと」


「星神教からの干渉を自重させい。聖女様として恥ずかしくない生き方をしろ、聖女様なら酒を慎まれよ、聖女様、聖女様、聖女様、鬱陶しくてかなわぬ」


「は、はは……」


 ローデリヒは返事なのか、苦笑いなのか、分からぬ声を漏らしたものだ。


「うむうむ、綺麗になったな。将来は美しい姫になる事は間違いあるまい。ローデリヒよ。今から有象無象からの求婚を覚悟しておけ」


「う、生まれたばかりで、もうその心配をしなければならぬのか。いや、結婚相手を自由にできぬ身であるならば親としてしかと相手を見定めてやらねばな」


「ふふ、段々と父親の自覚が出てきたようね。頑張りなさい」


 師イルゼの言葉にローデリヒは静かに頷いたものだ。


「よしよし、カンツのお下がりであるがおくるみ・・・・を着せてやるでな」


 ゲルダの真横に黒い渦が出現し、中からベビー服とおくるみが出てきた。

 似て非なるもので、闇属性高位魔法『セラー』と同じく亜空間に物を収納できる能力であるが、養母セイラから分けて貰った『塵塚ちりづか』は更に高度で、中に入れられた物は時間さえも停止されて経年劣化を起こす事はなく、何なら料理も腐らせることなく温かいまま何年も収納する事が可能であった。

 まず、おしめをして、ベビー服を着せると、おくるみで包んでやる。

 おくるみとは生まれたばかりの赤ん坊を包む大きめな布の事であり、こうする事で首の据わっていない新生児を安定して抱く事ができ、包まれている安心感から寝かしつけも有ると無いとでは大違いと云っても過言ではない。


「ほれ、抱いてやれ。あ、創作物にあるように揺するでないぞ? 吃驚してしまうし、下手にやれば怪我では済まぬでな」


「は、はい、心得申す」


 ローデリヒはゲルダから我が子を受け取るとじっと見詰める。


「不思議だ。私は初めて抱いたこの子をもう心から愛している」


「そうかえ。ローゼマリーの正体を知ってからどうなる事かと内心では懸念しておったが、どうやら杞憂であったと安心したわえ」


「うう、あの小さかったローデリヒが父親に……」


 ゲルダが安堵した表情を浮かべる横で、ローデリヒの乳母を勤めていたイルゼが感極まったのか涙を浮かべていた。

 師であるが同時に母親代わりをしていたイルゼとしてはローデリヒの行く末だけが心配の種であったが、これで漸く安心する事ができたからだろう。

 泣いているイルゼの肩を親友であるヴァレンティーヌが静かに抱いて寄り添う。

 聖女達もそうであるが月弥とおシンも嬉しそうに彼らを見詰めていた。


「やつがれの親に関する記憶はろくなもんじゃありやせんでしたが、この光景を見ると何だか不思議と懐かしく思えやすね」


「そういやお前にも親ってもんがいるンだよな、やっぱり」


「アンタはやつがれが木の股から生まれたと思ってたンですかい?」


 何故か月弥が感心して呟くとおシンがジト目になって睨んだ。


「いや、お前って身籠もったまま松の木にぶら下がったお袋さんの腐りとろけたはらを破って生まれ落ちた生まれついての悪霊だって噂があるからよ」


「そりゃ周囲をビビらす為にテメェで流した噂でやすよ。やつがれは野州(やしゅう:下野しもつけの別称)の野木宿から少し離れた農村の生まれでさ」


「野州? 何だ、お前も同郷かよ」


 栃木県の片田舎で生まれた月弥はおシンが同県出身と知って驚いたものだ。


「親父は干瓢農家だったンでやすがね。ろくに働かないで飲んだくれていたロクデナシでね。やつがれが七つか八つの頃に借金からヤクザに変な商売をやらされて、そんで下手を打って叩き殺されやした。母親は知らねェ」


「知らねェ?」


「死んだか逃げたか、物心ついた時にはいなかったねェ。天涯孤独になったやつがれは親類を盥回しにされた挙げ句に、このかんばせのせいで陰間茶屋(かげまぢゃや:陰間を置いて男色をひさいだ茶屋)に売り飛ばされた。色々と芸事を仕込まれて十で初めて客を取らされやした。その初めての客が師匠でね。そりゃ色々と仕込まれやしたぜ」


 相手に幻を見せる幻術から始まり、体術を仕込まれ、暗殺の手技も伝授されたおシンは闇の界隈でも畏れられた一流の忍びとなったという。

 更には怪しげな秘薬を服用するように命じられ、師に見捨てられれば生きてはいけなかったおシンは云われるがままに飲んだそうな。

 結果としておシンは女性のような美貌を維持するようになったが、どういうワケか、成長が止まっていたのである。

 師から免許皆伝を告げられた時には既に還暦を迎えていたが、なんと肉体は若いままであった。

 人界から切り離された山中での修行に夢中であったとはいえ迂闊である。

 しかも秘薬には師の血が混ぜられていたというではないか。


「これでお前も私と同じ呪われた存在となった」


 そう嗤う師の首を怒りのままに刎ねたが後悔する事となる。

 師の遺した日誌には、どうやらかつて飢饉の際に餓えに耐えかねて、ある神の捧げ物を食べてしまったらしく、祟りによって不老不死にされてしまったという。

 初めは永遠の命を謳歌していたそうだが、百年、二百年と生きていく内に後悔するようになったそうな。

 何度も友を作ってもいずれは死に別れる事となり最後は絶望して孤独となった。

 不老不死を与えた神に許しを乞うたが返事は無く、漸く嘲笑と共に答えが返ってきた時には祈り始めてから百年が経過していたという。

 その祟りは自害しても傷がみるみる内に治ってしまい死ぬ事もできないらしい。

 死ぬ方法は唯一つ、自分の血肉を与えて同じく不老不死にした者に首を刎ねられる事で祟りを押し付ける事ができるというものだ。

 陰間茶屋でおシンを見初めると房術でおシンの心を縛り付けて弟子とし、忍びとしての技を伝授する事で信頼をも得たのだという。

 師の愛情が祟りを押し付ける為の偽りだと知ったおシンの怒りは相当なものであったが、首を刎ねられて尚、師からおシンを愛していると告げられ、その真意は未だに分からずにいるそうだ。


「壮絶な話だな。アンタはその師匠を怨ンでいるのかい?」


「これが厄介な話でね。怨もうにも優しかった師匠の笑顔や房事の思い出が頭によぎって憎み切れないンでさ。師匠が男で釜を掘られってンなら怨めたのかも知れやせんが、童貞を捧げた女性ってのはいつまでも美しいままにしときたいンでしょうかねェ」


 師が初恋の女性という事もあってか、憎もうにも憎めないおシンに聖女達は居たたまれない表情を見せたものだ。


「一応訊くけど、アンタは誰かに祟りを押し付けようって気は無いのか?」


「師匠を殺したせいか。首を刎ねられる最期だけは嫌で御座ンすね。それにテメェの血肉を他人に与えるのはどうにも師匠の血肉を喰わせるような気がして、そんな気は起きないンでやすよ。ま、これからも祟りとは上手く付き合って生きていきやすから心配しないで下せェ。流石にこの世の終わりまで生きりゃ祟った神様ごと死ぬンじゃねェかと思うンでさ」


 アンネリーゼの問いにおシンは笑って答えたものだ。

 だが、たった数日の付き合いでも既に聖女達にはおシンに仲間意識が芽生えており、その為、おシンの笑顔に寂しさを感じられて仕方がなかったのである。

 ましてや世界の終末まで祟りを抱えて生きるとの悲愴な覚悟を決めているおシンを放っておく事などできはしない。


「まあ、何だ。アンタさえ良ければいつでも黒駒一家を訪ねてきな。茶くらいは出すからよ。賭場にも云っておくから遠慮なく遊ンでくれても良いぜ」


「ああ、俺様の船にもいつでも来てくれ。生憎、日本人の娼婦はいないが色々と人種や年齢層も揃っているから好みが見つかるかもだぜ」


「でしたら私も閑静な所に別荘を持っておりますから一緒にお茶など如何? のんびりと静かに過ごすのも悪くはないと思いますわよ」


「はぁ、お人好しだねェ。ま、お気持ちだけ受け取っておきやすよ」


 小悪党と仲良くしようとしている聖女達におシンは苦笑するよりなかったという。


「さて、産湯にも浸けた事ですし、ぼちぼち脱出しやすかい。手下達も順に脱出してるでしょうしね」


 何故か火照り始めた頬を誤魔化すようにおシンが云った。

 暴走している冥王を放置したままなので時間が無いというのもあるだろう。


「お、御頭…」


 その時、神職姿の手下が浴場に現れたではないか。


「ん? まだ脱出してなかったンですかい? 産湯に浸けている間に脱出しなせェと申し送りをしたはずで御座ンすよ」


 訝しんでおシンが近付くと何か異変に勘付いた。

 一定のリズムで電子音が聞こえるのだ。


「た、助け…」


 駆け寄ろうとする手下をおシンは錫杖で突き飛ばした。

 途端に手下が爆発してしまったではないか。


「人間爆弾…誰がこんな巫山戯た真似を」


 身を守る為とはいえ手下を突いてしまったおシンは唇を噛み締めた。


「これで『錫杖』のおシン殿を始末できるとは思ってなかったでゲスがなかなか勘のよろしいようで」


「誰でやすかい?」


 名指しされたおシンは静かに誰何すいかしたが、声の調子はドスが利いており、目も鋭くなっていた。

 緊急避難ではあったが爆弾に気付いた瞬間、手下を見殺しにする判断をさせた敵が許せないのだ。


「ああ、面倒臭い…聖女が勢揃いしている上に教皇ミーケ殿もおシン殿も健在。ま、皇子様とキルフェ殿は生きていても死んでいてもどうでも良かったでゲスがね」


「おい!」


 身を乗り出そうとするローデリヒ皇子をゲルダは手で制した。

 赤ん坊を抱いている事もあるが冷静さを欠いて相手にして良い相手ではない。


「わざわざ冥王も巻き込んだってのに一人も始末できていないとは神が聞いて呆れるでゲスなぁ」


 姿を見せたのはでっぷりと肥えた中年男でヨタヨタと歩いている。

 しかし、足を悪くしているというより滑稽に見せているように思えた。

 垂れ目を細めて愛嬌がありそうな雰囲気だが、おシンの手下に爆弾を仕込んで送り込んでいる事からも油断できる訳がなかった。


「こんちこれまた、お集まりの皆様、ご機嫌いかが?」


 扇子で自らの頭をペチリと叩きながら男は愛想良く挨拶をしたものだ。

 まるで幇間たいこもちのような塩梅である。


「む? むむ?」


 男を見てゲルダが訝しげにしている。


「先生? 知ってる顔ですかい? でしたら大事な手下を爆弾にしやがった野郎を紹介して頂きたいのでやすがね」


「うむ、知った顔と云えば知った顔ではあるがワシの知るあの男は平気で人を爆弾にする男ではなかったでな」


 唸るゲルダに幇間風の男がにこやかに話しかける。


「お久しゅう存じます。仕明しあけ様、いやいや、今はゲルダ様でしたか」


「やはりお主か。いつから、あのような派手な事をするようになった?」


「いつからも何も初めからでゲス。貴方様には見せた事はありませぬな」


「つまりは大岡様・・・にもか?」


 押し潰すような声に幇間男は上機嫌に答えたものだ。


「はぁい、大岡様もご存知ないかと」


「先生、いい加減に教えて貰えやせんか? どこのどいつなんで?」


 おシンもまた感情を押し潰しての問いにゲルダは苦々しげに答える。


「ワシが前世で尾張からの刺客と戦っていた頃、密談をしたり作戦を練る際に利用していた揚屋あげやがあってな。それは表向きで大岡様が秘やかに建造なされた尾張の密偵が入り込めぬ諜報的な要塞でもあった。そこの主にして幇間が目の前にいた男じゃ」


「仕明先生が尾張との暗闘をなさっていた頃…じゃあ、ひょっとすると大岡様ってのは徳川吉宗様の懐刀の大岡越前って事ですかい?」


 驚くおシンにゲルダは頷いた。


「うむ、しかし、その主がここにおるという事は敵であったという事になるな」


「人聞きの悪い事をおっしゃる。あの時はあの時で味方でしたよゥ。その証拠に尾張からの間諜は誰一人侵入させなかったはずでゲス」


「“あの時は”ときたか。では今のお主は敵という事か」


「はぁい、残念ながら今は敵味方に別れておりますでゲス」


 その時、誰もが気付いてしまう。

 細められている男の目がまったく笑っていない事に。


「では聞かせて貰おう。今の雇い主は誰じゃ? よもや宗春様ではあるまい」


「ええ、勿論。今の雇い主は天魔宗は天魔大僧正様」


 天魔宗と聞いてゲルダ達に緊張が走る。

 幇間男は声高らかに続けた。


「アタシは天魔宗・十大弟子の一人の一人・・


「一人の一人?」


 幇間男は名乗る。


「アタシの名は鈴笛終点すずふえしゅうてんでゲス」


「終点、敵として聞きたくなかったぞ、その名を」


 苦しげにゲルダは呻く。

 共に尾張からの刺客から命懸けで吉宗を守ってきた仲間が今更敵であったなど知りたくはなかった。


「そして竹槍仙十を名乗る上忍六人衆の一人でゲス。面倒臭いので一気に皆殺しにさせて頂きますでゲス。さあさあ、賑々しく参りましょう!」


「竹槍仙十?! 貴様が?!」


 これまで聖都で暗躍してきた竹槍一味の首領がついに姿を見せたのだ。

 笑みを消した終点は次の瞬間、ゲルダ達の前から姿までも消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る