第玖拾玖章 いざ、母の元へ

「憐れな……」


 ゲルダは手を合わせ瞑目すると般若心経を唱える。

 それに合わせて三池月弥も唱えた始めたではないか。

 フェッセルンが神を憎み、見限っていたのは明白ではあった。

 仏教徒でもないのに般若心経を唱えたところでフェッセルンの魂に届く訳でもないし、意味など通じる事がないのは分かっている。

 二人もフェッセルンの冥福を願うつもりは無かったし、改心を促すつもりは毛頭なかったが、せめて二人くらいは救い無き悪党親子の為に祈ってやっても良いではないか、との気持ちが顕れたのであろう。

 するとフェッセルンの肉体が黒く変色して崩れていく。

 一瞬にして白骨と化したかと思えば、その骨もさらさらと崩れて椅子に残されたのは彼を拘束していた養生テープとASMRに用いていたイヤホンのみとなっていた。


「怨念に生かされていた反動か。骨すら残らないとは哀しいな」


「確かに骨も残っておらなんだが、怨念もまた残ってはおらぬ。愛息を失い、組織を壊滅させられた事で怨念の寄る辺が無くなったか。或いは最期の言葉にあるように自らの罪を受け入れて納得ずくで未練無く地獄へ行ったのだろうさ」


 ゲルダと月弥は頷き合うと再びフェッセルンが拘束されていた椅子に向けて合掌したのであった。


「わ、私も死ねばこうなるのでしょうか?」


 ローゼマリーが戦慄しながら呟いた。


「お前の肉体は転生して僅か数年というのもあるだろうが生命力に満ち溢れている。寿命が尽きてさえ無理矢理生かされていたフェッセルンとは違って自力で生きてるから大丈夫だ。もっとも死んだら死んだで魂の抜けた体を巡って怨念共の乗っ取り合いが始まるだろうがな」


 月弥の言葉にローゼマリーは更に背筋を凍えさせる事となった。


「そういえばお訊きしたいのですが、貴方の神、地母神様は今回の事件について何かおっしゃってはいないのですか?」


「あん? まあ、発端は身内の莫迦だからな。俺自身は自分の意思で火消しに動いちゃいるがクシモは特に何も云ってなかったぜ。精々が“そなたの心の趣くままに。後悔だけはせぬように”くらいだな。この機に“聖都を滅ぼせ”だの“星神教を叩け”だの攻撃の指示は云ってねェから安心しねェ」


 ヴァレンティーヌの問いに教皇ミーケは笑って答えたものだ。


「封印から復活させてくれて地母神にまで戻して貰えた恩からクシモはツキヤのイエスマンとなっているって話は本当だったのか」


「惚れた弱みもあるだろうさ。月弥ほどの男はなかなかおらぬでな」


 神官であるはずの月弥のやりたいようにやらせている神にベアトリクスは苦笑し、ゲルダも笑って追従した。


「バータレ。イエスマンばかりじゃ組織は成り立たねェよ。時には、ちゃんと“No”と云ってくるぜ。例えば俺が“No”と云ったらクシモは“No"と云ったものさ」


「いや、それをイエスマンと云うンじゃねェのかな」


 アンネリーゼは呆れてそう呟いた。


「寄り道も済んだし、そろそろ会いにいきやすかい」


「そ、そうであったな。頼めるか」


 フェッセルンの最期を見届けはしたが本来の目的はウルリーケに会う事だ。

 憐れではあったが、怨念が残されていない事を救いと解釈して先に進むべきであると判断した。


「この施設の奥に母上はおられるのか」


「ええ、その通りで。ただし、この洞窟からは連れ出せやせんぜ」


「な、何故だ?! 最早、母上は怨念の依り代から解放されたのではなかったのではないのか? も、もし、次なる依り代がなければ自由になれぬのであればがっ?!」


「だから自分を粗末にする事を云うンじゃねェと何遍云ったら理解するンだ、この脳味噌はよ? テメェは母親になるンだろがよ」


 母の代わりに依り代になろうと云い出すのでは、と察した月弥による脳天への踵落としで強制的に黙らされてしまう。

 ちなみに月弥の愛用している安全靴は靴底の爪先と踵に鉄板を仕込んでいる為に威力は凄まじい事になっていた。


「おら、行くぞ。母ちゃんと会う前から泣くヤツがあるか」


「脳天に踵落としを受けて泣かない輩がいたら会ってみたいものですよ」


「あ゛? 何か云ったか?」


「いえ、確かに泣いている場合ではないと申したのです」


 月弥に凄まれてはローゼマリーも逆らう事はできない。

 前世の記憶と技術をそのままに強化された肉体へと転生した転生武芸者ですら慈母豊穣会の幼い教皇には敵わないらしい。


「何やってンだか。冥王サマは幻術の迷宮に落とし込んだのでもう暫くは持ちやすが限度がありやすぜ。さっさと行きやすよ」


 呆れる様子のおシンであるが、さりげなく冥王の足止めをしていた事に一行は驚かされたものだ。


「本当は地雷原に誘い込もうと思いやしたが、今のアレ・・は下手な事すると却ってパワーアップしそうなンでね。同じ所をぐるぐる回って頂いておりやす。それでも徐々に近づいてきていると手下からの報告もありやす。もたもたしてられやせんぜ」


「地雷原て、洞窟に仕掛ける莫迦がいるか。下手したら生き埋めだぞ」


「指向性の対人殺傷用地雷クレイモアだから心配いりやせんや。ささ、行きやしょう」


「お前が勇者だった時、幻術で地雷原に誘い込む戦法を取られなくて良かったとつくづく思うよ」


 物騒な話をしながら進む二人の後ろで異世界の文明に触れていたイルメラがクレイモア地雷についてアンネリーゼ達に説明すると皆一様に顔を青ざめさせていた。


「おっとろしい兵器もあったもんだな。こりゃ神々が文明を調整しているのもあながち老害思考なだけじゃないのかもと思い始めてきたぜ」


「同意せざるを得ませんわね。これは下手に死に切れなかった方が地獄を見る傷を負う事になるでしょうね」


「文明が違う世界から勇者を考え無しに召喚してきた神共のツケはもう現れとるわえ。アームストロング砲やガトリング砲でさえも今のこの世界には過ぎた兵器であろう。親分も白蔵主はくぞうすとやらから奪ったライフルを手にご満悦のようじゃが、いずれはもっと高性能な銃を欲しくなるぞ。悪い事は云わぬから早い内に破壊するか月弥に預ける事じゃな」


「せ、先生は何でも御見通しだァ」


 ちゃっかりアサルトライフルを自分の物にしていたアンネリーゼは頬を掻いて苦笑するしかなかった。


「それを云ったらゲルダだってスマホを持って来てるじゃない。まさか自分は良いなんて云わないわよね?」


 イルゼに揶揄われてゲルダは余計な事を、とジト目でイルゼを睨むが、次の瞬間には意地の悪い笑みを浮かべたものだ。


「そういうお主はどうなのだ? 推し・・とか申しておった漫画を諦められるのかえ? 半年後に放映されるアニメも期待しておったがそれも観ずして我慢が出来るのかよ? ワシのスマホなら観られるがどうするね?」


「ぐぬぬぬぬ……痛いところを」


 い笑顔のゲルダにイルゼは悔しそうに押し黙るしかなった。


「では私も自転車を月弥に預かって貰うしかないですね」


 残念そうに呟くイルメラにゲルダとイルゼはハッとした表情になる。

 イルメラが買った自転車は友達と一緒に出掛けた思い出が詰まった物だ。

 それを手放す事はイルメラにとってツラいはずであるが寂しそうに笑いながら聞き分けの良い事を云う彼を見ては流石にダメと云いづらいものがあった。


「ま、まあ、依存しない程度に楽しめば良かろう。な?」


「そ、そうね、これまで異世界の文明を受け入れてきた事だし自転車くらいなら神も許してくれるんじゃないかしら」


「いえ、私だけが良い思いをしては信徒の皆さんに示しがつかないのでは?」


「良いからたまには我が侭になりなさい。私達の精神衛生の為にも」


「そうだぞ、オートバイなら兎も角自力で漕ぐ自転車なら神も文句は云うまい。いや、ワシが文句を云わせぬわえ。だから心配致すな」


 力強い言葉にイルメラは漸く笑顔になって頷いた。

 その後、自転車で遠出を楽しむイルメラを目撃される事になるのだが、常人より優れた身体能力故か馬よりも速いとの噂が立ったという。

 また良い運動にもなり体を引き締めると裕福な家のご婦人方の間で乗馬よりも自転車が流行するとはイルメラも予想のつかぬ事であった。

 どこで自転車を手に入れたのかと問われたイルメラが苦し紛れに月弥に相談したところ、自転車の輸出と教習が新たな商売になると踏んだ月弥が流行の発端となるのは云うまでもない。

 このようにして、イルメラのたった一つの我が侭が、異世界の未来に新しい風を吹き込み、自転車がただの移動手段ではなく、自由へのシンボルとして広く愛されるようになることは歴史の妙である。

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