第玖拾捌章 神を見限った者・後編

「勿論、用心ってのもあるでしょうけどね。本当の目的はフェーって餓鬼に真の存在意義を悟らせない事でやす」


「真の存在意義?」


「ええ、フェッセルンが実はとっくに死んでいるってのはお話した通りでさ。それには秘密がありやしてね。ヤツが仲間を集める方法はさっきの説明通りで御座ンすがね。心を雁字搦めにされるも、ついていけば喰うに困ることはない。そんで忠誠を誓わせたまでは良かった。事実、ヤツの為なら兇賊として人を殺し、女子供を殺し、弱けりゃ相手が貧しかろうと根刮ぎ奪い尽くす。そんな凶悪な集団になっていた。けど、中には倫理観が残されている者もいやしてね。このままフェッセルンに付いていったら何をさせられるか知れたものじゃねェ。だから、拾ってくれてありがとうございますって宴を開いてね。酔い潰れたフェッセルンを殺したンでさ」


「だが組織は残っておるな」


 ゲルダの言葉におシンは頷いた。


「ええ、用心深いフェッセルンは宴にはテメェと瓜二つに顔を変えられた手下を参加させてたンでさ。フェッセルンが死んだと思っていたヤツらは胆を冷やした事でしょうよ。首領が死んでも変わらず指令が届いたンでやすからね。しかも筆跡はフェッセルンと同じだ。中には莫迦莫迦しいと指令を無視した者もおりやしたがね。指令が定めた期日が過ぎた次の日、首と胴体が泣き別れてになっていた。首領フェッセルンは生きている。そう確信した手下共は一層忠誠を誓ったというワケで御座ンすよゥ。こうして『神を見限った者達』は逆らう事も逃げる事も出来なくなっていったンでやす」


「死んでるってそういう事かよ。相変わらず卦体糞けったくそ悪い野郎だぜ。でも、それと息子にも正体を隠す意味が分からないンだがよ。どういうこったい?」


「決まってるでしょう。フェーこそがフェッセルンの後継者、つまり『神を見限った者達』の次期首領なのよ。その為にも“殺されても死なない不死身の秘密”を肌で感じさせる必要があった。手下の忠誠が揺らぐ度にフェッセルンは背恰好が似た者を選んで顔を変えて殺して見せていたはずよ。その絡繰りをフェーに自分で悟らせて、忠誠を再認識させる為だけに手下を殺す非情さを身に着けさせるまで待っていたに違いないわ。違っていて?」


 イルゼの推測におシンは首肯した。


「その通りでやす。非情の首領も人の親ってンでしょう。倅に自分が築き上げていったものをそっくり継承したかった。だからこそフェーにも非情な首領となるように教育する必要があったワケでやす」


「呆れた話だな。するてェとフェーを教育するのに父親として接していたら情けが出ちまうって事かい? そんな情けがあるなら真っ当に育てりゃ良かったンだ」


「それもありやすがね。解体するには『神を見限った者達』は巨大になりすぎていたし、何より手下から怨みを買い過ぎていたンでさ。解体を表明して手下に叩き殺されるのが自分だけならまだしも愛息まで殺されるのは避けたい。よしんば殺されるのが自分だけだったとしても息子を次期首領に祭り上げる者が出てくる可能性もある。しかも都合の良い操り人形としてね。だったら首領として教育した方がマシ・・と判断したってところでやしょうや」


「そりゃゲルダのあにぃが農民達をガイラント帝国へ逃がせって云う訳だぜ。自分で止まる事も出来ず、際限なく膨らんでいって、最後は自滅するに決まってらぁ。半グレ共が自爆するのは勝手だが、それに罪の無い農民が巻き込まれるのは忍びないってもんだ。善く命じてくれたぜ、兄ぃ。礼を云わせて貰うよ」


「礼を云うのはワシの方じゃ。善く遠いガイラントへの海路を何往復もしてくれたものよ。助かったぞ、船長」


 ゲルダが手を伸ばすとベアトリクスはしゃがんで頭を差し出した。

 撫でてくれると察したベアトリクスはゲルダが撫でやすいように倍以上に身長差がある体を低くする様は、それだけゲルダを慕っているかが分かるというものだ。


「なるほどな。ジークフリードことフェッセルンがここにいるのはフェーを斃した俺達への復讐の為かい。悪党ながら大した親心だな」


 アンネリーゼが溜め息をついてフェッセルンの子を想う気持ちだけを褒めた。

 しかしおシンは首を横に振ったではないか。


「フェッセルンがここにいるのは復讐なんかじゃ御座いやせんぜ」


「あん? じゃあ何の為にここへ来たンだよ?」


「そもそも前提が違うンでさ」


「前提?」


 首を傾げる聖女達におシンはニンマリと笑った。


「ここ以外に怨念が集まっている場所がある事に気付きやしてね。駆け付けてみたら吃驚するじゃありやせんか。かつては村だった場所が何もかも無くなっていたワケでやすからね。勿論、飢饉で廃村になっていた事は知っていやした。ところが家も教会も畑も林さえも無くなっていたのは異常だ。全て灰燼に帰している理由を調べてみたら、またもオドロキだ。聖女様達が大砲を撃って全てを滅ぼしていたとはお釈迦様、いや、太陽神サマでも気が付くめェ。で、怨念の中心を探ってみたら慢心創意のコイツが佇ンでたってワケでさ。聞けば大爆発が起きた事以外は分からねェ。息子も全財産の殆どを注ぎ込んで揃えた重火器も貸し付けた借用書もみんな灰になっていたって呆然としていたンで御座ンすよゥ」


 おシンは手下に調べさせて、この惨状を創り出したのがゲルダ達であると知り、執念深いフェッセルンが生きていれば復讐に走ると分かっていたのでヴァルプルギス家の地下洞窟へと連行したという経緯があったのだ。


「それは助かった。生きているのかも分からぬ男に付け回されるのは勘弁願いたいからのゥ。見えぬ災難から救ってくれていたとはいくら感謝してもしきれぬというものじゃ。ありがとう」


 ゲルダが頭を下げるとアンネリーゼとベアトリクスも倣って頭を下げた。

 厄介な敵を捕らえていてくれた礼を述べ、素直に頭を下げられるのは彼女達の美点であった。


「それで? そのフェッセルンの有り様は何事なんだい?」


 アンネリーゼの問いにおシンはニヤリと笑った。


「ASMRで御座ンすよ」


「そういやゲルダ先生もさっきASナンタラからコイツを連想してたな。つまりコイツに何かを聞かせてるって事かい?」


「その通りでやすよ。コイツはこの世に生を受けて百年近く生きておりやすがね。その割りには若いと思いやせんかい?」


「云われてみれば淫魔王クシモの乱が百年前なんだから、その頃に生まれたのならジジイになっていてもおかしかねェ。いや、ジジイになってなけりゃおかしい。こりゃァどうなってるンだい?」


 フェッセルンは見たところ四十代半ばに見える。

 多く見積もっても五十歳には届いてはいないだろうと思っていた。

 真っ白な総髪は歳相応だとして筋骨は逞しく百歳を超える老人とは誰も思うまい。


「この野郎もね。ある意味では貧乏籤をテメェで引いていたってワケでさ」


「貧乏籤って…怨念を取り込んでいたってのかよ?」


 おシンは首肯して続ける。


「淫魔王様の戦略で聖都が飢饉に陥って民衆が飢餓に喘いでたってのはお話した通りでやすがね。それでも千年前の罪なんざその時代を生きる者にとっちゃァ知った話じゃねェワケでしょうよ。淫魔王様を怨むのは当たり前で御座ンす」


「なるほど、飢餓でお亡くなりになった人達の無念も怨念と化してこの世に留まってしまっていたのですね。そしてフェッセルンは餓え死にした人達のお肉を食べる事によって生き存え、同じく餓えていた人達に屍肉を分け与える事で仲間を増やしていた事も相俟って無数の怨念を取り込んでいたという訳ですか」


 イルメラの推測は正鵠を射るものだった。


「ええ、その通りでさ」


 おシンは頷き返して続ける。

 フェッセルンはその怨念と成り果てた人々を取り込み続けて、一種の人外魔境と化していたのだった。


「ウルリーケが聖都にあだなす怨念を押し付けられて洞窟に封印されていたのならフェッセルンは餓えに苦しみ抜いて死んでいった者達の怨念を取り込みながら組織を拡大させていったって訳かよ。手下に対して非情な振る舞いをしていたヤツが反面、餓えてるヤツに妙な優しさを持っている理由がそれか。『神を見限った者達』に所属しているヤツらで冷遇されてると厚遇されてるがいるのは、組織に擦り寄ってきたチンピラと餓えているところを拾われた者の差って事か」


 ベアトリクスの言葉をヴァレンティーヌが補足する。


「それもあるでしょうが、フェッセルン同様に餓死した方達を食べた者達もまた怨念の苗床にされてきたのでしょう。こうして『神を見限った者達』は勢力を拡大すると同時に賊となって弱き人々から糧を奪ってきたのでしょう。自分達と同じく・・・・・・・餓死させる為・・・・・・に」


 そして新たな餓死者の怨念を取り込んできたに違いない。


「そうなると彼らが一揆勢の為に大量の武器や兵器を用意した本当の目的が見えてくるわね」


 イルゼもまた得心がいった顔で口を開いた。


「フェッセルンの目的はアームストロング砲やガトリング砲を売り捌いて大儲けするのではなかった。一揆を助長して戦争にまで発展すれば餓死者どころの話ではないわ。多くの戦死者が出るし、仮に死を免れたとしても被害は尋常ではなくなるでしょうね。飢饉はより加速し、親を亡くした子、子を失った親の怨嗟も聖都中に渦巻く事になるわ。フェッセルンに取り憑いている怨念はそれを取り込む事で力を増していくって寸法ってところでしょう。胸糞悪いったらありゃしないわ」


 フェッセルンが若さを維持している理由がウルリーケと同じく怨念の苗床として生かされていると理解したイルゼは侮蔑の目を彼に向ける事を止められなかった。


「そんでASMRとどう繋がるンだい?」


 アンネリーゼはいい加減そこを知りたかったのだが、話があちこちに飛んでいるように思えて仕方がなかった。


「ASMRってのは本来、心地よい音によってリラクゼーションを得るものでやすが、フェッセルンの場合は違うンでやすなァ。野郎は怨念を取り込んでいる身体的、精神的な負荷を和らげるために、特定の音波を使った音響療法を利用しているンでやす。つまり、常に怨念に苛まれるヤツの精神を安定させる為にASMRを応用しているンでやすよ」


「そうか、つまりは痛みを和らげる麻薬のようなもんか」


「ええ、まさにその通りで御座ンす。フェッセルンが若さを保ち続けるのも、この怨念をコントロールする方法の一環としてASMRを利用しているンでやすなァ。怨念が彼の身体を老化させずに保つ反面、その影響で精神が不安定になりがちなんで御座ンすよ。そのバランスを取るためにASMRが必要なんでやす」


「なるほどな。まったく、邪悪な力を持って生き延びる方法にも色々あるもんだ」


 アンネリーゼは眉をひそめながらも興味深げにうなずいた。

 怨念という見えない力をコントロールするために音響療法を用いるとは、異世界の文明に感心すると同時に怖気を感じていた。


「その音響療法、ASMRといいましたか。彼がその技術をどこで手に入れたのか、その経緯が気になるところですわね」


 ヴァレンティーヌの疑問ももっともであるが、流石のおシンの情報網でもそこまでは掴めていなかった。


「そこまでの詳細はまだ把握しておりやせんが、考えられるのは天魔宗が一番疑わしいと思われやす。ただそうなると天魔宗がフェーを破門にした理由に繋がらねェ。農民達に兵器を提供しようとしていた連中を止めようとしていたのは他ならねェ天魔大僧正様なんで御座ンすから」


「何にせよ。怨念の声を延々聞かされていたフェッセルンの野郎が追い詰められていたのは理解したぜ。それでフェッセルンは何を聞いて癒やされてたンだい?」


「それが笑っちゃいけやせんぜ?」


 おシンがフェッセルンの耳に仕掛けられた機械を抜くとアンネリーゼに手渡す。

 先の囁きを体験した事もあってアンネリーゼは慎重に耳に近付ける。


「何だ、コイツは?」


 呆気に取られているアンネリーゼを不思議に思い、ゲルダが機械、イヤホンを受け取って耳に近づけてみる。


「コイツがフェッセルンに取っての癒しか」


 ゲルダが憐れむようにフェッセルンを見詰める。

 聖女らが差し出されたイヤホンを手にして順に聞いていくと誰もが驚きに満ちた表情を浮かべたものだ。

 聞こえてきたのは赤ん坊の笑い声だったのである。


「屍肉を喰らい、怨念をその身に貯えてきた男は赤ん坊の笑い声に救いを求めていたか。ASMRが地球で知られるようになった時期と此奴こやつの倅の歳を考えれば、この赤子はフェーに間違いあるまい」


「うう…ううう…」


 イヤホンを取られたフェッセルンは身じろぎすらしていなかったさっきまでと違って頭を振って藻掻き始めたではないか。

 その際、養生テープが緩み、口元が露わになる。


「うう…フェー…フェー…」


「そうか、そうか。母を喰らい、怨念を取り込んで尚、そなたは鬼にはなりきっておらなんだか。そしてそなたを此岸しがんに留めておったのはフェーであったのだな。我らはフェーを斃したがお主もまた彼岸へと渡っていたか」


 愛息の存在とASMRで此岸へと引き止められていたフェッセルンであったが、フェー諸共半グレ組織を壊滅させられた事で均衡は破れ、フェッセルンも崩壊していたのであろう。

 首領を取り逃がしていたと思っていたが、既にフェッセルンは我が子と共に彼岸へと渡っていたのである。


 ゲルダはフェッセルンへ少しの哀れみを感じていた。

 敵であることに変わりはないが、彼の抱える苦痛を想像すると、彼が取った手段の一端を理解することができたのだ。


「なるほど。野郎の行いは決して許されるものではないが、その背後にある苦痛は理解できる。どんな存在も、苦痛から逃れようとするものだから」


 アンネリーゼは深く考え込むようにうなずいた。

 敵対しているフェッセルンに対する感情が、単なる憎悪から少し複雑なものへと変わりつつあるのを感じていた。


「すまなんだな。これは返すぞ」


 ゲルダがイヤホンをフェッセルンの耳に装着すると途端に動きが止まった。


「フェー…フェー…パパを…許して…いや、許しは…いらない…その代わり…お前の罪も…パパが背負って…一人で…地獄…へ…」


 そのままフェッセルンは項垂れて動かなくなる。

 ゲルダが彼の首筋に指を当てると脈は既に無く、首を横に振ることで皆にフェッセルンが死んだ事を報せた。

 飢餓により母を喰らい、その罪を軸に悪行を重ねてきた半グレ組織の首領の呆気ない最期であった。

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