第玖拾㯃章 神を見限った者・前編

「それで、この男は一体誰なんだい?」


 おシンに案内されて一行は途中にある部屋へと通される。

 そこでは椅子に養生テープでぐるぐる巻きに固定された男がいた。

 目と口も養生テープで塞がれており、呼吸の為に無事である鼻も洟が垂れていて苦しそうにしているではないか。

 見覚えがあるのか、イルゼが近付いて拘束されている厳つい男を凝視する。


「ジーク? ジークフリード?」


「イルゼどん、知り合いかい?」


 アンネリーゼの問いにイルゼは首肯した。


「親しくはないけどね。天魔宗・十大弟子の一人、フェーの護衛兼教育係よ。貴方達はアームストロング砲で『神を見限った者達』の本拠地を滅ぼしたそうだけど、その時、フェーのそばにはいなかったかしら?」


 イルゼの言葉にゲルダがポンと手を打った。


「そう云えば朧気ながら見た記憶があるな。おお、思い出したわえ。本部長を自称していたラルスに対して冷たい態度を取っていたフェーがそやつには親しげにしておったかた近しい間柄とは推察しておったがな。そうか、教育係であったなら納得だわえ。何故、拘束されている上に怨念の声を聞かされ続けておるのかと不思議であったが『神を見限った者達』の生き残りであったとはな」


「というか、あの大爆発の中で生き残っていたのかよ。とんでもない化け物だな」


 アームストロング砲を撃ち込んだベアトリクスが感心したように呟いたものだ。

 あの砲撃はアンネリーゼが『龍』の力で飛距離と命中精度を向上させ、ベアトリクスが『不死鳥』の力で破壊力と熱量を高めていたので生き残りがいた事に驚きを隠せずにいた。

 何せ、発射時の風圧で周囲の建物諸共塵一つ残さずに蒸発させていたのだ。

 余波だけで数キロ単位で木々を薙ぎ倒していたし、直撃を受けたフェーの護衛達は粉微塵になったはずである。

 その生き残りがいたのだから無理もない。


「そりゃそうでやすよ。コイツは元から生きちゃいねェ・・・・・・・・・・ンでやすからね」


「どういう事だな?」


 ゲルダの疑問におシンは答えた。


「この野郎は百年前に淫魔王クシモ様が起こされた復讐戦争の時代に生まれやしてね。淫魔軍の吸精鬼サッキュバスによって聖都に住まう人々は気力を奪われ、自堕落な生活をしておりやした。国のもといである農民がそんな有り様じゃ数年で食糧なんて無くなっちまうに決まってる。当然ながら野郎の生家も飢餓に喘いでいたってワケでさ」


「ああ、十年前の蝗害も非道かったが、百年前に至っては魔王直々に攻撃していたから被害も相当だったな。国庫の貯えを開放しても焼け石に水でな。人々は僅かな食糧を巡って殴り合い、いや、殺し合いにまで及んでいてよ。酸鼻極まるとはまさにこの事だったぜ」


 当時の悲惨な状況を思い出したゲルダ達は難しい表情で目を閉じたものだ。

 ヴァレンティーヌ、イルゼ、イルメラはその当時はまだ生まれていなかったが、現在も蝗害の爪痕が残る、否、その被害を今も拡大されているのを知るだけに百年前の惨状を想像せずにはおれなかった。


「俺様も船で食糧を掻き集めたもんだが焼け石に水だったなァ。アルウェンやオボロも食糧集めに奔走していたが、結局、大本のクシモ撃破を優先して復興をした方が賢明だと判断してクシモの居城に乗り込んだもんだ」


「ああ、親父とお袋も云ってたなァ。あの戦いは勇者の力では解決できない問題が多かったってよ。ゲームみたいに魔王を斃して大団円とはいかねェわな」


 侵略や破壊のみならず人々を快楽と自堕落に落とし込むクシモの戦略は神々でさえも震え上がらせたという。


「何せ魔界を統べる大魔王でさえクシモに「もう少し手心を」と苦言を呈してたってンだから淫魔王の怒りたるや推して知るべしだな」


 かつて星神教に信徒を虐殺され支配地を奪われた挙げ句に、淫魔へと陥れられて魔王にされた地母神の怒りは凄まじいものであった。

 それでいてクシモは千年もの雌伏を経て復讐に臨んだというのであるから星神教への怨みの程は筆舌に尽くし難かったといえよう。

 勇者アルウェン、勇者朧に封印された淫魔王であったが、母親以上の魔力を内包していた幼い頃の月弥を唆して祈りを捧げさせたという。

 その甲斐もあってクシモは僅か十年で復活を遂げてしまったのだ。

 ところがクシモにも誤算があったのである。

 まずクシモは月弥を支配下に置く為に力を与えようとしたのだが、プライドの高い月弥はチートを嫌ってそれを拒絶してしまう。

 では富を与えようとしたところ、実家の道場で師範代を勤めていた月弥は充分に稼いでいると云い、やはり人から恵んで貰う事を嫌って断ったのだ。

 それならとエルフとドワーフ、そして人間の混血児であるが故に非道いイジメを受けてきた事への復讐を持ち掛けたが、出世して幸せになってやった方が余程復讐になるし、擦り寄ってきたその時にでも「お前は誰だ」と忘れてやった方が応えるだろうと笑い飛ばしたものだ。

 これにはクシモも感服してしまい、益々是が非でもそばに置いておきたくなり、復活の褒美に願い事を三つ云うように宣ったそうな。

 願いを云わねばしつこく付き纏われると察した月弥が望んだ事はこうである。

 一つ、色魔の三下では世間体が悪いので昔操った杵柄で地母神をやれ。

 二つ、板挟みはたまったもんじゃないと、勇者である両親と和解しろ。

 三つ、復讐に巻き込むな。星神教とやらと喧嘩したけりゃ一人でやってろ。

 こうして淫魔王クシモは地母神へと返り咲く事ができたのだが、主の権能である「豊穣」と「子宝」を武器に人を集め、組織運営の才能を遺憾無く発揮した月弥により慈母豊穣会は設立し、星神教に迫る勢いとなった。

 初めは会長と名乗っていた月弥であったが、組織の中には彼を崇める者も現れるようになり、会員即ち信徒から教皇ミーケと呼ばれるようになったのだ。

 慈母豊穣会の信仰対象であり月弥の主であったクシモもいつしか彼を男として惚れ込むようになり、一歩下がって補佐するようになったという。

 こうして慈母豊穣会は教皇ミーケがトップとなり、クシモは月弥の秘書として彼を支える事に喜びを見出すようになったそうな。


「そんで? その大男が百年前に餓えてどうしたい?」


 教皇ミーケは自分の知らないジークフリードを知るおシンに訊ねたものだ。

 百年前のクシモを知るおシンは見事に手綱を握るミーケに内心で感服しながら答えた。


「餓えに苦しめられながらも食い物も無い。それでも子に食べさせようと必死に働いていたこいつの母親でやしたがついに病に倒れちまった。動けない母親は我が子に自分を殺して食べて生き残るように云ったそうですぜ」


 初めは母親の提案を拒んでいたジークフリード少年であったが、餓えでこれ以上肉が削げ落ちる前にと母親は力を振り絞って出刃包丁を突き刺したという。

 しかし弱っていた為に死にきれず、激痛いたみにのたうちながら我が子にトドメを懇願したのだ。

 母親の苦しみを長引かせたくないという気持ちもあったが、やはり少年の餓えも限界だった。


「その時の事はあまり覚えていないそうですぜ。記憶にあるのは燃え盛る生家と血の臭い、そして満腹による幸福感だったそうでやす」


「そ、そんな事が…いや、有り得ない話じゃないな。餓えのあまり子に我が身を喰らわせる親、逆に我が子を殺して喰らう親は大勢いたンだろう」


 アンネリーゼは地母神であったクシモを怒らせた結果、復讐によって餓える事になった星神教及び聖都の住人に居た堪れない気持ちになった。

 その上、子が親を殺し、親が子を喰らう、この世の地獄を創り出した淫魔王はかつての地母神であった時とは真逆ではないか。

 しかしクシモの復讐心も理解できるだけに彼女を責める気持ちにはなれない。


「その後、この野郎は“生きる為なら何をしても構わない”と思うようになったンだそうでやすよ。以来、飢饉が起こる度に餓えで極限状態になったヤツを見つけては餓え死にしたヤツの肉を喰わせる事で倫理観を壊し、罪悪感とこの状況を創り出した聖都、いや、星神教、いやいや、天空から見下ろして何もしてくれない神サマへの怨みを煽って仲間を増やしていったンでさ。それが『神を見限った者達』の正体というワケで御座ンすよゥ」


「そんな事が…って、ちょっと待て!」


「何でやす?」


 『神を見限った者達』の成り立ちを理解しかけたものの、違和感に気付いてアンネリーゼが声をあげた。

 それを不思議そうにおシンは首を傾げたものだ。


「半グレ集団『神を見限った者達』が人喰いの罪悪感と神への怨みで縛られた連中って事は理解した。けどヤツらの首領はフェッセルンだったはずだ。ジークフリードじゃねェ。それはどうなってるンだ?」


「考えるまでもありやせんや。ジークフリードこそ即ち主導者のフェッセルンって事でやすよ。単純な話でさ」


「つまり彼は我が子に父親と名乗らずに護衛を兼ねた教育係として接していたワケなの? それは何故? 猜疑心が強いって噂もあるし、フェーにも父親である事を伏せていたって事?」


 イルゼはそこまでしてフェッセルンの正体を隠す意味が分からなかった。

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